東方幻影人   作:藍薔薇

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第441話

真夜中に強烈な予感を覚えて目が覚めた。眠気は一瞬で吹き飛び、掛け布団を蹴飛ばしながら床を転がり、即座に針や陰陽玉といった道具の類を手に取った。全身の鳥肌が立つ。寒さからではない。これから、何かが起ころうとしている。

 

「ッ!?」

 

そして、起きた。幻想郷が軋みを上げ始めた。外の世界からの侵略?…否、決して違う。私が管理している博麗大結界に全く不備はない。紫が管理しているはずの幻と実体の境界が大きく揺らいでいる。

紫に何かあったの?…あの紫に?まさか、そんなはずは…。あの紫よ?けど、確か、今日は地底でさとりと話し合う日ではなかったか?そこで何かあった?幻想郷を放っておかなければならないほどのことが?…そんなはずはない。紫は自身と幻想郷なら間違いなく後者を選ぶ。そういう奴よ。

つまり、紫は攻撃された。地底の連中に?けれど、後れを取るような相手が地底に潜んでいたようには思えない。

 

「…いえ、考えは後回しよ」

 

ひとまず、私が今なすべきことは決まっている。幻想郷の結界の補強。博麗大結界と幻と実体の境界は別々だが密接に繋がっている。紫の分を、私が補う。幻と実体の境界が潰えてしまえばそれまでだが、まだ残っている。その残っている部分を、私が引き上げる。

少なくとも紫は死んでいない。それは、幻と実体の境界に干渉した感覚と勘で分かった。それまでに、何らかの理由で境界の維持が困難となった紫を助け出す必要がある。しかし、これは飽くまで延命措置。おそらく、二、三日も経てば幻想郷は崩壊してしまう。ゆえに、博麗大結界の補強が済むと同時に地底へ向かおう。急げば夜明け頃には済むはずだ。

時間の感覚が消失するほど集中し、気付けば遥か遠くの地平線から日が昇り始めていた。…もう少しよ。気を緩めてはいけない。途中で切り上げるような真似をすれば、その脆弱な部分から崩壊が加速してしまう。最後までやり切らなくてはならない。

 

「…ふぅ。よし」

 

終わった。しかし、慌ててはいけない。相手は未知数だが、紫を降した相手。こんな寝間着のままではいけない。そう思い立ったらすぐ行動し、手早く紅白の巫女装束に着替え、手元に置かれていた道具を収める。

そして、私は外に出た。朝日が目を突き刺し、思わず目を細める。そんな時だった。

 

「…え?」

 

その音は、何枚も重ねた障子紙を一気に破るような音だった。目の前の参道に歪んだ線が走り、そして引き裂かれた。歪なスキマ。その奥に見えるのは何処までも広がる更地と、私だった。

目の前の私は足元に転がっていた二人の誰かを両手で掴み上げ、歪なスキマを跨いで現れた。背後の歪なスキマが音もなく閉じていくのを見遣り、それから私の前に現れた私に目を向ける。見覚えがある。お互い知り合っている。生死を賭けて戦った。しかし、それはあり得ない存在のはず!

 

「あ、アンタは…、どうしてッ!?」

「そこは初めてにしては上出来だ、と褒めてほしかったですね。…ん?もしかして、封印されているはずよ、って続くつもりだったんですか?博麗の巫女」

 

鏡宮幻香。間違いない。私がこの手で封印したはずの鏡宮幻香が、今私の目の前で不敵に笑っている。

 

「あ、お土産です。どうぞ」

 

そう言って、幻香が両手に持っていた二人を転がした。それが誰か分かった瞬間、私の背筋にゾワリと悪寒が走った。紫、そして藍。遠目で見え辛いが、二人の心臓に漆黒の杭が突き刺さっているのが見えた。あれは一種の封印。紫が封印されたから、幻と実体の境界が揺らいだ。それを理解したと同時に、この異変を引き起こした首謀者が特定出来た。

 

「そう、アンタがやったのね…。幻香ッ!」

「えぇ、わたしがやりました。何を怒っているのか分かりませんが、八雲紫をこんな風にしたのは確かにわたしですよ」

 

そう言いながら、幻香は参道に横たわる紫と藍を蹴飛ばして脇に追いやった。その様子に目が言っている隙に、私の背後からくぐもった破砕音が響いた。音のした場所は、私が幻香を封印している場所。すぐさま振り返ると、破壊された場所から糸を引くように勢いよく引っ張られた人影が出てきた。

 

「うっわ、ズタボロじゃあないですか…」

「ゲホッ!…こ、こは…?」

 

幻香の隣に手繰り寄せられたのは、また私だった。封印された時のまま体中傷だらけの見るに堪えない私。そんな傷だらけの私が、幻香にゆっくりと顔を向けた。そして、何かを悟ったような表情を浮かべる。

 

「…そう」

「ありがとうございました」

 

そして、消えた。残されたのは零れ落ちた血痕だけ。それも、しゃがみ込んだ幻香がサッと手を払うと消えてしまった。

私を跡形もなく消し去った幻香は、私に微笑んだ。だが、その微笑みに温かみは一切なく、ドロリと全てを飲み込むような深淵を覗いている気にさせる。これは博麗の巫女以前に、人間以前に、一つの命としての本能が警鐘を鳴らす。コイツは、危険だ。

警戒を最大限まで引き上げたにもかかわらず、目の前の幻香はそれこそどうでもいいと言わんばかりに、のっそりと立ち上がった。そして、両手を組んで大きく伸びをしてから脱力し、一息吐いてから口を開いた。

 

「種明かしをしましょう。見ての通り、身代わりを創りました。だから、わたしは封印されずに済んだ」

「そんなこと見れば誰だって分かるわよ」

「アハッ、そうでしたか。じゃあ、わたしがここにいる理由も分かってたりするんですか?分かってるなら説明しないで済んで楽なんですけれど」

「知らないわ。けど、幻香。アンタを叩きのめす。そして、紫を救う。それで十分よ」

 

そう言い放ち、お祓い棒を幻香に向けた。しかし、目の前の幻香は不満げな表情を浮かべ始める。そして、わざとらしいため息を吐いた。

 

「不十分ですよ。間違いだらけだ。まず、叩きのめすじゃあない。殺す、だ。生死を賭けて、再戦といこう」

「…ッ」

 

濃密な殺意。きっと、幻香は朝に目覚めるように、空腹で何か食べるように、それこそ息を吸って吐くように、当たり前のように私を殺す。瞳の奥に小さな漆黒の炎を垣間見た。目的のための全てを捧げる、真っ直ぐ過ぎて逆に歪んで見える、そんな強烈で絶対的な意志。

 

「次に、紫を救う必要はない。わたしはもしかしたら邪魔になるかもしれないからやっただけ。事が済めば、キチンとお返ししますよ。ほら、お土産って言ったでしょう?…あれ、それだともう返したってことになるのかな?」

 

そう言いながら、先程脇に蹴飛ばしていた紫と藍を見遣った。事が済めば返す?お土産?思わず歯を噛み締める。ふざけるな。

 

「そして、知らないってのもよくない。未知は愚で、不知は罪だ。だから、言わせてもらおう。今度こそ貴女に勝つために、そして清算を済ませるために、わたしはここに来た」

 

芝居がかった口調だ、と私は感じた。けれど、それが事実であろうとも感じた。勘に過ぎないが、これが外れているとは思えない。

 

「最後に、幻香。これも違う」

「は?」

「…まぁ、別に間違いは間違いのままでもいいとは思っていますが、これだけは正しておきたかったんでね。わたしは、これから濡れ衣を着るよ」

「アンタ、何を」

 

何を言っているのか分からない。そんな私を置き去りにしたまま、幻香はふわりと浮かび上がり、そして私を見下ろした。

 

「わたしは鏡宮幻香じゃあない。…そうだなぁ、幻禍(まどか)。わたしの名前は鏡宮幻禍。しがない『禍』だ」

 

瞬間、目の前の存在が変わった。名乗った名前は変わったように聞こえない。だが、同じ音でも、何処か違うものに聞こえた。見た目が変わったわけじゃない。だが、確実に何かが変わっていた。もっと根本的な何かが。

 

「始めようか、博麗の巫女。貴女は小綺麗な正義を掲げて華々しく死んでくれ。わたしは小汚い悪を引っ提げて惨たらしく生きるから」

 


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