「…見つからねぇ」
上空を飛翔して大地を見下ろすが、どうしても見つからない。探し始めてどれだけ経ったかなんて数えちゃいないから知らんが、少なくとも夏の終わり頃から秋になるくらいは探している。それだけ探し続けて未だに見つからないことと、見つけることが出来ない自分に苛立ちすら覚えてくる。
事の発端は、妹紅の家で見つけたものだ。それは、一枚の丸い銀板。すぐさま妹紅に訊いてみたが、首を傾げながら『拾ったんじゃないかなぁ…。うん、多分』などと曖昧なことを言われた。冗談じゃない。これは地底で使われている金銭の一種だ。仮に本当に拾ったのだとすれば、それは私以外の地底の誰かが地上に上がって来たことになる。何せ、私は伊吹瓢一つだけ持って上がって来たのだから。
地上に上がって来た地底の妖怪が何を仕出かすのか分からん。それらしい異変が未だに起きていないことが引っ掛かるが、それでも見つけ次第地底に叩き落とすか、場合によっては潰しておきたい。放っておいて面倒事になりました、なんてのは御免蒙る。
「ぅおっしゃー!魚だ魚だー!」
「…あ?」
…いた。どうして今まで気付けなかったのか、って言いたいくらいはしゃいでやがった。…いや、気付けなくて当然か。気にしないと目の前にいても気付けない、気にしていても隣にいたら気付かない。そんな無意識妖怪。
古明地こいしが川に両脚突っ込んで魚を手掴みで生け捕りしていた。
「よう、こいしちゃん」
「ん?おー、萃香じゃん。久し振――…あ、逃げられた」
川岸に足を降ろすと、こいしちゃんが両手で抱えていた魚が急に暴れ出し、スルリと腕を抜けて川へと逃げられてしまった。こいしちゃんはその魚を目で追ったが追いかけることはなく、諦めたように川から上がった。
「いい加減こいしちゃんって呼び方止めてよー。お姉ちゃんは呼び捨てるのにさ」
「さとりはさとりで、こいしちゃんはこいしちゃんさ」
「むぅ。…ま、いっか」
さとりと比べて思考や態度が何となく幼く感じるから、どうしてもちゃん付けで呼んでしまう。第三の眼を閉じる前はこんな性格ではなかった、みたいなことをさとりが言っていたことを思い出したが、残念ながら私は第三の眼を閉じたこいしちゃんしか知らない。地底に来たときはもう閉じていたのだから。
「それで、わたしに何か用?」
「それはこっちの話だ。あんたこそ、地上に何の用だ?」
「会いたい人がいるの。会って、訊いて、話したい人が」
「ふぅん。けどなぁ、私の言えたことじゃないが地上と地底の不可侵条約があるんだ。そう好き勝手出て来るのは見過ごせないんだよ」
「知ってる。お姉ちゃんにも言われたから。けど、わたしを送り出してくれたよ?」
…驚いた。さとりが自ら規則に例外を設けたことに、私は驚いた。あのさとりがだぞ?いいだろ別に、が通用しないさとりがだぞ?私が地上に来てからの短い間に、一体何があったんだ…。
「とにかく、わたしは会いたい人全員に会うまで戻りません。萃香。たとえ貴女がわたしを妨害しようとしても、わたしは何処までも逃げられる。貴女にわたしは捉えられないよ?」
「そうとは限らねぇな。やろうと思えば幻想郷全域を私に出来る。そうなりゃ逃げも隠れも出来ねぇよ」
「分かってないなぁ。こうして貴女がわたしを認識出来るのは、わたしが意識されるように動いてるからだよ。石ころ以下のわたしが目立つように動いてるからだよ。どれだけ目を増やしても、わたしはこいし。決して意識されないちっぽけな存在だから」
「違ぇよ。たとえあんたが石ころ以下だとしても、認識出来ないなんてことはない。そこにいるんだからな」
「その割には、随分探してたみたいだね?大方、わたしが使った金を見つけたからだろうけれど、もう大分前のことだよ。それとも、最近まで全く気付かなかったのかな?だとすれば、貴女はそこにあった金に長らく気付けなかったわけだね。それだけ時間があれば、わたしは十分だから」
「それでも気付いた。そして、あることが分かった。何事も最初の一手までは長いが、その後は手早いんだ。そんなに時間があると思わないほうがいい。それに、今あんたを取っ捕まえて地底に放り投げてもいいんだからな」
「そっか。なら――」
次の瞬間、こいしがスゥ…と消えた。確実に目の前にいたにもかかわらず、まるで空気にでも溶け込んだかのようにいなくなった。しまった、何処に――
「――ほら、見失った」
――そして、後頭部をコツン、と軽く叩かれる。…相変わらずだ。やっぱり、気付いていても気付けない。
「分かった分かった。脅すような真似して悪かったな。ここに迷惑かけるつもりがないみたいだし、見逃してやるよ」
「あはは、萃香はここに来て楽しそうだね。地底だとどこか我慢してた感じだったもん」
「…ま、地底だって悪くはなかったけどなぁ、やっぱり私は地上に立ちたかったんだよ。地底にいたら絶対に巡り合えなかっただろう友人が何人も出来た。地底にいたら絶対に触れることのなかっただろう遊戯も楽しめた。そして何より、残酷なくらい変わり果てた地上を見られた。…それだけで、私は地上に来た甲斐があったってもんだ」
鬼の存在自体忘れ去られていたことに関しては、流石にどうかと思ったけどな。それに伴ってあまりにも弱体化した人間達には落胆したもんだ。あって当然だった知恵も、技術も、何もかもが摩耗して消え去っていたのだから。
「それで、こいしちゃんは誰に会いたいんだ?」
「んー、誰に会おうか迷ってるとこ」
「何だよ、一人じゃないのか」
「うん。たくさんいるよ」
そう言って微笑むと、何故か私を指差す。
「貴女も、その一人」
「あん?」
その言葉で、まさか私は釣られたのか、と勘繰ってしまう。地底の金を使い、私に探させて、そしてあんな風にはしゃいだことが計算尽くなのでは、と。…いや、そんなはずないか。
「私に何を訊きたいんだ?まさか、さとりになんか頼まれたとかじゃねぇよな?」
「お姉ちゃんは関係ないよ。これはわたしが気になってることなんだから」
「そうかい。で、それは?」
「『禍』について、だよ。聞いた話だと、滅茶苦茶に嫌われてるみたいでしょ?」
「…まぁな」
確かに嫌われていた。『禍が鼻で嗤った』なんて言葉が出てくるくらいには嫌われていた。封印された今でも使われていることを考えると、どうしようもないな、と思う。
「それでさ、それだけ嫌われてるなら地底に迎えてもいいかなー、って思ったの」
「そりゃ無理だ。不可侵だってあるし、それより何より既に封印されてる」
「だよね、知ってる。けど、興味が湧いたんだ。どんな存在だったのか、って」
「それをどうして私に問う?」
「同じ地底にいた仲だし、訊きやすいかなって思ったの」
そう言ってにひー、と笑う。
「それ、私以外の奴らにも訊くつもりなのか?」
「そうだよ?」
「どうやって当たりを付けたんだ?」
「第二次紅霧異変の関係者。ちょっと勝手に聞いてたら、すぐに浮き出てきたよ。当然、萃香の名前もね」
「…はぁ。そうかい」
つまり、そこらへんで盗み聞きしたのか。まあ、いつものことか。地底では何時何処でこいしちゃんに聞かれているか、なんていちいち考えるのも面倒なくらいだったからな。
「『禍』の名前は知ってるか?」
「えっと、確か…、幻香だっけ?」
「そ。鏡宮幻香だ。あいつはなぁ、ちぐはぐな奴だったよ。他人のために自分を犠牲にして、自分のために他人を犠牲にする奴。自己犠牲かつ自分本位。けど、強いよ。単純な力なら私に敵いやしないが、例えば技術、例えば精神、例えば発想、例えば能力、私とは違う何かが飛び抜けてる。…ま、中途半端に抜けてるところもあるけどな。とにかく、私とは違う強い奴。ついでに言えば、私に勝った奴だ」
「へー、萃香に勝ったんだ。それは凄いねぇ」
「あいつは認めちゃいなかったがな。けどな、たとえあそこで私はあいつを貫いていても心の底から勝てたとは思えなかっただろうよ。あいつの口車に乗った時点でな」
幻香曰く、土俵が違った。勝てる勝負を投げさせた。それに気付いた時点で、私は勝てたとは思えなかった気がする。
「ま、そんな奴さ」
「そっか。面白い人だったんだね」
「…あぁ。惜しい奴を失ったと思ってる」
なんて言うか、私とは違う世界を見ているような奴だった。あいつにはあいつなりの世界があって、苦悩があって、そのために足を踏み締めていた。
そんなことを考えていると、こいしちゃんはゆっくりと立ち上がった。
「それじゃ、わたしはそろそろ行くね。…あ、そうだ。わたしが地上に来てること、他の皆には黙っててね。ほら、不可侵があるんでしょ?」
「あー、はいはい。黙ってやるよ。訊かれなけりゃな」
「そこはちゃんとしてほしいんだけどなぁ…」
そう最後に言い残して、こいしちゃんは何処かに行ってしまった。