東方幻影人   作:藍薔薇

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第445話

大量の札を放ちながら駆け出し、空気が爆ぜる音と共に札を吹き飛ばした幻禍に肉薄する。振り下ろされる棍棒を紙一重で躱しながらの掌底。軌道上に現れた包丁に対し、掌底を急停止。腕を引くと同時に体を回転させ、回し蹴りを放つ。

 

「ハァッ!」

「お、…っと」

 

棍棒で防御しようとした幻禍だったが僅かに間に合わず、あらゆる障害をすり抜けて脇腹に深く入る。直撃した脚に霊力を送り、即座に放出。炸裂した霊力に吹き飛んでいく幻禍の元へ走り出し、隙を与えず追撃を図る。

 

「ッ!」

 

が、その目論見は勘に従って止め、即座に後転を繰り返して距離を取る。瞬間、幻禍付近の地面から大量の刃物は跳び出した。先程まで私がいた場所も当然その範囲に入っていて、あのまま飛び出していたら、と思い一筋の冷や汗が流れた。

代わりに霊力弾を放つが、それらは幻禍に被弾する前にかき消されてしまう。そんな最中で幻禍はゆっくりと立ち上がり、私を見て嗤う。

 

「まだだなぁ…。わたしを殺すには、あまりにも弱過ぎるよ。威力、速度、そして殺意。どれも足りてない」

「…あっそう。すぐ埋めたげるわ」

「それは重畳。全くもって悪くない」

 

そう言い放ち、幻禍は私の頭へ棍棒を振り下ろした。コイツ、この距離を一瞬で、しかも私が気付けない速度で!?

 

「ソラァッ!」

「くっ」

 

咄嗟に結界を張って防御を試みたが、棍棒がぶつかった箇所から全体に罅が走り、儚く砕け散ってしまった。棍棒が結界を破壊するまでの一瞬の間に身をよじって躱したが、続くもう片方の棍棒の振り上げをまともに喰らってしまった。

身体が浮かび、ほぼ無防備となった私の腹に棍棒が思い切り捻じ込まれ、そのまま吹き飛ばされた。

 

「げほっ!…はぁ、はぁ」

 

地面に叩きつけられながら転がり、思わず吐き出した唾の色はない。内臓は無事だ。身体を動かすたびに激痛が走るが、気力で無理矢理抑え込み、両脚を踏ん張って立ち上がる。そして、両手の棍棒を弄りながら嗤う幻禍を睨んだ。

 

「どうしたんですか?かかって来なよ」

「言われなくともッ!」

 

挑発する幻禍に接近し、霊力を込めた陰陽玉を投げ飛ばす。それを私から見て左に跳んで躱した幻禍へ札を一枚放つ。その札は一発の妖力弾で細切れにされたがそれでもいい。その隙に肉薄し、思い切り蹴り上げる。その軌道上にまたもや脇差が現れたが、足に簡易の結界を張って弾いた。

 

「てぇッ!」

 

そのまま顎を蹴り上げて浮かんだ幻禍の鳩尾に全力の掌底を叩き込んで吹き飛ばす。派手に地面を転がっていき、行きついた先には大量にばらまかれた札がある。そこに吹き飛んでいくように狙った。

 

「縛」

「ぐ、おっ?」

 

地面に散らばった札から霊力が伸び、仰向けとなった幻禍を雁字搦めに拘束する。勇儀相手には引き千切られたが、今回はそう簡単にはいかせない。幻禍の身体を一緒くたに縛るのではなく、各部位に分けて縛り上げる。そうすることで、一ヶ所破っただけで拘束を剥がされる、なんてことは起こらない。

ふぅー、と肺に溜まっていた息を吐き出し、一歩ずつ幻禍の元へ近付く。

 

「おや、もしかして勝ったつもりで?」

「…いえ、まだよ。まだ、アンタを殺せていない」

「そりゃそうだ」

 

そう言って幻禍は嗤い、そして幻禍を中心に爆発した。

 

「う…ッ!?」

 

爆発の衝撃で地面が大きく抉れ、砂煙が舞う。そこに一筋の風が突き抜けて砂煙が掻き消えると、そこには服を多少傷物にしながらも拘束を破った幻禍が浮かんでいた。

 

「まぁ、あれだ。ご自慢の夢想天生を攻略しただけで、ここまで弱く感じるとは思っていなかったよ」

「…何ですって?」

 

その言われ方に思わずカチンときたが、すぐに冷静になる。悔しいが、事実だったからだ。私の奥義である夢想天生は破られた。だが、そうだからと言って夢想天生を解除するわけにはいかない。そんなことをすれば、幻禍本人の攻撃まで喰らうことになってしまう。

そう考えながら幻禍に対する殺意を滾らせ、右脚を一歩踏み出した瞬間、幻禍が忽然と視界から消えた。

 

「え――ガッ!?」

「そしてこの様だ」

 

突然こめかみに衝撃が走り、地面を転がされる。速い。速過ぎる。

叩かれたこめかみを手で押さえ、グラグラ揺れる視界とふらつく足で立ち上がる。そんな私に意識が向いていないらしい幻禍は、私がさっきまでいたところに立って呟く。

 

「うん。この速度で反応出来ないみたいなぁ…。なら、速度に関してはもう十分かな?」

「ふざけないで。すぐに慣れるわ」

「ん?聞いてたの?…ま、いいや。慣れたならまた対処するからさ」

 

そう言って余裕そうに嗤う。…今に見てなさい。幻禍を確実に殺す方法。それさえ思い付けばいい。

どうすればいい?正直に言えば、このまま幻禍の攻撃を耐え続けて妖力枯渇を狙うのは、この調子では厳しいだろう。時間を掛ければ掛けるほど私は幻禍の攻撃を多く受け、倒れてしまいかねない。それに、工程が多ければ多いほど、幻禍に見抜かれる可能性も上がる。ならば、取るべき方法はやはり一撃必殺。

そうと決断したら、自然と胸の奥に黒い炎が灯った気がした。…あぁ、これが、アイツに宿る、理解してはならないと思っていた、漆黒の意思。幻禍を殺す。殺せる。

 

「いい目だ。殺意は十分と見た」

「…そうね。今なら、アンタと分かり合えるかもしれないわ」

「そりゃ無理だ」

「分かってたわ」

 

身体中を走る激痛は忘れた。身体が軽い。目の前の殺すべき対象のみが視界に鮮明に浮かぶ。私が思い描く最高の動きで幻禍の元へ駆け出した。

地面から何かが飛び出てくる、と勘が告げる。瞬間、世界が緩やかに流れていく。地面から大量の刃物の切っ先が僅かに表れるのが見える。だが、それにはむらがあり、また両刃ではないものも混じっている。飛び出す刃物の僅かな隙間に体を合わせると、体の数ヶ所から血が舞う。だが、斬れたのは皮のみだ。多少の傷はどうでもいい。今は、真っ直ぐと幻禍へ。

一枚の札を手に取り、躱せると思っていなかったのか軽く目を見開いている幻禍に肉薄する。振り下ろされる棍棒。気にしない。無視だ。

 

「は?」

「私を舐めないでほしいわね」

 

そして、棍棒はすり抜けた。札を持った手を伸ばし、その軌道上を飛ぶ刀も当然すり抜ける。

私はさらにもう一つ浮いた、…いや、一歩踏み出したのだ。感覚的ではなく、意識的に。未だに夢想天生の理解は出来ていないが、それでもその場に留まることを止め、世界からさらに遠ざかったのだ。

 

「私は、博麗の巫女よ」

 

そう言い放ち、私は幻禍の胴体に札を張り付けた。幻禍はニヤリと笑った。

 

「破」

 

たった一言、発する。パン、と乾いた音を立てて上半身が爆ぜた。血飛沫が舞う。グラリと下半分が傾き、そして倒れた。断面から臓器と血が流れ出る。幻禍だったものを中心に、血の海が広がる。

 

「ぁ」

 

殺した。

 

「あぁ」

 

私は殺した。

 

「あぁあ」

 

私は幻禍を殺した。

 

「あぁあぁぁぁ……」

 

殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。…殺して、しまった。

理想が音を立てて砕け散る。にわか仕込みの漆黒の意思が真っ赤な血で染まり、後悔が私を染め上げる。そして、私の目の前に現実が広がる。気持ち悪い。吐き気がする。嫌だ、嫌だ、嫌だ。だが、私がどう思おうと、どう足掻こうと、目の前の光景は決して変わらない。

幻禍は死んだ。私がこの手で殺した。もう理想は叶わない。あるのは、目の前の死体だけだ。

 

「…霊、夢」

「…紫?」

 

後悔の最中、紫の声がした。ふわりと倒れそうになった体をどうにか持ちこたえ、振り返った。そこには、黒い杭を引き抜いたらしい幽々子に支えられながら横になっている紫がいた。その奥には杭を抜かれたが未だ目覚めていない藍もいた。

 

「…ねぇ、私、やったわよ。…紫」

 

そう言って、私は無理矢理笑う。そんな私を、紫と幽々子は恐ろしいものを見る目で見た。…ねぇ、どうしてそんな目で私を見るの?今、私は否定されてしまったら、きっともう駄目だ。

 

「…嘘」

「…そ、んな」

 

…違う。この二人は、私を見ていない。私を通り越した何かを見て、恐れている。

 

「…あーあ」

 

背筋が凍る。馬鹿な。有り得ない。殺した。確実に。私が、この手で。何故その声が背後からする…!?

私は震える体を抑えることなく振り向いた。

 

「んっんー…。わたしは何にも傷付いちゃあいないのに、何をやり遂げたようなこと言ってんだか」

 

殺したはずの幻禍が、傷一つない体で血の海の真ん中に立っていた。

 


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