第63話で幻香が食事している最中に話していたという設定の小話。
「おねーさんってさ、実はおにーさんだったりしない?」
「ぶふっ」
むせた。思いっ切りむせた。その拍子に喉へと転がり落ちた茸の欠片をどうにか飲み下し、一旦スープモドキが入っている食器を机に置く。急に何てこと訊いてくるのフランさん…。
「けほっ、こほっ。…何がどうなってそんなことを考えたんですか、フランさん?」
「いやね、私にそっくりだからおねーさんのことをおねーさんって呼んでたけれど、本当は雄かもしれないなぁ、って思ったの。おねーさんがおにーさんだったら呼び方変えないといけないと思って」
「…あぁー、そういうことですか」
納得した。まぁ、気になる人は気になるかもしれない。別に気にしなくていいと思うけれど…。
けれど、わたしの性別かぁ…。どう説明したらいいかなぁ…。あ、ちょうどいいものがあった。
「フランさん。そこの本棚にある『医術教本』って本を取ってくれませんか?」
「分かった。…えっと、これ?」
「そう、それ」
フランさんが取ってくれた『医術教本』を受け取り、パラパラと捲っていく。そして、目的の項目が書かれているところで止めた。その項目は、生殖器について。
…後ろにいる咲夜さんの視線が若干冷たくなった気がする。解せぬ。
「これは飽くまで人間の図ですから、もしかしたらわたし達妖怪とは違うかもしれませんけど…。まぁ、そこはしょうがないと思ってくださいな」
「いいけど…。へぇー、こっちが人間の雄でこっちが雌なんだね」
「そうですね」
わたしの隣に身を寄せて『医術教本』を覗き込むフランさんの言葉を肯定する。
まぁ、わたしにとっては体の構造的に急所となる部位を知るために読み込んだものだが…。生殖器なんかは男女共に急所の一つで、男性に対しては特に有効である。滅茶苦茶痛い、らしい。
そんなことを思い出しながら、わたしは『医術教本』の図を指差しながら説明を始めた。
「で、男性はこの精巣で精子を作ってこの陰茎から排出するみたいです。鳥肉の白子なんかが精巣に当たりますね。…食べたことありますか?」
「多分ないと思うけれど…。どんな見た目なの?」
「その名の通り、白色の楕円球ですね。薄っすらとした桃色が混じっているかな?」
「美味しいの?」
「美味しいですよ。トロッと濃厚で」
「へぇ…」
…フランさんは白子を想像しているようだけど、見て食べたほうが早いと思う。とは思うものの、腐るのが早い部位はさっさと食べてしまうか捨ててしまうため、残念ながら手元にはない。
おっと、想像しているところ悪いけれど、早く次の説明に移りたい。そう思い、わたしはフランさんの肩をチョイチョイと突いた。
「で、女性はこの卵巣から卵子をこの子宮に排出するみたいです」
「あ、これ私にもあるよ。触ると変な感じがするところ」
「ふぅん、そうなんだ。まぁ、そんな記述も――」
その発言の途中で、わたしの首筋にヒヤリとした何かを感じて口を閉ざす。キョトンといった風に首を傾げているフランさんに気にしないでいいと伝えながら、わたしはチラリと背後を伺う。…どうしてナイフを仕舞っているんですか、咲夜さん?使う機会はなかったはずですよね…?
…さて、気を取り直して続きの説明へと移ろう。発言には注意した方がよさそうだが、何に注意すればいいのやら…。
「…えっと、鳥肉のちょうちんなんかが卵巣に当たりますね。…これも食べたことないですか?」
「うん、聞いたことないなぁ…。ねぇ咲夜、おねーさんが言ってる白子とちょうちん、私って食べたことある?」
「…いえ、お出ししたことはありませんね」
「そっか。あのさ、今度食べてみたいんだけど、いい?」
「…検討しましょう」
一匹の鳥から取れる量が少ないし、性別によって取れるかどうかが分かれる部位だからなぁ…。咲夜さん、苦労しそうだ…。まぁ、フランさんの食の経験が広がること自体はいいことだろう。きっと。
…あぁ、今は白子もちょうちんも関係ないか。これ以上外れる前に軌道修正して、説明に戻らせてもらおう。…また外れる気がするけど。
「生殖の際に男女が番いとなってお互いの生殖器を使って性交して子孫を作るわけですが…」
「じゃあ、私は雌ってことでいいのかな?」
「そうなんじゃないですか?ま、詳しくは同じ吸血鬼のレミリアさんに訊いたほうが早いと思いますが…」
「…えぇー、お姉様に訊くの?」
そう言って嫌な顔をするフランさんだけど、わたしには分からないのだからどうしようもない。知っているであろう人がいるのなら、その人に訊いたほうがいいだろう。
それにしても、さっきから背後にいる咲夜さんの視線が突き刺さって痛いったらありゃしない。わたしの説明の何が悪いって言うんだ…。確かに説明不足なのは認めるけども。
「で、この男女差の一つとして存在している生殖器なんですが…。わたし、どっちもないんですよね」
「え、ないの?」
「はい、ないですよ。見せろと言われれば見せますが…」
「んー…、別に見せなくていいよ」
そう言いながら、フランさんは右手でわたしの本来生殖器があるべき股間を服の上からまさぐってきた。あぁ、わざわざ見せなくても触れば分かるか。多少くすぐったいが、まぁ気にしても仕方ないだろう。
…そういえば、見せても見れないじゃないか。多分。
「本当だ。どっちもなさそう…」
「でしょう?ですから、わたしは男女どちらか、と問われても非常に答えにくいんですよね」
「…えーっと、それじゃあおねーさんとおにーさん、どっちで呼べばいいのかな?」
ほぼ似たような問いだ。答えにくい。けれど、訊かれたのに答えないのはよくないよなぁ…。
少しの間考えていると、それらしい理由が浮かんだので答えることにする。
「…まぁ、今まで通りおねーさんでいいと思いますよ。身体はともかく、わたしの精神は多分女性と思いますから」
異変の勝敗を決める際にも使われているスペルカードルールは女子供の遊戯である、という考えもある。わたしはそれに対して不快感や拒絶感はない。なら、わたしは女か子供のどちらかに該当していいだろう。わたしはまだ子供と言ってもいい年齢だろうが、まぁ女性でも構わないと思いたい。
…正直に言えば、男女のどちらかである必要があるのかと思うのだ。わざわざどちらかに片寄らなければならない理由が思い付かない。今までどちらでもなかったのに、どちらかにならなければならないのが理解出来ない。だから、わたしはこのままでいい。男性でも女性でもない、無性でいい。
「じゃあ、これまで通りおねーさん、って呼ぶね!」
「是非、そうしてください」
そう言いながら『医術教本』を閉じた。そして、フランさんに本棚の元の位置に戻しておくように頼む。
フランさんが『医術教本』を持って本棚へと向かったのを見てから、食事中だったスープモドキに手を出そうとしたところで、背後から肩をトントンと叩かれた。すぐに振り返ると、何とも言えない表情の咲夜さんがわたしを見下ろしている。
「…そういう話はもう少し齢を重ねてから、とお嬢様はお考えだったのですが…」
「あぁー…、そうだったんですか。それは申し訳ありませんでした…」
「いえ、いいです。…いいんですよ、ええ」
若干諦めの混じった声色でそう締めくくると、咲夜さんはスッと音もなく一歩下がっていった。それと同時に『医術教本』を本棚に仕舞ったフランさんがわたしの隣に戻ってくる。
「それじゃ、早く食べ終わって一緒に遊ぼっ!」
「そうですね、そうしましょうか」
早く食べ終わるよう促されてスープモドキを口にする。…相変わらず、微妙な味だなぁ。はぁ。