東方幻影人   作:藍薔薇

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第290話

意識を水へと沈めていく。瞼を閉じ、一瞬の集中。そして、そっと鞘に手を当てる。

 

「――っ」

 

楼観剣を鞘に納め、止めていた息を一気に吐き出す。瞼を開けると、目の前にあった巻藁がスルスルリと斜めに次々と滑り落ちる。続けざまに抜き放った八閃の居合。

 

「今日も快調ね」

「…はい、幽々子様」

 

巻藁の切断面は撫でてもささくれはほんの僅かしか感じさせないほどに綺麗だ。斜めに斬り分けられた巻藁の厚さはほぼ等しい。幽々子様の言う通り、今日の私は快調だ。

しかし、萃香との勝負の最後のあの感覚に再び没入出来たことはない、あの時の私なら、倍は抜き放てただろう。切断面はさらに綺麗だっただろう。厚さも均一だっただろう。だから、今日の私は絶好調には程遠い。

 

「早速だけど、今日はお茶と饅頭が欲しいわ」

「分かりました」

 

稽古に使用した巻藁をまとめ、白玉楼へと戻る。これは今日の燃料に再利用するとして、今は幽々子様が注文したものを用意しなくては。

厨房へ行き、まずはお茶を淹れる準備をする。水を火にかけて沸騰させ、急須に茶葉を入れる。沸騰させたお湯を湯呑に注いで少し冷ましてからゆっくりと急須に注ぎ、茶葉が開くまで静かに待つ。そして、十分に茶葉が開いたら二つの湯呑にお茶を少しずつ注ぎ回す。最後の一滴まで残さず、しかし無理に揺らさずに注ぎ切り、この前買い置きしておいた饅頭八つと一緒にお盆に乗せて幽々子様の元へ。

 

「お待たせしました」

「ありがとう、妖夢」

 

幽々子様の横に座り、間にお盆を置く。縁側から見える庭園は日々姿を変える。そして、視線を少し横に傾け、奥に見える何も付けていない寂しいもう一本の西行妖を見る。もしかしたら、…いや、もうあれを斬り落とすことは出来ないのかもしれない。何故なら、あれを斬り落とすのは、彼女にキチンと勝利を収めてから、と決めていたのだから。その彼女が封印された今、最早それを成すことは不可能に近い。

 

「…そう思うなら、斬り落としても構わないのよ?」

「いえ、あれは私自身への戒め。自然と朽ち果てるならまだしも、私自ら斬り落とすなんて出来ません」

 

私の見ていた視線の先に気付いた幽々子様に言われたことを、私はすぐさま否定する。

 

「へー、あの大きな枯れ木には特別なものがあるんだね」

「はい。私はあの偽りの西行妖に――ッ!?」

 

問われたことに自然と返しかけ、思わず口を閉ざす。少なくとも、幽々子様の声ではなかった。そして、数瞬遅れてから私の知る誰の声でもないことを把握する。謎の声の主を探して周りを見渡すが、誰もいない。

 

「あら、見ない顔ね。お客様かしら?」

「まぁね。冥界の入り口を探すのに凄く時間掛かっちゃった。まさか上空にあるなんて思わなかったよ」

 

幽々子様は謎の声の主と楽しげに話し始めている。しかし、私にはその正体を見つけることが出来ない。そんな私が滑稽に見えたのか、幽々子様は小さく笑ってから私の目の前に人差し指を向けた。そして、その指先を横に動かし、それに釣られて視線を動かしていくと、そこには見慣れぬ緑髪の妖怪がそこにいた。

 

「…ふぅ。うん、美味しい」

 

黒い鍔付き帽子を横に置いて正座し、私の分のつもりだったお茶を飲んでいる。先程見渡したときはいなかったはずなのに、確かにそこにいる。まるで気配を感じない。目の前にいるはずなのに、少し目を離せば見失ってしまうと思えるほどに希薄だ。

目の前の妖怪が空になった湯呑をお盆に戻したのをきっかけに、幽々子様が話を切り出した。

 

「それで、貴女は何の用があって冥界に来たのかしら?」

「お話しに来たの。本当は訊きたいことがあって来たんだけど、それよりもさっきまで貴女が見てた偽りの西行妖、って言ってた枯れ木が気になるね」

「それは…」

 

少し言い淀むが、ここで言えないのは何故だか負けな気がし、自分自身の心の準備も兼ねて当たり障りのないところから話し始める。

 

「…貴女は『禍』と呼ばれた妖怪を知っていますか?」

「知ってるよ。封印されたって話の妖怪でしょ?」

「その妖怪との勝負の果てに創られた産物です。後に聞いた話では、その『禍』が持つ『ものを複製する程度の能力』によるものだそうで、彼女は最後にあの西行妖を創り出し、自ら倒れました」

 

思い出される幻香の台詞。一面を埋め尽くす桜色の幻想的で悲劇的な花吹雪。大量に増えた春。舞い散った花弁に埋もれた本物か偽物かも分からない春を探すことを余儀なくされ、無理だと言っていた時間稼ぎを倒れた後で成した。幻香との勝負には確かに勝利を収めることが出来たが、私は幽々子様が異変を起こした目的を達成させることは出来なかった。

 

「私は勝ちながら負けた。彼女は負けながら勝った。だから、私は彼女に勝利を収めるまであの偽りの西行妖を遺すことにしたのですよ」

「けどさ、封印されちゃったんでしょ?もうその勝負すら出来ないじゃん」

「…そう、ですね」

 

確かにその通りだ。だけど、不可能だと分かっていても、私はあれを斬り落とすつもりはない。もしも斬り落としてしまったら、その時私は中途半端な勝利を肯定してしまいそうだから。

 

「ま、貴女が斬り落としたくないならそれでいいんじゃない?ここに来るまでの通路のど真ん中にあって滅茶苦茶邪魔だったけれどね」

「それでも、ですよ。…いえ、むしろ、かもしれませんね」

「そっか」

 

私の進む道の前にそびえ、先へ進ませぬよう妨げる壁となるもの。全くもって、それらしい。

 

「…ところで、お茶のお代わりはいりますか?」

「ううん、いいよ。面倒だし」

「そのようなことは――」

「いいから。…ね?」

 

区切りがいいのでお茶を淹れ直そうと考えた私の提案を無理矢理遮り、饅頭を次々と頬張る。非常に美味しそうに食べている。その横では、幽々子様がお茶を啜り饅頭を口にしながら、私の言葉を黙って聞いてくれていた。

 

「ところで、貴女は聞きたいことがあったのでしょう?それはいいのかしら?」

「むぐ?…あー、それは半分済んだから。そっちに訊くのはお終い。貴女には訊くけどね」

「あら、何かしら?」

「簡単だよ。『禍』について、貴女はどう思ってる?」

 

確かに、その質問は私に訊く必要がほとんどないものだった。幽々子様はお茶を少し啜ると、湯呑を置いてから口を開いた。

 

「とても面白い子ね。私の友人と庭師、つまり妖夢ね。その二人が多少なりとも興味を持っていて、気になったから呼んでみて、そしたらとっても面白かったわ」

「どんな風に?」

「話をするために将棋盤を一目見てから、次の一手で勝敗が決まるよう自らの能力で細工をした。それと、出されたものを私が口にしてから口にした。多分、毒でも警戒したんでしょうね。ふふ、亡霊である私に毒なんてあってないようなものなのに」

「それの何処が面白いの?」

「私と友人の将棋の間に介入したこと、よ。普通なら終わるまで待つか、それとも将棋を後回しにするよう説得するところを、わざわざ無理矢理終わらせた。そういう普通とは違うところが面白いのよ。私に毒見をさせてから食べたところも含めてね」

「ふぅん。そういうものなんだ」

「そういうものよ」

 

幽々子様がそう言い切ると、その妖怪は置いていた帽子を被り、満足げに立ち上がった。そして、フワリと浮かび上がる。

 

「お話、ありがとね。あと、お茶と饅頭美味しかったよ」

「あら、もう帰るの?」

「うん。長居はしたくないからね。一応冥界らしいし?」

「そう。またいつか遊びに来ても構わないわよ。美味しいお茶とお茶菓子を用意するわ。うちの妖夢が」

「私ですか?…私ですよね。はい、用意してお待ちしていますよ」

「…あっはっはー、覚えてたらまた来るよ」

 

そう言うと、その妖怪は何処かへ飛んで消えてしまった。

偽りの西行妖から視線を外し、のんびりと冥界の空を見上げ続けていた。そして、お茶を飲もうと湯呑に手を伸ばしたところで、その軽さに違和感を覚える。湯呑を覗いてみれば、その中身はすでに空。慌ててお盆に目を遣ると、幽々子様のお茶は飲み干したようであることに加え、八つあった饅頭が気付いたら既に残り二つにまで減っている。

 

「幽々子様…?」

「あらあら、そんなに怖い顔して。一体どうしたの?」

「まさか、私のお茶まで飲んだなんて言いませんよね…?それに、饅頭がこの短時間で六つもお食べになって…」

「え?…あら、もしかして、私が飲んじゃったのかし、ら?おほ、おほほほほ…」

 

首を傾げながら誤魔化すように笑う幽々子様を見て、深いため息を吐いてしまう。

 

「…はぁ。お茶、淹れ直してきますね。それと、饅頭も新しく持ってきますから、その二つを食べて待っていてください」

「ふふ、ありがとう妖夢。けど、次は饅頭よりも羊羹がいいわ」

「分かりましたよ、幽々子様」

 

空になった湯呑を乗せたお盆を持ち、私は厨房へ歩き出した。

 


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