東方幻影人   作:藍薔薇

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第409話

これまでの失意とこれからの決意がわたしをグチャグチャに掻き混ぜる。上手くいかなかった。上手くいくだろうか。死ななかった。死なないだろうか。生きている。生きていられるだろうか。やることのいくつかが意味をなくしたが、それでもやることはまだ残っている。やらなくては。やり残したこともある。指針は定まった。あとは突き進むのみ。

けれど、その前に一つ、真っ先に済ませなければならないことがある。わたしは部屋を出て廊下に出た。廊下を歩いている途中ですれ違ったさとりさんのペットはわたしを見た瞬間、目を逸され早足で行ってしまった。…まぁ、いいや。

程なくして、わたしは一つの扉の前で立ち止まった。その扉を見詰め、一呼吸してから軽く叩く。

 

「すみません」

「どなたですか?」

「鏡宮幻香です。…一つ、伝えておきたいことが」

 

さんざん悩んで立ち止まって寄り道をして回り道をして後戻りをして紆余曲折してようやく宿した決意。その決断を、決定を、選択を伝えなければ。

 

「伝えたいこと、ですか…。分かりました。どうぞ、中へ」

 

さとりさんからの了承を得たところで、扉に手を当ててゆっくりと押し開いた。紙に何かを書いているようだが、頬杖を突いているところを見るに仕事という雰囲気ではなさそうだ。おそらく、趣味の執筆だろう。

 

「好きに話してください。私は見聞きしますので」

「分かりました」

 

椅子に腰を下ろしたわたしに一瞥もせずに書き続けているさとりさんを一方的に見詰めるのもどうかと思い、わたしは何となく天井を見上げた。細部まで彫り込まれた装飾を眺め、ポツリと端的に結論を零した。

 

「決めました」

「…そう、ですか」

 

手を止めたさとりさんの視線を感じた。きっと、わたしの心を読んでいるのだろう。そして、その結論の詳細を眺めているのだろう。

 

「…平気、なのですか?」

「さぁ…、どうだろうね。どうなるのかな?…どう、なるんでしょうね。もう少し考えてみれば、馬鹿みたいだって思って止めていたかもなぁ」

「なら」

「けど、さ。もう決めたんだ。…決めたんだよ。もう曲げられないし、曲げるつもりもない。曲げたく、ない。…ようやく決まった、ようやく決められた、ようやく決めることが出来た、この決意を。…意思を」

 

さとりさんの言葉を遮って、わたしは口を挟んだ。その先に続いていたであろう反論を無理矢理押し潰す。そして、この内側に秘める決意を、曲げることのない意志を、わざとらしい言葉にして固めていく。自身を鼓舞するように、他者を寄せ付けないように。

見上げていた視線を、さとりさんに向けた。何処か儚いような、そして恐れているような眼だった。その瞳に映る自分の瞳の奥に小さな火が灯っているように見えた。

 

「だから、この決意を鈍らせるようなことを言わないでほしい。この意思を潰えさせるようなことを言わないでほしい。ほんの少しでも、揺らぐようなことを、わたしに言わないでほしい」

「…はぁ。よく分かりました。なら、私から言うことはありません」

「ありがとうございました」

 

さとりさんに一言礼を言い、胸の前に開いた右手を見下ろす。その手をグッと握り締め、席を立った。

 

「それでは」

「…待ちなさい」

 

そのまま部屋から立ち去ろうとしたが、その途中でさとりさんに呼び止められた。ガタリと椅子を慌てて動かす音がし、扉に当てた手をそっと離す。

 

「…何でしょうか?」

 

そう言いながら、首だけ振り向くと、強い意志を宿す三つの眼に突き刺された。痛いほどに優しい意志。そして、胸に手を当てて机を乗り出すさとりさんは、ハッキリとした言葉をわたしに伝え始める。

 

「もしも、私に出来ることがあれば言いなさい。私にすることがあれば言いなさい。私にしてほしいことがあれば言いなさい。私を巻き込むつもりならば言いなさい。…分かりましたか?」

「…はは、そうですか。よく、分かりました。ありがとうございます、さとりさん」

 

これ以上ないほどの言葉を聞き、わたしは再び前を向いた。そして、扉に手を当てる。

 

「だから、地霊殿の主としてではなく、一人の姉として、貴女のことを想う私の妹、こいしのことを貴女に頼んでもいいですか?」

 

わたしは硬く口を閉ざして扉を開き、何も言わずに部屋を出た。後ろ手で音を立てないように扉を閉め、さとりさんの視線を感じなくなったところで扉に背を当て、ズルズルと腰を床に降ろした。硬く閉ざした口から止めていた息を吐き出し、自分の影となり暗くなった床を見下ろす。雑に投げ出された脚を整える気にもなれない。

 

「…最後の最後に何てこと言ってくれるかなぁ…」

 

振り向かなかった。振り向けなかった。その頼みに答えれば、たとえその答えが応だろうと否だろうと答えてしまえば、仮に答えずとも振り向いてしまえば、わたしの決意が揺らいでしまう気がしたから。

悪態の一つでも吐ければまだ楽だったのに、あの言葉に対してどう言えというのだ。蝋燭の火のように揺れる決意が恨めしい。たった一つでここまで揺らぐか。

 

「…やれ、わたし。やるんだ。やるしかない。進め。止まるな。決めたんだ」

 

両手で頭を押さえてうずくまり、そんな馬鹿みたいな言葉をブツブツと呟く。定めた指針がこれ以上揺らがぬよう、つまらない言葉を並べていく。その言葉の一つ一つが指針に纏わりつき、その揺らぎを抑制していく。

…あぁ、もういいんだ。理想は抱くものじゃないって分かっていただろう。不可能が可能になろうと、理想が現実になるとは限らない。幻想の集う幻想郷だろうと幻想は幻想のまま幻想となり消える。

分の悪い賭けだって?あぁ、知ってるよ。本望だ。分の悪い賭けは嫌いじゃあない。確率がいいほうが当然いいが、悪いほうに目的があるなら構わず賭けよう。死んでしまうから止めろ?あぁ、知ってるよ。これまでだって何度も死にかけてきた。冥界だって行った。これで死ぬならそれはそれ。たとえそうなろうと、構わない。上手くいくはずがない?知るかそんなもの。何故貴方にそんなことが分かる。やってもいないのに、やろうともしていないのに、やるつもりもないのに、そもそも考えたことすらないくせに、何故そんなことを言われなければならない。

 

「だから…、わたしは…、やるんだ…」

 

フラリと立ち上がり、両手を頭から離してダラリと下ろす。…あぁ、もういいや。

ふと窓を見ると、薄っすらとわたしが映っていた。その真っ白な顔を見て、わたしは改めて両手を窓に当てて窓の向こうにいるわたしと正面切って向かい合う。

 

「さっきまでのわたしは、迷いがあった。…迷っているなら、するな。諦めろ。別の手段を取ろうじゃないか。…で、どうだ。わたしには、鏡宮幻香には迷いがあるか…?」

 

窓に映るわたしに呟く言葉は、そのままわたしに返ってくる。その問いに、わたしはしばし口を閉ざした。そして、きつく目を閉じる。…どうなんだ、わたし。

そして、ゆっくりと目を開いた。窓に映るわたしは、まるで能面のように無表情だった。

 

「もう迷いはない」

 

宿した決意が黒く染まっていく。揺らぐことのない、染まることのない漆黒の意思へ変貌していく。わたしがどう思われようと関係ない。わたしがどうなろうと関係ない。誰かがどう思われようと関係ない。誰かがどうなろうと関係ない。わたしの目的の成就のためなら、物だろうと価値だろうと基準だろうと倫理だろうと人間性だろうと世界だろうと例外なく切り捨ててみせよう。この目的のためならばありとあらゆる犠牲だって厭わない。

その瞳は漆黒の炎を灯していた。

 


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