東方幻影人   作:藍薔薇

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第423話

ゆっくりと肺が一杯になるまで息を吸い、その倍以上の時間をかけて息を吐き切る。一回の呼吸にかける時間は約一分。扉を見詰めてから始めた深呼吸。暑さでジワリと滲む汗を気にせず続け、三百まで数えて少し経った頃、扉を叩く音が部屋に響いた。

 

「何でしょう?」

「さとり様、が、お呼び、です…」

 

すぐに扉を開けると、今にも倒れてしまいそうなほどフラフラなさとりさんのペットにそう言われた。…そっか、呼ばれたのか。

すぐに向かうことを伝え、防護服を手に廊下を歩く。部屋で待っているときは気にしていなかったけれど、さらに暑くなっている。水を金属製の鍋に入れておいたら、いずれ水泡が浮かび出しそうだ。

道中、窓を一瞥し旧都を見遣る。明確な言葉にすることが出来ないが、何だか嫌な予感がする。最悪の事態が起こってしまう前触れとは違う、もっと他の危機的何かが近づいてくるような感覚。

 

「あぁ、そういう…」

 

さとりさんの部屋の一歩手前。窓の向こうで一筋の光が伸びた。見覚えがある、何処か懐かしいような、けれど身近にあるもの。あれはマスタースパークか。つまり、異変解決者が既に地底に下りて来ている。嫌な予感の正体はこれか。

一つため息を吐きながら扉を叩き、返事を待ってから開く。足元に流れる僅かに冷えた空気が心地いいが、どうしてこの部屋は涼しいのだろうか?少し気になって部屋を見回すと、普段ならいないであろう兎の妖怪が二人、部屋の隅で何かしらの力を振るっていた。きっと、彼女達がこの冷気の元なのだろう。

こいしが別の長椅子で横になって目を閉じているけれど、どうやら眠っているらしい。…流石に死んではいないか。よかった。それと、さとりさんの隣に相当沈んだ表情のお燐さんが立っていた。…へぇ、二人きりとはいかなかったかもしれないけれど、もう話したのか。

部屋を見回すのを止めて扉を閉め、さとりさんの正面にある椅子に腰を下ろした。さとりさんの三つの眼の視線を感じながら、わたしは防護服を横に置く。…まぁ、呼ばれたってことは行けということなのだろう。

 

「お待ちしていました、幻香さん。…もう、大体予想は出来ているようですね。おおむねその通りです。地上からの侵入者が来たため、急遽貴女に任せることとなりました」

「そうですか。さとりさん達でどうにか出来なかったんですね?」

「…えぇ、そうです。そもそも、灼熱地獄跡地に下りることが出来る者が極僅か。その中で、最もお空と仲がよく、実力が伴っているお燐が既に諦めています。…お空は常軌を逸した力を宿し、その手に太陽を浮かべていた、とのことです。まるで別人のようだった、とも。…ですから、お燐は地上にいる萃香にそれを引き剥がしてもらおうと考えたようです」

「ふぅん、そっか。そこまでは知らなかったよ」

 

わざと勘違いさせたことについて言及されるかもなぁ、と一瞬頭に過ぎったが、そんなものはさとりさんの言った内容と比べれば非常に些細なものだ。手に太陽ですか。核融合によって膨大なエネルギーを作り続けている恒星。表面温度は約五千五百度。中心温度に至ってはなんと約千五百七十万度。確かに常軌を逸した力だ。それをわたしに止めろと言うのか。どう止めろと。

そもそも、その道中だって心配だ。燃えないように、熱と伝えないように、変わらないようにと思って創ったこの防護服だって、五千度に耐えられるかどうか分からないのだから。まぁ、耐えられないのならば別の手段に変えるだけの話だが。

 

「何か訊いておきたいことはありますか?」

 

言及されると思いきや、さとりさんの口から出たのは質問の有無の確認だった。お咎めなしなのか、今は横に置いておくだけかは知らない。どうでもいい。…んー、訊いておきたいことねぇ…。

 

「さとりさんは、どう解決したいと思っていますか?」

「多少の荒事は仕方ないと考えています。ですが、最悪の場合は、…構いません」

 

そう言い切った瞬間、隣に立っていたお燐さんがビクリと反応した。交渉による解決が望ましいが、力尽くの鎮圧もよし。そして、どうしようもなければ殺害も許可する。一人死んだけで解決出来るのならば、それは悪くないことだろう。…まぁ、しょうがないよね。そうならないようにはするつもりだけど、その時はその時だ。諦めてほしい。

 

「ところで、もしもわたしが諦めたら?」

「…その時は、地上からわざわざ来たという異変解決者を試してみるとしましょう」

「ま、善処はしますよ」

 

やれと頼まれたんだ。やるよ。少なくとも、現状不可能ではない。ならば、わたしはやるさ。霊烏路空を止め、灼熱地獄跡地の過剰稼働も止める。出来れば霊烏路空を止めるだけで終わってほしいのだが…。ま、そこは行ってからか。

訊きたいことを大体訊き終えたところで、わたしは防護服を手に立ち上がる。さて、準備をしよう。今着ている服は邪魔になるだろうから回収し、フェムトファイバー性の肌着は防御用、金剛石が付いたネックレスは妖力回復用に残す。防護服に妖力を流して形を把握し、わたしの身体に合わせて創造し着用。同時に手に持っていた防護服を回収する。適温の空気を中に創造すると、防護服が膨らんだ。目の周辺は色を抜いた透明な生地になっているため、視界はそこまで悪くない。

 

「あー、あー。…聞こえますか?」

「えぇ、聞こえますよ」

 

音が伝わるようで何より。これなら交渉の余地がある。妖力を流して精神に直接情報を入れるのもありだけど、やっぱり言葉を交わす方が楽だからね。

実際に着てみて思うことは、この状態でどうやって攻撃するかだ。普通に体を動かす分には問題ないが、殴る蹴るとなると少し防護服が引っ掛かるかもしれないから注意。わたしが直接妖力弾を放つと、防護服を突き破ることになるから却下。そこは『幻』任せにすればいい。

 

「あぁ、そうだ。さとりさんにいくつか頼みたいことがあったんだ」

「私にですか?…そう、ですか。よく、分かりました」

 

こういう時、さとりさんの読心は助かる。わざわざ口にせずとも伝わってくれるから。

準備は終えた。後は、灼熱地獄跡地へ行って解決するだけ。少しばかり緊張するが、改めて決意を固めると、自然と緊張はなくなった。

 

「さとりさん。それでは、行ってきますね。お互い頑張りましょう」

「そうですね。…お燐。念のため、幻香さんを灼熱地獄跡地へ案内してあげてください。入口までで十分です。共に行けとは言いません」

「っ!…はい、さとり様」

 

案内なんて必要ないと思うけれどなぁ…。ま、いいや。別にいない方がいい、というわけでもないし。

さとりさんに軽く手を振ってお燐さんと共に部屋を出る。きっと暑いのだろうけれど、防護服のおかげで何ともない。わたしの前を歩くお燐さんも平気そうだ。まぁ、灼熱地獄跡地に行けるくらいだし、このくらいは問題ないのだろう。

階段を下りる途中、先行するお燐さんが唐突にポツリと呟いた。

 

「…さとり様と、話したよ」

「ふぅん。…どうでした?」

「怒られた。…そんなこと進んでするはずないでしょう、って。馬鹿だよ、あたいは」

「そっか」

 

それっきり、お燐さんは口を閉ざしたまま灼熱地獄跡地へ続く大穴まで到着した。ここまで来たが、暑さは全く感じない。この調子で最後まで防熱の役目を果たしてくれることを願おう。

大穴を覗くが、底は見えない。これからここを下りるわけだ。そして、そこにいる霊烏路空を止める。

 

「それじゃ、行ってきますね」

「…お空、助けてよ。…そうじゃないと、あたいはあんたを許さない」

「それは知らん。許されるためにやるわけじゃないんだ」

 

振り向くことなくそう言い、わたしは大穴に飛び込んだ。さぁて、やりますか。

 


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