東方幻影人   作:藍薔薇

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第211話

計画は立てた。皆が持つ情報を訊いた。皆が持つ固有の能力を知った。わたしが望む結末へ進むために、出来る限り穴を埋め、可能な限り選択肢を増やし、より強固な道を作った。

窓から空を見上げると、真上に昇る太陽がわたしを突き刺す。悶えるような嫌悪感を覚えながら、急いで顔を窓から引っ込めた。…決行は今夜。最初にわたしと同行する妹紅以外は、既にここにはいない。各々が役目を持ち、異変の開幕を待っている。

 

「…妹紅、わたしは少し寝ますね」

「そうかい。ま、これまで寝ずに考え続けてたからな。いざ本番に不調なんて笑えない」

「ふふ、確かにそうですね」

 

まさか考える時間を延ばすために『紅』を発動させる日が来るとは思わなかった。『紅』を発動している間は、思考が加速して時の流れがとても遅く感じる。死の直前とまではいかないが、それでも極度の緊張に陥ったときのように、呼吸を止めたときのように緩やかに時間が流れていく。感覚では一週間や二週間は考えていたつもりなのだが、実際は三日くらいしか経っていない。

 

「それでは、日が赤くなったら起こしてください」

「はいよ。ゆっくり休んで来い」

 

そう言う妹紅も寝ていないはずなんだけど、大丈夫だろうか?

そう思いながら、わたしは『紅』によって押し込められていた睡魔に身を委ね、眠りに就いた。

 

 

 

 

 

 

…懐かしい景色だ。

真っ先に思い付いたのは、そんな感傷だ。わたしが長い間見続けていた景色。鬱蒼と生い茂る樹を眺めながら、樹齢が他の樹よりも長そうな太い樹に背を預け、脚を地面に投げ出していた。そんなことをふと思い出していた。

そうだ。ここでわたしはあの八雲紫に遭ったんだ。そして、わたしに告げた。僅かに目を見開いたが、すぐに妖しく微笑みながら『ようこそ幻想郷へ。歓迎するわ、ドッペルゲンガー』と。忘れていたつもりはないけれど、思い出すこともなかった記憶。

ここで複製の能力に気付いた。ここで一人の天狗に会った。ここからわたしは人間の里へ足を伸ばした。…そんな、今は変わってしまって見ることの出来ない、妖怪の山の一部。

 

「夢、なのかな」

 

そう思った瞬間、途端に世界が色褪せていく。あぁ、何てことだ。もっと見ていたかった。もっと感じていたかった。わたしの起源の記憶。まだ何かあるはずなんだ。そんな気がするんだ。どうしても思い出せない記憶。過去を振り返れなかったわたしが、こうして過去を見ることが出来たのに。何かが足りない。何かが欠けている。何かが削れている。何かが失われている。それなのに、思い出せない。

そんな悔しさを滲ませながら、昔のわたしが座っていた樹に頭を叩き付ける。軽く一回、そして強く一回。滲む痛みがわたしの愚かしい行為を罰する。どうしてそのまま放っておかなかった?どうしてそのまま放っておけなかった?夢を夢のまま見ていれば思い出せたかもしれないのに、どうしてわたしは醒めてしまった?けれど、足りず欠けて削れて失われた何かは出てこない。

そんなとき、ふと違和感を感じ取った。何か異物が混入してきたような、どうしようもない嫌悪感。後ろを振り返ると、異物は空間を引き裂きながらそこで微笑んでいた。

 

「…まさか貴女が夢の中で出てくるとは思ってませんでしたよ。八雲紫」

「そうね。私も出来ることなら別の機会に二人きりで会いたかったわ」

 

大賢者でスキマ妖怪。八雲紫がそこにいた。…まぁ、八雲紫が出てくることは予想していた。むしろ、出てくることを願って八雲紫の結界である迷い家で計画を練った。式神の式神である橙ちゃんの前で語った。しかし、夢の中とは予想外。

 

「それで、一体何の用ですか?」

「異変を辞めろ」

「それは無理な相談だね」

 

即答すると、微笑んでいた表情が一変し、僅かな怒りが浮かび上がる。けれど、知ったことか。

 

「レミリア・スカーレットは昼でも遊びたいがために傍迷惑な紅い霧を生み出した。西行寺幽々子は西行妖を満開にしたいがために幻想郷の春を奪った。伊吹萃香は宴会を続けたいがために妖霧となって意識を萃めた。八意永琳は月の使者が幻想郷に決して来れないようにするために偽りの月を浮かべた。貴女はその異変を解決したいがために夜の時間を延ばした」

「…何が言いたいのかしら?」

「全員だ。一人の例外もなく、異変は自分の欲望を満たすために起こされている。だったら、わたしだって願いを叶えるために異変を起こしたって構わないでしょう?」

「摘める芽は摘むものよ」

「あっそ」

 

これまでの異変は後手に回ったが、わたしが起こす異変は先手が取れる。だから、こうしてやって来た。…そう言いたいのだろう。

けれど、貴女が来ることは予想していたんだ。こうして止められる可能性が思い浮かばないわけがない。

 

「そういえば、前にわたしに期待していると言っていましたね。えぇと、確か奇策と性格でしたっけ?わたしの捻じれてひん曲がった思考の一体何処に期待する要素があったかは知りませんが」

 

唐突に始める昔の話。怪訝そうな表情を浮かべているが、気にせず続けていく。

 

「その前は、わたしの複製を創造と勘違いしてましたねぇ。許容範囲内とか言われましたけど。それに、わたしの顔が気に食わないとか」

「それがどうかしたのかしら?」

「あの時は何を言っているのかサッパリでした。何を貴女が求めているのか分かりませんでしたし、何に期待しているのか分かりませんでしたよ。けど、今なら分かる。色々考えさせてもらったけれど、貴女はわたしが欲しいんだ」

 

そう断言すると、八雲紫の目が僅かだが確かに見開かれ、わたしと目が合った。驚愕の色が窺える。ありがとう。その態度がわたしの仮説の証明になる。

 

「ドッペルゲンガーの能力。人の願いを奪い成り代わる程度の能力。この能力の後ろ半分を好きなように利用することが出来れば、あらゆる人の代替品が出来上がる。鏡宮幻香の能力。ものを複製する程度の能力。この能力が創造に昇華すれば、あらゆるものの代替品が創り出せる」

 

小さく開いた口。しかし、そこから何かが出てくることはなかった。妖力弾然り、唾液然り、言葉然り。

 

「沈黙は肯定として続けましょう。…とある代の博麗の巫女が風見幽香との決闘をし、不慮の事故で命を落とした。次代の博麗の巫女が出来上がるまで、幻想郷の秩序が荒れに荒れたそうですね。非常に大変そうじゃないですか。だから、才能によってのみ博麗の姓が襲名される博麗の巫女をいつでも生み出せる、そんな便利な存在が欲しかった。ドッペルゲンガーの能力で才能を持つ人間に成り代わり博麗の巫女となる。創造の一つの到達点、生命創造で新たな博麗の巫女を創り出す」

 

そこまで言うと、八雲紫は引き裂いた空間から体を乗り出し、わたしに一歩近付いてきた。伸ばされた右手の延長線上から避けるように横にずれる。

 

「他にも使い様は無限大。…そんなありとあらゆる代替品に成り得るわたしが欲しかった」

「…そこまで分かっていて、何がしたいのかしら?」

「交渉をしたい」

 

さて、ここからが正念場。

 

「わたしは異変を起こす。その異変の目的が成就出来なかったとき、わたしの全てを貴女に捧げましょう」

「本気かしら?」

 

そう問う八雲紫からは、隠しきれない歓喜が見えた。

 

「本気も本気ですよ。だから、わたしは貴女に一つ賭けてほしいものがある」

「言ってみなさい」

「賭けてほしい、というより先払いですかね。…わたしが起こす異変が終わるまで貴女の介入を禁ずる。つまり、傍観者になってほしい」

「たったそれだけ?」

「ええ、たったそれだけ。わざわざ貴女が見出して選び出した博麗の巫女を信じて、異変の解決をゆっくりと眺めていればいいんですよ」

「いいわよ。それで貴女が手に入るなら」

 

わたしの交渉に乗った八雲紫は頬を三日月の如く吊り上げ、瞳を極限まで細く狭め、その奥の眼光がわたしを絡め取るように射貫く。…美しく、それでいて酷く醜い顔だ。

しかし、わたしも似たり寄ったりなのだろう。わたしも自然と頬が上がっていく。あは、と笑いが込み上がってくる。

 

「チェスって遊戯を知っていますか?」

「知ってるわ。…それが?」

「以前、パチュリーと遊んでいたんですがね。わたしが余りにも負け続きだったからか、フランがわたしに勝手に助言をしちゃいましてね。…ですから、わたしとパチュリーはお互いにその盤を最初からやり直すことを提案しました」

 

そこまで言うと、ようやく気付いたようだ。けれど、もう遅い。貴女はわたしの罠に嵌ったんだ。

 

「傍観者である貴女がわたしの異変に介入の可能性を感じたら、わたしは即座に幻想郷を破壊します」

「そっ、そんなことが出来るわけ――」

「出来る出来ないじゃない。やるんだよ。大丈夫。たとえ幻想郷が滅んでも、また新しい箱庭遊戯が始まるだけだから」

 

わたしの目の前に八雲紫の複製(にんぎょう)が出現し、八雲紫を勢いよく殴り付ける。流石夢の中。この程度のことなら平然と出来てしまう。

 

「もう賭けは始まっているんだよ?ま、わたしは寛大だからねぇ。…今から三秒までなら許してあげる」

「ちッ!あぁもうっ!」

 

引き裂けた空間に八雲紫が跳び込み、そして何事もなかったかのように閉じていく。

 

「アハッ!アハハハハハハハハハハハハッ!」

 

高笑いするわたしの声は、何処までも木霊していった。

 

 

 

 

 

 

「――きろ。もう日が沈む」

「…ん。妹紅…?」

 

体を揺らされ、夢から現実へと引き寄せられる。

 

「お、起きたか。どうした?何て言うか…、最高と最低を同時に味わったような顔をして」

「アハッ。確かにその通りかも」

 

窓から見えた空は、既に赤黒い。もう少し経てば満月の夜。異変の決行は近い。

 


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