東方幻影人   作:藍薔薇

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第279話

時に弱まり、時に激しく、時に途切れる雨音を聞きながら本を読みふける。右側にこれから読む本を積み上げ、左側に読み終わった本を積み上げる。右側の本が無くなったら本棚から一気に引っこ抜いて新しく積み上げ、左側の本の山がどんどん大きくなっていく。稀に扉が開く音がするけれど、特に話しかけられることなく扉は閉められる。

思い付きや書斎の本から切っ掛けを得てはいるが、相変わらず秘術の解読は難航している。けれど、何も分かっていないわけではなく、少しだけ分かったこともある。何処までも広がり続けていたり、何処までも伸び続けていたり、始点と終点が繋がっていたり…。大半の図式が繰り返しと永遠を象徴していることだ。繰り返しと永遠は、もしかしたら生まれ変わりと転生を意味しているのかもしれない。けど、まだ文言のほうはサッパリだ。何を言っているのかすら掴めやしない。

ここの本棚の中身を全て読み終わる頃には秘術の解読が終わるだろうか…。分からない。けれど、やらなきゃいけないんだ。

パタリと本を閉じて左側に本を置き、そして右側に手を伸ばす。

 

「…ん?」

 

指先に感じる感触がいつもと違う。冷たく埃っぽい古びた紙独特のものではなく、暖かく僅かに湿っている柔らかなもの。一体何が、と思って横を見れば――こいしがいた。

 

「にひー。久し振りだね、幻香」

「そうかもしれませんね、こいし。何処にいたんですか?」

「旧都でぶらり食べ歩きの旅だよ」

「へぇ、それは羨ましい」

 

わたしが旧都に行こうと思っても、大丈夫かどうかはまだ分からないから。

 

「相変わらずの味のお店もあれば、新しい味に挑戦してるお店もあってね。何処も美味しかったよ!わたし的には十日くらい前に食べた地獄火炎鍋が気に入ったかなぁ」

「何ですかその物騒な名前の鍋…」

「出されたときはお鍋から炎を上がってたよ。それでね、出汁は舌が痛くなるくらい辛くて病みつきに」

 

頭の中で土鍋に見るだけで目が痛くなりそうなくらい赤々とした汁が満たされ、その鍋から激しく炎が噴き出しているものを想像する。

 

「…よくそんなもの食べれますね…」

「辛いけど美味しいんだもん。幻香も今度一回食べてみたら分かるから!」

「…ま、食べれたらね」

 

あんまり食べたくないなぁ、と思いながら言い、こいしの手の下に積まれている本を引き抜く。無駄に崩れた文字が躍っているが、このくらいなら何度も見てきた。秘術に比べれば、こんなものは読めない文章じゃない。

対するこいしも本を一冊引き抜いて開いたけれど、難しい顔をして唸った後すぐに元に戻してしまった。

手早く読み進めながら、わたしが旧都へ行ってもいいかどうかを少しでも確かめるために情報を聞き出すことにする。

 

「旧都でいつもと違ったと思うところはありましたか?」

「んー…、変わったところなんてなかったけどなぁ。喧嘩も賭博もいつも通りだったし」

「そっか。ならよかった」

「えー、何がー?」

 

わたしの言葉の意味が分からず不思議そうに訊いてくるけれど、その答えを言ってもいいのか微妙なことろだ。勇儀さんが二人きりで話したことと関係があるから。二人きりということは、それは秘匿にするようなことかもしれないから。

どう答えたらいだろうかと悩んでいたが、こいしは「ま、いいや」と笑いながら言った。

 

「それじゃあさ、幻香はここで何をしてたの?」

「本を読んでたんですよ」

「どのくらい?」

 

どのくらい?…えぇと、どうなんだろう。昼夜がないから時間が分からない。そもそも日付が分からない。何か日付の代わりになるもの、あったかなぁ?

少し頭を捻り、そしてようやく思い付いたものを口にする。

 

「雨が降ってから」

「雨なんて一昨日まで降ったり止んだりじゃん。いつの雨なの?」

「わたしが地底に来て初めて雨が降った日。もしかしたら、あれって梅雨入りなのかな?」

「…それってもう一ヶ月くらい前だよね?」

「へー、一ヶ月前なんですか。…え?一ヶ月?」

「うん。そろそろ梅雨明けだよ」

 

そうこいしに言われ、気にもしていなかった左側の本の山を恐る恐る見遣る。そこには少なく見積もっても百は優に超えていそうな本が乱雑に積み上げられた山があり、わたしが想像していたよりも遥かに大きなものとなっていた。…そっか、こんなに読んでいたのか。そして、そんなに時間が経っていたのか。

わたしと同じ本の山を見上げるこいしは、むぅー、と唸ってから口を開いた。

 

「もしかして、こんなになるまでずっと読んでたの?」

「そうみたいですね」

「お腹空かなかったの?」

「残念ですが、空腹感はとうの昔に欠如しましたよ」

「体は動かせる?」

「少し鈍ってるかもしれませんが、特に問題ないと思います」

「そんなに本を読んで何をしたいの?」

「自己満足」

 

突き詰めてしまえば、こんなもの自己満足以外の何物でもない。秘術の解読をして絶対記憶能力を得ようとする行為なんて、その程度のものだ。覚えたいことを忘れずに済むだとか、創造の簡略化だとか、こいしを忘れたくないとか、そんな得た後の話を削ぎ落とした後に残る芯はそんな矮小なもの。

 

「…そっかぁ、自己満足かぁ」

「…こいしは、どう思いますか?」

「別に自己満足でも何でもいいんじゃない?」

「そう言ってくれると、わたしは少し救われますよ」

 

こいしに微笑むと、嬉しそうに微笑み返してくれた。そして、何か思い付いたことがあったようでスクッと立ち上がる。

 

「あ、そうだ。お姉ちゃんに会いに行こっと。その本を読み終わったらさ、わたしとスペルカード戦しようよ。それじゃあね、幻香」

「ええ、また今――」

 

度、と言おうとしたところで口が止まる。その先がどうしても口にすることが出来ない。

 

「どうしたの?」

「…すみません。もうちょっとだけ、ここにいてくれませんか?」

 

さっきまでの自分が嘘のように、酷く弱々しい声で懇願する。こいしと別れると自覚した瞬間、穴となる記憶が激しく軋んだのを感じた。記憶に意思でもあるかのように、わたしに激しく語っていた。忘れたくない、と。もう忘れたくない、って。

さとりさんから聞かされて、しょうがないことだと思っていた。どんなに辛いことだとしても、そうならばどうしようもないと。だからこうして忘れないでいられるようにする術を求めて秘術の解読に手を出した。

けれど、こうして思い出して思い出せなくなってまた思い出してまた思い出せなくなる。それを繰り返していくうちに、積み上がっていったものがあったらしい。それは、焦燥。ここ最近はたびたび感じていたものだったけれど、また思い出せなくなると思ったら、それはわたしを強く押し潰していく。もう二度と忘れたくない。

 

「大丈夫?」

「…正直、大丈夫じゃないです…。けど、もう少ししたら、治りますから…。もう少ししたら、治しますから…。だから、あと少しだけ、もう少しだけ、ここにいてください…」

 

だから、もう思い出せなくなるのはこれで最後にしよう。

 

「こいし。さとりさんに会いに行くなら、少し伝えたいことがあるんです。伝言、頼めますか…?」

「いいけど、急にどうしたの?本当に大丈夫?」

「大丈夫…、大丈夫ですから…。さとりさんには『秘術の解読が終わるまで書斎に籠ります』と伝えてください」

「秘術?それに、ここに籠るって…」

「…それと、こいし。スペルカード戦は、また今度になりそうです」

「どうして?」

「ごめんなさい。わたしの勝手な行動を許してください。けど、もう貴女を忘れたくないんです」

 

言った。言ってしまった。こいしが知っているかどうかも分からない不確定なことを、さとりさんが隠していたかったかもしれないことを、遂に口にしてしまった。けれど、不思議と後悔はない。その代わりに湧き上がるものは決意。

何かを口走ろうとしたこいしの口を片手で塞ぎ、少し無理に立ち上がらせる。そして、そのまま書斎の外へと出た。

 

「ありがとう、こいし。それでは、またいつかとか」

「ちょっと待ってよ!何が何だか分から――」

 

こいしの言葉も聞かずにバタリと扉を閉め、すぐさまコの字のものを創造し、扉と枠を固定するように突き刺していく。扉が壊されればそれまでだけど、これで扉が開くことはない。

偶然に頼っていられない。時間が解決するなんて甘かった。もうわたしの全てを秘術の解読に費やす。

何かを忘れてしまったことを自覚したけれど、そんなことは気にならなかった。目を閉じれば、頭の中に秘術の全てが浮かび上がる。それ以外、何も感じない。そして、熱い決意に突き動かされるままにわたしは目の前の秘術の解読に没入していった。

 


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