「本当に待ったよー!五年くらい?んー、もっとかな?」
「そうですね。本当に、待たせてすみません」
「いいよ、来てくれたから。それじゃあ、何して遊ぶ?」
「いえ、その前にさとり様という方に会いたいんですよ。実は、旧都に移住したくてね」
「そうなの?そっかそっか。それならまずお姉ちゃんの部屋行こっか!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいこいし様!」
さとり様ってこいしの姉だったんだ、と少し驚いていると、蚊帳の外気味だった猫妖怪がこいしを制止する。…ま、そりゃそうだよね。わたしは不届き者で地霊殿から追い出したくて、さとり様の手を煩わせないように会わせなくないんだもんね。
「何、お燐?」
「ここに勝手に侵入した不届き者ですよ!?」
「わたしが呼んだからね。勝手にじゃないよ」
「うっ…。ですが、私を碌な葛藤もなしに攻撃してきた者ですよ!?」
「そりゃ、貴女に攻撃されましたし。棒立ちして受け入れるほど、わたしは優しくない」
「うぐぅ…。で、ですが…、さとり様に何かするなんてことも…」
「するの?」
「しませんよ。交渉するつもりで、危害を加える予定はありませんでしたし」
ただし、その交渉の中身は会ってみてから考えるつもりだったけど。場合によっては、選択肢を少しずつ狭めてそれ以外選ばせない、なんてこともあったかもしれないけど。
「だってさ、お燐。…それに、わたしの友達だよ?わたしが招いたお客様、ってこと」
「こいし様…。せめて、私も同行させてください」
「どうする、幻香?」
「別に構いませんよ。後ろから首を落としたければ、好きなようにどうぞ」
そう言うと、猫妖怪はピクリと右手が動いたのが見えた。その僅かの動きから軌道を予測し、その場所へ腕を動かすと、大きなため息を吐いた。どうやら諦めたらしい。
「はぁ…。さとり様に何て言われるか…」
「気にしないでしょ、お姉ちゃんだし」
「わたしはどう言われますかねぇ…。地上と地底の不可侵もありますし」
「んー…、そういうところ頭硬いからね。カッチカチだよ」
そう言って笑うこいしは、わたし達の前を歩きだす。手招いてくれているから、付いて行けばいいだろう。足を出そうとしたら、その前に肩を掴まれた。
「ねえ、貴女。もしかして、地上の妖怪だったのかい?」
「ええ」
「じゃあ、どうして地底に来たんだい?」
「そのさとり様の部屋で話しますから、後でいいでしょう」
「どうせ話すことはないから、今聞いてるのさ」
話すことがない?不思議なことを言うなぁ。…ま、そう言うなら話してもいいか。右手でわたし達を待っているこいしを指差し、歩きながらで、と伝える。
「簡単に言えば、わたしは地上じゃ大の嫌われ者でね。人間共には忌み嫌われていた」
「だからここに逃げてきたのかい?」
「そういうことになる。いつか世代が丸ごと入れ替わるか、その人間の頂点を叩き落とせるようになるまで、ここで雲隠れする予定」
「ふぅん…」
やけに難しい顔をされたが一応理解はしたらしく、それ以上のことは訊いてこなかった。
「何話してたの?」
「わたしがここに来た理由」
「そっか。お姉ちゃんも許してくれるといいね」
「本当にそうですねぇ。許してくれれば、いいんですが…」
とてもではないが、楽観視は出来ない。いくらこいしの友達だからといっても、わたしは飽くまで地上の妖怪。地底から見ても、わたしは嫌われる存在だ。それに、この特異な容姿。さて、何と言われることやら。
階段を上って三階の廊下を歩いている間に、ここにいる動物が多い理由を訊いた。こいし曰く『お姉ちゃんに懐いているから』だそうだ。後ろ付いて来ているこの猫妖怪もその一人だったようで、他にもただの動物から妖怪へ成長を遂げた存在もいるとか。
「ここがお姉ちゃんの部屋だよ」
「ふぅん、扉は他と一緒かぁ」
「そういう拘りはないからね」
こいしが足を止めたこの部屋が、さとり様の部屋か。地霊殿の主だと思う。あと、ここ旧都の治めていると予測される人。その扉を数度叩く。
「はい、どうぞ。どなたかしら?」
「わたしだよー!お姉ちゃーん!」
「そう。珍しいわね、貴女が扉を叩くなんて」
「今日は友達を連れて来たからね。お姉ちゃんに会って話したいんだって」
「へぇ…。それじゃ、その方もどうぞ」
「それじゃ、失礼します」
扉を開ける。その奥には、一人の少女が椅子に座って紙に何かを書いていた。この人が、さとり様か。紫の髪と瞳もそうだけど、特に目につくのが不思議な眼。こいしにも似たようなものが付いているが、こいしのはただの球体だったはずだ。そんなことを考えていると、その第三の眼とでも言えるものがわたしをジロジロと凝視してくる。
「…そう。貴女が、鏡宮幻香ね。…うん。こいしが昔言ってたから、すぐに分かったわ。鏡みたいにそっくりだって。ようこそ、地霊殿へ。私は古明地さとり。こいしの姉です。私のことは、さとりとでも呼んでください」
「分かりました、さとりさん。もう知っているようですが、改めて名乗りましょう。わたしが鏡宮幻香です」
「それでは幻香さん。話というのは?」
「それは――」
「旧都への移住、ですか。あと、こいしと遊びたい、と」
…本当に話すことがなかった。少し驚いた。
「旧都への移住とは、また珍しい用件ですね。その理由は?」
「わたしが――」
「貴女は地上で嫌われていたのですね。そして、大敗のない賭けをして、その結果として地底に来た、と」
ふむ、またか。よく分からないけれど、そういう能力なのだろう。第三の眼が怪しいので、それに関連するものでパッと思い付くものを挙げれば、未来視、過去視、読心術、記憶閲覧。…まあ、この中なら読心術かな。未来視ならわざわざ訊く必要ないし、過去視なら私がこれから言うことを知ることは出来ないし、記憶閲覧ならこれも訊く意味がない。
「…驚きました。私のこの能力を、こうも容易く見破るなんて」
「むしろ――」
「私のこの反応が決定打、と。貴女の思った通り、私は覚妖怪。貴女の心を読むことが出来ます」
「ふぅん、そう」
そういう妖怪だっているだろう。時間や距離や境界や運命を操ったりする妖怪もいるくらいだし。
「それで、旧都への移住ですか。…あまり規則に例外を加えたくないのですが、貴女はこいしの友達。少し考えさせてほしいわね」
「ありがとうございます。どのく――」
「こいし、お燐」
「何、お姉ちゃん?」
「何でしょう、さとり様」
わたしがどのくらい時間が欲しいのか訊こうとした前に、さとりさんはわたしを除いた二人に呼び掛けた。
「少し、二人きりにさせてちょうだい。私と彼女だけで話がしたいわ」
「はーい!わたしは部屋で待ってるから、終わったらすぐ来てね!」
ああ、考えさせてほしい、ってそういう意味じゃなかったのか。
こいしはさとりさんの言う事を聞いてすぐに部屋を出て行った。しかし、もう一人の猫妖怪は納得出来ないようでその場で足を止めている。まあ、そりゃそうだよね。わたしとさとりさんを二人きりにしないために同行を申し出たんだから。
「ですがさと――」
「お燐」
「…はい、失礼します」
口を開いたその瞬間、もう一度名前を呼んだ。たったそれだけで、彼女は部屋から出て行った。このさとりさんがこの地霊殿でどれだけ強大な存在であるか、よく分かる。
パタリ、と扉を閉める音が聞こえてくる。…これで、この部屋はわたしとさとりさんの二人きりの空間となったわけだ。きっと、これから碌に嘘を吐けない質問が来るのだろう。質問を受けて偽りの返答を言うのは容易い。しかし、心の中まで欺くのは容易ではないのだから。さて、何を訊かれることやら。