地霊殿の屋根から旧都を眺めていると、地底の妖怪達が気楽に旧都を歩いているのが見える。精神的に大分安定してきた証拠だろう。復興が終了してすぐは、軽くぶつかると即喧嘩、何か食べていると集られる、脇道に入るとズタボロになって脇道を出る、店に入ると叩き出される、などなど荒んだ様子がよく見えたものだが、今では鳴りを潜めている。
「…ま、いい加減時間も流れたしね」
大分涼しくなってきて薄着だと少し肌寒い。焼き芋を食べている妖怪も見えるし、もう秋も深まってきただろう。
まぁ、時の流れも理由の一つだろうが、さとりさんと勇儀さんの奔走もこの結果に結びついているのは間違いないだろう。少し前までは庭で体術、複製、創造などなどをしていると、さとりさんのペットが地霊殿と旧都を頻繁に行き来していたし、鬼達が旧都を見回りしている様子も散見していた。統治者として色々と苦労していたようだけど、詳しくは知らない。
「さて、どうしようかねぇ…」
見た目に反して異様に重い立方体のような何かを片手に握り込みながら、いくら考えても上手くいく実感が湧かない八雲紫戦を考える。幸い、八雲紫が欲しているものはわたしという精神が内包されているドッペルゲンガー。よっぽどのことがなければ肉体的に、あるいは精神的に殺されることはないだろう。しかし、拘束、束縛、捕獲、拷問、屈服、等々…、殺害以外なら割と遠慮なくやってきそうだ。
何より、わたしに勝利以外の選択肢を選ぶことが許されていないのが問題だ。以前わたしが引き起こした異変は、勝利しても、敗北しても、逃亡しても、最悪死亡しても問題はなかった。どれを選ぼうと、わたしの目的は達成出来た。しかし、今回はそれがない。だから厳しい。
「…やっぱり、どうにかして『境界を操る程度の能力』に対処しないと駄目だよなぁ…。能力の全容を把握して対策を練りたいところだけど、そんなこと出来ないし…」
能力の全容を把握するということは、八雲紫に干渉することと同義だ。無差別に幻想郷全域を空間把握したときとは違い、明確に八雲紫を狙って妖力を伸ばす必要がある。そうすれば記憶把握で能力の解明だって出来るだろうが、魔界の誰かのようにこちらの存在がバレかねない。だから、その手段はあまりやりたくない。さんざん考えて無理そうならやるだろうけれど。
…まぁ、あまりやりたくない理由は八雲紫にバレるからよりも、八雲紫対策に八雲紫を出すという手段を取りたくない、という理由のほうが強いのだが。それでは、わたしでは勝てないと証明しているようなものだからだ。わたしが勝利したことにならない。
「抑制、あるいは無効化する術はあるのかなぁ…」
真っ先に思い浮かぶものは妖力無効化の呪術だったが、やり方を知らない。そういう情報を捻じ込んだものを創って使おうと考えたけれど、残念ながら刺された者の妖力の使用を禁ずる、なんて単純な情報で制限は出来なかった。右手に刺しても普通に複製も創造も出来たからね。…まぁ、何度か試した結果、確かに妖力の使用を禁じてはいたが、大した妖力量ではなかったことを理解し、それと同時に取り返しのつかないものを代償にしているだけの力はあったのだなぁ、と実感させられた。八雲紫の総妖力量がどの程度かは知らないが、あの時創ったものでは一万は必要な気がする。
「霊夢さんだけだったらまだ楽なのになぁー、…はぁ」
わたしが地上に戻る理由なんて、それだけだ。…いや、だった、のほうが正しいか。わたしが地底に逃げたのは、再び地上に戻るためだ。博麗霊夢を打倒し、勝利を収める。その過程に逃亡があり、ここにいる。
無想転生対策は出来ている。仮にこれで対処出来なくても、それ以外の手段もいくつか考えてある。わたしの代わりに封印されている彼女が捨てさせようとした甘さを捨てた博麗霊夢を相手にしたとしても、負けるつもりはない。
正直言えば、あれだけ時間がある霊夢さんと、最近になって考え始めた八雲紫でどちらのほうが面倒かなんて考えるまでもない。それに、霊夢さんは博麗の巫女で人間。八雲紫は大賢者で妖怪。この時点で差があり過ぎる。
「…あーあ、どうしよ」
「…またこんなところにいるのかい」
「お燐さんですか。こんなところに何の用ですか?」
後ろから声を掛けられ、考えを一旦中断する。その代わり、少し頭が暇になったので立方体のような何かを人差し指と中指で弄ぶ。
馬鹿と煙は高いところが好き、という単語がボソリと聞こえてきたが、無視することにした。別に馬鹿でもいいよ。それに、煙にも成ろうと思えば多分成れるから。
「さとり様が奇妙なことをおっしゃったんだよ」
「奇妙なことぉ?…ふぅん、少し気になるなぁ」
「何でも、こいし様が戻った、って。第三の眼は閉じたままなのに、何が戻ったのかあたいにはサッパリ…」
「あー、ふぅん。そうなんだ」
結局、こいしの願いを補完しても記録にしかならなかった。だが、こいし曰く、記憶でも記録でも意識の一部だったことには変わりないそうで、一度濃くなった無意識が再び薄くなった。…いや、正しくは薄くしたらしいのだが。
つまり、こいしは再び記憶されるようになった。今まで通り気配はまるでないが、無意識を無意識に操る元覚妖怪で現無意識妖怪であることには変わりないが、二度と第三の眼を開かなくてもいいと選択をしたが、それでもさとりさんが言っていた二度目の変化は戻ったのだ。
「あんた、何か知ってるのかい…?」
「…いえ、推測なので。確証はないのでいう必要もないでしょう」
ただし、制約がある。飽くまでわたしが補完した願い。本来の願いではなく、本来の意識ではない。完全に戻ったわけではない。
こいしは『こう、フワフワァー、って浮かんでいるものを掴んで押さえ込む感じ?けれど、しばらくするとすり抜けてまた浮かんじゃう。すぐにもう一度掴んでも、押さえ込めなくてすぐにすり抜けちゃうんだ。それに、少し疲れるからね』と表現していた。
時間制限、並びに精神疲労。そして連続使用は不可。わたしは以前の練習が不足していた頃の『紅』みたいなものだと勝手に解釈している。ついでに言えば、こいしがわざわざそれを押さえ込んで記憶してほしい、と思う近場の相手が地霊殿のペット達くらいしかいなかったらしく、今ではやろうともしていない。『幻香の友達といつかまた出会う日が来れば、またやるかもね』と笑っていた。
「知ってるならあたいにも言いなよ。あんたが知っててあたいが知らないなんて癪だからね」
「で、間違っていたらわたしの所為に出来る。素晴らしい考えだ」
「は、…ハァッ!?誰がそんな捻くれた考えで言ってると思うんだい!?」
「わたし」
平然とそう返しながら、弄んでいた立方体のような何かをお燐さんの無理矢理押し付けた。多少怒っていても、わたしが出したものを律儀に受け取ってくれることはいいところだと思う。
「お、重いっ!?」
「六次元物体だからね。単純に、重さは二乗だよ」
わたしの創造能力だって成長している。以前は頭が痛くてやってられなかったけれど、この程度なら最早苦ではない。今なら鏡符「百人組手」を情報なしで操作出来そうだ。きっと、世界の外側に至る超高次元を認識し、その領域を空間把握し、原点から虚数空間である魔界まで把握した代償として精神に余裕が生まれたのだろう。…いや、まぁ、あれをもう一度やりましょうとか考えたくもないんだけどさ。
時間はかなり使われてしまった。長いと思っていた時間も、これだけ減ってしまった。時間が足りない。約束の時は、地上へ戻る時は近い。だというのに、肝心の八雲紫の対処の名案が浮かばない。急がなければならない。