漆黒の意思が目的を広義に捉えたIF小話。
「これで詰みだ」
右腕を霊夢さんに向けて真っ直ぐと伸ばし、わたしは嗤う。右腕には人間一人を殺すには明らかに過剰量を超える漆黒に染まった妖力。多少動こうと、夢想天生で浮こうが沈もうが、それら全てを丸ごと飲み込んでしまう。
振り返った霊夢さんは、わたしを見て死を直感したようだ。しかし、その瞳は閉じることなくわたしを睨み続けており、どうやら最後まで折れるつもりはないらしい。…まぁ、思い出はもう十分だ。
「さよなら、霊夢さん」
死の宣告。漆黒に染まった妖力を解放しようとしたその刹那、わたしと霊夢さんの間に割って入った存在がいた。
「主様っ!」
「…魔理、沙?」
突然、香織がわたしを呼ぶ声が聞こえた。そして、その答えの正体は目の前に現れる。
両腕と両脚を大の字に広げ、まるで霊夢さんの盾にでもなっているつもりの魔理沙さん。息も絶え絶え。既に血だらけ。満身創痍。こうして立っていることが、ましてやここにやって来れたこと自体が不思議なくらいだ。
「死にますよ」
「…知ってる」
どうやら、助けてくれるとは思っていないらしい。
「壁にすらなってない」
「…知ってる」
どうやら、盾にならないことを自覚しているらしい。
「死体が一つ増えるだけだ」
「…知ってる」
どうやら、死ぬことを理解しているらしい。
「無駄死に、って奴ですよ。魔理沙さん」
「んなこと知ってらぁ!」
魔理沙さんは血反吐を吐くように叫んだ。ボロボロのはずの身体で、わたしを真っ直ぐと睨みながら。
「ここで動かなかったら一生後悔する…。だからッ!」
「あっそ」
…別に博麗の巫女を殺したいわけじゃあないんだよ。殺せば再び幻想郷が荒れてしまい、間接的にわたしの友達が被害を受けてしまうから。そう思うと、色々なものが冷めていく感覚がした。
しかし、どうもそう単純にはいかないらしい。ごぽり…、と腹の奥底からヘドロが湧き上がるような感覚。何故だろうか。無性に目の前の二人を殺したくなった。わたしの瞳に灯る漆黒の炎は、目の前の二人を焼き尽くさないと収まりそうにない。
「さよなら」
目の前が漆黒に染まる。二十七次元を穿つ必殺の砲撃。逃げ場なんてありはしない。
たっぷり一分間放ち続け、ようやく終息する。目の前にあった何もかもが消え去った。無論、魔理沙さんも、霊夢さんも。ふと、ふわりと漂う二人の魂を感じた。…あれ、喰っちゃおうか?…いや、止めておこう。わたしの、せめてもの慈悲だ。
「霊、夢…?ねぇ、霊夢?」
「…嘘。魔理沙が、そんな…っ」
遠くの方で、二人の声がする。誰の声だろう?…まぁ、いいや。そんなことより、胸の奥で燃え続ける漆黒の炎が収まらない。おかしいなぁ?やりたいこと、全部済んでるはずなのに。おかしいなぁ?わたし、何かやりたいことを忘れてたかな。
グルリ、と振り返った。両膝をついて涙を流す誰か。それを支える誰か。誰かと必死になって戦っている誰か達。その中の誰かが、ふらふらとした足取りでわたしの近くを歩いていく。
「魔理沙。…嘘よね?貴女が死ぬなんて、そんなはずないわよね…?」
全てが消えた大地にしゃがみ込み、必死に何かを探している誰か。虚ろな目で地面を見下ろし、両手を使って必死に土を漁っている。僅かでも痕跡があるはずと盲目的に信じたその姿は、実に滑稽に映った。だって、わたしはそんなものごと全てを消し去ったのだから。
わたしの脚が一歩踏み出される。何処に?喜劇の役者に。わざとらしく音を立てながら近づき、その隣にわたしはしゃがみ込んだ。そして、目の前の誰かの耳元でそっと囁いた。
「いないよ」
「嘘っ、嘘よッ!そんなはずないッ!」
「だって、わたしが殺したから」
「アアアァァアアァアッ!」
喉が張り裂けそうな叫声が響く。けれど、わたしはどうとも思わなかった。ただ、右手を軽く振り上げ、淡々とその首を落とした。
血が噴き出す。ゴロリ、と地面の上を転がった頭とわたしの目が合った。…何が起きたかよく分かってない目だ。そして、首が切断されてこれから死ぬことを理解してしまった目に変わった。口が動く。だが、言葉にならない。何故なら、声を発するための空気を供給する肺がないから。
「…アハッ」
そして、誰かの、命が、また一つ、潰えた。
…あぁ、そうだ。分かったよ。わたしの奥底に眠っていた、とっても簡単なやり忘れていたこと。敵対する者は殺す。そうやって爺さんを殺した。そうやって若者共を殺した。
「ハ、ハハッ」
殺してしまえば、襲撃は起こらない。
「アハ、アハハッ」
世界の外側へ追ってくることもない。
「アーハハハハハハハハハハハハハハッ!」
そんな、もしもを考える必要もない。
「…決めた。全員殺そう」
彼女の遺した真紅の衝動が、わたしの中で脈動するのを感じた。
…あぁ、周りがさっきから鬱陶しい。うるさいんだよ。何言ってるか、よく分かんないや。
急接近してきた誰かの袈裟斬りを螺指で受け止め、そのまま火花を散らしながら削り切って刀身を半分にする。宙を舞う刀の一部を掴み取り、目の前で目を見開く誰かに突き刺した。しかし、ただ刺しただけでは死んでいない。だから、グリッと手首で捻ってから引き抜くと、刺突痕から激しく血が噴き出た。グラリ、と力なく倒れる。次。
色鮮やかで、かつ神秘的な弾幕が迫る。その全てを複製し、打ち消した。一瞬にして全弾幕が消滅した現実に目が揺れる。その一瞬で十分。音を置き去りにして誰かに肉薄し、右手を突き出した。服を破き皮膚を裂き骨を砕き肉を押し退けた先にある臓器を手に取り、そのまま貫く。千切れてもなお鼓動を続けるそれを握り潰し、ズプリ、と湿った音を立てながら腕を引き抜く。光なき瞳と目が合った。次。
世界が灰色に染まった。数本のナイフが迫り、躱すと背後で停止する。次々と迫るナイフの数々。その内の一本を人差し指と中指で挟み取り、わたしの隣にある倒れかけたところで止まった何かを誰かに投げつけた。ナイフが突き刺さりながら飛んでいく何かを、誰かは受け止めた。その瞬間、全力でナイフを投げつける。音を置き去りにしたナイフは、そのまま眉間に突き刺さり、内側を破壊した。次。
わたしの周りを蝶々が舞う。その操り手はあそこにいる誰か。真っ直ぐと突き進む途中、蝶々に触れた。意識が混濁する。あぁ、死ぬのか。それが?わたしは死にながら駆け抜け、その体に触れる。瞬間、体が抉り取られるように消えていく。亡霊が、魂が、捕食者であるわたしに敵うと思うなよ。そして、全てを喰らい尽くした。次。
足元に転がる隻腕の誰かを踏み潰し、そのまま踏み砕く。どうして気に食わないんだろうね。理由なんかないと思ってたけれど、そうじゃないんだ。わたしを利用し尽くすつもりの目。それが気に食わなかったんだ。だから、目を潰した。絶叫。うるさいなぁ。歯を蹴り砕いた。もう片腕を落とした。両脚を千切り取った。随分軽くなった誰かを投げ上げ、先程得たばかりの妖力を右腕に収束させて撃ち抜く。誰かは消え去った。次。
杭を抜かれることなく、今ここで何が起きたかも把握出来ず、眠り続けている誰か。封印されているから殺されないとでも思った?何も知らないのならば生かすと思った?眠っていれば許されると思った?…あぁ、許してあげる。ただし、それは永遠の眠りに変わるけど。顔を踏み砕いた。色々な液体が弾け飛ぶ。次。
「…あれ?」
いなかった。誰もいない。まだあと一人いたはずなんだけど。
そう思っていると、肩を軽く叩かれた。即座に振り向きながら拳を振り抜こうとし、その一瞬前に目の前の誰かがわたしが創った存在であることに気付く。拳がぶつかる前に腕を引き抜こうとしたが、それでも急には止めることが出来ず、交差された両腕に受け止められた。
「…香織?」
「おかえりなさい、主様っ」
胸の中を、乾いた風が吹き抜けた。揺らめく炎はなく、ただただ空虚な穴がポッカリと空いていた。
しばらく、何かする気になれず立ち尽くす。周囲には死骸、死骸、死骸。漂う死の香り。けれど、凍てついた心が一切動くことはなかった。ただ、これで煩わされることはない、と思うだけだった。
ふと、世界が悲鳴を上げる音がした。それは幻想郷の終焉。結界を担う博麗の巫女と境界を担う八雲紫の死によって、箱庭は今終わりを迎えようとしていた。
「さ、貴女はどうしたい?ここで残る?ここで消える?それとも――」
「主様に付いて行きます」
「…いいの?生きるか死ぬかも分からないよ?」
「当たり前じゃないですか。主様に創られたこの魂は、主様のためにありますから。選ばせてくれると言うのなら、私は主様に付いて行きますよ」
「そう。じゃ、行こうか」
切り捨てたものは、もう二度と拾われることはない。わたしは全てを切り捨てて、凍てつかせた心に一筋の罅が走らせながら、世界の外側へと旅立った。
きっと、この罅は治らない。