「ふっ、ほっ、はっ」
月光と蛍光を浴びながら右脚、左脚、もう一度右脚で回し蹴りを放つ。そして、後方に小さな弾幕を放ち、大きく迂回してすこし遠くの樹に左右から同時に当てる。
「おー、頑張ってるねー」
「何の練習なのかなー?」
「る、ルーミア?珍しいね」
「そうでもないよー?ま、声をかけるのは珍しいけどねー」
両腕を左右に真っ直ぐ広げながらにやにやと上機嫌に笑うルーミアの手には、得体の知れない肉が握られている。きっと、人間の里の何処かで野垂れ死んだ人間でも拾ってきたんだと思う。やけに嬉しいわけだ。
歯を立ててミチミチと肉を引っ張りながら、ルーミアは私の隣に腰を下ろした。モグモグと咀嚼している隣に私も座り、食べ終わるのを少し待つ。
「チルノとの最近の戦歴はどうなんだー?」
「んー、最近の十戦なら九勝一敗。けど、今は夏だからね」
夏は私にとってとても動きやすい季節で、チルノにとってはすぐにバテてしまう。と逆に冬だとチルノは元気いっぱいになって、私は体が動かし難くなる。
「その一敗は何があったのー?」
「あはは…。ちょっと油断しちゃったんだ。頭に大きいの喰らっちゃって地面に叩き付けられてすぐに大ちゃんが止めた、って感じ?」
「そっかー」
「へー、それってスペルカード戦なの?」
まさか氷塊「グレートクラッシャー」を振り回さずにそのまま投げ付けてくるとは思わなかった。あれはとても痛かった。立ち上がることは出来たけれど、足元がフラフラになっちゃったから大ちゃんが慌てて中断したんだよね。今思い出してもちょっと悔しい。
「そうだよー?貴女はやったことある?」
「んー、一応あるんだけどね。途中で邪魔が入って中途半端な感じになっちゃったんだー」
「それはとっても残念だねー」
「最初は絶対にその人と、って決めてるんだけど、今は忙しいからってそれ以降出来てないの」
そんなことを考えていると、ルーミアと知らない誰かの会話が聞こえてきた。…あれ?ルーミアの他に誰かいたっけ?いや、いなかったはず…。
「ねえ、ルーミア」
「その人って――なぁに、リグル?」
「えっと、その-…、誰と話してるの?」
「さっき会った妖怪」
「こんばんはー!」
「うわっ!」
突然耳元に大声が突き抜け、思わずビクッと体が少し跳ねる。さ、さっきまでルーミアと同じ方から会話が聞こえていたはずなのに、どうしてこの妖怪は逆側にいるんだ?
おそるおそる目を遣ると、黒い鍔付き帽子を被った緑髪の妖怪が笑顔を浮かべていた。
「むっふっふー、驚いた?ねえ驚いた?」
「お、驚いた…」
「それならよかった。わたしの友達、驚いてもあんまり驚かないんだもん」
そう言って不満気に頬を小さく膨らませている。
何を訊こうかと少し考えていると、ルーミアが急に私の体を乗り上げてきた。その際に両手で肩をグッと押さえ付けられ、危うく地面と顔をぶつけるのを手を出して堪える。お、重い…。
「それでー、その人ってどんな人ー?」
「わたしの友達だよ。大切で大切な友達」
「…そっか」
ルーミアが元の位置に戻り、錘から解放される。
「そうだそうだ。わたしはちょっと訊きたいことがあったんだよねー」
「訊きたいこと…?」
「何ー?」
私が何かを訊こうとする前に、隣の妖怪が私達に言った。
「スペルカード戦のこと。わたし、あんまり知らないんだよね」
「え、知らないの?」
「あんまり、だよ。わたしの友達から教えてもらっただけだからね」
「こんなに流行ってるのにかー?」
「そ。何分流行りには疎い者でして…」
そう言って笑うけれど、人間の里の誰もが知っている――やっているとは限らない―――し、紅魔館の主だって知っているし、冥界の幽霊だって知っているし、迷いの竹林の奥深くに住む兎と人だって知っているようなスペルカードルール。この幻想郷でスペルカード戦を知らないような辺境があるのだろうか?と疑問を浮かべる。けれど、知らない人だって少しくらいいてもおかしくないのかもしれない。現に、ここにいるのだから。
「一回遊んだ、ってことはルールは分かってるんでしょー?」
「うん。だから、わたしが聞きたいのは貴女達が遊んだ強い人の話、かな?参考にしたいなぁー、なんて思うの」
「…参考になるかなぁ?」
真っ先に頭に浮かぶのはレミリア・スカーレットと十六夜咲夜の二人。特に十六夜咲夜のほうは参考に出来るものじゃない。時間を操っているらしいし。ナイフ投げるし。
「いいからいいから。聞かせて、ね?」
「んー、私の知ってる強い人はー、やっぱり幻香かなー」
「…幻香。…うん、そうだねルーミア。幻香はとっても強かった」
「じゃ、その幻香って人のこと、聞かせてくれる?」
ルーミアが言う通り、幻香は強かった。本当に強かった。最初に私の我儘で制限を加えてくれたのに、それを丸ごと吹き飛ばしてきた。チルノに勝ちたい、って私のお願いを手助けしてくれた。私の全力を見せても、敵わない場所にいた。私の目指す先にいつもいた。
「幻香はね、いつも無茶ばっかりしてたんだー。私とミスティアとの勝負だって、終わり際にはフラフラになってたし。けど、多少の不利はものともしない人だったよ。目が見えなくても音を聞いて、音が聞こえなくても縦横無尽に駆け回って、そうやってすぐに補える強さがあった」
「そうだね。私のスペルカード戦の手助けをしてくれたんだけどね。手助けが出来る、ってことはさ、それだけ凄い、ってことなんだよね。私とルーミアを含めた七人相手に一人で勝っちゃったりとか、私を丸呑み出来るくらい大きな蛇の頭を吹き飛ばしたりとか、向こう側にある紅魔館っている場所に住む吸血鬼の主に勝ったりとか」
「幻香って、そんなに凄かったんだ」
「うん、凄かった。けど、今は、もう…」
「封印されちゃったもんねー。出る杭は打たれる、ってやつ?」
出る杭は打たれる。…うん、そうかもしれない。あまりにも突出した幻香の特異さは、私でも分かるくらい飛び抜けていた。何て言うか、頼んだら何でもやってくれる、って思えてしまうような感じ。
「幻香はね、博麗の巫女を相手に一対一の決闘を仕掛けて負けちゃったんだ。その考えに至った幻香が危険だったからかな?…封印されたんだよ」
「人間がいてー、その上に私達妖怪がいてー、その上に博麗の巫女がいる。ちょこちょこ例外はいるけれど、これが今の幻想郷なんだってさー」
幻香が封印されたと知ったときは、もう幻香と会えないんだ、と思って悲しくなった。私がどれだけ頑張っても、その先に幻香はいないんだ、って思うと、とても胸が痛い。
感傷に浸っていると、横から笑い声が響く。遠慮なしに笑う声は、静かな夜空に響き渡っていく。
「あはっ!あははっ!あははははっ!ははっ!それだとわたしは最底辺にいるのかなぁー?」
「えっと…、違うんじゃない?」
「そうだね。わたし達は最底辺よりもっと下にいる」
ニヤリと頬を吊り上げて笑うその表情に、わたしはヒヤリとしたものを感じた。そしてすぐさま立ち上がる。月を背に私達を見下ろしながら、右手を軽く振った。
「それじゃあね、ルーミアにリグル」
「もうお別れかー?」
「あっ、ちょっと…」
「お姉ちゃんに出来るだけ早く帰って来るように言われてるからね。まだ会いたい人がたくさんいるし」
そう言うと、まるで最初から誰もいなかったかのように消えてしまった。
…ふう、ルーミアと話して休憩も十分とれたかな。そう思い、ゆっくりと立ち上がった。
「お、さっきの続きかー?」
「うん。あのさ、ルーミア。これが終わったら、私とスペルカード戦で遊ぼうよ」
「…そうだねー。何だか、私もそんな気分になったよー」
「こんな時間だけど、私達にはちょうどいいでしょ?」
「闇は私の居場所で、夜は貴女の時間。うん、楽しみだねー」