幻香と『破壊魔』に関する小話。
最後の一文字を書き終え、私は筆を置いた。今日の仕事はこれにて終了。すっかり温くなってしまったお茶を一口含み、ふぅーっと一息吐く。
さて、これからは趣味の時間。これから執筆するのは、最愛の友との別れの場面。どう書けば悲痛な思いが伝わるだろうか…。あ、そうだ。
「幻香さん」
「…何ですか?」
長椅子に座りながら私が執筆した作品を読み込んでいる幻香さんに訊いてみることにした。ついでに訊いてみたかったことでもあるのだし、ちょうどいい。…ただ、それは幻香さんの
けれど、私は少し疑問に思ったのだ。…いや、そこまで明確なものではなく、違和感と言うか、少し引っ掛かっているような、喉に小骨が刺さってしまったような、そんな感じ。
「これから人と人の別れを書くのですが、少し参考にしてもいいですか?…出来れば、出会いと別れの両方を聞いて深みを増してほしいのですが」
「別に構いませんが、誰との出会いと別れですか?わたしはそれなりにいますけど…」
確かに、幻香さんは地上に何人もの友人と出会い、そしてその友人を遺して一人旧都へ下りてきた。その友人と再び出会うのは、またいつかの未来の話となるだろう。…しかし、私が訊きたいことはそれではないのだ。そう思いながら、もっとそれらしい理由を含めながら問うた。
「そうですね…。…書いている結末は相方が死ぬのですから、フランドール・スカーレット、八意永琳、そして博麗霊夢の三人のどなたか。…よろしいですか?」
瞬間、幻香さんの心に三つの
「…まぁ、いいですよ。誰がいいですか?」
「一番印象深い、心に来るものがあったのは誰ですか?」
「それは、まぁ、…『破か――フランかなぁ。…うん。霊夢さんもそれなりに来るものがあったけれど、フランの方が大きい」
赤い表紙を瞳に映しながら寂しげな笑みを浮かべる幻香さんからは、その表情通りの強い哀愁を私に伝えてくる。…まぁ、そうでなくては困る。私は貴女と『破壊魔』の別れが気になっていたのだから。
手に持った本を弄りながら、幻香さんは頭の中で話すことをまとめ始める。それに対して私は特に言葉を発することなく、幻香さんが語り始めるのを待つ。催促するようなものではない。心を読むだけでいいだろう、と言われるかもしれない。けれど、言葉を聞くからこそ分かるものもある。私はそう思っている。
そして、まとめ終えた幻香さんは、ゆっくりと口を開いた。
「そうだなぁ…。最初は、厄介なものが現れた、と思いましたね。見るもの何でもかんでも壊したがる、見ずとも何でもかんでも壊したがる。人が内側から破裂する様子とか、真っ二つに引き裂かれる様子とか、そんな感じ」
黙っていた。心で読んでいた通りだ。それを語る声色から嫌と言うほど伝わる辛さ。だけど、それだけ辛くても
「少し休むと、彼女はわたしを塗り潰すんです。壊すために、わたしが邪魔だから。だから、気も抜けない。眠るなんて以ての外。どのくらいか知りませんけどね、まぁ、あれはきつかったかな」
黙っていた。心で読んでいた通りだ。それを語る声色から嫌と言うほど伝わるきつさ。だけど、それだけきつくても
「ある時、萃香がわたしを隅に押し退けて保護したんですよ。そして、彼女は目覚めた。…まぁ、具体的にどうなっていたかは聞いた話でしかないので…。まぁ、うん、妹紅を相当数殺し続けていた、らしいです」
黙っていた。心で読んでいた通りだ。それを語る声色は実に空虚でまさしく他人事であり、決して
「その時、さ。私のお姉さん、って言って消えていったんですよ。確かに辛かった。きつかった。その世に解き放ってはいけない者だと思った。けれど、彼女を消すべきじゃないと思った。彼女に明け渡すべきだと思った。少しずれてるけど、代わりに一緒に死んであげようとも思った。…でも、消えちゃった。満足して、願いを叶えて、…消えちゃった。わたしを、残して」
黙っていた。心で読んでいた通りだ。天井を見上げながら語る声色は酷く痛々しかった。心が叫びたがっていた。幻香さんにとって、それは大きな
「わたしはね、さとりさん。この身体に違和感を覚えるんですよ。四角い箱に丸いものが収まっているような、確かに収まっているけれどもっと適したものがあるような、そんな些細な齟齬。ドッペルゲンガー。彼女は、そう言った。彼女の方が適している、ってすぐに分かった。わたしが消えるべきだった。…はは。けれど、ご覧の有様ですよ」
黙っていた。心で読んでいたけれど、言葉にして聞くとより深刻に感じ取れた。幻香さんは、消えたがっている。…いや、消えるべきである、と感じている。人並み以上の破滅願望、消滅願望。
この齟齬こそが、幻香さんから死への抵抗を失わせているのかもしれない。傷付けば痛い。けれど、構わない。妖力枯渇は死ぬかもしれない。けれど、構わない。何故なら、わたしはこの身体の持ち主ではないのだから、と。
幻香さんは精神寄生体である、と言っていた。産まれたことを後悔している、と視ていた。つまり、本来の持ち主へ返すべきである、と言いたいのだろう。幻香さんが消えてしまえば、きっとドッペルゲンガーはドッペルゲンガーらしく復活する…、かもしれない。
「ま、貴女に生きろと言われていますし、他にも色々と言われてますから、わたしは死ぬつもりはないですがね」
「…一応、でしょう?」
「そうですね。出来る限りは」
そう言って微笑む。…さて、幻香さんはまとめた話を語ってくれた。けれど、わたしは訊きたいことが残っている。本当に訊きたいことが。
「…それだけ辛くて、苦しくて、貴女を塗り潰そうとしたにもかかわらず、彼女との別れがつらかったのですか?貴女を殺そうとした相手の死を、貴女は泣くのですか?…所詮他人事と言われればそれまでですが、私からすればその感情は何処か変に思ってしまいますよ」
これだ。確かに死にたがりかもしれない。消滅を望んでいるかもしれない。けれど、だからと言って、そうした張本人との別れを悲しく思えるのだろうか?彼女の消滅が初めての殺害よりも深い
「そうかもね。けれど、わたしにとっては初めてだったから」
「初めて、ですか…」
「本当の初めてはこいしだろうけれど、それでもわたしにとっての初めてはフランだ。最初ってのはやっぱり印象深い。わたしの知らないところで身勝手に産まれて、けれどそれはわたしが原因で、そしてわたしよりも残るべき者が目の前で消える。誰も知らないところで、身勝手に消される。わたしの所為で。…それって、とても悲しいことじゃないですか?」
よく分からなかった。心を読んでも、その時に感じた感情を読んでも、私には何故そう思えたのか理解出来なかった。
「よく分からない、って顔ですね。いいですよ、分からなくても。けれど、わたしは決して忘れない。わたしが身勝手に創った命だ。ものじゃない、命なんだ…」
そう自分自身に言い聞かせるように胸を握り締める。その瞳には、強い決意が宿っていた。
命。…あぁ、もしかしたら、これは責任か。母親が子を慈しみ、死を嘆くように…。
「これで満足ですか、さとりさん」
「…えぇ、そうですね。…ですが、これには活かせなさそうです」
「それは残念だ」
そう言って、幻香さんは閉じていた作品を再び開いた。
さて、分かっていながら答えてくれた幻香さんにも悪い。この作品はちゃんと考え込んで執筆するとしましょうか。