東方幻影人   作:藍薔薇

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第254話

「とりあえず、名を名乗ろう。いつまでも名無しじゃ呼びづらいだろ?私は星熊勇儀。鬼だよ」

「鏡宮幻香。ドッペルゲンガーらしいですよ」

「らしい、ってあんたなぁ…。自分のことだろ?」

 

…いいですね。自分自身が鬼であると確信出来る貴女は。羨ましいですよ、本当に。わたしはどうして産まれたのか、未だに分からないというのに。自我なきドッペルゲンガーに宿るわたしが、何故ここにいるのか分からないというのに。

 

「あ?何か言ったか?」

「…いえ、何も」

 

まあ、わざわざ口にする必要もない。今この瞬間敵として目の前に立つ彼女に言うようなことではないのだから。

 

「にしても、鬼じゃないんだな。そんな角がありながら」

「そうみたいですね」

「みたい、って…いや、もういい」

 

星熊勇儀がわたしの肩から手を離したと思えば、背を向けて歩き出す。きっと付いて来い、ということなのだろう。例えば、背を向けている彼女に不意討ちをしたとして、彼女に効果はあるだろうか?…ないな。そんな簡単に勝てるなら苦労はしない。例えば、背を向けている彼女を無視して逃げだしたとして、彼女を振り切れるだろうか?…無理だな。そんな簡単に逃げることが出来るなら背を向けることはない。

萃香を含め、鬼は単純に力が強い傾向にある。この星熊勇儀という鬼は、それを突き詰めた先にいるような存在なのだろう。下手な小細工を丸ごと吹き飛ばす怪力無双。正直、手の付けようがない。…それでも、やらなくてはならない。

 

「よし、ここでやろう」

「…ここがわたしの死に場所か」

「だからまだ早いだろ」

 

苦笑いを浮かべてそう言うが、わたしの敗北はそのまま死に直結する。そして、わたしが勝てる可能性は、万に一つもなさそうだ。それなら大して変わりはしないだろう。

わたしの死に場所は、わたしが最初に歩いていた道からは離れた場所にある割と開けたところだった。…あぁ、またわたしは死ぬのかなぁ。心臓貫かれるだけで済めばいいけど。

 

「やっちまえ姐御ぉ!」

「サクッと倒しちまえ!」

 

気が付けば、周りにわらわらと鬼が集まってくる。わたしと星熊勇儀の勝負、いや、一方的な蹂躙を見ようとやって来たのだろう。…まあ、そりゃわたしが勝つなんて大番狂わせを予想するようなのはいないだろうし、こんな野次は予想の範囲内。気にすることはない。

 

「おいお前ら」

 

だが、星熊勇儀は気にしているようで、観戦しようと集まってきた鬼達を見回した。その顔は、あまりいいものではない。それを見た鬼達の顔が僅かに青くなるのが分かる。…うん。これを見ると彼女の恐ろしさがよく分かる。

 

「これは私とこいつの勝負だ。邪魔立てすれば、許さねぇからな」

 

その言葉にコクコクと首を縦に振るう鬼達。彼女と鬼達の力関係の差がよく分かる。

 

「ところで、一つ訊きたいことが」

「ん、何だい?」

「その左手に持った盃はどうするんですか?」

「これか?…このままでいい。私はこの盃の中身を零さずに戦ってやるよ」

 

え、本当に?素早く動けば盃の中身が舞い散るから、俊敏性を失う事と同義だ。それに加え、左手を塞いでくれると言っているようなものだ。さらに言えば、わたしの勝利条件に盃の中身を零すが追加されるようなもの。…まあ、それでも正攻法で勝てるかどうか分からないのが悲しい現実よ。あと、引っ繰り返しても盃の中身を零さないような能力があったら話は変わりそうだけど。

 

「来いよ、鏡宮幻香。あんたの力、私に見せてみな!」

「はぁ…。わたしの力なんて、たかが知れてるっていうのに。貴女は相当物好きですか?」

「はは、かもな」

 

その言葉が終わった瞬間、わたしは一気に駆け出す。とりあえず一発当ててみるか。相手の距離と歩幅を合わせ、近過ぎず遠過ぎない位置に足が着くようにし、腰を右に捻り、右手を握り、左腕を相手に向けて伸ばす。対する星熊勇儀は何もしない。黙って受けるつもりのようだ。

 

「セイッ!」

 

駆け出した速度と捻りを加えて打ち出した右拳は、寸分違わずに星熊勇儀に炸裂した。…それだけ。え、微動だにしないんだけど。確かに当たった感触はしたんだけど、まるで地中深くまで根をしっかりと張った千年単位の大樹の幹に殴り付けたみたいに動かないんですけど。

 

「ふぅん。これはあいつがやられたのはしょうがないな。どう考えてもあんたのほうが強いから、なッ!」

「ッ!」

 

星熊勇儀が右腕を掲げ、そのまま振り下ろしてきた。普通に避ければ間に合わない。だから、大地の一部を一本の真っ直ぐな針金のように切り取り、わたしに重ねて複製する。あまりにも軽く、わたしではなく土のほうが弾かれてしまいそうになるが、それでもわたしが横に動こうとすれば、まだ離れていない一本線の土の端まで弾き飛ばしてくれる。

しかし、振り下ろされた拳の拳圧が衝撃波となって大地が容易く凹ませ、離れたつもりだったわたしにも襲いかかり、僅かに浮いていたことも相まってさらに吹き飛ばされる。が、壁に叩き付けられる前に下へ弾かれるようにものを複製し、ガリガリと片手両脚で大地を削りながら停止した。

 

「…驚いた。瞬間移動か?」

「さぁ?どうなんでしょうね」

 

わたしも驚いた。あんな衝撃波を放つような拳を振り下ろしておきながら、盃の中身は波打つだけで一切零れていないのだから。

うん、普通にやったら勝てない。さっきの鬼のように意識を刈り取るなんて出来そうもない。だったら、わたしが勝つ手段は一つ。あの左手に乗っている盃の中身を零す。…あの盃の中身を複製してかさ増しし、無理矢理溢れさせるという手段も考えたけれど、それをしたらどうなるか想像しただけで恐ろしい。だからそれは…、打つ手がほぼ無くなったらにしよう。うん。

 

「それじゃ、やりますか」

 

もう一度駆け出し、さっきと同様に右拳を放つ。この一撃では、星熊勇儀は決して揺るがない。なら、二発なら?三発なら?四発なら?五発なら?十発なら?もっと多くすれば?

 

「そらアァッ!」

「は?」

 

右拳を伸ばすその瞬間、わたしの拳を複製する。その速度は、わたしの拳の速度そのまま。これで二発。次の瞬間、さらにもう一つ拳を複製する。速度はもちろんそのまま。これで三発。もう一つ複製し、四発。もう一つ複製し、五発。もう一つ複製し、六発。もう一つ複製し、七発。もう一つ複製し、八発。もう一つ複製し、九発。もう一つ複製し、十発。もう一つ複製し、十一発。もう一つ複製し、十二発。もう一つ複製し、十三発。そこで星熊勇儀と拳の距離が零となり、十三連撃が炸裂する。

 

「ぐ…ッ」

 

グラリ、と僅かに体が揺らぎ、片足を一歩後ろに出す。チャプリ、と盃の中身が跳ねるが、残念ながら零れなかった。…よし、彼女に打撃は無効化されているわけじゃない。確かに打撃が効くことがこれで証明された。

 

「…また驚いた。あんた、不定形の妖怪か?」

「残念ながら、わたしは一応定形ですよ」

 

中身の精神によっては粘土のように形を変えますがね。…まあ、流動体じゃないのは確かだ。

転がっている十二の拳を回収していると、何故か星熊勇儀は目を細めてわたしを見ていた。

 

「…気に入らないね、あんた」

「別にいいですよ、好かれることはとっくの昔に諦めた」

「違う。私が気に入らないのは、あんたがまだ隠してるものがあるからだ。…全部出せよ」

「嫌ですよ。それをしたら、それはもうわたしじゃなくなってるから」

 

わたしが貴女に、星熊勇儀に成り変わり、貴女同士の戦いとなれば戦況は一瞬で引っ繰り返るだろう。片手が使えない貴女と両手を使える貴女では、どう考えても勝敗は目に見えている。けれど、それではわたしが勝ったことにならない。それでは、意味がない。

 

「けど、他にも隠していたことは認めます」

 

『紅』発動。瞬間、世界が変わる。『目』が至る所で輝き、時間の流れが緩やかとなり、不思議と力が湧き上がり、体質が僅かに変性されていくのを感じる。

それを見た星熊勇儀は、わたしの瞳を見て心底嬉しそうに笑いだす。

 

「何だよ、やっぱりあるじゃねえか」

「…まだ長時間となると安定しないんですよ、これ」

 

それに、平常時ならまだしも、戦闘時は気が逸れる機会が多くなるから使いたくなかった。次の一手を考えるとき、攻撃の軌道を推測するとき、攻撃を喰らった瞬間、他にも様々な原因で『紅』は解けてしまうだろう。再び発動すること自体は容易だが、それでもそれまでは大きな隙となる。それはあまりにも致命的な隙だ。

 

「だけど、短期決着は見込めない。…なら、不安定を押していくしかないでしょう?」

「けど、まだその奥があるんだろ?だったら、無理にでも出させてもらうとしよう」

「わたしはわたしだ。だから、ここで貴女に勝たせてもらいますよ」

「よく言った!そういう奴は、嫌いじゃないぜ?」

 


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