東方幻影人   作:藍薔薇

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第266話

さて、と。秘術の解読は時間が掛かりそうだ。何せ、全く理解出来ない内容で、理解する手立てもない。少しずつでいいから、何度間違えてもいいから、ゆっくりとやっていきますか。絶対記憶能力には、こいしさんを覚えることが出来る他にも色々と使い方があるから、ぜひとも会得したいものだ。

そんなことを考えていると、さとりさんがわたしの目を鋭く合わせながら問いかけた。

 

「…貴女は、本気でそのようなことをするつもりですか?」

「やるよ」

 

断言する。たった一人の人間に出来たことだ。他の誰にも出来ないなんて言わせない。不可能だなんて認めない。諦めるなんて許さない。

 

「自らの精神を書き換える…。それが妖怪にとってどれほど危険であるか、分かっているのですか?」

「知らないね」

「貴女も経験しているでしょう。怨霊に取り憑かれ、その身を奪われかけた貴女なら、その危険が分かるはずです」

 

怨霊に取り憑かれたとき、ね。…ふぅん。まあ、あれは辛かった。未練たらたらでいちいちうるさかったし、体が思うように動かせない。それに、この体が完全に別の存在に成り変わっていく。

 

「怨霊に取り憑かれたら危険ですね。…で、それがどうして精神を書き換えることの危険性に繋がるんでしょう?」

「え?」

「人は常に変わっている。一年後にも変わっているし、一ヶ月後にも変わっているし、一週間後にも変わっているし、一日後にも変わっているし、一時間後にも変わっているし、一分後にも変わっているし、一秒後にも変わっているし、一瞬後にも変わっている。たった一度の経験が、その人の全てを変えてしまうことだってあるんだ。それは至極当然のことで、たとえそれが作為的であろうと、故意的であろうと、大した差じゃないよ」

 

いつまでも変わらない精神なんてものがあるとすれば、それは最早精神ではないだろう。そんなもの、植物以下だ。

それに、わたしは既に一度変わっているのだから。フランの破壊衝動が溶け込んだということは、それはもう純粋な鏡宮幻香ではなくなっていることに他ならない。しかし、それでもわたしはわたしだ。

 

「そう、ですか…。では、私はもう止めません」

「貴女に止められたところで、止めるつもりはないですがね」

「でしょうね。…それでは」

「ええ、ありがとうございました」

 

静かに扉を開けて部屋から出て行くさとりさんを見送り、音もなく閉まる扉を最後まで見続けていた。

…さて、とりあえず一度秘術の全てを思い出して、何か思い付いたらそこから攻めるとしましょう。思い付かなければ、別のことをしましょう。これに今の全てを賭けるつもりは流石にない。

 

「…んー、やっぱり分からない」

 

意味不明な図式。魔法陣を思わせるような図から伸びる数多の線がグルグルと回り巡っては戻っていく。一定の波長を刻む波線が延々と続いている。円が一回り大きな円を作り、その円が一回り大きな円を作り、その円が一回り大きな円を作っていく。少しずつ傾きながら大きくなっていく三角形。それ以外にも大量に存在しているが、まるで意味が分からない。

理解不能な文言。これはわたしが知る言語のはずだ。それなのに、全く理解出来ない。暗号にして記載されているのかもしれないし、この文章がそのまま使われているのかもしれない。しかし、それすらも分からない。

…ああ、もういっそのこと最初から術式を作ってしまったほうがいいのかもしれない。…まあ、出来そうになければ、そうするかな。

 

「よし、別のことしよう」

 

分からないことを考え続けて思い付くことは、いつかポッと出てくるようなことだ。そんな感じのものが閃くその時を、今は期待しましょうか。

そうと決まれば、わたしは窓を開けて外へ飛び降りた。着地してすぐに体を自然体にし、目の前に仮想の敵を浮かべる。さあ、体術の訓練を始めよう。

 

 

 

 

 

 

右へ跳びながら全身を旋回させて放つ回し蹴りから、空中で横回転から縦回転へ切り替えて右腕を大地へ振り下ろす。拳が地面に埋まり、土が舞い散る。仮想の敵の頭が思い切り潰れているけれど気にしない。

 

「…何してるのさ」

「ん?…えぇと、お燐さん、でしたっけ」

 

どれだけ体を動かしていたか覚えていないくらい続けていたら、手押し車を押して地霊殿へ戻って来たお燐さんに声をかけられた。きっと、さとりさんが言っていたお触れを伝えて回った帰りだろう。今更のように疲労を感じつつ、拳を引き抜きながらその顔を見る。何とも言えない微妙な表情をしていた。

 

「見て分かるでしょう。体術ですよ」

「庭をボコボコにしてまで何になるのか、って訊いてるの」

「さぁ?…けど、何もしないでいると体が鈍ってしょうがない」

 

月から戻ってきてから、まだ一ヶ月も経っていない。身体能力的にはほとんど戻ったと思っている。けれど、戻ったでは駄目だ。一歩でいいから先へ進まないと。

 

「あっそう。けど、そのまま帰ったら庭を直すのがあたいの仕事になるんだけど」

「それは悪いことをしましたね。…で、どう直せばいいでしょう?」

「はぁ…。平らにしてくれればそれでいいよ」

「それだけでいいんですか?」

 

そうと決まれば平らにしましょう。わたしが荒らした地面の大きさを目測で把握し、それより一回り大きな直方体を頭に形成する。その形を創造し、地面にそのまま落とす。ズシン、と思い音を響かせて荒れた地面を潰した創造物をすぐさま回収する。…あ、ちょっと重過ぎたかな。周りより凹んじゃった。

その一部始終を見ていたお燐さんが、目を見開いてわたしと僅かに凹んだ地面を繰り返し見てる。…あれ、何かおかしなことしたかな。

 

「…何だい、今の能力は」

「貴女はわたしの能力を既に見ているはずでしょう?ほら、目の前に壁を創って妨害したでしょう。『ものを複製する程度の能力』…、だったものですよ。まあ、中途半端に創造へと昇華したけど」

 

明確にその形を頭に浮かべてからじゃないと、物凄く歪んだ代物になっちゃうから、まだまだ成長する余地はあるかな。他にもやってみたいことはたくさんあるし。

 

「そんなふざけた能力がありながら、どうして地底に来たんだい?」

「昨日言ったでしょう。人間共に嫌われたからですよ」

 

そう答えたけれど、お燐さんの目はわたしを捕らえて離れない。…どうやら、質問と答えが少しばかりズレているようで、納得していないらしい。

 

「あー…、もしかして、わたしのこの能力が全能か何かだと思ってませんか?」

「だってそうでしょう?」

「違うね。全能なんて月の向こう側だし、万能なんて程遠い。使い勝手はそれなりに改善しましたが、それでもまだまだ不便な能力ですよ。机、と考えただけでは机は創れないし、そして何より想像出来ないと創造出来ない。この能力があったところでせいぜい選択肢が増える程度で、負けるときは普通に負けるし、死ぬときは容易く死ぬ」

 

それに、この能力はいつか魔術で再現出来てしまうだろう。月で見た文献には、エネルギーはものの質量と光の速度の二乗を掛けた値に等しい、と書かれていた。わたしの能力とは少し噛み合わないところがあるけれど、エネルギーという無形からものを創り出すことは不可能ではないのだ。

 

「ま、その程度ですよ。この能力があったところで、わたしは弱い。人間一人にすら勝てないような能力ですから」

 

勝利と殺害は違うのだ。

 

「…さ、わたしは体術の続きをしますから、貴女がここにいても時間が無為に流れていくだけですよ。大丈夫。地面はわたしが平らにしてから帰りますから」

 

そう言うと、お燐さんは地霊殿へと戻っていった。その時の表情は影が差していて、わたしには見ることが出来なかった。

 


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