東方幻影人   作:藍薔薇

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第94話

椅子に座り、少し頭が落ちる。落ちていくと同時に視界と意識に霧がかかっていくのを感じ、無理矢理持ち上げる。けれど、また落ちてしまう。フワフワとした微睡みの中。起きているのか寝ているのかも分からない不思議な感覚。

ずっと起きていよう、と思っていたわけではない。だけど、寝てしまおう、と思うことは出来なかった。いつおねーさんが目覚めるか分からない。すぐに、なんて楽観的なことは考えていなかったけれど、寝てる間に目覚めてたなんて嫌だと思った。

こうして待っているけれど、どの程度時間が経っただろうか?時計を見てみると、前に見たときと同じくらいを指していた。窓から見える景色は、赤みがかった黒色をしている。

そんなときに布の擦れる音が聞こえ、眠気は吹き飛び、意識が一気に浮上した。椅子から転げ落ちそうになったけれど、何とか耐えた。

 

「…おはよう。…やっぱりこんばんは、のほうがいいのかな?」

 

期待したのとは違ったことに落胆してしまう私は悪い子なのかな?

起きたのは、優曇華と呼ばれていた兎のほうだった。

 

「……お師匠様は?」

 

目覚めたばかりだからか、それ以外の理由からか、言葉にするのが遅い。けれど、寝惚けている、と言った感じではない。

 

「悪いけど永琳ならいないよ。別の部屋で仕事してる、みたい」

「…そう」

 

会話が途切れる。あれ?何か忘れてることがあったような。…ああ、そうだ。起きたら伝えておくように言われてたことがあったんだった。

倒れてからどのくらい経ったか言うように言われたけれど、何日経ったのだろう?一日?二日?それとも、三日以上…?いや、流石に医者である永琳が寝ている人がいるここに何日も来ないなんてことはないだろう。

 

「月の異変は終わったよ。貴女は倒れてから一日と少し経ってる。半日は安静に、だって。…水、飲む?」

「…お願いします」

 

椅子を彼女の近くまで動かしてから、コップに渡されてあった水が入っている容れ物から注ぎ、渡す。普通なら二口あれば飲めそうな量を、十口以上に分けて少しずつ飲んだ。飲んでいる途中で、空いている手を背中に動かそうとしているのが分かった。きっと、まだ傷は痛むのだろう。空になったコップを置き、一つ長い息を吐いた。

 

「お代わり、いる?」

「…いえ、もう十分ですよ。…わざわざ、ありがとうございます」

 

そう言われて、容れ物を置こうと思ったとき、ふとここに来てから何も口にしていないことを思い出した。思い出した途端、急に空腹と乾きを感じた。空腹は近くに食べてもいいものがないのでしょうがないけれど、乾きは水で何とかなる。…可能ならば鮮血がいいけれど、しょうがない。新しいコップに注ぎ、一気に飲み干す。

もう一つのベッドに眠るおねーさんを見る。こっちは起きたのに、おねーさんはピクリとも動かない。いや、呼吸はしているから動いていないわけではないか。けれど、その目は未だに開きそうもない。

 

「…ああ、まだ起きないんですね。…幻香さん」

「そうだよ。貴女がこうしたから」

「…そう言われると、痛いですね…」

「貴女なら戻せるんじゃないの?…そう言ってたじゃん」

「…もう、お師匠様が治療を施してる。…なら、手は出さない方がいい」

 

知ってる。分かっている。けれどね、言わずにはいられないんだよ。少しでも、早く覚めて欲しいから。

おねーさんが起きたら、どうしてああなったのかも訊いて…。いや、どうなんだろう。あの時のおねーさんは意識がほぼ零、のはず。つまり、寝てたってこと、かな?それとも、気絶?…そもそも、意識がほぼ零って何?意識って何?意識ってどこからどこまで?

 

「ねえ」

「…何でしょう?」

「貴女の言った『意識の波長をほぼ零』ってどういう事?意識って、そもそも何なの?」

「…ああ。何て言ったらいいんでしょうね…」

 

そう言ったきり、黙ってしまった。しかし、眉間に軽くしわが寄っている。やけに長く感じる時間が流れる。そして、ようやく口を開いた。

 

「…意識とは自我ですよ」

「自我?」

「…ええ。『これをしたい』とか『あれをしたい』とか、そんなことを思う自我。…例えば、貴女は目の前に川があったらどうします?」

「えっと、んー…、そりゃあ…飛んでく」

「…今、考えましたよね?渡らない、脇道を進む、橋を探す、跳び越える、泳いで渡る…。色々思い付いたでしょう?」

「吸血鬼は泳げないの」

「…あら、そうでしたか?」

 

軽く笑いながら言われたけれど、私にとっては笑い事では済まされない。流水に触れると、物凄く痛いのだ。川もそうだけど、雨の中なんて歩く気にもなれない。雨も地面を伝う水も、全部が流水だ。

 

「…とにかく、そういった選択も自我が、意識がやってます。…それが零になるってことは、選択をしない。…歩くとか、走るとか、飛ぶとか、そういう意識的行動も、自我が選んでますから、活動停止します」

 

そう言われたけれど、納得出来ない。おねーさんは歩いたし、振り向いたし、能力の使用もしてた。あれは、どう考えても意識的な行動だ。

 

「じゃあ、意識じゃないのって何?」

「…無意識、ですよ。選ぶことなく活動すること。脊髄反射や不随意筋が思い付きますけれど…」

「脊髄反射?不随意筋?」

「…ああ、分かりませんか?…そうですね」

 

突然、目の前で手を叩いた。咄嗟に目を閉じる。パチン、と乾いた音が響いた。目を開くと、既に手を下げて軽く微笑んだ彼女がいた。

 

「…そういう、目を閉じる反応が脊髄反射。危険回避、生命維持の為に生まれつき備わっている生命の神秘」

「…よく分かんない」

「…物に触れたときに熱かったときに、冷たかったときに、痛かったときに、引っ込める。これも脊髄反射。…体がふらついた時に、姿勢を修正する。これも脊髄反射」

「んー、分かったような…?」

 

日光に指先を当てたときに咄嗟に引っ込めていた。あれがそうなのかな?

 

「…不随意筋は、心臓とか血管とかの、意識とは関係なく動く筋肉。…今、幻香さんは心臓は問題なく動いてるはず」

 

そう言われ、おねーさんの元へ向かう。そのときに椅子が倒れたけれど、気にならなかった。

胸元に耳を当てる。ドク、ドク、と一定の間隔で心拍音が聞こえてきた。一定の間隔で僅かに膨らみしぼんでいる。こうしておねーさんが生きていると感じられるのは、少しだけ安心出来る。

 

「…さっきの二つには入ってませんが、勝手にしてる呼吸も。…あと、滅多にないですが体に染みついた本能的な行動とか…」

「本能的?」

「…ある人は、眠っているのに敵を迎撃したと言います。…またある人は、気絶していたにもかかわらず数時間歩き続けたと言います。…極稀に、そういう人もいるんですよ」

 

残念ながら、聞いたことがない。…もしかしたら、美鈴は出来るかもしれない。武術を極めるとは、膨大な反復行動。体に染みついた行動。実際、敵が近づいたと思ったら蹴りを放っていた、と言っていた。眠りながら、というわけではないけれど非常に似ているように思える。

 

「…ふぅ。ちょっと、話し過ぎましたね。…安静にしていろ、と言われてたのに」

「あっ、ごめんなさい…」

「…いえ、気にせず。…必要だったのでしょう?」

「…うん」

 

けれど、知ったことで疑問が増えてしまった。本能的行動で、動き、破壊する。…昔の私ならいざ知らず、おねーさんにそんなことが体に染みついているとは思えない。

 

「…今なら、貴女のほうがよかったかもしれませんね」

「何?」

「…いえ、ただの独り言ですよ」

 

それでは。と言いながら横になってすぐに微かな寝息が聞こえてきた。

 


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