「とりあえず、始めまして。鬼さん」
「え、あー、始めまして?」
挨拶は基本。もしかしたら敵意がない事が伝わって大団円、はないか。
「わたしの名前は鏡宮幻香。よろしく」
「伊吹萃香だ。…普段から見る顔だけど、見ない顔だね。新人かい?」
普段見る顔、つまり自分の顔だ。だけど見ない顔、同じ顔の人に会ったことがないということ。…ドッペルゲンガーに会ったことがないのかもしれない。
「そうですね…。十年くらいですかね」
「十年!いやー、若い若い!こりゃ知らなくて当然か」
そう言いながら、瓢箪を呷る。そしてカラカラ笑う。…瓢箪の中身は尽きることのないお酒だっけ?
そして構えを取る。…相手のやる気は十分らしい。出来ればその拳を下ろしてほしい。
「じゃ、最近のやつがどのくらい出来るか確かめるか」
「いやちょっと待ってくださいよ」
「はぁ?ここで逃げるなんて選択は出来ないよ?」
コイツ…、背中を向けたら強襲するつもりの眼だ…。
しかし、そんなことはどうでもいい。わたしはこんな野蛮な決闘をするつもりはない。…最近殴ってばかりな気がするけど。
「ルールですよ。被弾とスペルカードは幾つにします?」
「はぁ?ルールなんて殴り合いだろ?」
…終わった。あちらは命名決闘法案、スペルカードルールを知らないらしい。
ああ、しょうがない…。殴り合いで何とかしないといけないのか…。
「さっさと始めるか!」
「…けど負けたら駄目なんだよね」
よし。やるしかないか。
息を大きく吐き、体中の力を抜く。自然体で立ち、相手の出方を見る。どれほどの威力、速度か不明なので、自分から出ることはしないつもりだ。
「新人!鬼の力!萃める力!思う存分味わうといいわ!」
「…喰らわない、受け止めない、立ち向かわない、か。難しいんだよなぁ」
最小限の動きで相手の攻撃を受け流し、それによって生まれた隙に攻撃を挟む。妹紅さんに習った体術の一つだ。しかし、あんまり得意じゃない。
というわけで、出来なさそうならば、もう一つのほうに移行する。相手の攻撃範囲を見切り、その範囲外に逃げることで攻撃を空振らせ、疲労を狙う。完全に逃げの戦法である。こっちのほうが得意だ。
さて、どう来る?
「あれ?」
あちらの体が僅かにぶれた、と思ったらすぐに戻った。…何事?
「だー!紫か!アイツ、こんなとこで邪魔しやがって!」
そう言いながら頭を掻きむしり、地団太を踏む。そして地面に大きな凹みが出来る。…もの凄い威力だ。喰らったら腕くらい吹き飛びそう。
そして瓢箪を呷る。しかも五回。…瓢箪の中身が尽きないっていうのは本当かも知れない。
「百鬼夜行とはいかないか…。ま、私一人でも十分か!」
そう言いながら突撃してくる。放たれる右腕。狙われている顔に当たらないように逸らしながら、その腕を軽く押し出す。そしてそのまま離れるように回避。攻撃なんてする気になれなかった。…というより、出来そうになかった。脚が飛んできそうだったし。
「へえ、やるじゃん」
至って普通な顔でいるように心がけるが、内心は冷や汗でいっぱいだ。
だって、喰らったら顔面陥没だよ?もしかしたら頭だけ吹き飛ぶかもしれないんだよ?こんな攻撃が何発も来るなんて考えたくない。
「なら、こいつはどうかなっ!」
そう言い放ち、再度突撃してくる。その両腕に力が込められているのが見えた。これは、乱打か。当たろうと当たらなかろうと気にせず、片方で攻撃したら、もう片方で攻撃してその隙に攻撃済みのほうの腕を引き絞る。一度防御させたら、何発も喰らうことになるだろう。防御するつもりないけれど。
しかし、一発受け流しても、相手の技量や無茶があれば、避けた先に向かってもう片方の腕で攻撃してくる。…厄介な。
ということで、最初から相手にしないことにする。大きく横っ飛びし、突撃してくる相手から大きく離れる。
「逃がすかっ!」
…やっぱり追ってきたか。しかし、乱打をするつもりではなく、左脚による脚砕きが目的のようである。…砕くを通り越して吹き飛ぶか破砕しそうである。
そんな攻撃を食らうわけにもいかないので、相手を大きく飛び越えるように跳躍する。保険の為に、相手の頭から身長一人分以上は高く。
そして、無事着地。すぐに反転し、相手のほうを向く。
「ちぇっ、避けられた」
そう言いながら、最初の構えを取った。
それからはもう避けて、避けて、避けて、受け流して、避けて、往なして、避けて、避けての繰り返し。攻撃の隙なんて作っても、別の反撃手段が準備されていたので攻撃なんか出来なかった。
そしてそのまま数分の間、お互いに攻撃が当たることなく過ぎた。息が切れるが、その素振りを見せないように注意する。
…これからやろうとしていることに必要なのは、余裕綽々とした態度。
「埒が明きませんね」
軽く往なしながら攻撃範囲外に大きく退避し、脱力する。わたしの言った言葉に反応し、あちらも構えを解き、わたしを睨む。
「さっきから攻撃してないのに?」
「さっきから当てられないのに?」
「む」
これまで、不安そうな顔、余裕のない顔を浮かべては来なかったつもりだ。そういう表情は、相手にとって有利になることが多いからね。
「正直、殴り合いなんて今の幻想郷から見たら野蛮ですよ。今では受け流して避けてれば自然と勝てるんですよ?」
「言い訳かい?」
「いいえ、事実ですよ。言い訳臭いですがね」
一息。ここからが勝負どころだ。
「これ以上野蛮で古臭い決闘なんて飽き飽きですよ。もう一発勝負で決めましょう?」
さぁ、どう来る…?
「へえ。この私に、鬼に対して一発勝負?」
釣れた。まあ、あちらも当てられなくてイライラしていたのだろう。こちらが、一発当たってもいい、といえばこうなるとは思っていた。こうならないと困るのはわたしだが。
「ええ。貴女の一撃を、受け止めて見せましょう」
だけど、そんな心の声は表に出さない。出したら、この策が台無しだ。…八雲紫ならきっと奇策だというんだろうな。
そう言って少し間を開け、相手は愉快そうに大声で笑いだした。まるで、勝ちを確信したような、人を馬鹿にしたような笑い。
「あーっはっはっはっはっ!さっきから流して避けてばかりの軟弱者が私の攻撃を受け止める?本気で言ってるの?」
「もちろんですよ。さ、かかってきな」
意識を集中させる。そして、呼吸を止める。これから八秒以内に来ると信じて。世界の流れが緩やかになる。邪魔な音が消え去る。見えるものは相手、伊吹萃香だけ。
一秒と半秒少し。あちらの声が聞こえてきた。
「喰らってあの世で後悔しな!」
そう言い放ちながら突撃してくる動きがハッキリと見える。狙いはわたしの胴体。このまま喰らえばその右腕がわたしの心臓の当たりを貫いてあの世行きだろう。
しかし、相手の表情に僅かに違和感が浮かんでいる。そりゃそうだろう。わたしが受け止めるつもりのないような自然体のままでいるんだから。
そうだ。受け止めるのはわたしじゃない。彼女の
わたしの目の前に現れる彼女の背中。その右腕の速度は相手の拳の速度そのまま。狙いは相手の右手。
「嘘だろ…?」
右手の半分くらいが破砕した。しかし、たったそれだけ。同速度の物体がぶつかり合えば、勢いは思い切り削がれる。
「冥界なら最近行きましたよ。けれど、死んでいくのはもっと先ですかね」
そう言いながら、彼女の複製を回収する。
視界に映るのは、拳を打ち出したところで止まった、呆然とした顔を浮かべた鬼の姿だった。
「どうです?受け止めましたよ。ただし、貴女の拳がね」