旧都には賭博場がいくつもあり、ここの賭博場に入るはこれが初めてだ。扉をゆっくりと開き、受付をしていた妖怪に軽く会釈をしてから中へ入っていく。さて、どんな賭博をやっているのかなぁ、と少し楽しみに思いながら周りを見回す。…あ、いくつか見覚えのあるものがある。
「じゃ、どれをやろうかなぁ…――あれ?」
そんなことを考えていたら、気付いたら一人になっていた。勇儀さんは後ろの壁に背を預けて酒を呑み始めているからいいとして、横に一緒にいたはずのこいしは…?
「くはーっ!負けたーっ!」
「こいし様は元気だなぁ。どうだ?もう一回やるかい?」
「やるやる!」
…既にやってた。ま、今回はあれでいいかな。手軽に出来そうだし。
こいしの隣がちょうど空いていたから、そこに腰を下ろす。正面に座っている親の妖怪がギョッと目を見開いたけれど、まぁ些細なことだ。わたしが座ると親の妖怪の大体半分はこんな反応をする。これまでの賭博の結果が伝わってしまっているのだろう。
「さて、ここはどんなことをするんですか?」
「…あ、あぁ。ここはな、俺がこれを握った拳を当てる賭博だ」
そう言うと、親は右手を開いて黒い球を見せた。大きさは大豆くらい。なるほど、基本は二分の一か。
「賭け金は十。最初は一だが、当たれば倍になる。それを外れるまで続けてもいい。だが、外れたら零だ。分かりやすいだろ?」
「ええ、とても」
「さ、やるなら払いな」
「はい、どうぞ」
丸い銅板を親の前に弾き、横に座っているこいしの様子を伺う。
「やったー!当たったー!じゃ、ここで一回区切るね!」
「ここで止めるのか?もったいねぇなぁ。ほら、三十二だ」
ふむ、一、二、四、八、十六、三十二だから六連続で当てたのかな。最初に支払うのは十だから、儲けは二十六。…これ、五連続で当てないと損するってことだよね?
「ほら、選びな」
前にいる親に促され、わたしに突き出された二つの握り拳を眺める。そして、わたしは右手を指差した。
「右で」
「…当たりだ。続けるか?」
「わたしが止めると言わなければ続けてください」
「そうかい。…ほら、選びな」
パン、と乾いた音を立てて黒い球を挟んで手を合わせ、再び握ってわたしに突き出した。
「あ、幻香もやってる。どう?」
「今、二回目の挑戦ですよ。…右で」
「…当たりだ」
「おー、当たった当たった!じゃあわたしも右で!」
「残念、外れだよ」
「あっちゃー!」
こいしの親が右手を開いて何もないことを見せてから両手を背に戻した。こいしは両手で頭を押さえて悔しがっているけれど、めげずにもう一度始めるつもりらしい。多少負けても気にならないくらいお金を持っているみたいだし、わたしはわたしで続けますかな。
「ほら、選びな」
「左」
「…当たりだ。…ほら、選びな」
「右」
「…当たりだ。…ほら、選びな」
「右」
「…当たりだ」
これで五連続の十六。ここで止めれば六だけ儲けることが出来るけれど、それじゃつまらないよね。行けるところまで行きましょうか。
「ほら、選びな」
「今何回目ー?」
「六回目ですよ、こいし。そっちはどうですか?」
「三回目ー。けど、さっきから負けっぱなしだよ。しょんぼり」
「わっはっはっ。そう肩を落とさないでくださいよ、こいし様。今度こそ当たりますって」
「そう?んー…。幻香分かる?」
「…あー、左手かなぁ?…あ、右で」
こいしの親の両手を軽く見てから答えた。ついでに、自分の親のほうも答えておく。こいしの親はこいしに目配せで確認し、こいしが頷いたことで左手を開き、わたしの親も右手を開いた。
「当たりだぞ。よかったなぁ、こいし様」
「…当たりだ」
「やったー!ありがと、幻香!」
「次からは自分でやってくださいよ?」
「分かったー」
こいしがわたしから親に体の向きを直したので、わたしも親の手をボーッと眺める。パン、と乾いた音を立て、二つの拳が突き出される。
「ほら、選びな」
「左」
「…当たりだ。…ほら、選びな」
「左」
「…あ、当たりだ。…ほら、選びな」
「右」
「……当たり、だ」
これで九連続、と。ここで引けば二百五十六貰えるわけだ。んー、あと二回当てると千二十四、つまり千を超えちゃうんだよなぁ…。こいし曰く、千を超えることは滅多にないらしいから、次で止めておこうかな。親の顔色もどことなく悪くなってるし。
「幻香!今何連勝!?」
「九連勝。次で止めようかと思ってます」
「何で?もっと――あー、うん。そっか。そうだね」
こいしは自分で言ったことを思い出したようで、納得してくれたようだ。
すると突然、バン、と今までより数段激しい音を立てて手を叩く音が聞こえてきた。そして、素早く両手を固く握り込み、わたしをゆっくりと出してきた。
「…ほら、選びな」
…随分気合入ってたなぁ、と思いながら親の両拳を眺める。…ん?
「こいし」
「左!…何、幻香?」
「これ、どっちにあると思いますか?」
わたしの前にある両拳を指差してそう言った。こいしは目をパチクリさせ、一瞬何訊いてるんだみたいな顔をしてから、えーっ!と短く叫んだ。
「ここでわたしに訊く!?」
「さっき一回やったんですから、おあいこで」
「む。…じゃあ右で!」
「はい、分かりました」
こいしが右だと言うのなら、右にあるのだ。
わたしは親の右拳を包み込むように握り込んだ。決して開かせないように、硬く。これまでとは全く異なる行動をしたわたしに驚いたのか、目を軽く見開きながらわたしの手を振り払おうとする。けれど、その程度じゃあ振り払えないよ。そこまでやわなつもりはない。
「…な、何だよ」
「右に入ってるんだ。だから、左を開けて何もないことを見せてよ」
そう言うと、親は苦虫を数匹噛み潰したような顔を浮かべた。けれど、左手を開こうとしない。…はぁ、往生際が悪い。いい加減諦めてほしいんだけどなぁ…。
しょうがないのでそっと顔を近付けていき、耳元で他の誰にも聞こえないくらい小さな声で囁く。後ろから突き刺さる視線を感じるから、囁く内容も気を付けないと。
「十秒あげる。開かないならその両手を無理矢理抉じ開ける」
「っ!…あ、当たりだっ!」
絞り出すような声とともに左手を開き、中に何もないことをようやく見せてくれた。そして、慌てて押し付けられた五百十二を受け取ってから腰を少し上げた。
「次があったら、もう少し楽しませてくださいね。――こいし、もう行きましょう?」
「え?もう行くの?まだ続いてるのに…」
「それ左にあるからお金貰って出て行きますよ」
「えー、もう行っちゃうのー?…って!本当に左だし!」
そりゃそうだ。もう二度とあんな暗器を喰らわないために、握り拳の中身の有無を判別出来るように訓練したのだから。
親だった妖怪を通り抜けた向こう側を眺めながら軽く手を振って扉へと向かい、受付をしている妖怪に楽しめたからそのお礼、と言って四角い銀板五枚を押し付けて出て行く。これで儲けは僅か二しかなくなったわけだけど、特に気にすることではない。
「ちょっとー!待ってよー!」
「ん、こいしは楽しめましたか?」
「楽しかったけど、幻香は?」
「ええ、わたしも楽しめましたよ」
そう言って微笑み合っていると、後ろから肩をガッチリ掴まれた。誰かなんて振り返らなくても分かる。勇儀さんだ。
「…で、あんたは何をしでかしたんだ?」
「手を開かないからいい加減開いてほしい、ってお願いしただけですよ。ええ、それだけです」
決して手を叩いた際に黒い球を上へ弾き出して自分の後ろに落としてなんかいないし、それによってその両拳の中身が両方とも空っぽだったなんてことはないのだ。イカサマ?そんなのありませんでしたよ。わたしも彼もやっていないと言えばやっていないのだ。…そういうことになるのだ。え?これは虚偽で嘘だって?もしそれで勇儀さんが怒るとしたら、その対象はわたしではなく彼でなければならない。何故なら、わたしは嘘は言っていないのだから。それに何より、わたしは被害者なのだから。
そんなことは一切表に出さず、勇儀さんに軽く微笑む。すると、彼女は青汁でも口にしたような微妙な顔になり、パッと肩から手を離してくれた。
「はぁ…。これ以上あんたと一緒にいると余計に疲れそうだ。私はここらへんで帰ることにするよ」
「そっかー。じゃあねー、勇儀ー!」
「ふふっ。勇儀さん、またいつか」
「じゃあな、こいしちゃん。…次会うときに潰し合いじゃないことを願ってるからな、幻香」
二本目の酒瓶を一気呑みしながら手を振って遠ざかる背が人混みに紛れるまで見送った。