東方幻影人   作:藍薔薇

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第333話

地霊殿の屋根の一角に積もった雪を創った板で押し潰し、その上に腰を下ろす。吹雪が収まっても雪は降り続けたが、それもようやく止んだようなので久し振りに外に出た。空気が肌を突き刺すほど冷たく、一息吸えば体の芯まで冷え込みそうだ。けれど、それも悪くないと思えるから不思議だ。…まぁ、悪くないと思っても寒いものは寒いので、木材と緋々色金の魔法陣を複製して焚き火を隣に置いておく。

『幻』を二百個展開し、少しざわつくような不快感を覚えながら旧都を眺める。…あ、お燐さんが誰かと話してる。この距離じゃあ流石に聞こえないけど。残念ながら、わたしの耳はあんな超長距離の音を聞けるほどよくはない。

 

「あ、そうだ」

 

ふと、思い付いたことをやってみることにする。焚き火じゃ少し物足りないからもっと温かくしたいかなぁ、という至極どうでもいいことを。

鉄原子を頭に思い浮かべ、それを激しく振動させる。原子が激しく振動していると、温度が上がる。これを熱運動と言うそうな。これは空気などの原子にも振動を伝えていく。つまり、激しく振動させて融解した鉄を創造すれば、一気に熱を放出してくれるはずだ。まぁ、絶対零度が出来たんだし、こっちも出来るでしょ。

伸ばした指先から少し離れた場所に白く発光するものが創り出される。思わず目を細めているうちに、融けた鉄は重力に従って板の上に落ちた。ジュゥ…、と焦げる音と嫌な香り、ちょっとした熱風を感じた。そのまま放っておくと次第に光が収まっていき、よく見る鉄の鈍い輝きが顔を出す。

 

「おぉ…、温かい…」

 

鉄に手をかざすと、まだほんのり温かい。スッと手を伸ばして触れてみると滅茶苦茶熱くてすぐに手を放した。分かっていたけれど、何故だか手を伸ばしたくなるものだ。

すっかり冷めた鉄を回収し、ホッと一息吐く。天井を見上げ、地上のことを少し考えた。わたしは、本当に地上に戻りたいのか。戻りたい。わたしは、本当に地底に留まりたいのか。留まりたい。…どっちだよ、わたし。

 

「…あーあ、どうしよっかねぇ…」

 

無理に選ぼうと思えば、わたしは選ぶことが出来るのだろう。理由や根拠はないけれど、わたしにはそれが出来るという確信がある。簡単だ。理由も言い訳も誤魔化しも何もかも切り捨てて、片方を切り捨てればいいのだから。…けれど、それは後悔しかない選択だ。それじゃあ駄目なんだよ。

薪を回収し、燃料が無くなったことで焚き火も一緒に消える。『幻』も回収し、自分の部屋に戻ろうかと立ち上がった。

 

「痛ッ!?」

 

その瞬間、後ろ髪が何かに思い切り引っ張られて足を滑られてしまった。けれど、背中から落ちたにしては衝撃が全然ない。

 

「ちょっとー、急に立たないでよ。危ないじゃん」

「…何してたんですか、こいし?」

 

…どうやら、倒れたわたしをこいしが受け止めてくれたらしい。ただし、髪の毛を引っ張ったのもこいしらしいけど。

 

「いやー、幻香って髪の毛長くて綺麗だからちょっと編み込んでみたくなって」

「編み込むぅ?わたしの髪で遊ぶくらいなら、毛糸玉で遊んだほうが有意義だと思いますよ。それに、自分の髪があるじゃないですか」

「お燐じゃないんだから。それに、こんなに伸ばしててほったらかしなんてもったいないじゃん」

「そういうものですかねぇ?そもそも、わたしの容姿なんて――ん?」

 

あ、そうだ。

 

「ねぇ、こいし」

「なぁに、幻香?」

 

 

 

 

 

 

一仕事終え、長時間握りっぱなしだった筆をようやく手放すことが出来た。凝り固まった体を大きく伸ばし、かなり前にペットが淹れてくれたお茶に口をつける。

そんなとき、コンコンと扉が叩かれた。少し口に含んだすっかり冷めてしまったお茶を喉に通し、一息吐いてから私は扉に目を向けて口を開いた。

 

「どうぞ」

 

すると、すぐに扉が限界まで開け放たれた。そして、私は手に持っていた湯呑を落とした。まだ残っていたお茶が書き終えた紙の上に思い切りぶちまけられて黒く滲んだけれど、そんなことは全く気にならなかった。…否、気に出来なかった。

 

「やっほー、お姉ちゃん!」

「寒いねー、お姉ちゃん!」

「わたしはこいし!」

「わたしもこいし!」

「えー、本当!?」

「すっごーい!?」

「貴女の苗字は?わたしは古明地!」

「貴方も古明地?わたしも古明地!」

「「きゃーっ!わたし達古明地こいし!」」

 

…私の妹が、二人いる…。え、一体何が起こっているの?貴女は自分がもう一人いて、どうしてそんな風にいつも通りでいられるのよ。そんな風に笑い合いながら抱き合っていないで、お願いだから私に分かりやすく説明してこいし。

…ハッ。落ち着いて、私。幻香さんがいるから、見た目が同じでも特に気にしていないのでしょう。そうよ、きっとそう。

それにしても、容姿が同じで、名前まで同じで、なおかつ心が読めないところまで同じだと、それは最早完全同一存在…。

 

「ん?」

 

そこまで思い、もしやと思い当たることがあった。けれど、それを問うたところで、彼女は答えることが出来るのだろうか?そもそも、それは合っているのだろうか?…いえ、とりあえず訊くだけ訊いてみましょう。

 

「…ねぇ、…えっと、こ、こいし」

「「なぁに、お姉ちゃん?」」

「どっちが、幻香さんなの?」

 

そう訊くが、二人のこいしはそれぞれ首を傾げるだけ。頭の上に疑問符でも浮かんでいそうな顔だ。

 

「わたしはこいしだよ?」

「わたしもこいしだよ?」

「「わたしこいし、合わせて湯治屋!」」

 

などと相変わらず意味の分からないことを言いながら、二人は両手を合わせてクルクルと踊り始めた。楽しそうでなによりだけど、今はそうじゃない。

 

「答えて、こいし。…いいえ、幻香さん」

 

絞り出すようにそう言うと、こいしの踊りはピタリと止まった。そして、すぐに顔を近付けてボソボソと内緒話をし始める。何を話しているのかは、この位置からでは分からなかった。

話し終えた二人のこいしは、わたしに顔を向けた。右にいるこいしは無邪気に笑い、左にいるこいしは呆れた顔を浮かべている。

 

「こっちが幻香」

「わたしが幻香」

 

呆れた顔を浮かべていたこいし、…否、幻香さんは両手を軽く上げながら白状した。

 

「…まったく、貴女は何をしているんですか…?」

「わたしをちょうだい、って言われたからあげちゃった!」

「ドッペルゲンガーの能力を使ってみたくなっちゃって」

 

呆れた。心底呆れた。あれだけ嫌がっていた成り代わりの能力を、まさか自分から使おうと思うだなんて。…いや、既に一度使っていたか。

 

「あー、何だか喋りにくいよこいし。思ったこと思う前に喋ってる感じする」

「そう?楽しいからいいじゃん!」

「そうだね!…って違うっ!」

 

幻香さんは両手で頭を押さえながら崩れ落ち、こいしは楽しそうに笑っている。よく分からないけれど、幻香さんは何やら苦労しているようだ。

 

「え?うん、いいよ。分かった、さよならー」

「え、もうお別れ?」

「そうみたい、わたし。じゃあねー!」

「またねー!」

 

幻香さんの口から、突然脈絡もない言葉が零れた。そして、そのまま体が変形していくのを終始見ることになった。色が少しずつ変わり、体形が少しずつ元に戻っていく様を、まざまざと見せつけられる。

そして、気付けばそこにはいつもの幻香さんがいた。ようやく心の声が聞こえてきて、私は少しだけ安心する。

 

「…あぁー、楽だけど疲れますよ。これは」

「幻香、何言ってるの?」

 

無意識を無意識のまま無意識に操るこいしは、考えに考えを重ねて行動する幻香さんにとってほぼ真逆のようだ。それがかなり違和感だったらしい。…まぁ、その程度の違和感なら飲み込めるのが幻香さんの強くて、それで弱いところなのだろう。

さて、幻香さんには釘を刺しておくことにしよう。

 


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