東方幻影人   作:藍薔薇

434 / 474
第434話

もう少しで日付が変わる時間のはずだ。約束の時は近い。緊張からか、心臓の音が普段より大きく感じる。だが、それを動揺として相手に伝わってしまえば、こちらにとって不利になりかねない。平静を装わなくてはならない。

そう考えて深呼吸をして気持ちが落ち着き始めたところで、目の前の空間に一本の線が走った。その線は目を見開くように大きく広がり、スキマの向こう側から麗しき少女然とした妖怪が現れる。その背後からは先日こちらに来訪した九尾の式神も付いていた。八雲紫と八雲藍である。

 

「約束の時間ちょうど、ですね」

「えぇ、始めましょうか。お話し合いを」

 

あちらは私と違って随分と余裕がある。心を読まれるという多少の不快感はあるようだが、それに関しては特に問題ではないと考えているようだ。いざとなれば心の壁を作り、私の能力の妨害が出来るらしい。完全に閉じてしまえば会話もままならないらしいが…。

そこまで読んだところで、私は机の横に新たに置かれたやけに意匠が凝らされた鈴を鳴らす。少し待つと扉が数度叩かれ、狸妖怪が部屋の扉を静かに開けた。会釈に近いお辞儀と、用は何かと問う心の声。

 

「お客様にお茶を用意して頂戴」

「かしこまりました、さとり様」

 

扉が静かに閉められ、私は一息吐く。…はぁ。

 

「ひとまず、直近の話題から話しましょうか。地上の人間が旧都に侵攻したことについて」

「貴女が地上に怨霊を放ったことについて、でしょう」

「別にどちらでも構いませんよ。大した差ではありませんから」

 

本当にどちらでもいい。そもそも、ついでに話し合いをしたいと思ったのは私だが、それはただのおまけなのだから。

そんな感情を表に出さないよう、一つ頬杖を突いて優雅に座っている八雲紫を見遣る。

 

「私達が呼びたかったのは萃香です。彼女なら怨霊を見つければすぐ飛んできてくれると思っていたのですが。…『怨霊を放つこと自体が罪』ですか。まぁ、それなら貴女達も同じでしょう。お互いに破り合った。それでいいじゃあないですか。…はぁ、全くよろしくないですか、そうですか」

 

ああは言ったものの、私もよくないと思ってる。けれど、話し合いの場を設けたからには伝えておきたいことだってあるのだ。通すかどうかは向こう次第だが。

八雲紫が口を開くよりも早く、私は矢継ぎ早に言葉を放つ。

 

「地上と地底の不可侵条約。地上と地底、互いの侵入を禁ずる。旧地獄の生活を認める代わりに、地底の怨霊の管理をする。…まぁ、細々とした内容を排すれば、大体こんな感じでしたね」

「…えぇ、その通りだわ。…貴女、まさか」

「ご明察。萃香は地底から地上に上がり、私は怨霊の管理を放棄し、地上の人間二人が地底に侵攻した。その際に貴女が送った人間二人は多少なりとも旧都の破壊行為を犯しましたね。…ふふっ、どうですか?この短期間に、条約は穴だらけです」

「つまり、不可侵条約の撤廃をしたい。…そう言いたいわけね」

「無論、すぐにとは言いませんよ。撤廃してからも当分の間は通る者をこちらで選定をするつもりですし、貴女方が地底の妖怪達を受け入れる体制が整ってからで構いません。私が意図的に破った怨霊の件に関しては、多少の処遇も受け入れましょう。…正直に言うと、地上から落とされたために再び地上に足を踏み締めたいと願う者、新たに産まれた者の一部に外を見たいと願う者が非常に多いんですよ。萃香という例外が出来てしまったことで、ね。それらの対処が面倒くさいんです」

 

実際のところ、萃香とその友人達が来てから増大したのだが。まぁ、その程度の差は大した差ではない。萃香が地上に上がってからも僅かにあったし、その前からも僅かにあった。

 

「萃香は怨霊のことをすぐに気付かない程度に、あるいは気付いても無視する程度には地上に馴染んでいるのでしょう?…ふふっ、『幻想郷は全てを受け入れる』ですか。いい言葉ですね。まぁ、検討してくださいな」

 

そこまで言い切ったところで、扉が数度叩かれた。部屋に入ることを許すと静かに扉が開かれ、狸妖怪がお茶を持ってきてくれた。急須から湯呑にとぽとぽとお茶を注ぎ、温かな湯気と共に八雲紫と八雲藍の前に置く。そして、お盆と空になった急須を余所に置いてから私の右後ろに静止した。

二人がゆっくりと一口お茶を含むのを眺めつつ、私はとりあえず伝えておきたいことを済ませたことで肩の荷を下ろす。…いや、これからが重大か。巻き込まれることを望んで巻き込まれたのだ。これから起こることを思うと、少しだけ笑みが零れそうになる。…まぁ、零さないようにはするが。

 

「…ふぅ。それでは、私達から貴女達に言い渡すことが――」

「さ、前置きはこのくらいにしましょうか」

「んな…っ」

 

八雲紫が口を開いてすぐに私は手を叩いて乾いた音を鳴らし、続く言葉を無理矢理断ち切る。…何と無礼な、ですか。ふふっ、無礼で結構。目的は既に達成しているのに、わざわざ無駄話を続ける理由もない。

 

「私が貴女に伝えたいことなんて実は割とどうでもよかったことですし、貴女が何を言おうが私にはもうどうでもいいことです。むしろ、貴女に余裕なんてすぐになくなります。貴女に会いたいと願う者がいたので、私は貴女に話し合いの場を設けるように伝えたんですよ。あの時は余計な者が釣れましたが、そこはあれです。雑魚で鯛を釣る、ですか?」

 

そう言って微笑むと、八雲紫の憤りが嫌でも伝わってくる。…大事な可愛い今代の博霊の巫女を雑魚呼ばわりしたのは相当頭に来たらしい。しかし、表情には出ないように取り繕っているようですが、端々に漏れていますよ?

私は後ろに立っている狸妖怪を見遣る。…はい、分かりました。

 

「命じます。…勝ちなさい」

「委細承知」

 

瞬間、狸妖怪の心に地霊殿の全域が浮かび上がる。その掌握された空間の範囲は加速度的に拡がり続け、遂には旧都の全域にまで拡がった。だというのに、拡大は一向に収まる気配はない。…あぁ、頭が痛い。こんなものを平然と頭に入れてしまえる貴女はやはり特異ですよ。

 

「幻――ッ!?」

「紫さ――ッ!?」

 

狸妖怪――否、既に私の外見に戻りつつある幻香さんは、私と八雲紫の間にある机を回収しながら突撃していった。それと同時に、目の前の二人の腹部に無数の穴が空き、そこから血が噴き出す。…あぁ、先ほどのお茶に含まれた過剰妖力を炸裂させて腹を突き破ったのですか、そうですか。不意討ち上等。貴女らしい。

八雲紫が腰を下ろしていた椅子が霧散し、体勢がまともではないその瞬間を狙う前蹴りが腹に直撃する。瞬間、爆音を轟かせ目の前の壁を丸ごと粉砕するほどの衝撃と共に八雲紫を真っすぐ旧都に吹き飛ばしてしまった。…え、幻香さん、あんな怪力があったのですか…?

 

「貴様…ッ!」

「邪魔」

 

先程の衝撃に耐えながら幻香さんに反撃しようとした八雲藍の顎に何かが突き上がる。それは床から突如湧き出すように現れた人型の石像。その掌底に怯んだ瞬間、八雲藍の周囲に七体の私のペット達が現れた。計八体に袋叩きにされ、その対処に手間取っているうちに幻香さんは踵落としを叩き込んだ。私には軽い動作に見えたのだが、その威力は床に大穴が空き、地面に衝突した衝撃で地面が大きく揺れるほど。

飛び散る破片が頬を掠めたことも気にならないほど放心していると、幻香さんが私に目を向けながら長い髪を払う。

 

「それじゃあね」

 

そんな簡素な別れの挨拶を最後に、幻香さんは壁を吹き飛ばした向こう側に見える旧都へと飛んで行ってしまった。

これは後処理が面倒くさそうだなぁ、などと考えて目の前の惨状から目を逸らしながら、私は幻香さんの願望の成就を心から祈った。敬愛する彼女に成功を。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。