東方幻影人   作:藍薔薇

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第288話

迷いの竹林の中を全力で駆け抜ける。先行する一人の兎を捕まえるために。

 

「コラーッ!てゐ!待ちなさいっ!」

「やなこった!」

 

いつも通り仕事をサボっていたてゐにいい加減一喝しようとしたのだが、口を開いた瞬間に逃げ出されてから早十数分。なかなか距離を縮めることが出来ずにいる。

てゐがあらかじめ仕掛けていた罠に関しては、てゐとほぼ同じように動けば引っ掛からない、というわけではないところが嫌らしい。てゐの重さでは作動しないが、それよりある程度重ければ作動するような罠だってある。てゐの身長では容易に潜れるが、私では潜るのが困難な罠だってある。てゐがわざと遅刻性の罠に引っ掛かり、私が通りかかる頃に攻撃が来る罠だってある。まったく、こういう悪知恵ばっかり働くんだから…!

いくら私自身の仕事とてゐがサボっていた分の仕事を終わらせているからとはいえ、これ以上追い掛け回して時間が潰れるのもどうかと思えてきたそのとき、てゐが突然急停止した。

 

「うわ…、もしかしてこれ…」

 

てゐは私のことなんて意に介することなくその場で立ち尽くしている。よく分からないけれど、これは好機!

 

「てーゐー…!捕ま――え?」

 

てゐが見下ろしているのは、既に蓋の割れた相当深い落とし穴。つまり、罠が作動した後だということになる。では、誰がかかったのか?私の急停止し、目を凝らしてよく見れば竹槍が仕込んである底が見え、そこには見知らぬ人影があった。

 

「やっちゃった…かなぁ…?」

「てゐ!そこで待ってなさい!」

 

すぐに落とし穴へ跳び下り、片手両脚を壁に押し当てて竹槍の手前で止まる。そして、空いている右手で動かない少女の様子を探る。そこを改めて見渡すが、赤く濡れている様子も血の匂いもない。出血なし。鼻に少し濡らした指を近付けると、僅かな空気の流れを感じる。呼吸あり。胸に軽く手を当てると、規則正しく動いているのが分かる。心拍あり。

 

「すぅ…、すぅ…」

 

というか、竹槍にちょうど刺さらない姿勢で器用に眠っている少女がそこにいた。そして、今更ながら少女に浮かぶ丸いものに気が付き、ただの少女ではないことを察する。おそらく妖怪だろう。

未だに目を覚まさない妖怪の頬を数度叩きながら、声をかける。

 

「…ほら、起きて。大丈夫?」

「すぅ…、ん?ふぁ…、おっはよーぅ…」

「もう昼過ぎよ」

「それじゃあこんにちはー。…で、貴女誰?」

「鈴仙・優曇華院・イナバよ。鈴仙でもうどんげでも好きなように呼んで」

「分かったよ、うどんちゃん」

「うど…っ!?」

 

いつか呼ばれるとは思っていたけれど、ここで麺類にされることになるとは。

 

「貴女、ここが何処だか分かる?」

「迷いの竹林、だっけ?そこの落とし穴の底だよ」

「…そこまで分かってるならどうして寝てたのかしら?」

「いい感じに暗くて気持ちよかったから横になったら寝ちゃってた」

 

…何だその理由。いくらなんでも嘘っぽい。

ほんの少し能力を行使し、改めて妖怪を見遣る。嘘を吐くと、波長に独特の乱れが浮かぶことがある。普段から嘘を吐き慣れていたり、嘘だと思っていなかったりすれば変わらないのだけども。

 

「…!?」

 

その結果は、ほぼ平坦。ほぼ零。意識がほとんどない。ほぼ無意識。ゾワリと背筋に何かが走る。異様な存在を目の当たりにし、動揺を隠そうとしても指先が震えてしまう。

 

「んー、どうしたの?」

「…ハッ。い、いや、大丈夫です。さ、とりあえずここを出ましょう?飛べますか?」

「飛べるよ。それに、ちょうどよく会いたい人も来たわけだしね」

 

会いたい人…?ここには私とてゐくらいしかいないはずだが、この妖怪がてゐの存在に気付いているかどうかも怪しい。つまり、私に会いに来た?何故?

そんな疑問が浮かぶが、ひとまず一緒にフワリと浮かび上がり、一緒に落とし穴を出る。半信半疑で待っているように言ったてゐがそこに残っていたことにほんの少し驚きつつ、後ろにいる妖怪のことを考える。

 

「貴女は誰ー?」

「因幡てゐだけど」

「そっかぁ、そっかぁ、てゐちゃんかぁ」

 

そう言って笑っているのだが、その波長はほとんど変化なし。相も変わらず無意識のまま。それが私には恐ろしい。無意識のまま、まるで意識があるように振る舞っていることもそうだけれども、それくらいなら前例があるからいい。けれど、それがこの妖怪の普通だとしたら…。無邪気な子供よりもある意味で純粋無垢。考えたことをそのまま口にし、思い付いたことをそのまま行い、訊かれたことにはそのまま返す。そこに躊躇はない。葛藤はない。抵抗はない。それが恐ろしい。

そんな私は当然のようにお構いなしに、無意識妖怪は私達に言ってきた。

 

「わたしはね、ちょっと永遠亭って場所に行こうと思ってたんだ。鈴仙・優曇華院・イナバっていう月の兎と、一応因幡てゐっていう妖怪兎にも会いたかったの。訊きたいことがあったからね」

「…私と鈴仙にか?」

「うん。人里で薬を配って、手当てして、色々頑張ってるらしいじゃん」

「主に私ですがね」

「勝手に聞いた限りでは感謝されてるみたいだねぇ。特に『禍』の件で」

 

そう言われ、ドクリと心臓が跳ねる。幻香さんが、あの幻香さんがやらかしたこと。特に二度目は五十四人中九人死亡、残り全員重傷であった。精神的外傷(トラウマ)を抱えている者、義手義足に慣れずにいる者、底知れぬ怒りや恨みを抱いて精神が歪みかけた者…。未だに完治したとは言い難く、これからも完治するとは言い切れないだろう。

 

「そのことでさぁ、ちょっと思うんだよね。『禍』って、どんな人だったのかなぁ、って。…知らない?」

「…いけ好かない奴だよ。突然砲撃されるし、血塗れ瀕死で来たと思ったら勝手に治ったし…」

「…初めて会ったときは右腕欠損でしたね。三日間や、…一週間昏睡したこともありました。ですが、まあ、強いのでしょう。けれど、自分が傷付くことを躊躇わない」

 

妖力を使い捨てるような弾幕を放ってきたこともあった。妖怪として必要不可欠な妖力を、だ。そんなことをして死ぬつもりかと問えば、いつものことだと返された。あれが彼女にとっては日常なのだろう。

 

「そして、他人が傷付くことにも躊躇いがないのでしょうね」

 

私達が何としても隠そうとした姫様の元へ行こうとした唯一の組だ。勝つために何だってすると言うような人だ。悪行を悪行と理解していながら実行出来る危険な人だ。

そう言うと、目の前の妖怪は曖昧に微笑んだ。

 

「…うん、ありがと。あー、やっぱり『禍』って嫌われ者なんだねぇ」

「封印されるくらいだし、当然ウサ」

「らしいね。だからこそ、気になったんだよ。…それじゃあね」

 

両手を広げながらフラフラと歩き出した妖怪は、そのまま竹林の中に紛れて見えなくなった。

ハッと思い立ち、隣で私と同じように呆けていたてゐの両肩をすぐさま掴み取る。そして、無理矢理私と顔を合わせる。てゐがビクッと震え、顔色が徐々に悪くなっていくが、そんなものはお構いなしだ。

 

「…やっと、やっと捕まえたわよ、てゐぃ…!」

「う…、逃げ――」

 

私の両手を振り払って逃げ出そうとしたてゐの右手首を素早く捻り上げ、逃がさないように手早く拘束する。

 

「ギャーッ!痛い痛い痛い!止めろォー!離せェー!」

「離したら逃げるでしょうが!お師匠様に言いつけてタップリ叱ってもらうからね!」

「嫌だー!試験体はもうたくさんウサー!」

 

てゐの心からの叫びが迷いの竹林に木霊する。それでも心を鬼にし、ついでに今までの鬱憤を晴らすために、その手は決して離すことなく永遠亭へ向かった。

 


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