東方幻影人   作:藍薔薇

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第294話

ガシュガシュと雪を退け続けること小一時間。ようやくお賽銭箱まで続く参道が姿を見せてくれた。とは言うものの、参拝しに来る客がいるか、と問われればほとんどいないのが現実。けれど、やらずに放置するわけにもいかず、この寒い中で雪掻きをしたわけである。無駄骨であるとしてもね。

一仕事を終え、ホッと一息吐いてから道具を片付ける。今日はもうお茶でも飲んでゆっくりと休むことにしよう。そう決めたのならば、すぐ準備。茶葉を目分量で急須に放り込み、お湯を流し込む。色が付くまでの間に饅頭の箱を取り出し、それから湯呑に淹れたばかりのお茶を注ぐ。饅頭は二つもあればいいでしょう。

 

「ん?」

 

お茶と饅頭を持ってこたつに入ろうとしたその時、既に誰かがこたつに入っていることに気が付いた。黒い鍔付き帽子を被った緑髪で、冬に着ようとは思えないほど薄い服を着ていて、胸元に閉じた瞳を思わせる青いものを浮かべている。少なくとも、私は見覚えがない妖怪だ。

 

「…アンタ、何しにここに来たの?」

「わたし?いやー、ちょっと寒くてね。温まりに来たの」

「そんな格好してるからでしょ」

「しょうがないじゃん。これしか着てないんだもん」

 

そう言って両手をこたつの中に突っ込んだ妖怪だが、何だか妙な雰囲気を感じる。…いや、正しくは感じない。ほとんど何も感じることが出来ない。

私もお茶と饅頭を置いてからこたつに入ると、気付いたらいつの間にか出していた妖怪の右手が私の饅頭に伸びていた。すぐさまその手を叩いて止める。

 

「あうっ」

「これは私のよ。アンタにやるつもりはないわ」

「ちぇ。…ま、いっか」

 

まるでここが自分の家であるかのようにこたつに頬を乗せる妖怪は、被っていた帽子を外してクルクルと回して遊び始める。正直、かなり鬱陶しい。

 

「温まりたいなら余所に行きなさいよ」

「嫌。それに、わたしはここに用があって来たんだから」

「はぁ?ここに?」

「うん。見てみたいのがあってね」

「悪いけれど、ここは見世物じゃないのよ」

「見世物になるかも。ちょっと『禍』を見てみたいと思って来たんだ。ねぇ、見れる?」

 

その言葉で私はこの妖怪に対する警戒を一気に強める。不審な動きを見せたら札を投げ付けられるように。一度目は警告に、二度目は攻撃に。

 

「無理よ」

「そっか、残念。わたしさ、『禍』に興味があるんだ。人里の人間達に忌み嫌われた『禍』に。嫌なことが起きたら鼻で嗤う『禍』に。人を殺した『禍』に。第二次紅霧異変を引き起こした『禍』に。人の話はたくさん聞いた。けど、わたし自身が見たわけじゃないからね。一度見てみたかったんだよ。けど、無理ならしょうがないね。諦めるよ」

 

仮に幻香――いや、『禍』が封印されている場所を見せたところで、そう簡単に封印が解けるとも思っていない。けれど、おいそれと連れて行こうとも思わない。封印を解くには、まだ足りないのだから。…いや、足りている、か。

諦めると言ったにしてはあまり残念そうに見えない妖怪は、代わりにさ、と呟いた。

 

「貴女から見た『禍』を教えてよ。貴女にとって、いい人だった?悪い人だった?」

「…私から見た、『禍』…」

 

どうだった、と問われてもすぐには出てこない。多いとも少ないとも言える微妙な関係だった。偶然目の前に障害として現れた。人間達に襲われたのを静観した。友人のために異変解決に乗り出した。紫に連れていかれて異変を解決した。遅れて異変解決に乗り出し倒れていた。一人の殺しを行った。十万の殺しを行った。九人の殺しを行った。狂った思考から編み出されたいかれた結論を振りかざした異変を起こした。どうしようも出来ないから私は封印してしまった。

 

「…どちらとも言えないわね。けど、確かに一つ言えることがあるとすれば、アイツは鏡宮幻香で『禍』だ、ってことよ」

「何それ?」

「他のために自らが立ち上がる妖怪で、己のために周囲へ猛威を振るう妖怪。背反する歪な二面性。けれど、それがアイツ。鏡宮幻香であり、それでいて『禍』なのよ」

「ふぅん、そっか」

 

異様で異質で異常。奇異で奇抜で奇妙。曲がり捻じれて歪んでる。それが、私から見た鏡宮、幻香だ。その精神に宿るあまりにも一直線過ぎて逆に歪に見えるドロリとした漆黒の意思は、私には到底理解し得ないものだろう。そして、決して理解してはいけないものなのだろう。

 

「けど、何だか貴女は後悔してるように見えるね」

 

会って間もない妖怪に突然そう言われ、息が止まる。コイツは、いきなり、何を、言って、いるの…?

 

「心の読めないわたしでもすぐに分かるくらい、『禍』のことを話す貴女の顔は後悔で一杯。もしかしてさ、『禍』に対して何かあったの?」

「…そうね。私は彼女を封印したことを後悔している。それの何が悪いの?」

「さぁ?知らないよ、そんなの。貴女にわたしの苦労が全然伝わらないように、わたしには貴女の後悔なんてこれっぽっちも分からない」

 

底なしの穴のように何も映さない瞳が、私を貫く。

 

「吐き出せよ、本音を」

「平和的に解決出来るならしたかった」

「晒し出せよ、本性を」

「お互い傷付かずに済むならそれがよかった」

「紡ぎ出せよ、言葉を」

「封印なんてしたくなかった」

「吐かなきゃ伝わらない。晒さないと見えない。紡がないと届かない」

「人間と妖怪の何が違うの?容姿?精神?種族?能力?才能?寿命?そんなの、違って当たり前。なのに勝手にいがみ合って、それを私が正す。ふざけないで。容姿なんてただの身。精神なんてただの心。種族なんてただの枠。能力なんてただの技。才能なんてただの種。寿命なんてただの時。そんな程度のものが違うからって一体何をしたいの?私は人間も妖怪も関係ない。手を伸ばせば繋がる。お互いに笑い合える。同じ酒を呑める。そんな夢を抱いて、何が悪いの?」

 

私の夢見る理想郷。博麗の巫女として、それは叶うことのないことであることは知っている。けれど、だから諦めろだなんて、私は嫌だ。それが甘いと言われようとも、これが甘さとなるとしても、私はこれだけは譲れない。

けれど、これを覆さなければいけない局面が訪れてしまった。負の遺産を遺さないために、たった一度の殺しをするために、この理想郷を捨てねばならないときが。けれど、私にはどうしても捨てられない。

 

「いいねぇー…。凄くいいよ。とっても綺麗だね。確かに少しくらいなら出来そうだよ」

 

妖怪はそう言うと、帽子を被りながらこたつから飛び出した。

 

「けど、そんな理想は幻想だよ。夢は見るもので叶えるものじゃない。人の心は何処までも汚くて、妖怪の心は何処までも黒い。手を伸ばせば握り潰されて、お互いに嘲笑して、同じ酒を奪い合う。善意だけの存在なんて、いないんだよ」

 

そして、気付いたら目の前から消えていた。幻のようにいなくなった。

こたつで温まりつつ、温くなったお茶を一口飲み、饅頭を頬張る。お茶の苦みでより一層甘く感じるはずなのに、今日に限っては何故か苦みのほうが強く感じる。外に目を向けようとしたけれど、また雪掻きしなくてはならない積雪を見る気分になれず、その代わりに半分ほど残った湯呑を覗く。波打つ緑色に濁った水面には、少しやつれた私が写っていた。久し振りの雪掻きで疲れたのだろうか?

…こういう時は、一度寝てしまうに限る。たまには昼寝をしても罰は当たらないでしょう。残ったお茶と饅頭を腹の中に収めてから、こたつの中に体を入れる。雪の降る外とは隔絶されたこたつの中はとても温かく、自然と瞼が落ちていく。

とてもいい夢が見れそうね。

 


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