幻香がここに来て、異変を引き起こして、紅魔館へ向かって、幻香と対峙して、戦って戦って戦って、そして封印。紅魔館を出て行く前に波乱があり、阿求を人里に送り、そしてここでさらなる封印を施し始める。もう、これで何度目だろう。幻香が引き起こした異変のことがグルグルと頭を回り続けていた。思い返したくないのに、そんな私を嘲笑うように繰り返し流れ続ける。それを振り払うように、目の前の封印に集中する。それでも、どうしても頭から離れることはなかった。これはいつまでも癒えることのない傷痕となるのだろう。そして、この封印も遠い未来まで遺される負の遺産となる。
特に頭に残っているのは、アイツの最後の言葉と、紅魔館を出て行く前の波乱。それだけのことをしたという自覚はある。だが、それでも私の傷口をさらに深く抉るものであった。
◆
どうにか自分の力だけで動けるところまで回復し、後ろに阿求、魔理沙と阿求を守るように挟んで部屋を出て行った。そして、妖精メイド達からの興味津々な目線を浴びせられながら廊下を進む。
『ふ――、―切―ね―』
『そ。だ―――姉――と―緒―住も――な――』
『――かい。―ま―行――ら、あ―――来――な?』
そして、遠くのほうから会話が聞こえてきた。内容は途切れ途切れでよく分からなかったし、誰かもよく分からなかった。ただ、それは私達が行こうとしている玄関のほうから聞こえてきた。
『ん?…あぁ、そうか』
『…あれ、お姉さんは…?』
『ふぅ…。残念だったな、幻香』
そのまま進み、私達は三人と目が合った。そこにいたのは、フランと萃香、それと見覚えのある白髪の少女。三人とも傷らしいものは見当たらないが、その代わりに服が血に濡れていた。出血か、それとも返り血かは分からない。
フランを除く二人は、幻香が負けたことに気付いたらしい。しかし、フランはそうではないらしく、一歩私達に近付いて来た。
『霊夢、それに魔理沙。…お姉さんは?』
『…もしかしなくても、幻香のことか?』
『そうだよ。…ねえ、何処にいるの?』
そして私は、踏み抜いた。
『…封印し――』
瞬間、フランの眼が見開かれ、血色に瞬くのが見えた。そして、そのまま私に肉薄し、その右手を私に突き刺――
『ブ…ッ!?』
『落ち着け、フランドール』
――さらなかった。白髪の少女がその一歩手前でフランの頭を床に叩き付けることで、その攻撃が強制的に中止させられたのだ。
しかし、それでも止まることなく力任せに無理矢理頭を持ち上げ、フランは私を睨み付けた。そして、私に向けて手を開き、そのまま閉じ――
『ッ!』
『待て、止めろ』
――られる前に萃香がその手の指を揃えて握り潰した。萃香の握った手から明らかに骨が砕ける音が聞こえ、血か溢れ出ている。
二人がかりで止められたフランは、暴れ狂うようにして二人を振り払い、今度は私ではなく二人と対峙した。
『妹紅!落ち着けって、出来るわけないでしょッ!萃香!待てるわけないよ、どうして止めるのッ!』
『霊夢が出て来て、幻香が出て来ない。…つまり、幻香は負けたんだよ』
『負けた!?だとしても、その結末が封印!?一人きりで!孤独で!いつまた会えるかも分からないッ!出て来ても、外は何もかも変わり果ててるんだよ!?』
『そうだな。封印ってのはそういうもんだ』
フランの血反吐を吐くような言葉を、二人は淡々と返していく。その姿は、私から見てもあまりにも薄情に見えた。それは私よりもフランのほうが強く感じていて、さらに言葉を重ねていく。
『これを許せるなんて言うの!?これでいいと思ってるの!?ねぇ!答えて!答えてよッ!』
その答えは、すぐには出てこなかった。代わりに、妹紅はフランの元へ歩み寄り、萃香は壁を背に佇む。
『許せるわけねぇだろうがッ!』
『いいわきゃねぇに決まってるだろうがァッ!』
妹紅と呼ばれた白髪の少女は、その体から激情に任せた荒れ狂う炎を撒き散らしながらフランの頬スレスレに拳を打ち出た。その後ろにあった煉瓦の壁に炎が炸裂し、白く発光してドロリと融け落ちる。
萃香は背中にあった壁に拳を振るい、その壁一帯を丸ごと吹き飛ばした。耳に突き刺さる轟音。ミシミシと紅魔館全体が揺れ、嫌な音を立て始める。壁の向こうには紅魔館を囲う塀があるはずだが、あの衝撃でまとめて吹き飛ばされていた。
それを見せられ、私達もフランも言葉一つ出せずに固まっていた。
『ああ許せないさ!今すぐ焼き尽くして畜生共の餌にしてやりたいくらいにな!』
『ああよくないね!即刻欠片一つ残さねぇくらい木っ端微塵にしてやりたいさ!』
『…けどな、そんなことこれまでもこれからも望んじゃいない』
『…あんたがやれば、私達もきっと抑えられない』
『だから、落ち着け…ッ!』
『だから、止めろ…ッ!』
そう言われ、フランが小さく頷いた。そして、二人はフランを連れて、私達に目も向けることもなく大穴へと歩いていく。
『…だからさ、さっさと何処か消えてくれよ』
『当分その顔は見たくない。…あと、悪かったな』
そう妹紅と萃香は最後に言い捨て、三人は大穴へと落ちていった。
◆
…終わった。妙なことさえされなければ、そのままでも封印は千年単位で持つはずだ。これから襲名されるであろう次代以降の博麗の巫女が維持に努めてくれれば、いつまでも遺されることとなるだろう。
数日振りに外に出れば、紅霧は晴れていた。魔理沙が私に施した薬のおかげか、もう傷は治り痛むこともない。ただし、こうして終わったことを自覚すると、急に空腹を感じ始める。…正直、まともに喉を通りそうにもないのに。
ああして封印を施している間に、私の中にあった基準だとか、思想だとか、境界だとか、そういったものが大きく歪んだのが分かる。私が躊躇さえしなければ、この最低最悪の手段を取らずに済んだのではないか、と自分で自分を責め続けた結果だろう。だが、それはアイツの最後の言葉を否定するためでもあった。
少しふらつく足取りで、とりあえず水を飲もうと足を運ぶ。そのとき、目の前に一本の線が走った。そして、その線はゆっくりと空間を裂いて広がっていき、その奥から一人の妖怪が上半身を出してきた。
「…霊夢。ちょっといいかしら」
「紫…?」
随分準備がいいようで、紫は温いお茶を一杯私に渡してくれた。そのお茶を一口ずつゆっくりと時間をかけて口にする。空になった湯飲みを紫に返すと、今度は蜂蜜の結晶を取り出してきた。とりあえず口にしろ、ということなのだろうけれど、それはどうしても口にする気にはなれずに首を振る。
「それで、何の用?」
「あの子、幻香の封印を解いて。それで、私にあの子を頂戴。悪いようにはしないわ」
「…嫌よ」
封印を解くこと自体は簡単だ。私なら大抵の封印を無理矢理抉じ開けられる。しかし、それは出来ない。
「どうしてかしら?」
「…アイツ、最期に何て言ったと思う?」
「…知らないわね」
「『だからアンタは、甘いのよ』。最期の言葉は、これ」
私の選択を、最低最悪の選択を、甘いと言った。私自身が甘いのは分かり切っている。だが、私のあの選択が甘いとは言われたくなかった。それでは、最低最悪の手段のさらに下があることになる。そして、その答えはすぐに出てきてしまう。
それは、殺すこと。私が封印なんかよりも、最もやりたくない行為。アイツが最初から望み、そして最後まで望んでいた。だが、私は出来なかった。
「だから、私は封印を解かない。…その行為は、私の甘さの証明でもあるから」
けれど、ここで封印を解けば、そしてそこから殺すことが出来なければ、それは私の甘さの証明。それでは、駄目だ。それに、そうすればまたアイツは異変を引き起こす。再び『平和』が崩れ去る。遺言としか思えないあの手紙は、私を縛るには十分過ぎた。
「そう。…残念だわ」
そう言うと、裂けた空間は線へと戻り、そのまま消えた。そして、その願いを叶えることは出来ないだろう。
負の遺産として遺されてしまうのが嫌ならば、そうなる前に私が解決すればいい。だから、私はこの甘さをどうにかしなければならない。そのためには、私はこの甘さを捨てなければならない。全部は出来なくても、せめてたった一度切りの殺しが出来るくらいには。