さとりさんが執筆をしているのを眺め、わたしは本を閉じる。…うん、なかなか面白かった。突然来訪した主人公がその国の難事をまるで答えでも知っているかのように余裕綽々で瞬く間に解決しては颯爽と去っていくを繰り返す冒険譚。いやー、凄いなぁ。
読み終わった本棚に仕舞ってから一枚の丸い銅板を取り出し、片面に爪で小さな引っ掻き傷を付けてから銅板を上に弾く。そして、クルクルと回りながら落ちてくる銅板を途中で掴み取った。
「表と裏、どっちだと思いますか?」
「…どちらが表か決めてください」
「じゃあ、傷付けた方が表で」
「それなら裏にしましょう」
握っていた手を開くと、傷一つない面が見えた。つまり裏だ。
「当たりですよ。景品は何がいいですか?」
「貴女の意見が欲しいです。具体的には、先日こいしが提案した弾幕遊戯の規則の改変について」
「自分で考えろ」
即答した。わたしの意見が混じった提案を、どうしてわたし自身で考えなくちゃいけない。
銅板を人差し指の爪の上でクルクルと回して遊びつつ、旧都へと遊びに出掛けたこいしのことを思う。どうやら新たな味を求めているらしく、いいものを見つけたら一緒に食べようと誘われた。…奇天烈な料理でないことを願う。
「実際にやった貴女だから訊いているんです」
「いい感じに変わってくれるなら嬉しいけど、下手に変わるくらいならそのままがいいです」
「そうですか。では、慎重に考えることにしましょう」
わたしと話している間、さとりさんはずっと執筆を続けていた。しかし、わたしがあの本を読み始めたところからほとんど進んでいないようである。物語を書くのって、やっぱり難しいのかな?やったことないから分からないけど。
「いくつか訊きたいことがあるんですが、構いませんか?」
「…ふぅ、構いませんよ。少し行き詰っていますし」
そう言うと、さとりさんはゆっくりと顔を上げた。改めてその顔を見てみると、少しばかり疲れている様子。何かあったのだろうか?
「それでは一つ。さとりさんは弾幕遊戯をしないんですか?実際にやれば考える際に参考になるでしょう」
「…あれは旧都の新しい娯楽ですから」
つまり、やるつもりはないのか。基本地霊殿にずっといるさとりさんにとって、旧都の娯楽なんて所詮外側のことなのだ。
「それに、彼女達と違って私はあまり動けませんから」
「そうだったんですか」
そう言われると、さとりさんが機敏の動く姿を想像出来ないわたしがいる。内容によっては、そこまで動く必要はないんだけどなぁ。…ま、動くときは動くけども。
けど、さとりさんが弾幕遊戯をすればかなり強いと思うんだけどね。相手がどういう弾幕を放つか先読みして回避出来るから。個人的にはどのような切札を使うのか気になっていたから、少しばかり残念だ。
「二つ目。前にこいしが言っていたんですが、地霊殿はもう使用されていない灼熱地獄の上にあるそうですね」
「…そうですね。そこの管理のほとんどは既に私のペット達に任せていますが」
「霊烏路空という妖怪がそこにいる、と聞いたんですが、いつか会えますかね?」
「…どうかしら。彼女は最も重要な灼熱地獄跡内部の管理でほとんど出て来ませんし、それにどうやら私のことを嫌っているようですから」
「へぇ、貴女を嫌うペットがいるんですか」
「程度に差はあれど、多少はいますよ。そこまで不思議なことでもないでしょう?」
「不思議でなくても意外ですよ」
わたしが会ったペット達は、さとりさんのことをさとり様と呼んでいるくらいには慕っているようだったから。それとも、心の中では違うのだろうか。
「言っていることとやっていることと思っていることが食い違うことは、よくあることですよ。誰しも隠し事の一つや二つはありますから」
「わたしの隠し事、何かありますか?」
試しに訊いてみる。当然、わたしにだっていくつもある。今隠し事を考えたことで頭を過ぎった内容、いつの日かに読んでいながら言わずに仕舞っている内容などがあるだろう。けれど、わたしはさとりさんのことを詳しく知ってから少し考えた時点で、隠し事をすることは切り捨てた。どうせ読まれるからする意味がないし、わたしはここに住まわせてもらっている身なのでする必要もない。…ま、どうしてもその場限りで隠そうと思ったときは別だけど。
「…昨日、また人差し指を回転させたみたいですね」
「しました。一度経験してるからか、前より簡単に出来ましたよ」
「私はやらないほうがいいと言った覚えがあるのですが。…いえ、貴女にそう言っても止める気はないのでしたね」
「そういうこと。心配してくれるのは嬉しいけれど、止める気はないかな」
そう言い切ると、盛大にため息を吐かれてしまった。悪いとは思っているけれど、可能性を潰す気にはなれないんです。八雲紫が求めていただろう、ドッペルゲンガーの持つ成り変わりの能力。流石に全身を変えるまではいかないけれど、多少は使いこなせるようになっておきたい。
「…拳を巨大化したり、腕を剣にしたり、脚を槍にしたり、身体を液状化したり、ですか。全く、貴女という方は…」
「勇儀さんに言われた不定形も、あながち間違いじゃなかったかもしれないですね」
「…気を付けてください。貴女は生きてほしいんですから」
「善処します」
言われなくても死ぬつもりはない。ただ、死んでも別に構わないと思っているだけ。
…話が逸れた。元の場所に戻そう。これまで訊いてきた問いの中でも、最後のこれが最も訊きたかったことなのだから。
「三つ目。わたしを弾幕遊戯の広告塔にした理由を教えてください」
「…それは、貴女が適任だと考えたからです」
「本当にそれだけですか?」
さとりさんが言う通り、弾幕遊戯の広告塔として適任であることは分かる。弾幕遊戯の原型であるスペルカード戦の経験者なのだから。けれど、わたしがああして出ることの利点と欠点は、どちらかというと欠点に傾くと思う。さとりさんだって、そのくらい分かっていたはずだ。
わたしは追及してから少し待つと、さとりさんはようやく閉じていた口を開いてくれた。
「…貴女のためです」
「わたしの?」
小さく呟くように言われたその答えに、思わず首を傾げてしまう。そこで何故わたしが?
「旧都での貴女の立ち位置を作るため、と言えば分かりますか?」
「…いや、ちょっと待ってくださいよ。旧都に新しい娯楽を出した理由がそんなものでいいんですかさとりさん?」
「無論、以前貴女に伝えた理由、新たな序列の形成が主です。ただ、その序列に貴女を入れることも求めていたというだけですから」
驚いた。まさかそんなことを考えていたなんて。
「幻香さん。貴女が旧都を居づらいと思っていることは知っています。その気持ちの緩和になれば、と思ったのですよ。貴女が地上の妖怪だとしても、ここは地底ですから」
「…そうだったんですか。ありがとうございます」
「気にすることではありませんよ。貴女が旧都で爪弾きにされないように、私が勝手にやろうとしていることなのですから」
そう言われて、わたしは二つの場所が頭を過ぎる。一つは人間の里。もう一つは月の都。両方とも、わたしの存在そのものが大いに嫌われた場所。
「…以上です」
「そうですか。いい息抜きになりましたよ」
さとりさんは執筆に戻って再び紙束に視線を移し、滞りがちだった筆も動き出している。
わたしは僅かに緩みかけた頬を正しつつ新たな本を手に取り、今度はどんな話が書かれているんだろうか、と思いながら表紙を捲った。