全身が茹で上がっているように熱くて、それでいて冷水に浸っているように寒い。身体はまるで鉛を流し込まれたように重く、そして怠い。そんな体が大きく揺らされて気持ち悪く、吐き気が込み上がってくる。
「げほっ!…けほっ、こほっ」
「魔理沙!?」
…声が聞こえる。いつも聞いている声だ。その声が、私の名を呼んでいる。
重たい瞼を持ち上げ、ぼんやりとした視界を見遣る。ポタリ、と頬に何かが落ちた。
「…ア、リス?」
「よかった、起きたのね…っ」
「あぁ…。どう、なってんだ、今…」
「…霊夢と幻禍が戦ってるわ」
私を見下ろしているアリスから戦う音がする方へと首を傾ける。そこではアリスの言うとおり、透き通った霊夢と幻禍が互いに攻撃し合っていた。空振りの方が圧倒的に多いが、それでも時折ぶつかり合う音がこちらに聞こえてくる。
そんな二人の死合を見て、思い出す。突然、頭上から降り注ぐ妖力。私の出来る最高火力は拮抗し、それでいて幻禍は役割を分ける余裕まであった。…私の、負けだ。
そう自覚した途端、胸の奥が軋んだ。重たい手を持ち上げて胸のあたりを握り込むが、とても収まりそうにない。私では追い付けない。私では届かない。私では触れられない。悔しい。悔しい。悔しい…っ。
「おや、お疲れのようですねぇ」
どの程度、歯噛みしながら見入っていただろうか。唐突に幻禍の声がしてハッと意識が戻る。
「…気付けば、他の方々も目覚め始めましたねぇ。ほら、見てくださいよ」
そう言った幻禍の言葉に思わず周りを見回した。…確かに、早苗も咲夜も妖夢も紫も目覚め、二人を黙って見ていたようだ。突撃したくても出来ないから、見ているしかなかったんだと思う。
そんなことを考えながら視線を戻すと、霊夢と目が合った。闘志と殺意が混ざり揺れている。だけど、それは危うく、儚く感じた。
「今のわたしは貴女で手一杯なんだよなぁ…」
「させないわ、絶対に…ッ!」
「しないよ。わたしは、ね」
そう言った幻禍は、空いていた腕をスッと真横に伸ばした。そして、人型のものが創られた。黒髪くらいしか特徴らしい特徴がない。あまりに平凡過ぎて、個性がなさ過ぎて、逆に違和感を覚えてしまうような少女。
そんな少女がゆっくりと目覚め、パチクリと瞬きし、そして幻禍を爛々と輝く瞳で見詰めた。何をするかと見詰めていると、ペコリと深くお辞儀をした。
「私を誕生させていただき恐悦至極です。主様っ!」
「…あれ、こんな性格になるの?」
なんだ、あれは?少し前に私達の前に創られた人形とは明らかに訳が違う。というか、主様?
幻禍が創ったものが理解出来ない。それはアリスも同じように見える。そんな私達を置いていくように、それは私達を見回してから言葉を続けた。
「状況は何となく把握しました。主様、他の相手は私にお任せくださいっ!」
「あ、うん。…ま、好きにしていいよ」
「好きにしていいのであれば、まず一つ、私に名前をくれませんか?」
「名前ぇ?必要ですか、それ?」
「必要ですよっ!このままでは名乗りを上げれないじゃあないですかっ!」
「あ、そう…。それじゃあ、香織と名付けよう。初めての誕生祝いだ。わたしの棄てた名を継いでほしい」
「香織ですねっ!ありがとうございましたっ!」
そう言うと、香織と名付けられたそれは私達の方へ歩いてきた。…いや、歩いてと表現したけれど、実際は近付いてきたわけではなく、透き通っていた体が実体を得てきた、といった方が正しい。だが、それはまるで私達の場所まで歩いているように私は見えた。
そして、それは私達の前で優しく微笑んだ。
「はじめまして、皆様。私は香織と申します。今から主様の代わりに貴女達を倒します」
その宣言を言い終えた瞬間、姿が掻き消えた。ガギン、と金属音が響き、慌ててそちらへと顔を向ける。
「く…ッ!?」
「やっぱりまだ難しいですね、こうして動くのは」
妖夢が香織の脚を楼観剣で受け止めていた。…熱いとか、寒いとか、重いとか、怠いとか、気持ち悪いとか、そんなこと言ってられないな。私達は攻撃されている。
地面に手を付き、私は痛む体を起こし立ち上がる。さっきまで感じていた悔しさをばねにして、私は新たに創られた敵を睨みつけた。そして、右手に握ったミニ八卦炉を突き付ける。
「妖夢ッ!そこから動かすなよッ!」
「無茶、言いますね…ッ!」
「…まさか『禍』は…?いえ、今はそんなこと考えてられませんね!助太刀しますよ!」
妖夢が香織を逃がさぬよう楼観剣を振るい、早苗も弾幕と共に飛び込んで牽制をする。その間に魔力をミニ八卦炉へ送り、増幅させる。
「恋符『マスタースパーク』ッ!」
「そこね」
「よし、今ッ!」
そして、十分に充填された魔力を解き放った。それと同時に妖夢と早苗は跳び退り、咲夜が香織の両側の空いた空間へナイフを素早く投擲し、アリスの人形が頭上へ弾幕を張る。そして、私が放った魔力が逃げ場をなくした香織に直撃した。
だが、それは一瞬のことで、膨大な魔力は真ん中から引き裂かれる。程なくして魔力の放出が終わり、そこにはピンと伸ばした右腕を振り下ろした香織が平然と立っていた。
「うん、大体分かってきましたよ。主様が創られたこの身体の動かし方が」
そう言うと、その場から動かず右腕を大きく引き絞る。そして、一気に突き出した。
「ぐふっ!?」
「アリスッ!?」
隣に立っていたアリスが突然吹っ飛んだ。髪の毛の一部が突風に持ってかれる。拳圧による衝撃波か。力は鬼並みか…。
身体の所為ではない冷汗が流れるのを感じていると、急に幽々子に支えられながら心臓を上から押さえた紫の震えた、しかし歓喜が混じり、だが悲哀に満ちた言葉を告げた。
「まさか、貴女、生命を創ったの…?」
その言葉は、私達ではなく、香織にでもなく、幻禍に向けられていた。霊夢と戦いながらそれを聞いていた幻禍は、霊夢の攻撃をかわしながら返事をした。
「えぇ、創りました。よ、っと。…今、話し中だから、っと。攻撃緩めてくれるとっ、嬉しいなぁ」
「黙らっしゃいッ!」
「あぁ、そう、かいっ!」
そうは言うものの、幻禍は余裕気に霊夢の攻撃をかわして続きを語った。
「…ま、わたしが創るべきは、精神じゃあなかったってことですよ。もっと大事な、それでいて曖昧な、魂だったってだけの話。いくつかの魂を喰らって、わたし自身が魂であることを感じ、実際に創ってみて、確信した」
…幻禍が、生命を、創った…?あの能力で?
「そんなの、神様になったようなものじゃないですか…」
早苗の呆然とした声が耳に入る。神。幻禍が、神…?そんな馬鹿な。
紫の放心した顔。しかし、それは一瞬のこと。すぐにくしゃりと顔が歪んだ。…あんな紫の顔、初めて見た。悔しくて悔しくて堪らない、そんな気持ちが見るだけでいやってほど伝わってくる。
「話は終わりましたね?それでは、続けますよ」
私達の間に流れる空気をぶった切る発言。どうやら、幻禍の言葉が終わるのを律義に待っていたらしい。
私は即座に反応し、ミニ八卦炉を構える。咲夜はナイフを携え、妖夢は鞘に収めた楼観剣の柄を握る。アリスの人形を何体か出したが、早苗は何故か動かない。幽々子は紫に付きっ切りで、そして紫はとてもではないが戦えそうにない。
香織が左腕を引いた瞬間、私は弾幕を放った。跳び出した妖夢が香織に肉薄し、咲夜は離れた位置から常に隙を狙い続けている。アリスが私の隣に立つと、不思議と闘志が湧いてくる。
幻禍が創ったこいつは私達が絶対に倒す。だから、霊夢。悪いが幻禍を任せるぜ…!