東方幻影人   作:藍薔薇

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第449話

…いつもと違う天井だ。博麗神社ではない別の場所であることを認識し、それから迷いの竹林の奥にある病院、永遠亭に運び込まれたことを思い出した。そして、左腕が切断されたことも。

敗北感。それが私の心を満たす。確かに負けなかった。けれど、勝てなかった。アイツが負けを認めたから私は勝ちました、と言われても、あの状況で私は勝ったと豪語出来るほど私の神経は図太くない。

しかし、得られたものもあった。…いや、得た、何て前向きな言葉を使うべきではないわね。普通に生き返りやがったが、それでも一度は確かに殺したのだ。私の芯まで染み付いた甘さが抜け切った、にわか仕込みの漆黒の意思。それを背負ったのだ。

 

「…朝」

 

甘かった頃、迷った頃、そして今。窓から見える景色は普段となんら変わったようには見えなかった。そんな単純なことなのに、とても心が安らぐ。私に変わりはない。そう思えた。

そうやって外の景色をぼんやりと眺めていると、静かに扉を叩く音が部屋に響いた。

 

「起きてるわ」

「そう、それはよかった」

 

返事をすると、永琳が扉を開けて部屋に入ってきた。片手に持っていた診察道具と思われるものを机に置き、それから私の横に置かれていた椅子に腰かけた。

 

「それじゃ、いくつか調べさせてもらうわよ」

「はいはい。早く終わらせてよね」

 

永琳に瞼を広げられたり、首に手を当てられたり、胸に何か押し当てられたりと、色々された。そして、私の左腕に触れる。ほんの僅かだが、触れられているような感覚がした。

 

「どう?」

「触れられてるのは何となく感じるわ」

「そう。それなら後は時間と努力次第ね」

 

切断された左腕は、永琳の手術によって繋がれた。しかし、すぐに元通り、とはいかないらしい。ままならないものだ。

そう思いながら左腕を睨んでいると、わざとらしいため息が聞こえてきた。

 

「…あのねぇ。一度離れた腕を繋いで、また動かせる。それだけで儲けものなのよ?」

「異変は待っちゃくれないわ」

「完治するまで他の、例えばあの白黒魔法使いにでも任せなさい。これは医師としての命令よ」

「…分かってるわよ。治してくれたことには感謝してるわ」

 

分かっていても、気は逸るばかりだ。しかし、どれだけ気が逸ろうとも左腕はほとんど持ち上がらないし、左手を握ろうとしても指先がピクピクと動くだけ。

 

「ちゃんと動かせるようになるまで私達が付き添うから、そう焦らないでほしいわね」

「…期間は?」

「さぁ、そればっかりは貴女次第よ。…ま、腕は綺麗に切断されてた。私は最善を尽くした。これから貴女が最善を尽くす。そうすれば早く済むわ」

 

そう言われ、私は両手を固く握り締めようとした。しかし、やはり左手は握ることが出来なかった。どれだけ時間が必要だろうか?出来るだけ早い方がいい。しかし、焦って過剰にすればよくないことを、時間を努力のみで埋めるのは到底無理であることを理解している。焦ってはいけない。落ち着いて、少しずつ、元に戻していけばいい。

気持ちが落ち着いたことで、ふと先程永琳が言った言葉に引っ掛かりを覚えた。

 

「綺麗に切断されていた?」

「えぇ、そうよ。何処の誰がやったかは知らないけれど、本気で貴女の腕を欠損させたいなら切れ味は悪い方がいいに決まってるじゃない。手術した私からすれば、まるで治してください、って言わんばかりに切断面が綺麗過ぎたもの。運がよかったわね」

 

そう言われ、思わず顔が歪む。まるで治してください?…えぇ、きっとそうだったんでしょうね。本気で腕を吹き飛ばすなら、わざわざ刀である必要なんてないのだから。とことんむかつかせてくれる。

吐き出す先のない怒りが込み上げ、右手を固く握り締める。だが、ものに当たったりは決してしない。

 

「そうカリカリしないでほしいわね。治りが悪くなるわよ」

「…そう。分かったわ」

「分かってないでしょう?…はぁ。まぁ、いいわ。私は出て行くけれど、すぐに別の人が会いに来るから。貴女を心底心配している人がね」

 

そう言い残し、永琳は扉を開けて部屋を出て行った。開けっぱなしの扉を閉めようと思い、腰を浮かしたところで、永琳が言っていた会いに来た人が部屋に入ってきた。

 

「霊夢…」

「紫…。どうしたの?」

「貴女に伝えておかないといけないことがあるわ。質問は最後にしてちょうだい」

 

まだ顔色が優れていない紫は、やけに真剣な表情で先程まで永琳が座っていた椅子に腰を下ろしてからそう言った。伝えておかないといけないこと、ね。つまり、あの後どうなったかだろう。

 

「まず、博麗神社は新しく建て直しているわ。ま、貴女がここを出るより早く終わる予定よ」

「なら、その予定を狂わせてあげるわ」

「…そうね。狂わせてちょうだい」

 

私の冗談に対して微笑む紫を見て、少しだけホッとした。明らかに本調子ではない紫の気が少しでも紛れたのならいいことだ。…あと、出来ることなら本当に狂わせてやりたい気持ちもある。

 

「次に、貴女も察しているでしょうけれど、今の私は本調子とは言い難いわ。時間が解決してくれるでしょうけれど、体力も妖力も能力も十全に扱えない。けれど、幻想郷を覆う結界はギリギリのところで成り立っている。貴女のお陰よ。ありがとう、霊夢」

「そう。…どういたしまして」

 

やはり、紫も完治とは言い難いのか。スキマを利用してここに侵入してこないところが既に違和感しかない。あの漆黒の杭による封印は、思っていたよりも深刻だったようだ。けれど、幻想郷は問題ないことが知れて安心した。

 

「次に、魔理沙達。彼女達は既にそれぞれがそれぞれの手段で治療して日常に戻ったわ。腕を斬られた貴女が一番重傷で、他の皆は血を流したり、鼻が潰れたりしてたものの、まだ軽傷だったもの」

「…なら、よかったわ。…魔理沙に言っておいてほしいことがあるのだけど、いいかしら?」

「質問は――えぇ、いいわよ」

「私が治るまで任せる、って伝えといて」

「彼女のことだからすぐ見舞いに来るでしょうけれど、私からも伝えておくわ」

 

この左腕が治るまで、私はここを出ることが出来ないでしょうからね。そう思うと、やはり出来るだけ早く…、いえ、焦っては駄目よ。最善を尽くす。それが私がやるべきこと。

 

「最後に、あの子…幻香のことよ」

「…ッ」

 

来た。出るとは思っていた。だが、分かっていても、冷静ではいられない。様々な負の感情が渦巻く。だが、深く息を吸って吐きながら、それらを出来るだけ抑え込んだ。…よし、もう大丈夫。

 

「…続けて」

「あの子は幻想郷から消え去ったわ。あの子が創った香織と共に」

「消えた、ですって?」

「えぇ。使える式神を全部使って幻想郷中を調べさせたわ。もちろん、今の私が出来得る力も尽くした。けれど、何処を探しても見つからなかった」

 

消えた。幻禍が、消えた?…また何処かに隠れているだけじゃないの?

そう思っていると、紫は一つため息を吐いた。そおれから、まるで見透かされているような目で見詰められる。

 

「…隠れているだけじゃないのか。…えぇ、私もそう思う、…いえ、思いたいわ。けれど、地上はもちろん、地底も隈なく探した。危険を承知で魔界まで探させた。けれど、何処にもいないのよ。それらしい痕跡もなかったのよ」

「痕跡?…じゃあ、最後に付けられた痕跡は何だったの?」

 

ふと思いついた疑問。ここから、何かが分かるのではないか。根拠はないが、そう感じた。

 

「博麗神社の階段を最後の段まで下り切ったところまで足跡があった。…それが最後よ」

 

つまり、外の世界。本来ならば脱出不可能な博麗大結界と幻と実体の境界がある。だが、私と紫が衰弱して緩んだ隙なら、あるいは…。

そこまで考えたところで、頭を軽く振るう。結局外の世界に出たところで、幻想の者は外では生き残ることが出来ない。存在を完全に否定され、そして消滅するだけだ。

けれど、もしかしたら、規格外と化したアイツなら、あるいは…。…いえ、止めましょう。いくら考えても、これは妄想に過ぎない。

 

「…消えたのなら、もういいわ」

「…残念ね。…とっても、残念よ」

 

そう呟いた紫の声が、冷たい空気に溶けて消えた。

 


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