小学校中学年の頃の小話。
「それじゃあ、皆真っすぐ家に帰るんですよー?」
先生のさよならの挨拶を待ってましたとばかりにクラスメイトの皆が騒ぎ出す。ほんの少しでも早く帰るために、既にランドセルを背負っている男の子もいる。
「はーい!」
「分かってるよ先生!」
そんなことを大声で言う男の子の声を聴きながら、クラスメイトの皆がガタガタと椅子を引きながら立ち上がり、一斉に教室の外へと向かっていく。
「さようならー!」
「また明日!」
「さよなら先生!」
「バイバイ!」
「じゃあねー!」
教室と廊下を挟む扉の前で笑顔を浮かべながら手を振っている先生への挨拶を忘れない。忘れたら挨拶するまで外に出してくれないから。…馬鹿みたいだよね。クラスメイトも、…先生も。
「一緒に帰ろうぜ!」
「おうっ!今日こそ負けねー!」
「よっしゃ、今日は何色にするー!?」
「帰ったら遊ぼうねぇ」
「うん、そうだねぇ」
帰りながら、あるいは帰ったら何をして遊ぶか騒がしく話し合っている声が聞こえる。壁の向こうではジャンケンをしている男の子五人が見えた。…あれは、ひょろっちい一人を嵌めるつもりなのだろう。…ほら、負けるが勝ちだなんて多数決という名の暴挙で荷物を一人に押し付ける。
その光景に馬鹿らしくなって視線を切り、昔から読んでいることわざ辞典を見遣る。もう何十回と読んでいるから、書かれている内容はすべて覚えてしまっているのだが、別に構わない。
もう少し静かになったら帰ろうかな、と思いながら読んでいると、チョンチョンと肩を突かれた。…はぁ。パタリと辞書を閉じてランドセルの中に仕舞い、そのまま背負いながら私の肩を突いた先生を見上げる。
「董子ちゃん、どうしたの?」
「何でもないよ、先生」
…そろそろ、読書以外で一人になれる理由が欲しいな。
◆
幼い頃の私は、どうしてでいっぱいだった。どうして、手で物を持っているのか理解出来なかった。どうして、地に足を付けて歩いているのか理解出来なかった。どうして、扉に鍵を必要としているのか理解出来なかった。どうして、タバコの火をライターで点けているのか理解出来なかった。どうして、壁の向こう側が見えないのか理解出来なかった。どうして、どうして、どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうして…。
そして、私は分かった。私は特別な人間なのだと。周囲の他の人間とは一線を画する、優れた人間であると。けれど、それをひけらかすつもりはない。能ある鷹は爪を隠す、とことわざ辞典に書いてあったから。
「…誰もいないよね」
だからと言って、使わないわけじゃないけどね。
校舎裏でキョロキョロと周囲を見回し、誰もいないことを確認する。前には壁、上には屋根と視線を切ることが出来る絶好の場所だ。透視込みで近くに人がいないことを確認し、それからテレポーテーション。一瞬で視界が切り替わり、人気のない神社の裏側に瞬間移動した。
「さ、帰ろ」
学校から家まで普通に歩けば十分。だけど、校舎裏から神社裏にテレポーテーションして
から家に歩けば二分で済む。
神社の裏から表へと出て参道を歩いていると、トン、と軽い着地音が背後からして、私はビクリと体が跳ねた。恐る恐る振り返ると、そこにはちょっぴり大人な私がいた。…え、私?そっくり過ぎて、逆に不気味だ。…それより、どうしよう。…いざとなったらサイコキネシスでどうにかしよう。うん、そうしよう。
「…何か、用ですか?」
「驚いた」
「…ぇ…っ?」
ポカン、と口が開く。何に驚いた?…まさか、見られた?私がテレポーテーションした瞬間を?
心臓が一気に暴れ、手足の先が冷たくなる。喉がカラカラに乾き、頭がガンガンする。一秒が何倍にも引き伸ばされるような感覚。そんな中、目の前で微笑むちょっぴり大人な私は言った。
「まさか、ここでそんな能力を持つ人間がいると思ってなかったからさ」
「ィヤッ!」
サイコキネシス全開。咄嗟の判断で変な声が出てしまったが、目の前のちょっぴり大人な私を地面に叩きつけた。きっと記憶も飛んでくれる、…はず。そうよ、きっとそう。そうに決まってる。
そんな希望的観測をしながら一歩後退る。…動かない、よね?動かないでほしい。
「…急に酷いなぁ」
「な、んで…?」
そんな淡い希望は簡単に崩れ去った。再びサイコキネシス全開で叩きつけようとしたのだが、僅かに揺らいだ程度で碌に動かせなかった。まるで、地中深くまで根差した大木を引き抜こうとしているような感覚。そして、そのままちょっぴり大人な私はサイコキネシスを受けたまま立ち上がってしまった。
その額からはタラリと真っ赤な血が流れていたのだが、サッと親指で拭っただけで治ってしまった。それを見て私は思わず目を見開く。
「一発やり返してもいいけれど、まぁ止めといてあげる。面白いもの見れたし、ね」
「…貴女、何者なの…?」
「何者かぁ?知らない人とは話さない、がここの子供の規則みたいでしょ」
ちょっぴり大人な私はそう言いながら、私の額にピシッと人差し指を弾いた。滅茶苦茶痛い。
けれど、そんな痛みはほとんど気にならなかった。
「そんなのどうでもいいッ!」
叫んだ。目の前に、私以外の特別な存在がいる。そんなつまらないお約束よりも、一瞬で傷を治癒出来る超能力のほうが重要だった。
顔を上げてちょっぴり大人な私を睨み付ける。しかし、肩を竦めながらふらりと背中を見せて去っていく。
「待ってッ!」
「…気になるなら、まず言うことがあると思うんだよねぇ」
「っ…。それは、その…っ」
「それに、これから家に帰るんでしょう?さ、帰った帰った」
私が言い淀んている間に、ちょっぴり大人な私は片手を軽く振りながらそう言い、そのまま神社の中へと消えてしまった。
「……………」
これが、私とドッペルゲンガーとの出会い。幻影から幻想へと至る第一歩。
これから長い時間を掛けていい話し相手になるまでのお話もあるけれど、それはまた別のお話、ということで。
◆
時折、思い返すことがある。季節が三周ほどしたはずだから、もう三年前の話になるかなぁ…。多分。
『ちょっと。逃げるのは勝手だけど、私を巻き込まないでほしいわね』
『残念ながら、貴女の力が必要なんだ。もう少しの間、諦めてほしいですね』
『…あーっ、もう!終わったら私の身体、創ってくれるんでしょうね!?』
『えぇ、創りますよ。…そのくらい、もう分かってるんでしょう?』
頭の中に響く霊夢さんの声にそう答えながら、真っ直ぐと幻想郷の端まで飛んでいった。そして、わたしはこの身に宿した霊夢さんの力を行使し、博麗大結界と幻と実体の境界を力任せにひん曲げた。…よし、これでわたしを阻む壁は取り除かれた。
幻と実体の境界を超えると同時に、この身に宿した霊夢さんの精神を創った
『それじゃ、行ってくるわ』
『それじゃ、あとよろしく』
わたしという存在が本当に無垢の白だというのならば、わたしの身体は幻でありながら幻でなく、実体でありながら実体ではない存在だ。旧地獄行きからの急な予定変更であり、かなり分の悪い賭けだろうが、これはこれで悪くない。再び幻想入りするようならば、それはそれとして諦めようではないか。
『さよなら、幻想郷』
幻と実体の境界に負けたのならば、わたしは八雲紫に敗北したのとほぼ同義なのだから。
そして今、わたしは常に抵抗している。いつからか見えない手に引っ張られているような感覚があり、それに抗い続けている。これ以上強くなりでもすれば、この力は強くなるだろう。これ以上弱くなりでもすれば、この力に抵抗出来なくなるだろう。そんな気がする。
「…ま、悪くない」
外の世界は平凡で、人間の域を逸脱した人間はいないと思っていた。けれど、いた。これは面白い。彼女もいつか、その能力から幻想入りするのだろうか?…まぁ、そんなことはどうでもいいか。
彼女は明日になればまた来るだろう。視れば分かる。その時、彼女は何を話すのだろうか?わたしは何を話そうか?…これからは、ほんの少しだけ、生活が変わりそうだ。
「アハッ。楽しみだなぁ…」
まぁ、これがほんの少しでは済まないと気付くのはもう少し先の話だ。
幻香視点。
災禍異変の際に旧地獄ではなく外の世界へ逃亡したIF小話。
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