東方幻影人   作:藍薔薇

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第376話

「かは…ッ」

 

鳩尾に幻香の拳が突き刺さり、捻じ込まれ、肺の中身が全部吐き出される。それと共に、喉の奥のほうにへばり付くようにあった粘ついた透明な液体が飛び散った。もう少し深くまで入っていたら、きっと透明ではなく赤色に染まっていただろう。そう思わせるほどに、重い一撃。体の奥底がドクリと脈動する。あぁ、強ぇ…。

期待外れだなんてとんでもない、期待以上だった。私は更なる力を幻香に求め、それに容易く応えてみせた。縋り付くでもなく、粘り付くでもなく、平然と付いてきた。一瞬前の幻香を、一瞬後の幻香は常に超え続けていた。私の想像を、そして妹紅の予想を遥かに超えた力を出してきた。妹紅の言う才能は、素質は、確かにありそうだと思わせた。

 

『幻香はさ、片腕で巨木を持ち上げられるんだよ。だったら、その程度の力なら拳から出せるはずだろ?なのにさ、あれだけ効率よく衝撃を伝える体術を教えてるのにもかかわらず、あんな程度しか力を出せていない。そんな力を出したら腕が自壊するとか、そういう問題じゃねぇほどに弱い。…これっておかしいと思わないか?』

『幻香は凄ぇよ。結構永いこと生きてきたけど、あいつ以上の天才はなかなかいない。まぁ、ちょっとは見てきたけど。だがな、あいつ以上に底知れない奴は見たことがないね。限界が見えない。終わりが見えない。そんな無限の素質を垣間見たんだよ』

 

ふと、いつかの日に妹紅と酒を呑み交わしていたときに言っていたことを思い出した。そんなことを考えながら次の段階に力を上げようとしたが、突然ドサリ、という音が耳に入ってくる。私は倒れていない。両脚キッチリ地に付けている。背も地に付いちゃあいない。ならば、この音の正体は何だ?…そんなもの、決まっている。

 

「…あ?」

 

幻香だ。何の脈絡もなく、前触れもなく、兆候もなく、勝手に横倒れした。肺の中身なんざ残っちゃいないにもかかわらず、思わず呆けた声が漏れてしまう。一呼吸して肺の中を満たし、倒れている幻香を見下ろした。目は開いたままで、何処を見ているかも分からないような、光を失った虚ろな目。

周囲から遅れ気味な歓声が沸き上がる。私の名前を叫んだり、流石だと称賛しているようだが、そんなものはどうでもよかった。こんなんでお終いで、喧嘩は私の勝ち?…納得出来るかよ、こんな結果!これからもっと楽しめると思った矢先に、相手が勝手に倒れて終了なんざ認められるか!…だが、幻香が倒れてしまったのは事実。納得出来ずとも、容認出来ずとも、呑み下さねばならない。

とりあえず、気絶したのならば起こすべきだろう。その場に屈み幻香の頭に手を当て、破れた頬から流れている血を萃めたり水分を疎にしたりして固めて止血しつつ、薄れて疎となっている幻香の意識を萃めて覚醒を促す。が、一向に目覚める気配はない。ピクピクと痙攣するように動いてはいるが、それだけ。…ただの気絶じゃねぇな、これは。何か別の原因があるらしい。

 

「萃香。幻香はどうだ?」

「駄目だ。いくら萃めても起きそうにねぇ」

 

私が幻香の意識を萃めている間に人垣の中から出てきていたらしい妹紅の問いに端的に答えると、そうかと言いながら幻香を背負う。力なく傾く首の位置を直すと、妹紅はそのまま駆け出していった。

 

「おい!」

「何だ、萃香!」

「何処に行く?あと、何故倒れた?」

 

呼び止めるつもりもなく、追いかけながらそう訊いた。突然走り始めた私達を呆けた目で追っている妖怪達の頭上を跳び越え、旧都を歩く妖怪達の間を走り続ける妹紅の横を並走していると、眉間に皺を寄せながら答えた。

 

「地霊殿。…多分、妖力枯渇だろ」

「はぁ?妖力枯渇だと?身体強化の妖術を使ったとでも言いてぇのか?」

「知らねぇよ。少なくとも、教えたことはない。私は使ってねぇからな。…一応訊き返すが、萃香はどう思う?」

「知るかよ。相手が何かしてるかくらいは何となく分かるつもりだったが、その手の妖術を使ってる気配はしなかった」

「んじゃ、幻香を起こして訊くしかねぇだろ。…ま、分かりません、って答えそうだけど」

 

そう言って苦笑いを浮かべながら、妹紅は地霊殿へと向かっていく。…正直、さとりには顔を合わせたくないんだがなぁ、と思っていると、不意に妹紅と目が合った。

 

「萃香、お前なら幻香を叩き起こせる方法がある。…やってくれるか?」

「ハッ。当然」

 

 

 

 

 

 

流石に幻香の部屋に直接飛び込んでガラスを撒き散らす気にはなれなかったので、幻香の部屋に最も近い窓まで跳び上がり、思い切り蹴破る。ガラスが粉砕されて廊下に飛び散ったが、こっちはいちいち入り口から入って廊下を進み階段を上る余裕がないくらい緊急だ。だから、蹴破った瞬間を目撃されても謝るつもりなんざさらさらない。

 

「よし、幻香の部屋行くぞ」

「おう。…ん?そういや、鍵掛かってなかったか?」

「そんなもん気にせずブチ壊せばいい。こっちは一刻を争ってんだ」

 

そう言いながら、私は幻香の部屋の扉を蹴飛ばした。扉を一瞬で粉砕し吹き飛ばした瞬間、何故か扉から妖力弾が弾幕のように撒き散らされたが、右腕を軽く振るってまとめて掻き消す。それでもいくらか被弾したが、この程度の弾幕ならどうってことはない。

 

「キャアッ!…って、萃香さん?それに、妹紅さんと…幻香さん!?」

「ほら、さっさと幻香を寄こして!ベッドに寝かせなさい!」

「分かった。大妖精、急で悪いが、幻香が創ってた金剛石を出してくれ」

 

念写でもして事情をある程度察していたらしいはたてが言う通りに幻香を横にした妹紅は私に顔を向け、すぐさま私がやるべきことを言った。

 

「幻香は食い物の複製を食べても回収出来る、って言ってた。水も同様だ。なら、空気も同様だろう。普段なら霧散して拡散して薄れてそのまま消えちまうところだろうが、そこは萃香が萃めれば薄れることはない。だから、あの金剛石を疎にして気化させて妖力まで分解させ、幻香の口元に妖力のまま萃めればいい。出来るか?」

「分かりやすくて助かるぜ、妹紅。そんくらいなら簡単、…と言いたいが、ちょい難しいかも」

 

ものを気体になるまで薄めたことならある。気体を萃めたこともある。だが、気体にしたものを気体のまま萃めるのは意外と難しい。原形を留めているとはとてもではないが言えない代物になるとはいえ、再び萃めてしまえば気体は固体に戻る。…だが、出来ないことではない。

 

「どうぞ、妹紅さん」

「おう、ありがとな。…んじゃ、後は頼んだ」

「もし失敗でもしたら、私は貴女を決して許さないわよ。生きてる間呪い続け、死んでも憑き続けてやる…!」

 

はたての脅しに思わず頬が引きつるが、私は妹紅から受け取った三つの金剛石を軽く握る。そして、疎にした。一瞬で膨れ上がった金剛石だった気体が何処かへ勝手に飛び散らないよう、空気に膜を作るようにして萃めて留める。これが小さ過ぎると再び固体に戻ってしまうので、その辺の加減は勘だ。…よし、この調子なら上手く行けそうだ。

そのまま萃めた気体、というか妖力をベッドで横になっている幻香の顔に被せた。呼吸は浅いがしていた。妹紅の予想である妖力枯渇が原因ならば、これで目覚めるはずだ。…頼む、目を覚ましてくれよ。私にも見せられた、あの素質をここで終わらせるには、あまりにも惜し過ぎる。

幻香の微かな呼吸音だけが鼓膜を刺激する。そのまま何の変化もないまま過ぎること数分。

 

「――ん…っ」

 

幻香の瞼が、一瞬だが皺が出来るほど強く閉じられた。そして、目覚めの声が漏れ出る。上手くいったことにホッとしつつ、わたしは幻香の意識を無理矢理萃めて覚醒を促した。

 


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