東方幻影人   作:藍薔薇

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第261話

「再三言いますが、貴女はこいしの友達です。今の貴女には到底理解出来ない感覚でしょう。それでも、そうだと知っていてほしい。ここでの会話は一つの情報として残され、貴女が思い出せなくなることはない」

「…そうみたいですね。改めて思い返してみれば、どうして気付かなかったのか、って言いたいくらいポッカリと記憶に穴が開いているのに」

「それは私の言葉によって疑いを持ったからですよ。そのままもう少し放置していれば、きっと貴女自身が勝手に記憶を改竄して、それらしく取り繕ってくれていたでしょう」

「それにしては、わたしの過去は今でも分かるほど明確に穴が開いてるんですが…」

「それだけ貴女はこいしと長く深く触れ合っていたのでしょう。最早取り繕うことすら出来ないほどに」

 

そっか。わたしの起源の記憶には、貴女の妹のこいしさんが深く関わっているんですね。そして、わたしはそれを思い出せない。それは、とても薄情じゃないか?

けど、今はそれを嘆いてもしょうがない。わたしが知りたいのは、そのこいしさんがどう変わったのかだ。

 

「そうですね。貴女が思い出せなくても、貴女にはそれを知る権利がある。…確認します。こいしについて、聞きたいですか?」

「ええ、お願いします」

 

無知の幸福、既知の不幸。そんなもの、比べるまでもない。

 

「そう。…それでは語りましょう。今までで、こいしは大きく二度変わった」

「…二度」

「こいしは私の妹ですから、覚妖怪でした。ですが、心を読むとはそれはとても残酷なこと。嘘も言い訳も見苦しさも侮蔑も嫉妬も裏切りも、当然のように読める。外面と内面の相違。その醜い心に、こいしは耐えられなかった。だから、こいしは自ら第三の眼を閉ざした」

 

第三の眼を閉ざす。その文脈から察するに、心を読むのにはその第三の眼が必要となるのだろう。つまり、第三の眼を閉ざす、ということは心を読まないことになる。そして、それは覚妖怪であることを捨てたということになる。

 

「そう。そして、第三の眼を閉ざすと共に、心も閉ざしてしまった。無意識のまま無意識に生きる存在に成り果ててしまった。推測になりますが、もう二度と傷付かないように」

「無意識のままに、生きる…」

「意識が全くないわけではない、と思ってはいます。何も覚えていないわけではなく、全く考えていないわけでもない。ですが、ほとんど考えなしに生きているのでしょう」

 

わたしは一度、意識の波長をほぼ零にされたことがある。意識がなくなったとき、残されたのは無意識。つまり、本能的行動に近いもの。そのときわたしが何をしていたのかは分からない。けれど、何をしていたのかは知っている。

自我のなくなったドッペルゲンガーがやることなんて、誰かの願いを奪うことくらいだ。そして、それはきっと…。

 

「ッ!?」

「え?ちょっ!さ、さとりさん!?」

 

突然、ガタンと音がしたと思ったら、さとりさんが椅子から倒れて床に転がっていた。え、あ、もしかして、わたしが考えたことが何か悪かった?

起こそうかと思い腰を浮かせたが、その前にさとりさんはゆっくりとだが起き上がった。て顔を青くして口元を押さえているが、どうしようもないというわけではないらしい。

 

「…貴女は、その、強いですね。そんなものを知っていながら、まるで何事でもないように扱える」

「大切な友達が救ってくれたことですから。それがどんなに悲惨なことだろうと、わたしばかり重く持つわけにもいかないでしょう」

 

それ以上に、自覚がないのが大きいのだけど。あんなことがあったはずなのに、わたしは何も感じていない。寝ているうちに始まって、起きた頃には既に終わっていたような、そんな感じ。当事者のはずなのに、わたしは他人事のようにしか感じることが出来ていない。

 

「…さて、話を戻しましょう。第三の眼と心を閉ざしたのは、もう何百年の昔の話です。これが、一度目の変化。その頃のこいしは、目の前にいても気に留めてもらえず、視界から外れれば忘れ去られる。そんな存在でした」

 

そんな存在、か。それは嬉しいような寂しいような…。わたしのこんな容姿も気に留められることがなければ、ああなることはなかっただろうに。けれど、それだとわたしの友達は誰もいなかったのかな。うぅむ、難しい。

そんなことを考えていると、さとりさんの顔色がさらに悪くなってしまった。しかし、今度は倒れずに持ち堪えている。

 

「…それで、次です。…実は、私にはどう変わったのか最初は理解していませんでした。私にとっては、何も変わったように見えませんでしたから」

「じゃあ、どうして気付いたんですか?」

「いつかを境に、こいしのことを知るペットがいなくなったから」

 

ペットとは、きっとたくさんある部屋にいたあの動物達のことだろう。

 

「それまでは、匂いを感じたり、足音を聞いたり、話しかけられたりして、こいしのことに気付く子だっていた。一度気付けば、こいしはある程度認識出来た。認識出来れば、当然記憶に残った」

 

例えるなら、大量に転がっている石ころから一つ気になったものがあったとする。その大量の石ころを有象無象の人とし、気になったものをこいしさんとすればいいだろうか。普段は気に留めなくても、目に付けば気にすることだってあるだろう。

 

「そうね、その例えで構わないですよ。けれど、気付いたらそういう子すらいなくなっていた。最初は、最近こいしが地霊殿から出て行くことが多かったから、それが理由だと思って特に気にしていなかった。けれど、違った。とあるペットがこいしのことに気付いた瞬間の心を読んだのに、翌日に訊いたら覚えていなかった。それに気付いたのは五、六年前かしら」

「結構最近ですね…」

「…私も忙しかったのよ」

 

何をしていたかは知らないけれど、そうだと言うならそうなのだろう。そういうことにしておこう。

 

「それで、こいしのことを覚えている子と覚えていない子を仕分けしてみた。結果は多少の誤差はあっても、最近生まれた若い子は一匹の例外なく覚えていなかったわ」

「えぇと、具体的には…?」

「生まれた瞬間から記憶がある子はほぼいないし、偶然一度もこいしと会わない子だっているから、正確には分からない。けれど、十二、三年ほど前からじゃないかしら」

「大体十二年前ですか…」

 

さっきの何百年前と比べれば最近だろう。けれど、わたしにはとても最近とは思えない。まあ、わたしよりも圧倒的に長く生きているさとりさんからすれば最近なんだろう、と納得する。

 

「私がこいしのことを覚えているように、それより前から生きている子はこいしのことをしっかりと覚えていた。それより後に生まれた子はこいしのことを覚えていなかった。貴女のように」

「じゃあ、わたしはこいしのことを思い出すことが出来ないんですか?」

「いえ、思い出すことは出来る。消えたわけじゃないのだから。…それは、こいしの顔を視界に入れてその存在を認識したとき。そのときは、これまでのこいしのことを全て思い出す。けれど、こいしのことを認識しなくなった途端、こいしのことをすっかり思い出せなくなる」

 

…なんだよ、それ。それじゃあ、わたしはこいしさんのことを友達と思えない、ってことじゃないか?友達のようだ、って曖昧な情報でしか覚えることが出来ないということじゃないか?

 

「先程の貴女の例えに付け加えるとすれば、気に留めた石ころから目を離せば、もう気に留めることはない。翌朝には石ころのことなんて思い出せなくなる。そのような感じでしょうか」

 

わたしは、今まで大量の石ころを複製してきた。けれど、その全てを覚えているかと問われれば、答えは否だ。複製認識範囲を拡げれば、石ころの場所は分かる。場所が分かれば形だって分かる。けれど、そうしないと分からない。今すぐ思い出せ、と言われても無理だ。

 

「どうしてこいしが変わったのかは、私には分かりません。ですが、変わったことだけは分かりました。これが、二度目の変化です」

「…じゃあ、今からこいしさんに会いに行けば思い出せますか?」

「思い出せるでしょう。事実、貴女はこいしがこの部屋を出るまでは、こいしのことを知っていましたから」

 

記憶にある不可解な穴。ここにこいしさんのことがある、はずだ。だけど、どうしても思い出せない。こいしさんの顔を見れば、この穴は一瞬で埋められるのだろう。しかし、こいしさんから離れれば再び穴が開くことになる。

 

「例えば、わたしがこいしの似顔絵を描いて貴女に見せたとしましょう。私には絵心があまりないですが、仮にこれが本物そっくりだとする。しかし、それでは思い出せない。こいし本人でないと無理なようです」

「こいしさん本人を覚えていなければ、こいしさんのことを思い出せなくなる。けれど、こいしさんのことを覚えることが出来ない。…だから貴女はこいしさんを新たに覚えてくれない、と言ったんですね」

「ええ。こいしのことを覚えていたからこそ、私はこいしのことを思い出せている。そう思っています」

「…はは、そっかぁ」

 

それは、とても悲しいことだ。わたしも悲しいけれど、それ以上にこいしさんが。

 

「…とりあえず、わたしはこいしさんのところへ行こうと思います。その頃のわたしは、こいしさんと遊びたい、と思っていたのでしょう?」

「それなら、この部屋を出て左に進んだ先の曲がり角を曲がった先にある一番の奥の部屋よ。…いってらっしゃい。こいしのことを、よろしくね」

「…はい、いってきます」

 

少しばかり気持ちが沈む。どんなに楽しい時間だったとしても、わたしは思い出すことが出来ない。その事実は、相当心に来るものがある。

さとりさんの部屋を出て左へ曲がる。重い脚を無理矢理動かし、こいしさんの部屋へと向かう。その途中で背後から刺さるような視線を感じたけれど、気にしないことにした。

 


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