東方幻影人   作:藍薔薇

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第293話

静かな夜の世界。屋根に腰を下ろして見上げてみれば、白い月の柔らかな光が世界を照らしている。今朝は雪が少し降ったけれど積もるほどではなく、昼には雲も流れていき、今ではほんの少し濡れている程度。

 

「綺麗だねぇ」

「うん、そうだね」

 

吐く息はほんのり白い。けれど、この前慧音に貰った防寒具に手袋、マフラーまで装着すればそこまで寒くはない。

 

「…それで、貴女誰?」

 

それよりも、まるで最初からいたかのように私に話しかけてきた緑髪の妖怪が気になる。確かにそこにいる。それなのに話しかけられるまでそこにいたと分からなかった。何て言うか、影が薄い?

 

「わたし?んー、ちょっと下の方から来たただの妖怪だよ」

「少なくとも、普通にはここに来れないはずだよ」

 

ここは護符を持っているか本当に迷っていたかじゃないと侵入出来ない、って聞いてたのに普通に私の横に現れた。だから不思議だ。

 

「普通に来たよ。貴女の後をつけてきただけだから」

「…私が最後に外に出たの、昨日の昼頃なんだけど…」

「そうだね。だからずーっとボーッと待ってたんだよ」

 

ちなみに昨日の昼には一人で野鳥狩りをした。ミスティアには申し訳ないと思うけれど、ちゃんと血の一滴も残さず食べたから許してほしい。あと、骨は橙がスープの出汁に使ってから埋めた。

それにしてもこの妖怪、丸一日以上待っていたのか。ちょっと驚き。

 

「それで、貴女は私に何の用なの?まさかわざわざ迷い家まで来て何もない、何てことはないでしょ」

「そうだねぇ。紅魔館にいると思ったら妹はいないって言われて、念のため地下に行ってももぬけの殻だったし、貴女がいそうな場所をグルグルと回っても全然見つからなくて本当に困ったんだよ。ちょっと見つけても他の誰かといることが多くて、どうしようかと迷ってたらすぐに何処かに行っちゃうんだもん。いやぁ、大変だった!まさか迷い家に住んでたとは思ってなかったよ。ま、あれだけ探して見つからなかったからここだろうと当たりは付けてたけどねぇ、ここに侵入するのは本当に苦労したよ。ねえ、この苦労が少しくらい分かってくれたかな、フランドール・スカーレット?」

「ごめん、よく分かんないや」

 

外に出るときは必ず水晶の護符のイヤリングを着けているから、迷い家に入れないで苦労する、という経験がない。部屋を出れないで苛ついたことなら腐るほどあるけど。

 

「それと、私はフランドール・スカーレットじゃないよ」

「…あれ?黄色い髪の毛、真紅の瞳、白い肌、七色結晶の翼…。わたしが聞いた貴女の特徴そのままなんだけど?」

「そうだね。確かにそれは私だと思うよ。けど、私はフランドール・スカーレットじゃないの。私の名前はフランチェスカ・ガーネット。…ミドルはないよ。名前が長くて呼び辛いと思うから、フランって呼んで」

 

あの日を境に、私は今までの名前を捨てて新たな名前を得た。自由も得た。けれど、二人の姉を失った。一人目のレミリア・スカーレットはどうでもいいし、むしろ清々している。二人目の鏡宮幻香は、今でもいないことがとても寂しい。

 

「それじゃ、フラン。わたしの用を言いましょう。大丈夫。ちょっと訊きたいことがあるだけだから」

「ふぅん。何を訊きたいの?」

「『禍』」

 

その言葉を聞いた瞬間、私の右手は自然と横にいた妖怪の首を掴んでいた。そのまま力を込めようとしていた右手を理性で抑え込み、逆側に力を入れて無理矢理右手を開いていく。

 

「痛たた…。急に首締めは流石に痛いって」

「…ごめん。けど、その言葉、私は嫌いだな」

 

私はお姉さんのことを勝手に『禍』と呼んでいる人間が嫌いだ。レミリアと同じくらい嫌いだ。お姉さんが感染症の原因だなんてふざけているし、災厄の権化だなんて馬鹿げている。

 

「それじゃ、何て呼べばいいのかな?」

「おね――じゃなくて、幻香」

「分かった。幻香ね。わたしは貴女に幻香について訊きに来たんだ。第二次紅霧異変を引き起こした幻香に興味があってね、その関係者に訊いて回ってる感じ」

「お姉さんのことを、ねぇ…」

 

言い方から察するに、もう既に何人かは訊いているんだと思う。だから、誰でも知っているようなことを話しても、もう知っているからと言って満足してくれなさそう。とは言うものの、何処まで話していいのかが難しい。絶対に話してはいけないものは分かるんだけど。

 

「お姉さん?」

「あー、血の繋がりはないよ。けど、それ以上に気持ちが繋がってる。齢は私の方が上かもしれないけれど、お姉さんは私のお姉さん」

 

私の始まりは、お姉さんに出会った瞬間だ。それなら、私はお姉さんよりも年下になる。最初は私より背が高いからそう呼んでいただけだったけれど、いつからかその呼び名の意味が大きく膨れ上がっていった。

 

「それで、お姉さんの何が訊きたいの?」

「何でもいいよ。貴女が幻香に思っていること、貴女に幻香がやったこと、貴女が幻香にやったこと…。好きなように話してほしいんだ」

「そっか。それじゃ、ちょっとだけ」

 

禁句というほどじゃないけれど、自然とお姉さんのことはあまり口にしなくなってきている。古傷に触れたくないからかもしれないし、どう話しても過去のことになってしまうのが嫌なのかもしれない。少なくとも、私はそうだ。

けれど、いつまでも話さずにいたいとも思わなかった。お姉さんのことを誰かに知ってほしかった。お姉さんが確かにここにいたことを。

 

「私が住んでるこの家、前はお姉さんの家だったんだ。本当は、お姉さんと一緒に住もうと思ってたんだけどね、…封印されちゃったから、さ。…うん。だから、代わりに私が使ってる」

「いくら封印されてるからって、勝手に貰っちゃうのはどうなの?」

「そうだね、怒られちゃうかも。けど、私はこの家が使われないで少しずつ埃被っていくのを見たくないんだよ」

「…そっか」

 

いつまでも綺麗なままでいられるとまでは思っていない。けれど、こうして使われていって、少しずつ摩耗していく。私達と一緒に。…なぁんてね。

 

「他には、そうだなぁ…。私に外を教えてくれたかな。私の世界が地下室から一気に広がったの。外は綺麗で、それでいて醜悪だよ。けど、それは光があれば影があるように、山があれば谷があるように、当たり前のことなんだよね。こうして外に出てさ、何を今更って感じだけどよく分かった気がするんだ」

「そうだね。…笑顔を浮かべながら内側で罵ることも、それを分かっていて笑顔を返すことも、当たり前なんだよね」

「そうみたい。誰しも善意と悪意があって、人によって使い分けているって。お姉さんだって自分で自分は悪い人だー、って言ってたし」

「善意しかない人なんていないんだよねぇ」

「そんな人がいたら、私は不気味だな。罵詈雑言を微笑んで、殴られたら感謝して、裏切られても疑わない。そんなの、ただの異常者だよ。私とは違う異常者」

「…そっか。そうかもね。…あーあ、馬鹿みたいだなぁ」

「まあ、結局は私がどう思うかなんだよ。私にとっていい人ならいい人で、悪い人なら悪い人。どれだけ自分が悪人か語っていようと、私がいい人だと思えばその人はいい人。どれだけ自分が善人か語っていようと、私が悪い人だと思えばその人は悪い人。他人の評価なんて、正直どうでもいいね。そういう意味では、お姉さんはとってもいい人」

「いい人、かぁ。…うん、幻香はいい人だよね」

 

不思議な気分だ。口が少し軽く感じる。私ってこんなに喋れたんだっけ、なんて思うくらいスラスラと出てくる。お姉さんのことを話せることが、そんなに嬉しいのかな?…うん、そうだね。とっても嬉しい。

 

「…あとさ、貴女ってなんだかお姉さんに似てる気がするんだ」

「似てる?幻香と?」

「うん。何でだろうね?」

「わたしが、幻香と…」

 

ふと思い付いたことを言うと、横で座っている妖怪は何故か腕を組んでうんうんと考え始めてしまった。

そして、急に腰を上げて立ち上がった。ただし、何かを考え続けながら。

 

「…それじゃ、いろいろ教えてくれてありがとね」

「うん、私も楽しかったよ。…そういえば、貴女の名前は?」

「…覚えなくていいよ。どうせすぐ忘れちゃうから」

「それでも、だよ。貴女とは、またお話がしたいんだ」

「わたしは、こいし。古明地こいし」

「またね、こいし」

「…さよなら、フラン」

 

そう言うと、フワリと月の向こう側へと飛んでいってしまった。

…少し冷えてきたかな?喉も少し痛いし、ちょっと夜空に浸り過ぎたかも。明日に何かやりたいことがあるわけじゃないけれど、もうそろそろ寝てしまおう。

ふと、やりたいこと、という言葉に引っ掛かりを覚えた。何かあったような…?けれど、そんな違和感は少し経つと気にならなくなった。

 


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