八雲紫の位置は把握している。このまま真っすぐ飛べばいい。周囲に群がり始めている地底の妖怪たちが邪魔になりそうではあるが、そんなものは巻き込まれる方が悪い。立つ鳥跡を濁さず?そんなもの知ったことか。
既に立ち上がり、わたしに目を向けている八雲紫に嗤う。ガラス棒を重ねて創造した瞬間加速を駆使し、急速に距離を詰める。
「そらァ!」
「ふ…っ」
加速をそのまま利用して縦回転し、その端正な顔面に踵落としを振り下ろす。が、わたしの脚は手に持っていた閉じられた扇子に受け止められた。ミシミシと軋む音はするのだが、どうにも圧し折れそうにない。妖力か何かで強化されているのだろうか、それとも元から強度が高いのか。…どうでもいいか。
「シッ!」
「グッ…!」
防御されたと認識した瞬間、即座に横に旋回して回し蹴りを横っ面に叩き込む。今度はまともに入り、八雲紫は旧都の家々を貫きながら吹き飛んで行った。…やっぱり、変だ。感触がおかしい。さっきもそうだった。まるで、膨らませた革袋でも蹴っているようなスッカスカな手応え。攻撃は確かに入っているのだが、有効打かと言われるとそうではなさそうな気がする。
右側の首のあたりにチリチリとした感触を覚え、それから右側の空気の流れが急に変化した、と感じた瞬間、わたしは右腕を伸ばして即座に妖力の砲弾を放出した。すると、八雲紫を吹き飛ばした家々の遥か向こう側で薄紫色の妖力が迸った。…どうやら、わたしの右側にスキマが開いていたらしい。
あの程度の威力で勝てるなんて微塵も思わない。両手を軽く握り、八雲紫の元へ足を踏み出す。
「何事だ――…幻香」
「邪魔だから退け」
その途中、この惨事を知って駆けつけてきたらしい勇儀さんの呼びかけを拒絶する。そして、わたしは一度足を止めて勇儀さんを見遣った。心が凍てつく。目先にいる鬼が、山の四天王が、ただの障害物にしか見えない。
「そこから後一歩近付いてみろ。その瞬間、貴女は敵だ」
「なん――ッ」
わざわざ宣告したにも関わらず一歩踏み出そうとした瞬間、わたしは妖力弾を撃った。頬を掠め、裂けた皮膚から鮮血が流れ出る。避けた頬を撫で、その手に付いた血を見て獰猛に笑う星熊勇儀。…あーあ、面倒な。
「駄目だよ、勇儀」
もう一人増えるのか、と思った矢先、勇儀の背後からゆらりと現れた者がいた。こいしだ。近くにいることは把握していたけれど、まさか口出ししてくるとは。
自分の前に右腕を伸ばしたこいしに気付いた勇儀さんは一瞬目を見開き、わたしとこいし、そして吹き飛んだ家々を見てから大きなため息を吐いた。
「…理由は?こいしちゃん」
「最後だからかな」
「最後…?」
そこまでは聞いたが、それ以降は足を進めたので聞いていない。説得が出来たならそれでいいし、乱入されるようならその時はその時だ。割り切ろう。
吹き飛ばした家々の先まで歩くと、八雲紫は優雅にスキマに腰を下ろして待っていた。多少の木屑は付着しているものの、やはり傷らしい傷はなかった。
フワリ、とスキマと共に浮かび上がる八雲紫を見上げ、わたしを見下ろす目と合わせる。
「…一つ、訊ねてもいいかしら?」
「別に、構いませんよ。一つと言わず、三つくらいまでは」
「そう。なら遠慮なく。…あの時の約束は?」
「知らんなぁ。…おっと、冗談ですよ。目的の成就ならしましたからね。目的は、博麗霊夢と戦うこと。それだけ」
そう言い切ると、目に見えて顔が歪んだ。…まぁ、屁理屈みたいなものだ。餌に眩んで確認を怠ったそっちが悪い、と言ってもいいのだけど、目的と言って曖昧にぼかしたわたしも悪いのだろう。だからどうした、という話だが。
「まぁ、信じる信じないは貴女に任せますよ。貴女はわたしの言葉を鵜呑みにして諦めてもいいし、嘘偽りと言い切って奪おうとしてもいい」
「…ふふ、そう。手間が省けてよかったわ」
「アハッ、そうですか。それはよかった」
互いに嗤い合う。嗤い声が木霊する。群がっていた地底の妖怪達が、不思議と距離を取り始める。邪魔しないのはいいことだ。…さぁ、続けましょうか。
わたしの周囲に刀、脇差、包丁といった刃物類を数十本複製し、過剰妖力を噴出させ八雲紫に向けて射出する。が、その一本一本の先に小さなスキマが開き、その出口であるスキマの全てがわたしに切っ先を向けて開かれた。見事な反撃だ。だが、意味ねぇよ、そんなの。全方位から迫る刃物はわたしに触れる前に霧散し、即座に回収された。
数多のスキマが閉じると同時に軽く握られた右拳を八雲紫に向けて打ち出す。その拳圧は八雲紫を叩き、腰を下ろしていたスキマから落とした。が、バスン、といった感触と共に右拳が切断された。…スキマだ。私の右手首に開いたスキマの開閉で綺麗に切られたのだ。今更になって血が流れ出す。
「ふふ」
新たに開いたスキマに腰を下ろした八雲紫の右手には、わたしの右手を乗せられていた。…何を愛おしそうに見ているんだ。気持ち悪い。ひとまず、目の前に実物があるのだからそれを複製しておこう。…よし、動く。血は止めた。問題ない。
右手を握り締めているところで首の裏側で何かを感じ、即座に横に跳ぶ。瞬間、視界の端に見覚えがあるようなないようなものが伸びた。白く塗装された鋼の棒の先に赤い三角形で白文字の止まれ。
「まず…っ」
そんなものに目を向けている間に、そこら中にスキマが開いていた。黒い直方体の一面にガラスが貼られたもの、開閉可能な二枚板の内側に二枚の黒ガラスと多数の突起、白い箱型の中に規則的な穴が開けられた金属の筒、真っ白な板、六つの羽が半球にくっ付いているもの…。見たこともないものが次々と飛び出してくる。当たったところで大した怪我にはならないだろうが、好き好んで当たるつもりはない。
大量の突起がある黒い板を躱しながら、体内に流れる妖力を全身に薄く広げる。
「はぁっ!」
そして、その妖力を飛び交うものに向けて炸裂させた。わたしを中心に爆発するように、全てのものが破壊される。すると、わたしの目の前に巨大なスキマが開かれた。その先は眼が大量に浮かぶばかりで何も見えない。…いや、何か来る。揺れている。奥から二つの光が迫ってくる。とんでもない速度で迫るそれは白く丸く膨らんだ鉄の塊で、把握した形によるとその後ろには中身は空洞だが座席がいくつもあり、外を眺めるためにあるような窓が並んでいるものがいくつも連なっていた。
即座にそれを丸ごと複製し、衝突させる。耳をつんざくような爆音を轟かせ、連なっていたものの接続部が壊れ、それぞれが横転していく。…何だったんだ、あれは?…ま、いいや。これ以降、多質量による攻撃も警戒しておこう。
「あらあら、新幹線の大事故ね」
「ッ!」
突然右耳に囁かれた言葉に反応し、その発声した場所に向けて裏拳を放った。が、フワリと布団でも叩いたかのような柔らかな感触と共に掴まれてしまう。
ゆっくりと目を向けると、そこには案の定スキマから出た八雲紫の上半身と左腕があった。
「初見のものも容易く、そして外見中身共に寸分の狂いなく複製。…やっぱりいいわねぇ」
「知るか。…離せよ」
「あら、嫌よ。どうして離さないといけないのかしら?」
瞬間、八雲紫の左手の甲から刃物が生えた。
「ッ!?」
…否、貫かれたのだ。だから言ったのに。わたしの右腕の中に入る程度の大きさの短刀を複製し、内側から弾き出された短刀の切っ先はわたしの右手を掴んでいた八雲紫を貫いたのだ。その際に、複製であるわたしの右手も一緒に貫かれているが、大した問題ではない。
右手を回収しながら側転し、顎を蹴り上げる。その一撃だけを与え、わたしは大きく距離を取った。…『紅』発動。グチュグチュと肉が蠢き、右手が生え切ったところで『紅』を解いた。
その間に短刀を引き抜いた八雲紫を見遣る。…傷、もう塞がってるよ。もう治るのか。羨ましい限りだ。
「…そろそろいいや」
「何がかしら…?」
「つまらない意地を張ることさ」
短い間の攻防だったが、わたしじゃあ八雲紫には簡単に勝てなさそうだとすぐに分かった。効いてるんだか効いてないんだか分からないし。
「悪いね、勇儀さん。先に謝っとく」
だから、もういいや。つまらない意地を切り捨てる。わたしが八雲紫に勝つ、という単純なものを。
わたしは旧都の半分の家々を全て回収し、地霊殿に置いてきた金剛石を回収し、さとりさんの部屋に仕掛けた数多くのものを回収し、空間把握範囲を一気に拡げた。地底に留まらず、遥か上にある地上、幻想郷全域まで。
何百、何千、もしかしたら何万まで届くかもしれない膨大な数の精神が頭に浮かぶ。人間妖怪妖精吸血鬼幽霊宇宙人式神閻魔死神河童天狗鬼天人仙人神…。それらを片っ端から複製していった。頭が軋む。わたしの領域が侵されていく。体は変容し続け、グチャグチャにかき混ぜられ続ける。だが、知ったことか。
「喜べよ、八雲紫」
声が揺れる。同じ声を出しているつもりなのに、その瞬間と一つ手前、そして一つ先ですら異なる。酷く異様な言葉に聞こえたかもしれない。
だが、それも途中からなくなった。…いや、気にならなくなるほど小さくなった、が正しいか。変わり果てたその姿は、意外にも何処にでもいそうな普通の少女の姿。
「貴女の望んだ最果てだ」