夢想天生。それは、気力次第でいつまでも持続させることが出来る。何らかの理由で私自身が過剰に傷付いたり、意識が混濁したりなどすれば、当然解けてしまう。しかし、そんなことが起きたのは、今まででたったの一度限り。その唯一の例外を除けば、私にあらゆる攻撃は通用せず、一歩的に作業的に相手を打ち倒せる。
「セイッ!」
「ぐ…ッ!」
だが、今ここで新たに一つ例外が出来ている。『鏡宮幻香が博麗霊夢と成る』ことで、アイツは私と同じ場所へ介入した。
鏡映しなんか目じゃない。瓜二つなんてものじゃない。双子のようだなんておこがましい。完全同一人物。それは、私の性能も才能も何もかも例外ではないらしい。
「あのさ、私」
「…何よ、私」
そう言いながら真横から振るわれた右脚を受け止め、僅かな隙を見せている左脚を払おうとしたところですぐに退避される。これで何回打ち合ったかは、数えていない。
お互いに肉弾戦を続けている理由は、それしかないからだ。この場所に留まることが出来るのは、私自身とこの場所に浮いたときに触れていて、かつ私と共に浮くことを認めた非生物のみ。しかし、私の手を離れたとき、留まることは出来ずにすぐさま元の場所へと戻っていく。つまり、札や陰陽玉を投げ付ければ、弾幕を放てば、私から離れてしまい元の場所へと行ってしまう。お祓い棒を持っていれば武器として振るうことも出来ただろうが、残念ながらそれは床に転がっている。ゆえに、私達はこうするしかない。
「アンタは、アイツのことをどう思う?」
「は?…壊れる寸前の、危うい状態よ」
「そうね。私もそう思った。…思ってた」
そう言って、右手を頬に当ててこめかみに人差し指の先をトントンと叩く。
「けど、アイツは壊れてなんかなかったわよ。ただ、ふざけたことを考えていただけで」
「…それで、何が言いたいのかしら?」
「…そうね。何が言いたいのかしら?」
そう言って諦めたように笑う顔を見ていると、どうしてか怒りが込み上げてくる。理由は、分からない。
突き出した掌底を払われ、開けられた隙に肘が浅く刺さる。だが、その肘を受け止め、すぐさま伸ばした左手で手首を掴み取る。
「ふざけんじゃないわよ、私」
「ふざけてなんかないわよ、私」
喉元へ突き出した貫手が、同じように手首を掴まれ止められる。その拘束から離れようとお互いに手を動かし、それを阻もうとお互いに手により強く力を込めていく。ギリギリと軋むような音が、その手からは響いているような気さえする。
目と鼻の先にある同じ顔。睨み合い、探り合う。先に動いたのは、あちら側だった。
「ただ、アイツに創られた身としては、私もやりたいことをさせてもらうわ」
「アンタねぇッ!アンタが私だって言うのなら、どうしてアイツ側に立つのよ!アイツはやり過ぎた。だから、私が止める。止めないといけないのよ!」
「無理よ、私。アイツをこちら側から見て、すぐに分かったわ。アイツは、そんな言葉で止まるほどの柔い決意でここに立っていなかった」
知っている。そのくらい分かっている。しかし、そう感じさせられたのさえ仮面であるとすら思えるほどに、アイツの感情は賽の目のようにコロコロと転がっていった。それでも、あの殺意は、人間への殺意は、本物だ。あれは、嘘から放てるようなものではない。
「それと、私がアンタ側につかないのはとても単純。目の前に私がいる。そして、私にはどうしようもないことがある。だから、代わりに私がどうにかする。そのためよ」
「それが、私の願いだって言うのかしら?」
「そうね。それが私の願い。叶え難い願いを、私が叶えさせる」
そう言われ、感情のままに膝蹴りを腹に放った。防御なんてさせずにもろに突き刺さったが、それでも怯むことはなく、お返しをばかりに頭突きを喰らわされる。頭が震え、一瞬力が緩んだ隙に掴んでいた手首を払われた。そして、払ってすぐに薙ぎ払われた腕をそのまま後ろに倒れるように回避。その勢いのまま、掴まれている腕を上に振るって一緒に床に倒れ込む。人間一人分を片腕で、しかも重力に逆らって振り回すのは肩が外れるかと思った。だが、振り回し叩き付けたことで掴まれていた力が緩み、私もこの拘束を払うことが出来た。
「ハァッ!」
「やァッ!」
それからは、やられて、やり返す。そんなことの繰り返し。顔を殴られたが、脇腹を蹴飛ばす。脛を蹴られたから、すぐに顔を殴りつける。肩から体当たりを喰らい、お返しに背中へ体当たりをかます。首に手刀を入れられ、腕に足刀を叩き込む。腹に肘を突き刺さり、胸に膝が突き刺さる。
「ぐ、んのォッ!」
「がッ、あぁあッ!」
殴り、殴られ。蹴り、蹴られ。叩き、叩かれ。突き、突かれ。刺し、刺され。喰らい、喰らわれ。とにかく攻撃した。とにかく攻撃された。やられればやり返した。やられたらやり返された。何回攻撃したか覚えていない。何回攻撃されたか覚えていない。
「…ぁあ、っ」
「ふーっ…、ふーっ…」
痛む体に鞭打って攻撃した。軋む体を張って攻撃を受けた。痛まないところはない。動かすたびに体が悲鳴を上げる。破れた皮膚からは血が流れる。それでも私達は腕を振るった。もうそんな力もないはずなのに。それでも私達は脚を出した。もうそんなことをする余裕なんてないくせに。
それは原始的な決闘。床にばら撒かれた血肉からは独特な死の香りが漂い、争う二人は餓鬼の喧嘩よりも質が悪い。それでも、終わりが近付いているのは、確かだった。
「ぁ、ぁ…」
「…ぅ、ぁ」
気が付けば、夢想天生は解けていた。それは、相手も同じこと。もう、まともな声も出せない。それでも、力ない拳を振るえば、それだけで相手は倒れる。だが、震える足を支えに起き上がり、すぐにやり返される。それだけで私は倒れてしまう。けれど、震える脚に鞭を入れて起き上がる。
意識が朦朧とする。顔が腫れたのか、視界が潰れてよく見えない。赤く歪む視界。それでも、私は負けるわけにはいかない。止めなくてはならない。
私は、異変を解決しなければならないから。もう、負けてはならないから。それが、博麗の巫女だから。
「…?」
そんなとき、ハラリと何かが零れ落ちた。それは、一枚の札。私の血に濡れた、たった一枚の薄っぺらい紙切れ。そして、その紙を目にした瞬間、恐ろしい方法が目に浮かんだ。
「…ねぇ、ごふッ、…私」
動かない喉を無理矢理動かし、言葉を吐き出す。胃の中身が少し込み上げて来て、口の中の血と一緒に吐き出ながらも、その言葉を吐き出した。
「…何…よ、わた、し」
ああ、今更ながら理解した。どうして紫が鏡宮幻香に執心するのかを。本当に恐ろしい。何にでも成れる特異体質。伝説さえも再現する復元能力。ものを創り出す埒外な能力。そりゃあ、欲しがるわけだ。そんなものが紫の手元にあれば、幻想郷は大きく様変わりするだろう。紫の思い描く理想郷により近付くだろう。
そして何より、例えるなら幻香は後出しじゃんけんだ。勝てばそのまま。負ければすぐに手を替えてあいこになる。完全同一存在が戦えば、引き分けて当然だ。負けることがない。
「アイツ、に、…言っておいて。『アンタはやり過ぎた』って」
「ふふ…、もう、ッ…、知ってたわよ」
私では、コイツを止められない。だけど、止める手段がないわけではない。やりたくない。やりたくない。やりたくない。…それでも、私はもう二度と負けるわけにはいかない。
震える手でその札を取り、目の前に立っているのがやっとなアイツに押し付ける。そして、残り僅かの霊力を込め、一言呟いた。
「封」
封印。それは、負の遺産。今ではどうしようもないから、将来解決してもらおうという、最低最悪の方法。そうだと分かっていても、そうするしかなかった。もう止まらない。もう止められない。死にたくない。殺したくない。放置なんて出来やしない。選択肢は絞られていき、もうこれ以外私に選ぶことが出来なかった。
札に吸い込まれるように、その体が消えていく。その最期は、どうなってしまうのだろう。怒り狂い、理解不能な罵詈雑言を並べられる?忌み嫌い、八百万の呪詛を吐く?咽び泣き、言葉にならない涙を流す?
「―――――――、――――」
違った。どれでもなかった。ニヤリと笑いながら、言葉を出すことが出来ずとも、最後に短い言葉を紡ぎ出す。そして、クシャリと札が丸まった。
その最後の言葉は、理解不能な罵詈雑言よりも、八百万の呪詛よりも、言葉にならない涙よりも、深く深く私を突き刺した。