「やっと着いたー!ここの何処かにお姉さんがいるんだよね?」
「今は、…んー、何処なのかしら?石造りの壁。本棚。皮椅子。妖獣数名が何か編んでるわね…。…えぇと、これは誰かしら?たまに写ってるんだけど」
「ちょいと貸せ。見たほうが早い」
はたてが眺めていた二つ折りの機械を奪い取り、それに写されたものを見る。中心には程よい緊張を纏っているように見える純白の少女が椅子に座っている。その奥に写っている妖怪の姿は紫色の髪の毛と紫色の瞳、そして一際目に付くのは第三の眼。…この念写で幻香がいる場所を特定した。
「さとり、か…。つまり、幻香は地霊殿に入るっぽいな…」
「地霊殿、ですか…。もしかして、あの大きな建物の事でしょうか?」
「あぁ。…ま、この念写が何時のか知らねぇけどな」
「ついさっきよ。分かったならさっさと返してよね!」
言われた通り二つ折りの機械を持ち主に投げ返し、旧都の奥に立っている地霊殿を見遣る。
それにしても、地霊殿かぁ…。正直な話、私は地霊殿の主であるさとりの事があまり好きではない。勝手に人の心から言いたくないこと知られたくないことを読んで訳知り顔を浮かべているのは何だか癪に障るし、そう考えていることを読んでやりづらい顔をするのは癇に障る。変わることを恐れている節があるのも気に食わない。それに何より動き始めるのが相当遅い。挙句の果てには引き籠るし…。…止めだ。これ以上はよそう。
そこでちょうどコツンと頭を軽く小突かれた。誰かと思って見てみれば、妹紅が私の顔を見て軽く笑いながら口を開いた。
「何変な顔してんだ。…それより、ありゃ誰だ?さっきからジットリ睨まれて落ち着かないんだが」
「あん?…あぁ、ありゃ水橋パルスィだな。橋姫、嫉妬姫。一応あそこで橋を守ってる奴」
「ふぅん…。それじゃあ、倒してもいい感じ?」
軽く説明してやると、片手で顎を擦るフランはもう片方の手をピッと真横に振るいながらそう言った。私はそれでもいいな、と考えていたが、大妖精は冷静にフランの言葉を否定した。
「私達は襲撃しに来たわけではないのですし、止めておいた方がいいと思いますよ」
「確かにそうだな。ま、売られりゃ買うつもりだが」
そう言いながら妹紅は右手を軽く握る。フランはというと、文句の一つもなく納得したようだ。…ま、そもそもあいつはそういう喧嘩を売るような奴じゃないけどな。
「話はこのくらいでいいか?…それじゃ、もう行くぞ」
「おう」
「分かった」
「はい」
「あーい」
ただ一人念写に夢中で生返事だった奴がいたので、こいつの身に危険が及んだとしても深刻でなければ助けないことを視野に入れ始めた。
パルスィの嫌な視線を感じながら歩いて進み、旧都の入り口である橋に足を掛ける。その瞬間、私の心中で僅かな嫉妬心が蠢くのを感じた。…が、ちょいと気を引き締めてすぐさま呑み下す。わざわざ術中に嵌る必要はない。
「よぉ、久し振りだな」
「あら、相変わらず嫉妬も呑み込む広い心をお持ちで。今日は新しいお友達と旅行気分かしら?それとも里帰りのつもり?…ハッ、見せ付けてくれるじゃない。どの面下げて帰ってきたのかしら。妬ましい」
「里帰り、と言われればそうかもな。とりあえず通らせてもらうぞ」
「勝手にしなさい。貴女は私がどうこう出来る奴じゃないし」
そう言ったパルスィはドロリとした緑色の瞳を妖しく光らせた。その視線は、私を通り越した向こう側を見ている。そこでようやく気付いた。
「…おまッ、まさか!」
「通りたければどうぞ、ご自由に?」
まずい、パルスィの嫉妬心を煽る能力についてなんも説明してねぇ…!すぐさま振り向き、私の後ろに付いてきてる四人を見遣る。
「おい、妹紅?」
「あん?どうした、そんなに慌てて?」
「詳しくは後でな」
妹紅、問題なし。自制したのか、そもそも嫉妬心がないのかは知らんが、術中に嵌っていないなら今はいい。
「おい、大妖精?」
「はい、萃香さん。何でしょう?」
「いや、後で話す」
「分かりました」
大妖精、問題なし。そもそも嫉妬心なんて感情とは無縁そうだもんなぁ…。大妖精とはいえ妖精だし。
「おい、フラン?」
「……………」
「…おい?」
だんまりを決め込み、身体を僅かに震わせて俯いている。…これはやばいことになったかもしれん。
いつでも押さえつけられるように構えようとしたところで、フランは何にも前触れもなく片腕を上げた。妹紅も私の雰囲気から察したのか、フランに体の向きを合わせて動きを観察し始める。大妖精は危険を察知したのか僅かに距離を取る。
「ッ!」
「は?」
そして、自分の頬を思い切り叩いた。乾いた音が響き、頬の皮膚が裂けて血が舞い散る。指先からポタポタと血を落としたまま拭おうともせず、そのまままた動きを止めた。突然の自傷行為に思考に一瞬の空白が生まれてしまう。
「…い、たァ…い。けど、まぁ、これでよし」
「お、おう…。大丈夫か?」
「ん、もう平気。すぐ治るし」
そう言って笑っているうちに裂けた頬の傷は塞がり、手に付いた血を舐め始める。…おそらく、ああすることで嫉妬心を一時的に忘れようとしたのだろう。少なくとも、もうフランから嫉妬心は感じない。なら次だ。
「おい、はたて?…何処行った?」
最後にはたてを見ようと考えたのだが、肝心のはたてがいない。振り向いたときにはいたはずだが…。
「萃香!後ろだ!」
「後ろ?」
急に叫んだ妹紅の言葉の意味を少し遅れて理解し、背後を振り向いた。
「ガ…っ!あ、締ま…ッ!」
「何、その顔?そんな風に人を見下して。あんたもそんな風に私を見るの?使えねー天狗だ、って?屑にも劣る、って?チリ紙のほうがマシ、って?本当さぁ、何?私の幻香とペラペラペラペラ喋っちゃってさぁ…。ポッと出の妖怪のくせして一緒に美味しくうどん食べましたぁー、って?私達、こんなに仲良くなりましたぁー、って?ふざけないでよ。ふざけんなよッ!あァん!?妬ましい、って?私のほうが妬ましいわよッ!見せ付けてくれる、って?それはあんたのほうよッ!今すぐ全身を端から削り切って風に混ぜてやりたいけど殺しはしないわ。あの子の日常に入ってる以上、欠けてもらったら困るのよ。喜びなさい?えェ!?なんか言ってみなさいよ。言えってんだろうがッ!」
「ふ…、ふふ。…こ、れは、想像以上…ね」
パルスィの襟首を両手で持ち上げたはたてがそこにいた。会って話した時間は非常に短いが、あんな風になったのは見たことがなかったし、想像も出来ない。嫉妬心に駆られ、術中に思い切り嵌っているのは明々白々だ。
襟首を掴んでいた両手が徐々に首にズレていき、そのまま締め上げようとし始めたところで流石に跳び出した。
「そこまでだ」
「ヴ…!?…ぅ」
はたての顔の高さまで跳び上がり、こめかみに回し蹴りを叩き込む。首から先が千切れないように注意したのだが、その代わりに吹き飛んだ先にあった橋の欄干に頭をぶつけて動かなくなってしまった。…死んでなさそうだしいいや。放っておこう。
「ゲホッ、ゴホッ!」
「あぁ―…、悪かったな」
「…ハッ、本当にいいお友達ね」
「いや、あれを友人に入れてほしくないんだが…」
ちょいと首を絞められたっぽいが、そんな皮肉言える余裕があるなら平気だろ。
グッタリとしているはたてを片手で持ち上げ、腰に腕を回して肩で担ぐ。…ま、いつか起きるだろ。何日も眠るような威力じゃなかったはずだし、天狗はそこまでやわじゃない。
「それじゃ、またな」
「悪いな。ちょっとお邪魔させてもらうよ」
「それじゃあね。帰りは邪魔しないでよ?」
「申し訳ございませんでした。お詫びと言っては何ですが、差し障りがなければ傷を癒したいのですが…。よろしいでしょうか?」
「…はぁ。別にいらないわよ、嫉ましい。さっさと行きなさい。…ようこそ、旧都へ。歓迎はしないわ」
首を擦りながら欄干を背もたれにしてそう言うと、追い払うように片手を払ってきた。
一悶着はあったが私達は橋を渡り切り、旧都へと足を踏み入れた。