「――うなのか。で、どうなった?」
「いやー、半日グッスリよ!なんで置いてあったんだか!」
遠くのほうで、誰かが楽しそうに話しているのが聞こえる。誰だろう?聞き覚えがあるんだけど…。
「…それ、一夜茸だと思うぞ?」
「なんだそれ?」
…えっと、妹紅と、確か、萃香って呼ばれてた人、かな。私が寝ている間に、一人増えていたみたい。
「おっと、どうやら起きたみたいだな」
「お?やっとか。おはよ」
「…おはよう?」
寝惚けた意識のまま目を開くと、窓から差す光がより強く感じる。…あれ、寝る前とほとんど変わってないような?それに、おはようって?
「お前、丸一日寝てたぞ?大丈夫か?」
「まっ、丸一日!?」
その衝撃的な言葉で私の意識は一気に覚醒した。咄嗟におねーさんが寝ているベッドに顔を向ける。もしかして、私がこうして寝ている間におねーさんは起きてしまったか?いや、起きて欲しいけれど。
「…まだ、なんだね」
残念ながら、おねーさんは未だに目覚めていなかった。まるで動いていない。ほとんどそのままの姿で、そこにいた。
「そうだな。これで六日目だろ?」
「…うん」
「六日ねー。そんなに寝てたら今度は寝れなくなりそうだ」
「そうかな?」
「さぁね。そんな寝た事ないし」
そう言いながら瓢箪に手を伸ばす。が、その手を途中で止め、なんとも言えない顔をした。
…いや、それは今はいい。それよりも訊きたいことがある。
「どうして起こしてくれなかったの?」
「いやさ、随分気持ちよさそうに寝てたし」
「けど…」
「それにな、お前の顔、凄いことになってたんだぞ。大分マシになったけどな」
「…そんなに?」
「ああ。目の下かなり黒くなってた」
そうだったんだ。うーん、そんな顔をおねーさんに見せることになったかもしれないと思うと、いくら何でもやり過ぎだったのかもしれない。
改めて考えてみれば、明日にはお姉様が来ることになっている。力尽くで私を連れ戻しに。昨日の調子のまま明日を迎えていたら、まともな実力も出せなかっただろう。丸一日はかなり長いと思うけれど、眠ることが出来てよかったのかもしれない。
「ま、この話はそのくらいにして、だ。お前が寝てる間にここに来た永琳に聞いたんだがな、何でも幻香は意識をほぼ零にされたからこうなってるんだって?」
「うん、そうだよ。そう言ってた」
「血液だとか心臓だとか妖力だとか呼吸だとかは問題ないとも言ってたな」
「そうなんだ…」
妖力枯渇ではないとは予想していたし、私自身そうだと信じて疑わなかったけれど、改めてそうだと言われると今までと違うことをハッキリと言われた気になる。問題は意識、つまり自我。それと、もしかしたら紫と呼ばれていた人の介入。
「それでだな、お前が寝てる間に考えたんだが、幻香を起こすことが出来るかもしれないと思ってな」
「え?どういうこと?」
「詳しくはこっちに訊いてくれ。考えたのは私じゃなくて萃香なんだ」
「ん?私か?」
「そうだよ。私の口から言うより、お前の口から言った方がいいだろ」
「ま、そう言われたならしょうがない」
萃香はそう言いながら、私のほうに顔を向けた。そして、口を開く。
「まず、幻香は意識がほぼ零だ。そうだな?」
「そうだよ。さっきも言ったじゃん」
「ただの確認だ。で、ほぼ零、つまり疎の状態と言える」
「疎?」
「ああ。極めて薄い状態だ」
極めて薄い。…そうなのかな?意識に濃薄はあるだろうけれど、優曇華と呼ばれていた兎は『意識の波長』と言っていた。波長に濃薄はあるのかな?よく分からない。
「そこでだ、霞のように薄い意識を萃めれば、どうだ?」
「意識を、萃める…?」
「散り散りになった意識を掻き萃めてやれば、起きるんじゃないか?…そう考えた」
落ち葉を一ヶ所にまとめるように、水蒸気を水に戻すように、と続けた。
「…無理矢理はよくないって言ってたよ?」
「そうだな。私達にもそう言ってた。だから、お前を待ってたんだ」
「私を…?」
「起こそうとしたら『寝かしとけ』って言われたから、しょうがなく待ってたんだ」
「起こしてもよかったのに…」
「ま、そんなことはどうでもいい。やるかやらないか、お前に決めてもらおうと思ってな。私はやりたい。医者はやめとけ。妹紅はどっちでもいい。後はお前だけだ」
賛成一、反対一、白票一。多数決で決まるなら、私の一票で決まる。
私は、やってみて欲しい、と思う。それで起きれば、それでいい。けれど、駄目だったら?失敗したら?私の判断で、おねーさんが二度と目覚めない、なんてことになったら?…そんなこと、私には耐えられない。…永琳だって危ないって言ってたじゃないか。なら、やめたほうが…。
いや、違う。人に言われたから決めるのは、駄目だ。自分が、どう思うか。やってみて欲しい。それだけ。そうだ。なぁんだ、簡単じゃない。おねーさんに早く目覚めて欲しい。私の願いはそれだ。やってもやらなくても同じだとしても行動したほうがいいと言うなら、やらないで止まるのは、愚策なんだ。…そうだよね?おねーさん。
「…お願い」
「どっちだ?」
「やって、くれないかな?」
「よし来た!任しときな!」
「けど、もう一つお願い。無理そうなら、駄目だと思ったら、やめて。…おねーさんを失うなんて、壊れるなんて、…嫌だから」
「…分かった。無茶はしないさ」
そう言うと、萃香は立ち上がった。そして、おねーさんの元へ近付き、その頭の両側を両手で軽く触れる。そして、目を瞑る。
静寂。音を立てるのは許されることではない、と感じさせられる。それは妹紅も同じようで、身動き一つせず、口を閉ざしている。呼吸さえも止めているような気さえする。時間が、とても遅く感じる。
「…ッ!?」
萃香が突然目を見開き、おねーさんから手を離して勢いよく飛び退った。その顔から汗が一筋垂れる。呼吸も荒い。そんな萃香の肩を妹紅が思い切り掴んだ。
「ハァ…、ハァ…」
「何だ!?何があった!?」
「おいおいおいおいおい、なんだよアレ…」
「アレって何だよ!アレじゃ分かんねぇだろうがッ!」
「…止めだ止め。これ以上いじるのはまずい」
妹紅の言葉に答えることなく、手を跳ね除けながら椅子にドカッと座った。見るからに不機嫌だ。だけど、それが空元気だとすぐに分かってしまった。そして独り言のように呟いた。
「…幻香は、あんなのを秘めてたのか?…冗談だろ?」
「何があったんだよ?」
「…ドス黒い意識。それが奥に無理矢理押し込まれてた…。あの感じは、紫だ。アイツが萃めて固めてる。今の幻香の意識が水蒸気なら、ありゃ氷だ」
応急措置、ってこれのことなの?あの時、私になって、破壊を始めたのと、関係があるの?
「どうにもならんのか?」
「…無理。一緒に萃まるんだよ。片方だけ、なんてとてもとても」
「そっか…。けどさ、それだと幻香が目覚めるのってかなりまずくないか?」
「どうだろ。飽くまで私の方法で萃めると、押し込められたそれが引き出されていく感じがしてね。今にもはち切れそうなんだよ、アレ。…いじらないで放っておくのが、本当に一番みたい」
そう言うと、無理矢理出したような明るい声で続けた。
「いやー、こりゃ参った!この私が!諦めるなんて!そうそうあったもんじゃない!…ああ、畜生…」
けれど、その虚勢はすぐに途切れ、悔しそうに顔を歪ませた。ギリギリ、と歯が軋む音が響く。
「…無理、しなくていいんだよ?」
「ハハハ、今はやめてくれ…。下手な慰めは、余計に辛い…」
そう言うと口を閉ざし、瓢箪を掴んだ。それを持ち上げることはなく、壊れるんじゃないかというほど力強く握っていた。