最初は偶然だった。
「あ」
「ん?」
目と目が合い、そしてそれが誰か分かった瞬間、私はその手に持っていた串を炭火の上にある金網に戻した。
「あーっ!」
「…大声出すなよ、こんなところで」
大声を出されるだろうと予測し、耳を塞げるように。
私を指差している少女、もとい夜雀の妖怪であるミスティアは八目鰻の屋台を私の横に引き、よりにもよって準備をし始める。…うわぁ、ちょっと面倒なことになった。
何せ、彼女は焼鳥の撲滅を目的にしている、と小耳に挟んだことがあるのだから。
「よーし、妨害だー!」
「…止めろ。私の数少ない収入源だぞ」
「使い道あるの?」
「最近は滅法増えた」
萃香が家に来ると酒を呑む。その酒はここで買うことになるから、その分の金が要るのだ。それまではこれと竹炭をたまに売る程度で余るくらいだったんだがなぁ…。
「そういうお前は…、そのまま次の準備にか」
「そ。ふふふ、私の八目鰻を食べたら焼き鳥なんて売れなくなるんだから。これを機に焼き鳥屋なんて止めればいいんだよ」
「嫌だね。鳥が駄目で他がいい理由が分からん」
「へー、そんなに美味しいんだー」
「じゃあ貴女は人間を食べるの?」
「お前らは食べるだろ。そんなもんさ」
「肉体的にしろ、精神的にしろ、人喰い妖怪は多いもんねー」
醤油や酒等を使ったたれに付けておいた焼き鳥の串を炭火で焼いていく。それを見ているミスティアの顔が親の仇でも見るみたいに険しくなっているが、そんなこと気にしていたら売れるものも売れなくなる。
…ん?今、私とミスティア以外に誰か会話に混じっていなかったか?
「ねえ、お姉さん。わたしにおすすめを一本ちょうだい?」
「うおっ!」
そう思って周りを見渡すと、目の前の席に見知らぬ少女が座っていた。いくらミスティアのほうに意識が寄っていたからって、この距離で気配に気付けないなんてことがあるのか?
少しばかり警戒しつつにひー、とでも言いそうな笑顔を浮かべた少女を観察するが、何とも不思議な雰囲気の少女だ。まるで、空気が人型になったかのような、そこにいながらそこにいないような、そんな希薄な印象の少女。
…まあ、こんなところで一発やり合うなんてことはないだろう。きっと。警戒は続けるが、そこまで気にすることもないか。
「ほれ、とりあえずももから食ってみろ。一本につき三厘だ」
「厘?ま、いいや。いっただっきまーす」
そう言ってももを噛み締める少女はほおを緩めた。私が焼き鳥を焼き続けている様子をミスティアがあまり人に見せられない表情で睨み続けているが、少女は意に介することなく食べ切った。
「んー、美味しいねぇ。わたしのとこの焼き鳥屋さんより美味しいかも」
「そりゃよかった。…不思議だな、嬢ちゃんは私の友人に似てる気がするよ」
「そう?」
何故だろう。目の前の少女を見ていると、もう二度と会えないかもしれない幻香の面影が重なる。似ても似つかない、というよりそもそも見た目のない幻香の面影というのも変な話かもしれないが。
「わたし、ちょっと気になるなぁ。その友達のこと」
「…あんま人に語れるようなもんじゃないから忘れな」
「もしかして悪い子なの?」
「どうだろうな。少なくとも大多数に嫌われている奴だったのは確かだが、私にはそう思えなかったってだけだ」
語ろうと思っていなかったはずなのに、目の前の少女を相手にしていると自然と口が滑る。
「そっか」
「…ねえ妹紅。誰と喋ってるの?」
「あ?誰って…、ここにいるだろ」
睨み付けながらも準備を終えたらしいミスティアが妙な事を聞いて来たので、目の前にいる少女を指差す。
「え?…うわっ!?い、いたの!?」
一度首を傾げたが、指出した場所に視線を移したところでようやく少女の存在に気付いたらしく、身を乗り出して大層驚いていた。…おいおい、その態度は少女に対してちょっと失礼じゃないか?
「いましたよー。あ、後数本食べたらその八目鰻と食べ比べするつもりだから待っててね」
「そ、そう?よし、焼き鳥撲滅の好機!」
「あははっ!撲滅させるなら簡単な方法があるよ。そんな回りくどい方法じゃなくて、スパッと綺麗に終わらせる方法」
「え?本当?」
「鳥という鳥を全滅させればいい。そうすれば焼き鳥なんて誰も作れない」
ポキリ、と串を圧し折りながら少女はアッサリと言ってのけた。
「…それは駄目だよ。そうならないためにやってるんだから」
「そっか。なら頑張ってね。…他に二本くらいおすすめってあるかな?」
「あ、ああ…。かわと砂肝だな」
「ありがとね」
さっきの言葉は冗談か何かだったのか、まるで気にしていないように笑顔のまま。それが少しだけ不気味だった。
おすすめとして名を挙げたかわと砂肝を焼き始めていると、渦巻きになるまで圧し折った串を皿に置いた少女が口を開いた。
「それで、貴方の友達の話に戻すけど。いいかな?いいよね」
「…ま、別に構わないよ。嬢ちゃんの期待に応えられるかは知らんけど」
「妹紅っていい人だね。うん、話に訊いた通りだよ」
「へえ、誰に訊いたんだ?」
「秘密」
「今なら三本追加だ」
「んー、足りないかな。心臓の一つくらいくれないと」
それは焼き鳥のはつのことなのか、それとも私の心臓のことなのか…。この感じは、後者だな。つまり、答えるつもりなんて毛頭ないのだろう。焼き上がった二本を皿に置きながらそう思った。
「で。その友達、どんな人だった?」
「どんな、と言われてもな。一言じゃ表せれねぇよ」
「少しくらい長くてもいいよ。ゆっくり食べるから」
そう言った通り、先程と違って一つずつ口に含み始めた。その眼は私に釘付けで、話をせがんでいるのがよく分かる。
「はぁ…。そうだな、才能ってのを感じさせてくれたよ。何て言うか、止まることを知らない限り何処までも進み続けられるような才能を」
「ふーん、…むぐ」
「多分、五十年もあれば私なんか軽く越えた場所に到達するだろうよ。ま、本人にはそんな自覚は全くないみたいだったけどな」
「ほっか」
かわを食べ切った少女は、最後の砂肝に手を伸ばした。
「だから、私はそんなあいつの完了が見たかった。どんな常識も秩序も障害も何もかも超越した存在を、一目見てみたかった」
「ほうひて?」
「…どうしてだろうな。本当に、どうしてなんだろうなぁ…」
理由を問われても分からない。友人で弟子の成長と免許皆伝を祝いたいのかもしれない。永久不滅の魂による暇潰しなのかもしれない。崇拝する対象を求めているのかもしれない。そんなことがいくつも浮かぶけれど、どれもこれも正解だとは思えない。きっと、この問いに正解なんてないんだろうな。
最後の一切れを飲み込んだ少女は、串を皿に置いてからゆっくりと手を合わせた。
「うん、美味しかったよ。ごちそうさま」
「おう。代金は九厘だな」
「厘って何?」
「何って…、単位だろ。金の」
「単位…?あー、そういえばそんなこと言ったね」
ははは、と笑う少女は何処からか袋を取り出し、中に手を突っ込んで銀色の丸い板を取り出した。
「よく分かんないから、これでいいかな?お釣りは…、次食べる分だけあればいいや」
「あー…、何本食うんだ?」
「そうだねぇ…。三本かな」
「おいミスティア。三本でいくらだ?」
「一本五厘だけど、三本なら一銭だよ」
「そか。なら先払いしとくぞ」
「ありがとね」
手持ちの一銭銅貨を隣にいるミスティアに投げ渡し、受け取った丸い銀板を改めて見てみる。模様らしい模様もなく、薄い銀板を丸く切り抜いたような代物。だが、金属としての単純な単価としてなら二銭くらいはあってもおかしくない、と思う。まあ、安くはないはずだ。
そんなことをしている隙に、少女は席を立ち上がって隣の屋台の席に座っていた。
「はいどうぞ!八目鰻三本ね!」
「うん、ありがとねミスティア」
「さぁ食べて!焼き鳥なんてもう食べないって思わせてあげるから!」
「それは楽しみだね。それじゃ、いっただっきまーす」
美味しそうに八目鰻を頬張る少女は、一本目の串を持ったまま二本目に手を伸ばした。
「ねえ、そこの妹紅って人と知り合いなんでしょ?」
「うん、よく関わり始めたのは最近だけど…」
「そこの人の友人を貴女は知ってるのかな?」
「…知ってるよ」
ミスティアは何か痛みを堪えるような笑みを浮かべながらそう言った。
「よかったら、教えてほしいな。残り二本を食べ切るまででいいから」
「うん、いいよ。…とっても強くて、とっても弱いんだ」
「ほれへ?」
「辛いことを辛いと知ったまま出来る強い人。傷付いて痛いはずなのに進み続けられる強い人。…けど、辛いことを辛いと知っているからこそ深く傷付く弱い人。痛みに悶えても辛いと吐けない弱い人。…私達が傍にいたのに、最後の最後まで自分の中だけで終わらせた…。そんな、強くて弱い人」
「…ふーん、ほっか。…んぐっ。ありがとね」
最後まで食べ終えた串を皿に置いて腕を組んで首を捻る。きっと食べ比べの評価を考えているのだろう。
「んー…。そもそも項目が違うから難しいね。甲乙つけ難い、て言うのかな?」
「ぐっ…。焼き鳥撲滅の道は険しく遠い…」
「あはは、代わりに応援してあげる。『頑張ってくださいね、ミスティアさん』」
「…!あれ、もしかして――」
「おい、まさか――」
そして、少女は人混みの中に紛れて何処かへ行ってしまった。
目の前の席に残された使い物にならないほどに圧し折られた串と二本の串が置かれた皿を見て、どうして誰も来ていないのに置かれているのか引っ掛かりながら、ああそう言えば真っ先に人が来ていたなと勝手に納得する。
「絶対撲滅させてあげるんだから、覚悟してよね!」
「うるせ。簡単に出来ると思うなよ」