東方幻影人   作:藍薔薇

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第215話

「…あら?」

 

お嬢様のために丹精込めて作った食事を食べていただき、食器をもう少しで洗い終える。そんなとき、地下から何か音が聞こえた気がした。お嬢様の御眼鏡に適った壺が倒れたのか、壁に飾られたいつの時代のかも分からないくらい古びた細剣か何かが落ちたのかしら。

 

「ん…?」

 

しかし、音はそれだけで留まらず、徐々に近付いてくる。階段を誰かが駆け上がる音。そして、何かが次々と壊されていく音が聞こえてきた。…もしかして、また妖精メイドの悪戯かしら。自由奔放。指示をしていないと、何をするか分からない。それとも…、いや、まさかそんなはず…。

頭に過ぎった嫌な考えを振り払う。しかし、どちらにせよ止める必要がある。そう考えながら、食器を最後までしっかりと洗い終えた。

それから部屋を出て、廊下を見回す。端から端まで見通したが、珍しいことに妖精メイドが一人もいない。その代わりに、一人の来訪者が今にも欠伸をしそうに大きく伸びをしながらこちらに歩いていた。その人も廊下に出た私に気付いたようで、欠伸を噛み殺しながら軽く手を振ってくれた。

 

「あら、幻香さん。こんな時間に珍しいですね」

「あー、そう言われるとそうですねぇ。すみませんね、咲夜さん」

「いえ、気にすることはありませんよ。それで、今日はどういったご用件で?」

「用件?…あぁー、それはねぇ」

 

そう言いながら、右腕を水平にピンと伸ばした。まだ寝ぼけているようなトロンとした目付きのまま続きを言い放った。

 

「占領」

「ァガ…ッ!?」

 

次の瞬間、首元に強烈な一撃をもらい、背中を壁に叩き付けられた。気管が潰れたような錯覚に加え、叩き付けられた衝撃で肺の中から全ての空気が吐き出される。何が起きたのか分からない。

 

「ゲホッ!ゴホッ!」

 

咳き込みながらも必死に空気を吸い込み、さっきの一瞬で何が起きたのか認識しようとする。しかし、思い出されるのは一瞬のうちに伸ばされた右腕が私の首に叩き込まれ、そのまま壁に叩き付けられたこと。自然と滲み出る涙を払いながら前を見ると、遠くにさっきまでいた部屋の扉が開きっぱなしになっているのが見えた。あそこからここまでの距離は四十メートル超。それを一瞬で移動している。

そこまで考えたところで、混濁していた意識がようやく戻ったように感じた。体はまだ痛むが、来訪者改め侵略者を探すために意識を切り替える。

…時よ、止まれ。

 

「はぁ…、はぁ…。彼女は何処に…?」

 

止まった時の中。私だけが活動出来る。荒れる息と痛む体を落ち着けるように深呼吸をしてから、廊下を見渡す。奥まで見通しても、壁を見ても、天井を見上げても、人影一つ見当たらない。…おかしい。けれど、確かに見当たらない。そういえば、扉が開きっぱなしであることに気付いたときには既に目の前にいなかった。では、何処に?

そこまで考えたところで、嫌悪感が私に忍び寄ってきた。時間操作に私という枷を除けば制限はない。ただ、時間を操っているとまるで世界の法則に反していることを罰するかのように何かが軋んでいく。それは長く改変し続けていくと、徐々に強く、きつく、私の何かを締め上げ蝕む。無理をすればどこまでも変えることが出来るのだろう。けれど、その代わりに何かが潰れて消えてしまう気がする。ゆえに、私は自分自身で制限を掛けた。その中でも時間停止は最も制限が強く、基本は五秒。最長でも一分程度。これが私の決めた制限の一つ。この感じから察するに、そろそろ一分経ってしまうのだろう。

…時は、動き出す。

 

「何処にいるのかしら…」

 

呟く言葉に答える者はいない。しかし、ガリガリと何かが擦れる音がここら一体から聞こえてくる。

 

「な!」

 

何事かと思ってすぐに気付いた。この階の天井がいつもより近い。それどころが、どんどん近付いてくる。迫り来る天井。あと数秒もあれば天井は床に落ちるだろう。もちろん、私の含めた異物は圧され潰され砕かれてしまう。

…時よ、止まれ!

 

「な…、何てことを…!」

 

長時間時間停止を駆使してからすぐにまた止めた所為か、さっきまで私を蝕んでいた嫌悪感がまだいくらか残っている。今までの制限から考えれば、二十…、いや、十秒程度と思われる。

その十秒を使い、天井が落ちていなかったのが確認出来たさっきまでいた部屋の中へ滑り込む。荒れる息を整える時間よりも、今は私を縛るものを払いたかった。

…時は、動き出す。

 

「はぁ、はぁ、はぁ…」

 

荒れる息を整えながら、天井が落ちることによる強い振動に備える。しかし、そんなものはいくら待っても来ず、落ちてくることによる振動も、轟音もない。扉の開いた先に見える廊下には落ちてくる天井が一瞬たりとも見えなかった。

まさか、あの天井丸ごと複製…?それでは、幻香は何処に…?そこまで考えて廊下へ出ると、先ほどの時間停止をしたときに私がいたところに、幻香が背中を向けて立っていた。部屋から出た瞬間、私に気付いたらしく、その首が私を向く。

 

「『時間を操る程度の能力』。その中でも、特に時間停止は本当に恐ろしい能力ですね。簡単に破れるようなものではない。けれど、さっきので少しだけ分かりましたよ。多分、時間停止には限界がある。十秒や二十秒なんて短い時間ではないようですが、わたしの予想では五分から十分といったところでしょうかねぇ?それと、貴女が時間停止をした回数は二回ですね?最初は非常に長い間止めていたのでしょうね。わたしの攻撃で荒れているだろう呼吸が正常に戻っていたのですから。ですが、問題はその次だ。何故、また呼吸が荒くなるんでしょうか?まるで、全力疾走でもしてすぐ後のように。ここからその部屋まで、走れば五秒くらいでしょうか?時間停止をして落ち着いて、ゆっくりと歩くことだって出来たでしょうに。それなのに、呼吸が荒くなる。つまり、そうならざるを得ない理由がある。最初は長く止められて、次は短くなってしまった理由がある」

 

そう長々と仮説を語りながら、私に歩いて近付いてきた。肩に掛かっている紐を手に取り、いつもと同じように、微笑みを浮かべながら歩み寄ってくる。敵意も害意も殺意も感じないまま歩み寄ってくる。

それに対し、私は今更ながら三本のナイフを指に挟む。どうやら過大評価をしてくれているようだが、お嬢様のいるこの紅魔館を占領するという侵略者に対して容赦はしない。

 

「え…?」

 

それなのに、何故か視界は真っ黒になった。意識はしっかりとしているから、気を失ったとかではない。ならば、どうして?目の前に手を伸ばす。すぐに硬い感触が伝わってくる。右に伸ばす。その前に肘に硬い感触が伝わってくる。左も同様。頭を少し後ろに下げると、後頭部に壁がぶつかった。上に手を伸ばす。すぐに硬い感触が伝わってくる。つまり、何かに閉じ込められた。

 

「聞こえますかー?」

 

トントン、と叩きと共に、壁を挟んで幻香の声が聞こえてきた。気の抜けた声色に、僅かに憤りを感じたが、それを押し潰す。

 

「今すぐここから出しなさい」

「えぇー。どうしようかなー…」

 

当たり障りのないことを言い、ここから脱出するための時間を稼ぐ。ナイフを使って穴をあけることが出来るだろうか?しかし、この狭苦しい空間では、まともに投げられない。まともに投げられなければ、どれだけ時間を操ってナイフを加速させようと意味がない。ならば、直接突き刺す。

 

「ま、いいですよ」

 

閉鎖空間の中で出来る限り腕を引き絞り、壁に突き刺そうとしたその時。視界が一瞬白く染まる。伸ばした腕には何も抵抗はなく、思い切り空振った。その腕を掴まれ、手首に何かが付けられた。

異物を感じ、意識がそちらに向いている隙に足を払われ、そのまま手首に付けられた何かから伸びる紐が私の周りを囲う。右腕が背中に引っ張られ、肩が外れそうになるギリギリのところで止まった。しかし、そんなことはお構いなしに紐は私を縛り付けた。

そして、私はあの時の妖夢のように背中を踏まれて拘束された。

 

「…ふぅ。何とかなってよかったですよ。正直、貴女が一番の難所でしたからね」

 

きつく締め付けられた紐は私の胴体を八周回っており、両腕は動かせそうにない。しかし、の程度の紐、時が経てば摩耗する。させることが出来る。摩耗すれば、この硬く縛られた紐も容易く削れ、解け、破れ、千切れる。

…時は、加速する。

 

「あ、そうそう」

 

紐の時が急速に流れていく。時の加速は時間操作の中でも楽な部類に入る。この調子なら、一分足らずで何十年分の時間が経つ。そして、この程度なら一時間は続けられる。

 

「この紐はちょっと特別でね」

「特別?」

 

そんなことはどうでもいい。この細さなら、百年もあれば十分だろう。二、三分もあればどうにでも出来る。油断し切っているところで悪いが、その瞬間に時間を止め、私が捕縛し返してあげる。

 

「月の都で得た知識なんですが、物質はどう頑張っても約七十四パーセントまでしか敷き詰めることが出来ないそうです」

「…それが何だと言うのかしら?」

「けれどね、これは違う。そんな月の都で必死になって覚えた知識を根幹から覆す。とてもじゃないけれど普通じゃ認識出来ないくらい細い繊維の集合体の集合体の集合体の繰り返し。単一物質による密度百パーセント。その名を、フェムトファイバーと言う」

 

さっきから何を言っているのかサッパリ分からないし、月の都で得たと言っていることに驚きを覚えたが、それよりもおかしいことがある。変わらない。五十年分は流れたはずだ。削れないにしても、少しくらいは何か変化があってもいいはずなのに。何一つ変わらない。今も変わらず私を締め上げる。

 

「曰く、穢れない。ゆえに、寿命を持たない。変化しない。どれだけ時間が経とうと、その紐はその紐のままあり続ける。永遠に変わることはない」

「え…?」

「だからさ、貴女はこの紐で縛られた瞬間負けていたんだよ」

 

そう言われたことを覆したくて、時の加速をさらに早くする。一秒で数百年は経過するだろう。それなのに、削れない。解けない。破れない。千切れない。変わらない。嫌悪感が私を蝕むが、それでもさらに加速する。それでも、変わることはなかった。

 

「これ創るの苦労したんですよ?それ一本にどれだけ妖力を使っているのやら…。体積対妖力量なら緋々色金のほうが二回りくらい多いですけど」

 

そう言いながら、私は幻香の肩に担がれた。まるで、丸太か何かのように。

 

「は、離しなさい!」

「嫌だよ。だって、放っておいたらどうなるか分からない」

 

そう言いながら、私の所持しているナイフの大半を歩きながら引き抜かれ、その場で投げ捨てられていく。

…少し油断した結果がこれです。お嬢様、申し訳ありません。

 


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