東方幻影人   作:藍薔薇

439 / 474
第439話

「ふんっ!」

 

腰を下ろしたままだったわたしは、腰を深く下ろしながら地面と水平に放たれた拳を受けた。視界が明滅する。中身がグチャグチャになり、そのまま爆ぜ散ってしまうんじゃないかと錯覚するほどの衝撃。

 

「げほっ…。あー、痛たた…」

 

気づけば地面を転がっていて、咳き込んだ際には赤い飛沫が飛んだ。起き上がろうとする体は思ったより深刻で、腕も足もふらついてしまっている。それでもどうにか地面を踏み締めて立ち上がり、唇の端から零れる血を拭いながら、わたしの元へ歩いてくる勇儀さんを見遣った。固く握られた拳と冷たい眼差し、そして吊り上がる口端。…あぁ、流石は山の四天王。強いなぁ。

だというのに、体はこんなになってしまっているにもかかわらず、わたしの方が劣っていることは明白だというのに、何故だかこのまま負けてしまうとは思わなかった。そして、それがおかしいとも思わなかった。

 

「次はあんなもんじゃあねぇぞ」

「…ふぅん、そっか」

 

勇儀さんが間合いに入ったところで立ち止まり、わたしに言った。さっきのでも軽い方なんですか。うん、わたしはまだ弱いなぁ。もっと強くならないと。

顔に真っ直ぐと伸びてくる右拳を紙一重で躱し、その先に迫る左拳は地面を転がって逃げる。先程受けた拳のせいで体中が痛むが、そんなものは無視だ。痛覚遮断。痛まなければ、無傷と何ら変わらない。

転がった先で素早く立ち上がり、その間にわたしに向かって跳んでいた勇儀さんをその場で迎え討つ。

 

「せらぁっ!」

「シッ!」

 

横薙ぎに振るわれた跳び蹴りに対し、わたしは脛に向けて殴りかかる。脛に叩きつけた拳には、鉄なんかよりも何倍も硬い骨の感触が伝わってきた。ビキ、と嫌な音が響く。どっちの骨の音だ?…あぁ、わたしか。ま、どうでもいいな。

拳と脚は一瞬だけ拮抗したのだが、すぐに勇儀さんの脚が力任せにわたしの拳を押し出し、そのまま派手に吹き飛ばさてしまった。空中で一回転して両足を地面に付けて着地し、片手を地面に擦り付けながら静止する。脚に弾かれた手を見遣ると、傷らしい傷は見当たらなかった。なら、まだ戦える。

 

「力。まずは、それが必要だ」

 

ボソリと呟いてから、わたしは勇儀さんの元へ真っ直ぐと駆け出した。それとほぼ同時に勇儀さんもわたしの元へ真っ直ぐと走り始める。勇儀さんの歩幅とわたしの歩幅からわたし達がぶつかり合う地点を推測し、そこに合わせて右腕を引き絞る。迫る勇儀さんも同様に右腕を引いている。

 

「おらぁっ!」

「ハァッ!」

 

互いの右拳がぶつかり合う。右拳から全身に伝わる衝撃。そして、僅かに右肘が曲がり押し出される感覚。…駄目だ。まだ足りない。

そう判断した瞬間、右腕を一気に引きながら体を回転させた。押し合っていたものが急にいなくなり、空振った右腕がそのままわたしのすぐ隣を通り抜けていく。そして、折り畳まれた腕による肘鉄を勇儀さんに叩きつけた。…まともに効いちゃいないな、この感触は。

 

「ははっ、いいねぇ!」

「…貴女、愉しんでませんか?」

「当ったり前だろ!?目の前に強ぇ奴がいるんだぜ!?これが最後だって言うなら、味わい尽くさねぇのは損ってもんだろ!」

「わたしはそこまで強くないっての」

 

少なくとも、まだ。案の定わたしの攻撃なんかじゃ怯みもしない勇儀さんが左拳を振るい、わたしはそれに裏拳を叩き込んで弾く。無茶苦茶重い。攻撃の向きを逸らすだけでこれか。先はまだ長そうだ。

勇儀さんが斜めに体を旋回させ伸ばした脚で踵を振り下ろし、わたしは咄嗟に後ろに跳んで回避する。が、振るわれた脚から飛んでくる衝撃波が、後ろに跳んでいたことも相まって宙に浮かんでいたわたしを容易に吹き飛ばした。吹き飛ばされながら、わたしは勇儀さんの踵が振り下ろされた地面を見遣る。陥没、そして周囲に広がっていくひび割れ。その威力に思わず頬が引きつった。

両足で地面を削りながら着地したところで、どくりと心臓が一つ高鳴る。漆黒に染まった意志がわたしの奥底から溢れ出すような感覚。その衝動に任せ、わたしは跳んだ。不思議と体は軽かった。

 

「セリャァ!」

「ふん!」

 

わたしが突き出した渾身の跳び蹴りは勇儀さんが交差した両腕に防御された。両腕を勢いよく開かれ、わたしは弾き飛ばされる。背中から地面に落ちるわけにはいかない。即座に体を縦に回転させて左手を地面に押し当てて地面を掴み、そのまま回転させて両足を地面に叩きつける。

 

「オラァ!」

「おらっ!」

 

すぐに跳び出し、今度は左拳を打ち込む。が、それは開かれた右手に掴まれてしまった。すぐに右拳を打ち込むと、今度は左手に掴まれる。ギリギリとわたしの両拳を掴む力が強まる。このまま握り潰すつもりらしい。

だが、そのまま潰されるわけにはいかない。だから、わたしは勇儀さんの手の中で拳を開き、その指を勇儀さんの指と互い違いにして握り締めた。そして、わたしも両手に力を込めていく。

 

「…へぇ、力比べか?」

「案外、悪くないと思いますよ…?」

「勝てると思ってんのか?」

「さぁね。…けど、不思議と負ける気がしない」

 

そう言った瞬間、勇儀さんの両手に込められた握力が一気に強まった。手の平が本来曲がるはずのない方向に無理矢理曲げられ、わたしの指先が勇儀さんの手から離れていく。…そうはいかない。歯を食いしばり、指先と手の平に力を込めて抵抗する。…力がまだ足りていない。

ビキ、バキ、と骨が軋む音が断続的に響く。どうでもいい。そんなことより、力だ。勇儀さんの力に負けることのない、怪力、剛力。それが必要だ。ぬるりとした僅かに滑る感触。手汗にはない鉄臭い香り。皮膚が裂けて出血したらしい。知ったことか。まだだ。もっとだ。出せよ、身体。無理だなんて、言わせねぇよ…?

 

「ぐ…っ!」

「おい、音を上げるにはまだ早ぇよな?」

「…あぁ、全くもって、その通り…!」

 

アハッ、と狂った嗤いが零れる。見上げる勇儀さんは愉し気に笑っている。勇儀さんの握力が一つ強くなるたびに、わたしは漆黒の意思を滾らせて抵抗する。また、一つ強くなる。

それは階段を上るように、壁を一つ飛び越えるようなもの。階段を数段飛ばしで駆け上がるように、壁をまとめてブチ抜いていくようなもの。わたしの身体の使い方。願え、望め、希え。求めた先に、進むべき道がある。

 

「ふ…ッ!」

「うお…っ!ははっ、まだ出るか!そうだ、全部出してみな!」

「悪い、けど…っ!わたしは、全てを、出さない!…決してッ!」

「あぁん?そりゃあ手抜きか?」

「違う、ねェッ!」

 

グシャリ、と肉が潰れ骨が砕ける音。血飛沫が舞う。両手が、潰れた。

 

「あん…?」

 

勇儀さんの両手が、わたしの両手に握り潰された。…そうだ。出せるじゃあないか、身体。だが、まだこんなもんじゃあない。全く足りない。さらに上だ。登り詰めた先の、さらに上へ。終わりなんて許さない。…分かってるよな?

握り潰された、と気づいた勇儀さんの行動は素早く、砕けた両手をずるりと力任せに引き抜き、そして回し蹴りを放ってきた。咄嗟に左腕で防御し両足を踏み締めて踏ん張ると、ぐぐぐ・・、と拮抗する。そして、衝撃を受け切った。

 

「…はあーっはっはっはっはっ!この短期間でよくぞここまで!いいぞ!駄目になるまで付き合ってやる!」

「いーや、そこまで付き合うつもりはない!」

 

潰れたままの拳を握る勇儀さんに対し、わたしも拳を固く握り締める。右拳を放てば、右拳が衝突する。続けて左拳を放てば、左拳が衝突する。時折、お互いの拳が衝突することなくお互いの身体に届く。圧倒的な威力。だが、両脚で踏み締めて耐え切り、次の拳を放つ。それがひたすら続けられた。

殴り合っている間に勇儀さんの拳が徐々に治っていき、それと共に威力が増していく。それでもわたしは拳を振るい続けた。ぶつかり合う拳の皮膚が裂け、血がそこら中に飛び散る。殴られた箇所は痛くはないが妙に熱い。だが、そんなものはどうでもいい。拳を振るえ。目の前の相手が倒れるまで…!

 

「…いい加減、倒れろっての!」

「はっ!味わい尽くすには、まだまだ足りねぇよ!」

 

どれだけ続けたか、数えていない。けれど、ひたすら長い時間だったのは何となく分かる。いい加減両腕も重くなってきていたし、わたし達の周りの地面は赤黒い血で染め上げられているし。けれど、わたしは振るい続ける。…ほら、まだ足りなかっただろう?だから、更なる力を出せよ。限界なんざ、決めちゃあいない。

そして、わたしが振るった右拳が、勇儀さんの右拳を弾き返した。そして、続く左拳も同様に弾き飛ばす。胴が、がら空きだ。

 

「オラアァッ!」

 

わたしは右拳を鳩尾に捻じ込んだ。衝撃が確かに伝わる感触。そして、そのまま右腕を振り抜いた。思考が加速しているのか、ゆっくりと宙を舞う勇儀さんの身体を眺め、ドサリと地面に落ちた。

 

「――はぁっ!ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…」

 

呼吸が乱れる。両腕がだらりと落ちる。固く握り締めていた拳を開くと、もう再び握る気にもなれない。

ふらつく足取りで、勇儀さんの元へ向かう。そして、わたしは地面に大の字で倒れている勇儀さんを見下ろした。

 

「…なんで、そんな顔、浮かべるかなぁ…」

 

そんな顔されるとさ、勝った気になれないじゃないか。

嬉しそうな顔、しやがって。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。