「…誰もいないね」
左右、背後を確認し、小さく呟く。そっと扉に目を向けて手を伸ばすと、そこにはこいしがいた。…い、いつの間に…。
「何処行くの?」
「…旧都に」
「そっか!わたしも行こうと思ってたんだー」
「…それでは、途中まで一緒に行きましょうか」
流石に目的地は違うだろうし。そう思いながら扉に手をかけ、外へ出る。冷たい空気がわたしの頬に刺さるけれど、今日はちゃんと手袋をしてきたから前よりも少しだけ楽だ。
フワリと浮かび上がり、地霊殿の庭を抜ける。雪が降っているわけではないけれど、既に降り積もっている雪が解ける気配は未だになさそうだ。
「ねぇ、幻香はもう聞いた?」
「何をです?」
「スぺ…じゃなくて、弾幕遊戯の話!」
「たしか一昨日あたりに聞かされましたよ。なんか大事になっちゃいましたね」
二人で遊ぶ約束が、気付けば旧都で魅せることに。わたしが籠っている間にさとりさんの中で何があったというのだ。
「そうだねぇ…。お姉ちゃんったらいつの間にか旧都の新しい娯楽にしよう、だなんて言い出しちゃうし」
「らしいですね。大丈夫でしょうか?」
「さぁね。けど、大丈夫じゃない?」
「ならいいんですけど」
旧都の人気のないところに降り立ち、ザクザクと音を立てて歩き出す。少し進んで人気のある所に出ると、すぐに不特定多数の視線がわたしの顔に突き刺さる。この前と比べればマシと思えるけれど、やっぱり剥き出しの殺意がチラホラと混じっている。まあ、そんなことをいちいち気にしたら面倒なので、基本は無視することにする。近付いたらちょっと警戒して、仕掛けてくれば迎撃するくらいでいい。
「こいしはさとりさんにどんな風に頼まれたんですか?」
「わたし?んー、幻香との遊びの約束を利用させて、みたいなこと言われた。わたしは遊べればそれでいいからすぐにいいよ、って言ったの。そう言う幻香は?」
「広告塔になってほしい、と。スペルカードルールとの差異も一緒に教えてもらって、ちょっとどうしようかと悩んでるところですよ」
「何で?」
「わたしのスペルカードの多くが禁止されたから。だから、ちょっと新しいの考えないといけないなぁ、って」
「あー…、そう言われてみればそうだね。複製『巨木の鉄槌』なんて禁止技一直線だもん」
「とは言っても、わたしにそんな美しい魅せる弾幕を作れって言われても困っちゃうんですよねぇ…。弾幕を張れ、って言われるとさ、まず最短で被弾させるかを思い浮かべて、次にいかに妨害するかが思い浮かぶ。魅せるなんて二の次どころか十の次ですよ」
「じゃあ、幻香は切札と被弾数は三がいいの?」
「今のところは。それまでに思い付いて、試し撃ちして、使えそうなら増やしても大丈夫なんですけどね」
形だけ考えて、何の練習もせずにスペルカードを使うのはよくやったことだけど、人に見せることを目的とするなら、そんなことはしないほうがいいだろう。失敗して恥をかくのはわたしだけじゃないのだ。
小さく白いため息を吐き、何となく上を見上げる。相変わらず土の天井に覆われていた。
「ところで、こいしは何処に用があったんですか?」
「何か美味しいものでも食べようかなぁ、って思ってきたの。幻香も一緒に食べる?」
「あー…、止めときます。ちょっと長い時間を取りそうなので」
「あらら、残念。一緒に食べれたらもっと美味しいと思うんだけどなぁ」
「それは弾幕遊戯の後に取っておきましょうか」
「そっかー…。うん、そうだね!」
一仕事終えた後は、きっと普段よりさらに美味しく感じるだろう。きっと。食べる必要がないことを気にするのは、今回は野暮なことだ。
「それじゃあさ、幻香は何処に用があるの?」
「ちょっと勇儀さんを探してるんです。話したいことがあるので」
「探すのは簡単だと思うよ?いそうな場所を巡れば会えるから」
「…そのいそうな場所が分からないから、虱潰しに探そうと思ってるんですけど」
「お酒呑めるところに行けばいいよ。後は、地上へ続く穴の前に橋があるでしょ?あそこにたまーにいるかな」
「その橋って、確か水橋パルスィって妖怪がいる橋ですよね?あの妬ましい妬ましいって言ってる」
「そうそう。パルスィはあそこによくいるんだよねぇ」
ふぅむ。お酒が呑める場所か、あの橋ね。お酒が呑める店がどこに建っているは知らないけれど、探していれば見つかるだろう。
周りを見渡し、お酒が呑めそうなお店を探していると、隣を歩いていたこいしからあ、という声が零れた。周りからこいしに目を移すと、ある一つのお店に目を奪われている。…激辛ですと…?
「わたしこのお店で食べよ!それじゃあまたね!幻香!」
「…それでは、こいし。また今度」
こいしはきっと辛味好きなんだろう。それとも、冬だからだろうか…。弾幕遊戯後でわたしもああいうものを食べることになるのだろうか…。そもそも食べることが出来るのか、ちょっと不安になってきた。
さて、一人になったところで改めて周りを見渡す。この辺りにはお酒が呑めるお店はなさそうかな。
「あ」
「ん?貴女は確か…、黒谷ヤマメだったかな?」
それなら別の場所を、と思っていたら、見覚えのある妖怪と目が合った。あの地上と地底を繋ぐ穴にいた土蜘蛛さん。こいし曰く、黒谷ヤマメという妖怪だそうで、『病気を操る程度の能力』を持つそうだ。力持ちで旧都の建築を担うこともあるとか。肩に担いでいる大きな木材は、きっと何処かの建材なのだろう。
「それでは、頑張ってください」
「ちょっと待ちな」
わたしとしては特に用はないし、あの時わたしが燃やしたことで何か言われるのではと思ってすぐさまここを去ろうと思ったのに、彼女から伸びた蜘蛛の糸がわたしの頬に引っ付いて離れない。
「…何ですか?」
「ちょっと顔貸しなよ。本当、ちょっとでいいからね?」
「…あー、ちょっとですね。分かりましたよ」
そう返事をすると、グイと蜘蛛の糸を引っ張られる。歩き辛いなぁ、と思いながら付いていくと、ヤマメさんが唐突に口を開いた。
「あんたが私を焼いたこと。許すつもりはないけれど、いつまでもへばり付くつもりはないから」
「…すみません。そう言ってくれると助かります」
「いつまでここにいるつもりかは知らないけれど、それまでは少しくらい仲良くしようね」
「そう、ですか。仲良く…」
急にそう言われても、どうすればいいのか困ってしまう。とりあえず笑っておいたけれど、間違っていないだろうか…。
それ以降はだんまりと蜘蛛の糸で頬を引っ張られること数分。何処かと思えば、建築中の家がある場所に連れてこられた。到着するとすぐに蜘蛛の糸を思い切り引っ張られ、べリリと剥がされる。…ちょっと痛かった。
「それで、わたしに何の用ですか?」
「用があるのは私じゃないよ。今日はここの手伝いするはずだから、ここにいるはずなんだけど」
「…?誰ですか、それ?」
「勇儀さんだよ。この前あんたを探してる、って言ってたの思い出したからね」
あれま、わたしが勇儀さんを探していたと思ったら、勇儀さんもわたしを探していたとは。
そう思って軽く目を見開いていると、急に背中をバシンと叩かれた。滅茶苦茶痛い。思わず振り返ると、そこには十数本の木材を片腕で担いでいた勇儀さんがいた。
「よう、幻香さんよ。最近、ようやく旧都に出るようになったらしいじゃないか」
「久し振りですね、勇儀さん。生きる気になったので、わたしは貴女に話したいことがあるんです」
「そうかい。それじゃあさっさとこの家を建てないとな。よし、ヤマメ。続きやるぞ」
「そうですか。それじゃ、わたしは少し待ってますね」
「よく分からないけど、早く終わらせた方がよさそうだね。私も頑張りますかな」