東方幻影人   作:藍薔薇

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第440話

「姐御ォ!」

「勇儀さん!」

「姐さん!」

 

鬼達が勇儀さんを呼びながら駆け寄り、周囲に群がってくる。すれ違っていく彼らに睨まれながら、わたしはその場に立ち尽くしていた。そして、彼らが勇儀さんを担ぎ上げ、遠くへ連れて行くのをボーッと眺め続けた。最後の最後まで睨まれ続けながら。もしかしたら報復されるかもしれないなぁ、という考えが頭を過ぎっていたけれど、そんなことにならなくてよかった。しないで済むならそれでいい。

去っていく姿が小さくなり、それからしばらく経ってから天井を見上げた。これから戻るつもりの地上を思い返す。置いて来た友達、切り捨てた関係、これから会いに行く相手。…あぁ、楽しみだ。

開いた両手を見遣り、それから八雲紫の元へ向かう。記憶把握の途中だったんだ。まだ知っておきたいことは山ほどある。

 

「…えぇと、あそこか」

 

妖力無効化の杭の場所から判断し、ゆっくりと足を動かし向かう。八雲藍と並べて置いておいた場所から、大分遠くに転がってしまっているなぁ。ま、その程度じゃ抜けないだろう。…抜けてないよね?

少々不安になりながら八雲紫の元に辿り着き、その横に腰を下ろす。至る所に見え隠れする擦り傷が痛々しい。どうやら、地面を転がった際に素肌の一部が薄く剥けてしまったようだ。少し遠くには同じように擦り傷だらけな八雲藍が転がっている。…ま、二人共目覚めていないならどうでもいい。念のため、突き刺していた杭をもう少し深くまで押し込んでおくことにしよう。

八雲紫の額に手を当て、内部に妖力を流し込む。精神を曝き、その記憶を把握する。

 

「さ、続きだ」

 

途中から、とはいかなさそうだなぁ、と思いながら再開した。八雲紫の記憶が非常に大きく、深く、広い。重要なこと、秘匿すべきこと、知るべきではないこと…。そんなこと、わたしには関係ない。雑多なこと、日常風景、愛するもの…。そんなもの、わたしには関係ない。

わたしはこの身体について知りたいだけだ。さっきは途中の、どちらかというと最初のほうまでしか把握していなかったんだ。他にもいくつかあるけれど、最重要はそれ。

 

「…うん。…そっか。…へぇ。…あぁ、うん、そうだよね」

 

どのくらい時間が経ったか分からないけれど、わたしは全てを全て読み尽くした。知りたかったこと、知りたくなかったこと、全て知った。一人の妖怪の人生を、彼女がどれだけ幻想郷を愛していたかを、わたしは理解した。わたしをどう扱うつもりだったのか、わたしが一体何なのか、わたしは把握した。…うん、貰えるものは貰ったよ、八雲紫。

そして、わたしはこれからとても惜しいことをしようとしているんだなぁ、と感じた。けれど、それだけだった。もう少し感傷に浸ったり、もしかしたら決意が揺らぐんじゃあないか、とも考えたけれど、そんなことは全然なかった。心は凍てついたままだった。…それでいい。

 

「…幻香」

 

ゆっくりと立ち上がろうとしたところで、隣からわたしの名が呼ばれた。声がした方へ顔を向けると、こいしがそこにいた。何時からいたのだろうか?…分からない。

 

「どうしました、こいし?」

「もう、行っちゃうの?」

「…さぁ、分かりませんね。出来れば、日の出と共に向かおうと思ってるんです」

「そっかぁ。それなら、あと少し時間がありそうだね」

 

何故分かるんだろう、と思ったけれど、こいしがそう言うのならそうなんだろうな。

僅かに上がっていた腰を下ろし、体をこいしの方へ向けた。対するこいしは、笑っていた。けれど、その端々に寂しさが香る、少し痛みを感じるような笑み。

 

「わたしはね、幻香がここに来てくれてとっても嬉しかったんだ」

「わたしも、こいしと再会出来たときは嬉しかったですよ」

 

穴だらけだった記憶が元通り埋められた瞬間、思い出させられた最初の友達と大切な約束。二度と忘れないために記憶に刻み込むため、わたしは『碑』まで形成した。

 

「いつかまた地上へ戻るつもりだ、って言ってたけれど、まだずっと先の話だと思ってた。遠い未来の話で、訪れることはないって、そう思ってた。そんなはず、ないのにね」

「…わたしも、百年先まで残ることを視野に入れてましたからね。考えていなかったわけじゃあないですが、かなり前倒しになったな、と思ってます」

 

地上からわざわざやってきた友達と約束しましたからね、と頭の中だけで言う。けれど、これからその友達に会いに行けるかどうかは分からない。生きているか死んでいるかも、わたしには分からないから。

 

「こうして目の前に迫ってきてるのに、まだ大丈夫、って思ってる。お別れだ、って知ってるのに、また会おうね、って約束したのに、まだそう思ってる。おかしいよね。きっと、わたしは別れてから、失ってから、気付かされるんだろうなぁ」

「今は何も思えないけれど、冷静になって振り返ってみれば、わたしが切って捨てたものだらけ。…わたしも、きっと、事が済んだ後に後悔するんでしょうね」

 

どう選んでも後悔は付き纏うものだ。よりよい方法、よりよい選択、よりよい行動…。もっと正しかったことがあったんじゃあないか、って馬鹿みたいに考える。そんなもの、あるはずないのにね。不思議だ。そうだと分かっていても、今この瞬間は何も思わなくても、わたしは後悔するだろうって確信がある。

 

「だけど、幻香」

「はい」

「まだ実感がないけれど、まだ少し早いけれど、それでももう一度言わせて」

「うん」

「…また会おうね、幻香」

「…さようなら、こいし」

 

そう言って顔を伏せてしまったこいしの頭に優しく手を乗せ、慈しむように撫でる。わたしは、何も感じない。わたしは、何も聞こえない。わたしは、何も見ていない。振るえる体も、上下に揺れる体も、無理矢理噛み殺した嗚咽も、零れた水滴が跳ねる音も、地面を濃く濡らす色も。

 

「…そこはっ、またね、って、言ってよ…」

「ごめんね」

 

それは、確約出来ないから。約束したけれど、結局破るかもしれないから。最後のちっぽけな予防線。ズルいなぁ、わたし。分かってるよ。知ってるから。わたしは、そんな奴だって。

しばらく、頭を撫でていた。この瞬間だけは、わたしとこいしの二人だけがわたしの世界の全てだった。この瞬間で時を止めて、永遠のものにしたらどれだけ素晴らしいだろう。けれど、残念ながらこの地下空間は時を止められない。

 

「…もうそろそろだよ、幻香」

 

唐突に、こいしがそう言った。一瞬、何のことか分からなかったが、それが日の出の時間であることを思い出した。…そっか。もう、そんな時間かぁ。早いね。時の流れは残酷だ。

わたしは立ち上がり、地面を転がっている八雲紫と八雲藍を持ち上げて一ヶ所に置いた。そして、改めて世界を把握する。…うん、閻魔様の力は薄れて消えようとしている。あと一分も持たないだろう。何て切りのいい。地上と地底を繋ぐ大穴をわざわざ上る必要がなくなりそうだ。

 

「それじゃあ、行ってきますね」

「うん、いってらっしゃい、幻香」

 

こいしに別れを告げ、わたしは目の前の世界に指を突き刺した。八雲紫から理論は把握した。そして、わたしを知った。問題は、ない。出来る。可能だ。やれ。さぁ!

両腕を勢いよく広げると、目の前の世界が破れた。その先に見えるのは、博麗神社の境内。そして、何やら険しい表情を浮かべている博麗霊夢の姿があった。

両手に一人ずつ持ち上げ、わたしは破れた境界を跨いだ。渡り切ったところで、背後の破れた境界がゆっくりと閉じていく。わたしは境界が閉じ切るその瞬間まで、こいしの視線を背中で感じていた。

またね。たった三文字を言葉に出せないわたしを許してください。

 


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