東方幻影人   作:藍薔薇

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第251話

自由落下に近い速度でぐんぐん降りていく。自分自身が安全に着地出来ると思う落下速度の一歩手前。それなりに早いほうだと思うのだけど、それでもまだまだ底は見えない。しかも、碌に明かりもなく、既に真っ暗闇だ。ここならルーミアちゃんの能力なんて最初からいらなさそうだし、ミスティアさんの鳥目なんてあってもなくても大して変わらない。

けれど、見えないと色々と障害があるのは確か。…しょうがない。『紅』発動。その瞬間、真昼にでもなったかのようによく見える。代わりに『目』もよく見えるが、下手に壊してしまわないように注意することにする。『目』を動かせなくても、衝撃を加えて潰してしまうことだってあるのだから。

 

「…深いなぁ、本当に」

 

空間把握を途中で打ち切ってよかったと思う。打ち切っていなかったら妖力が足りなかったかもしれない。けれど、そのせいで地底の空間についての知識がからっきしだ。…まぁ、今はいいや。とりあえず、この穴を降りないと。

地底、もとい旧地獄に関する知識は阿求さんの頭の中にほんの少しだけあった。その名の通り昔は本当に地獄だったそうだが、不要となったことで切り離されたらしい。その後、鬼を中心とした嫌われ者の妖怪達が降りていったとか。あと、地上と地底の不可侵条約があるらしい。正直、人間であるはずの彼女の祖先は、よくもまあ知ることが出来たなぁと感心する。

しかし、この情報では地底にいる妖怪が鬼以外分からない。流石にその鬼が萃香以外誰もいない、ということはないだろうから、他に複数人の鬼がいることくらいは予想出来る。…まあ、そのくらいだ。嫌われ者には嫌われるだけの理由があるだろうから、それなりに癖のある妖怪だろうとは思うけど。

 

「それにしても、不可侵条約かぁ…」

 

問題はこれだ。地底から地上へ上がった萃香は、地底のことをすっかり忘れてしまった地上に迎えられた。しかし、わたしは地上から地底へ降りていく妖怪。萃香は地上に対してそういう黒い感情はあまりないようだけど、それ以外は違うだろう。お互いすっかり忘れられている、なんて甘い考えを持つつもりはない。

わたしは、人間共から煩わされないで済む手段として地底へ逃げた。わたしが地底に求めることがあるとすれば、住む場所くらい。新たな友達が少しいればなおいい。その程度のつもりだけど、わたしに対してその程度を認めてくれるだろうか?…少し、不安だ。

 

「ん?」

 

そのとき、上から音が聞こえてきた。かなり遠いようだけれど、確かに何かが落ちてきている。このまま降りていれば、わたしの頭に直撃する感じ。あんな速度で落ちてくるようなものを受け止める気にはなれない。そんなことをすれば、わたしの腕がどうなるか分かったものじゃない。

チラリと上を見上げ、遠くにあるそれを視認する。木目が見えるけれど、あれは何だろう?桶、かな?徐々に大きくなるそれは、わたしの落下速度よりも早いことを意味している。この感じは、自由落下よりも少し早い。少しずつずれてみるが、それに合わせて動いている。つまり、何もしなければわたしの頭をカチ割ってくる、ということか。

わたしと桶の距離と相対速度から、わたしにぶつかるまでの時間を推測する。…うぅむ、大体八秒くらいかなぁ。穴の幅は入口よりも明らかに広がっているけれど、一応端のほうへ寄っておく。

 

「…三、…二、…一。ッ!」

 

壁を複製し、自分自身と重ねる。その瞬間、わたしは桶が当たる範囲から弾き出される。

 

「えッ!避けられたあぁぁーー……」

 

そんな言葉が遠ざかるのを背中で聞きつつ、何処までも伸びている紐に目を遣る。これを掴んで止めれば、桶の中にいるであろう妖怪が悲惨な目に遭うことだろう。しかし、そんなことをすればわたしの手のひらが擦り切れて血塗れになるし、そんな喧嘩を売りに来たわけじゃないのだ。必要なら売るけれど、不要ならしないほうがいいに決まっている。

それにしても、あの速度で頭に落ちてくればわたしはおそらく死ぬ。つまり、あの桶妖怪はわたしを殺すつもりで攻撃してきた、ということだ。これはさっき考えた甘い考えは完全に捨てたほうがよさそうだ。

 

「…あの桶妖怪、何だったんだろう?」

 

桶の中にいる妖怪。阿求さんの記憶の中にあったような気がするんだけどなぁ…。駄目だ、思い出せない。あんな膨大な記憶を全て覚えるなんて無理な話だ。あの秘術をわたしの中に組み込んでしまえば出来ただろうけれど、それでは余計なものまでくっ付いてくる。転生の可能性とか、極端に短い寿命とか、幻想郷縁起編纂の使命感とか。…けど、あの絶対記憶能力は便利だ。出来ることなら、その部分だけ切り抜いて組み込めないだろうか?偶然の産物を前例にするのはどうかと思うけれど、フランの破壊衝動の一部を遺した『紅』のように。

そんな将来の目標を一つ決めつつ、未だに底の見えない穴を降りていく。気付いたら桶妖怪の紐がなくなっていた。流石に地上にある入り口に括り付けていたわけではないだろうからいつかは途切れると思っていたけれど、それでも相当長かったなぁ。

 

「んお?…何だこれ?」

 

落ち続けていると、突然わたしの体に何かがくっ付く。細い糸のようだけど、粘つくだけで特に何もない。しかし、気付いたら徐々に太くなっていた糸に絡まり、次第に落下を無理矢理止められる。周りを見渡し、理解する。どうやらわたしは蜘蛛の巣に捕まったらしい。

両脚は絡み付くようにくっ付いてまともに動かせない。手を開いたり閉じたりは出来るけれど、右腕もくっ付いている。背中ももろにくっ付いているから、仮に両脚右腕を切断しても逃れることは出来ない。頭と左腕がくっ付いていないのが幸い、としておこう。

 

「…こりゃまずいなぁ。これは殺すための罠じゃない。…つまり、だ」

「罠を仕掛けた奴が近くにいる、ってことかい?」

「ご名答。…貴女が、この蜘蛛の巣を仕掛けた妖怪でいいですね?」

 

蜘蛛の巣の上を平然と歩く妖怪がそこにいた。普通ならくっ付くはずの蜘蛛の巣の上を歩くことが出来る。つまり、彼女は蜘蛛系の妖怪でいいだろう。詳しくは覚えていないけれど、阿求さんの記憶の中に蜘蛛系の妖怪はかなり存在したはずだ。

 

「珍しく土蜘蛛が地上から降りてきたと思ったら、どうやら違うみたいだね」

「その通り。残念ですが、わたしは土蜘蛛じゃない」

「ま、地上から降りてくる奴は久し振りだよ。…上がったのは最近いたけど」

「へえ、そうなんですか」

 

ここで萃香の名前を出したほうがいいのか分からない。だから、出さなかった。地底を切り捨て、自ら地上へ上がることを選んだ萃香がどう思われているか分からないから。

わたしの目と鼻の先まで顔を近付けた土蜘蛛さんは、そのままわたしをジロジロと見続ける。…いや、そんなに見ても特に何もないですよ?

 

「…まあいいや。どういう理由でここに来たかは知らないけれど、見つけちゃったからには何もしないわけにはいかないからね」

「理由なんて単純明快ですよ。地上から逃げただけですから」

「ふぅん、そっか。…それでも地上から降りてくるってだけで駄目なのさ」

「知らねぇよ、そんなの。上の居場所を捨てたから下に来た。悪いとは言わせないね」

「それはそうだね、私もそうだから。…けど、それとこれとは話が別」

 

わたしから一歩離れた土蜘蛛さんはそう言った。…しょうがない。話し合いは無理そうだし、不本意だけど少し粗くいくとしよう。

 

「…何してるんだい?」

「見て分かるでしょ。まだ左腕は動く。蜘蛛の巣は壁にくっ付いている。…つまりだ。蜘蛛の巣を剥がせないなら、蜘蛛の巣ごと逃げ出せばいい」

「させると思う?」

 

瞬間、彼女から飛び出た蜘蛛の糸がわたしの左腕に巻き付く。…よし。

 

「このまま病毒で衰弱して死ね。…さよなら、名も知らぬ地上の妖怪」

「病毒?…それはもう無理だ。貴女は、既に一手誤った」

「何?」

 

わたしと貴女は、こうして繋がった。左腕を思い切り引っ張り、彼女をわたしの間近まで引き寄せる。急に引っ張られ体勢を崩して倒れてくる彼女を、わたしは右手で掴み取る。

 

「…おわっ!?」

「なあ、土蜘蛛さんよ。熱消毒、って知ってるか?」

 

掴んでいる右手から離れようと暴れているが、どうもわたしより力がないらしい。そんなわたしと彼女の間に、一つの魔法陣が浮かぶ。

 

「複製『緋炎・烈火』」

 

そして、その魔法陣は発動する。お互いを炎で包み込み、蜘蛛の巣を焼き切っていく。当然、わたしも熱い。ちょっとの火傷じゃ済まないと思う。けれど、知ったことか。

 

「ぁぁあああッ!熱い熱い熱い熱い熱いィッ!」

「…はは。これでも自滅を避けるために手加減してるんですよ?」

 

病気の原因。その基本は病原菌によるものらしい。そしてその大半は熱に弱く、沸騰したお湯程度で死滅してしまう。そんなことを月で知った。まあ、月にはそんな病原菌なんて存在しないのだが。

右手で掴んでいた腕を両手で掴み直し、グルグルと振り回す。新たな酸素を常に供給される炎は、さらに大きくなっていく。そして、その勢いのままに壁に背中から叩き付ける。

 

「ガ…はァ…ッ!」

「少し埋まってろ。せめて、火が消えるまで」

 

『紅』によって見える『目』を掌底で無理矢理潰し、彼女の後ろの壁を崩す。気を失っているかは知らないけれど動かない彼女を空いた場所へ入れ、崩した土塊を複製して押し込む。呼吸は止めないように顔は埋めない。

わたし自身は原子量14、電子量7の窒素を創造し、炎を鎮火する。そして、焼けた皮膚を冷やすために原子量1、電子数1の水素二つと原子量16、電子数8の酸素一つを化合させた水を創造し、『紅』を解除してから被る。そして、ある程度冷えたら触れている分だけでも水を回収する。窒素に関しては、既に周りの空気に拡散していて無理だった。

 

「…あーあ、服がボロボロだぁ」

 

ここに来るときにはあの陰陽玉である程度傷付いていた巫女服だけど、こうして炎を包まれては穴は開くし、端々は黒く焦げている。…ま、いいや。後でどこかから貰うとしよう。彼女の服を創ってもいいけれど、こうして埋め込んでいては出来なくはないけれど面倒だ。それなら後回しでいい。

こびり付いた焦げた蜘蛛の巣を剥がしながら降りていく。火傷で赤く変色しているのがちらほらと見えるが、再び発動した『紅』によって勝手に治っていく。

早速一人倒すことになってしまった。これを機に関係が悪化してしまう、何てことを考えてしまう。最初から友好的であるとは思っちゃいなかったけれど、これでは先が思いやられる、というやつだ。…はぁ。

 


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