東方幻影人   作:藍薔薇

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第238話

体を動かすたびに響くように痛み、腕を振るうとそのまま千切れてしまうと錯覚し、一歩踏み出せばとそのまま崩れてしまいそう。痛みは熱を持って私を包み込み、私の体を焼き尽くしていく。どう考えても万全には程遠く、理想にはかけ離れている。

だというのに、私の芯はより一層冷えていく。流れる時間が引き伸ばされていき、髪の毛一本一本の動きすら見て取れるとさえ思える。それなのに、私はいつも通り動けている。より引き伸ばされた時間の中で、いつも通りの速さで楼観剣を振るっている。そんなこと出来るような体じゃないはずなのに。

 

「お、いいね。まだ行けるんじゃないか?」

 

その余裕そうな顔を浮かべる鬼を斬り、私は先へ進む。だが、このままでは足りない。まだ遅い。彼女を斬るには、さらに速くしなければ…。

袈裟斬りを振るい、私へと一歩踏み込みながら右下へと潜り込まれる。握り込まれた拳は、今にも私へと伸びてくるだろう。そうはさせまいと、斬り返しで僅かに上に傾いた横薙ぎの一閃を放つ。

 

「ほ、っと」

 

握られた拳が私ではなく刀を弾くようと放たれ、太刀筋がさらに上へと傾かされる。抗うな。無理に軌道を戻そうとすれば、太刀筋が一気に崩れてしまう。逸らされた軌道に合わせていけ。

僅かに後ろへ下がり、萃香との距離を少しでも離す。私の刀への攻撃で、私へと踏み込んでいた動きは浅くなっている。それを埋めるように一歩を出したその頭に斬り下ろすッ!

 

「甘ぇよ」

 

ガァン、と硬い何かに阻まれる。ほんの少し頭を傾けた萃香によって。頭から生えている捻じれた二本角の片方が、私の楼観剣を止めた。押し込んでも動くことはなく、しかし離そうとしたときには左手で掴まれてしまう。

 

「鹿みたいに生え替わるかどうかは知らないけどよ、そう簡単には斬れないさ」

 

そう言いながら、まるで刀を軸に手首を肘を肩を腰を回転させ、私の横っ面に蹴りを放たれる。吹き飛ばされる瞬間に刀を離されたために、そのまま床を数度跳ね、転がっていく。痛んでいた体はさらに痛みを増し、さらなる熱で私を焦がしていく。そして、その分だけ芯が冷え切っていく。

一気に距離を詰め、刀の切っ先で貫ける距離での刺突。頬ギリギリで躱されるが、すぐに引き抜きその先へさらなる刺突。逆側に躱されてもさらに突く。突く突く突く。それでも躱され続け、ジリジリと距離を詰められていく。…まだ、まだ足りない。

腕の分だけ詰められたところで、刺突から斬撃へ切り替える。横薙ぎで一閃、足りない。袈裟斬りからの斬り上げで二閃、足りない。斬り下ろしからの斬り上げからの横薙ぎで三閃、足りない。斬り上げからの袈裟斬りからの十字斬りで四閃、足りない。横薙ぎからの袈裟斬りからの横薙ぎからの斬り上げからの斬り下ろしで五閃、足りない。十字斬りからの斬り上げからの逆袈裟からの横薙ぎからの斬り上げで六閃、足りない。斬り下ろしからの斬り上げからの横薙ぎからの袈裟斬りからの斬り上げからの逆袈裟からの横薙ぎで七閃、足りない。斬り上げからの十字斬りからの斬り上げからの逆袈裟からの斬り返しからの逆袈裟からの横薙ぎで八閃、足りない。

もっと速く。さらに速く。速く、速く、速く、速く速く速く…ッ!

 

「おらよっ!」

「ッ!」

 

十一閃の五手目である横薙ぎを躱され、鳩尾に肘が突き刺さった。体の動きがその一瞬で止まり、悶えるような痛みが走る。呼吸が止まっても気にすることなく続く拳を肩、胸、脇腹に受け、強烈な回し蹴りを叩き込まれる。吹き飛ばされる彼方、運よく開いた手が床に付いて勢いを削ぎ落しながら、どうにか壁数歩手前で留まった。

 

「我武者羅かと思えばそうじゃない。本当に綺麗だよ、あんた」

「これの何処が、ゲホッ!…ですかッ!」

「どの攻撃も正確に私を狙った牽制も騙しも一切ない攻撃。これを綺麗と言わずに何と言う?」

 

そう言われても、私はこんな無様な姿。未だのその体に一太刀も入れられない、見掛け倒しの剣術。…このままで、いられるか。私は、また諦めるのか?

否。まだだ。こんなにもボロボロだと言うのに、体はまだ動く。傷は増え、痛みも増し、血も流れて、熱を発しているというのに、体は変わらず動かせる。不思議な感覚。芯は凍てつくように冷える。

意識が深水に沈み込んでいくようだ。深くなればなるほど世界は音をなくしていき、時間は緩やかに進めていく。沈めば沈むほど私の太刀筋はより高いものへと昇華していく実感がある。それでもまだ足りない。まだ深みがある。まだ沈める。

一呼吸するたびにミシミシと軋むように体が痛む。そんな痛みが水の中に溶け出していくのを感じ、痛みを感じなくなっていく。世界が色を失い、私と萃香のみに彩色が施されている。

そんな中、刀を鞘に納めて手を添える。居合。私の剣術で最も速く、最も鍛錬を積み重ねたもの。流れる血の一滴が床に零れていくのが止まって見える。意識がさらに深く深く沈み込み、遂に底に足が着いた。

 

「人符『現世斬』――否ッ!人鬼『未来永劫斬』ッ!」

 

初めての感触が楼観剣から伝わってきた。柔らかいような硬いような軽いような重いような、何とも言い難い感触。一切の抵抗も感じさせないほど滑らかに動いた楼観剣には、真っ赤な血が付いている。

後ろからドサリ、と何かが倒れる音が聞こえてきた。私は、鬼を、斬った。…斬った。斬ったはずだ。なのに、私は何も分からない。何故だろう?斬れば分かると思っていたのに。あの予感は、外れだったのだろうか…?

 

「…ハ」

 

後ろから、何かが聞こえてきた。たった一文字の声。吐息程度の小さな音。だというのに、私の音のない世界を引き裂くように響き渡る。

 

「ハッ、ハハッ、ハハハ!」

 

振りむけば、その声の主は立ち上がっていた。パックリと斬られた胴からは血が溢れ出し、中身が零れ落ちそうだというのに、そんなものはお構いなしに獰猛に笑う。一歩、また一歩と私に近付いてくる。

 

「よく出来ました。あんたには鬼斬りの称号を与えるよ。誇ってもいい。私も、どうせ斬られるならあんたみたいな綺麗な奴に斬られたいしな」

 

パチパチ、と拍手さえしてくる。そんな彼女を前に、私は動けなかった。沈み切った私の意識がそのまま溺れてしまったかのように、体の言うことが効かない。こうして立っているのさえ億劫なほどなのに、動かない。

 

「だが、鬼殺しにはまだ遠い。残念でした」

 

そして、遂に私の目の前まで辿り着いた。喉が裂けるほどに乾き切り、何も言葉が出てこない。倒れようにも倒れることは出来ず、動こうにも動くことは出来ず、逃げようにも逃げることも出来ない。

 

「そんなあんたには、私の奥義をくれてやる」

 

そんな私にそう言い放ち、右手を力強く握り締め、軽く引き絞る。

 

「一撃破壊、二撃崩壊、三撃壊滅。全て喰らって全壊しな」

 

次の瞬間、私の体に拳が突き刺さっていた。そんな小さな拳なのに、巨岩の如く重い一撃。その一撃で、私の体は破壊され尽くし、私はもう二度と動けないんじゃないかと錯覚すらした。

間髪入れずに放たれた二撃は先程の一撃よりもさらに重い。私の意識が丸ごと崩れ去り、何を考えているのかサッパリ分からなくなる。視界に収まっているはずの世界が黒に染められる。

最後の一撃は、もう何も感じない。殴られているはずなのに、何も感じない。何も見えず、何も聞こえず、何も嗅げず、何も味わえず、何も感じない。五感の全てを喪失し、私がもうこの世に存在していないと思わせた。

 

「四天王奥義『三歩壊廃』。…安心しなよ、流石に殺しはしないさ」

 

その言葉を聞くことも出来ず、私の意識は途絶えた。最後に私の頭を過ぎったものは、結局答えの出ていない問答だった。

 


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