緑一色の草原。
澄んだ湖。
生い茂る木々。
そして、青い空。
その風景が視界いっぱいに広がる、アストレア王国の王城――その裏の森を抜けたところにある場所。その場所は少年にとって、とても大切な場所だった。
勉強が嫌になった時。
機竜の訓練が終わった後。
礼儀作法の授業から抜け出した時。
母親から怒られた時。
――寂しい時。
そんな時はいつもこの場所に足を運ぶ。心の底から安心できて、とても落ち着く場所。
聞こえてくるのは、元気そうな小鳥のさえずりと草原や木々が揺れる音だけ。静かで穏やかだからこそ少年にとってそこは、大切な場所だったのだ。
平和な国に広大な自然、それを合わせ持つアストレア王国には観光として他国の貴族などが来ることも少なくはなかった。色々な国から色々な人がやってくる。それにより、もちろん国の中の観光スポットは誰もが把握しており、いつもこの国で生活している少年は少し物足りなく感じていた。
そんな時、偶然見つけたのがその場所だった。
『森にはあまり近くな』
それが使用人や母親の口癖。実際少年もそれがあったのであまり近かないようにしていたのだが……その日はいつも構ってくれない母親を少し心配させてやろうという、ちょっとした子供心で森に入った。
道とは言えないようなほどに整備されていない獣道を、小さな体を使って軽快に進んで行った先。
そこには――自由があった。
開けたその場所には、心を満たしてくれるような、そんな温かさがあったのだ。
それからは毎日のようにこの場所に足を運んだ。
小さな子供じゃなければ通れない道もあったので、大人である使用人達は誰1人としてそこに来ることはなかった。
少年がいるその場所は、彼しか知らない秘密の場所。つまりこの景色と静けさを独り占めできるのだ。これほど嬉しいことはない。
しかしそんな
その日は、雲一つない青空だった。
「もう勉強なんてしたくない……」
いつもの理由で、その場所を訪れた少年は不貞腐れたように草原に寝転がった。しかし、やはりそれだけで暗い感情は吹き飛び、無心になれる。
しばらくの間、いつもと同じように少年が寛いでいると、
――足音が聞こえた。
それもすぐ後ろの方で。
とうとうこの場所もバレちゃったかな?と恐る恐る振り向けば、そこにいたのは1人の少女。驚きのあまり数瞬の間、開いた口が塞がらなかった。
少年の母親と同じ艶のある綺麗な黒髪に、黒い着物っぽい服装。そんな可愛いと自信を持っているような容姿をしている彼女だが、何よりも特徴的だったのは、その黒い着物についた――紅い血、だ。
たくさんではないが、肩から胸にかけて紅色の血がベットリと。また、何処かについた血を拭ったのか、彼女の袖にも少しだけ見えた。
「どうしたの?」
幼げに聞いた少年に返ってきたのは、僅かな微笑みだった。彼女の綺麗な蒼い目が少年を見据えて、
「迷ってしまいました」
と。
少年は何となく彼女の腕を引き、隣に座らせた。どうしてかは少年自身にもわからない。黒髪に蒼い目、自分と同じような容姿で親近感でも湧いたからだろうか。
そんな中、何ですの?と不思議そうに首を傾げる彼女に少年は、
「落ち着くでしょ?ここ俺のお気に入りなんだ」
と、普段使わせられている『僕』という一人称ではなく、『俺』を使ってそう言った。この場所では自然とそうなるのだ。
「そうなんですの。でも……確かに落ち着きますわ」
口調から何となくどこかのお姫様かな?と予想してみる。
素敵ですね、という彼女に少年は嬉しそうに微笑んだ。
「弟にも見せてあげたいくらいに……」
「弟さんがいるの?」
はい、と。少女は少しだけ目を伏せて口にする。その表情を少年は直感的にどこか『寂しそうだ』と、感じた。
「今度連れてくるといいよ」
「え?でも、ここはあなたのお気に入りの場所じゃ……」
「気にしないで?俺もそろそろ1人じゃ寂しくなってきた頃だったし」
少年の言葉は本当だった。
常日頃から話し相手が欲しい、そんな風に思っていたのだ。
「あら?寂しいんですの?意外と可愛いんですのね」
「いや、君の方が可愛いよ?すっごく」
咄嗟に言葉が出てしまった。――純粋に、そう思ったから。
「
「うん、凄く可愛いと思うよ」
その少年の言葉に何を思ったのか、途端に少女は目に涙を浮かべ――泣き出した。
「ええっ!?ちょ、ごめん!なんか悪いこと言ったかな!?」
「い、いえ、そんなこと言われたの、初めてでしたから……ホントにそう思いますの……?」
「うん」
「可愛いと……人間らしいと……そう思ってくれますの……?」
「?うん、君は可愛い女の子だと思うよ」
少女は突然黙った。俯いていて、表情も伺えない。
少年はどうしたのか聞くこともできずに、しかしそれでも何かしてあげたいと、彼女の頭をゆっくりと撫で始めた。
どれくらいそうしていただろう。
ふと顔を上げた彼女は潤んでいる瞳をそのままに、そしてその小さな口をゆっくりと開いた。
「……また、ここに来てもいいでしょうか?」
心の底から絞り出したように、それでいて涙を堪えるように、掠れた声で呟く少女。
そんな彼女に少年は、
「もちろん!」
当たり前のように返事をした。
幼げな2人の笑顔を太陽の光が照らす。
少年は笑顔を向けて去って行く少女に手を振って、別れを告げた。
「あれ?迷ったんじゃ……」と思い出したのは彼女が去って、しばらくした後。
少年はそんな考えを頭の片すみに追いやった。また会える、と。
だって、
もうその場所は1人占めではなく――
*****
聞こえて来た小鳥のさえずり、それと窓から差し込む朝焼けの光に、眠っていた意識が引き戻される感覚を覚えた。
うっすらと目を開き、ぼやける視界を治すように擦る。
最初に目に入ったのは、ピンク色の髪。
白い布の上に広がるその髪は、見ただけでサラサラとしているのがわかるほどだ。
寝ぼけた頭で目の前のピンクに手を伸ばせば、やはり思った通りの感触が手に伝わってくる。
ああ……気持ちいい……
ずっと触っていたくなるようなその感触は、なかなかユウキの手を離させてくれない。
撫でたり、梳いたり、いじったり。
触れば触るほどに癖になっていくような錯覚に陥る……直前。
ん?ピンクの髪?
覚醒してきた頭が己の手を静止させた。ゆっくりと手を離し、何故か思い出したのは昨日のこと。
あれ?俺、昨日は……パーティが終わった後、そのまま食堂で寝たような……。
しかし、頭に感じるのは食堂の机の木の硬い感触ではなく、布団の布の柔らかい感触だ。どこで記憶違いが?などと未だ冴えきらない頭で考えていると……目の前のピンクが動いた。
「もう、気持ちよかったのに……どうしてやめちゃうの?」
モゾモゾと動く布が止まり、次に視界に入ったのは、金色の瞳。
輝くようなその瞳をユウキは見たことがあった。――2人。この学園にはその瞳を持つ者が2人存在する。しかし妹の方ではない。あの少女は、今目の前にあるようなニヒルな笑い方はしないからだ。
「……レリィさんですか。さっきのは……忘れてください。――それで、どうして俺はあなたと同じベッドで寝ているんでしょう?」
「あら、フィルフィの方がよかった?」
「いや、それは――って、質問に答えてくださいよ」
「忘れるなんて無理よ。だって、とっても気持ちよかったもの。定期的に、というか毎日してもらおうかしら」
「……知りませんって。それより質問に答えてください」
「フィルフィに運んでもらったのよ」
機竜を部分展開させてね、と。
はぁ、と理由を知りため息を吐くユウキに、
うふふ、と。
未だに悪戯気に笑う彼女は、わざとらしく胸元の布団を捲る。チラリと見えたのは――黒。
「何で服着てないんですか、あんた。下着だけじゃ風邪引きますよ」
「あら?落ち着いてるわね」
「何回目だと思ってるんですか?もう慣れましたよ。……慣れたくはありませんでしたけど」
彼女は少しだけ不服そうな顔をした後、
「……ねぇ、目逸らさないの」
ユウキの顔を両手で挟み、固定した。強引に目と目を合わせるためだ。
交差するのは、蒼と金の瞳。
ユウキはその瞳を見て――いや、彼女の顔を見て、
何で、こういう時に真剣な顔するんですか……。
その手を振り解けなかった。
「ユウキ君……甘えてもいいのよ?」
そして発されたのは辛そうな、そして懇願するような……そんな声。
「何ですか?いきなり」
だって、と。
「5年……5年よ?――あなたが1人で生きてきた時間。……誰の手も借りず、誰にも助けを求めず、あなた1人だけで生きてきた時間……」
彼女の顔は悲痛に歪んでいた。
そんな彼女を見て、ユウキは、
「そんな顔しないでくださいよ。……美人が台無しですよ?」
――自嘲するように笑った。
「大体、どうしてわかるんですか?俺がその……1人で生きてきた、なんて」
「わかるわよ」
即答だ。
彼女は時折、もうすでにわかっているように即答する時がある。
昔もそうだったのだ。
そういえば、夢に出てきたあの場所を俺の家族よりも、誰もよりも早くつきとめたのが、レリィさんだったっけ……。
まあそれでも、確か7〜8年前くらいだったけど、と頭の中で付け足し、レリィの言葉の続きを聞く。
「だってユウキ君……昔からあまり人を頼らなかったじゃない」
「……そうでしたっけ?」
「そうだったわ」
また即答。
「だって、あなたのことずっと見てたもの」
ユウキは思いがけない言葉に、何も言えなくなってしまう。
「……勉強でわからないところがあった時は自分で調べてた。機竜の操作も1人で練習してた。人間関係……例えば、ルクス君とフィルフィが初めて会った時も陰で一番働いたのは、ユウキ君だった」
「あれは……2人がやったことですよ」
ユウキの頭に浮かぶのは、アーカディア帝国を訪れた時のこと。ルクスとフィルフィが使用人の女性に謝ってたところをユウキは陰から見ていたのだ。
「違うわ。――だってそれを見て私は、あなたのことを気に入ったんだもの」
「っ……!」
「あの場所に初めて行った時、ユウキ君――泣いてた。……理由は最後まで教えてくれなかったけどね」
あの場所とはもちろん、ユウキのお気に入りの場所のことだ。
確かあの時は、レリィさんが来る直前に……あの娘が一方的に別れを告げてきたんだ……。
だから泣いていたんだ、と。
そう思ったが、やはり話しはしない。それが、
『ここで会っていることは2人だけの秘密にしましょう』
彼女――黒髪の少女との約束だったから……。
「やっぱり話してはくれないのね……。でもそれはいいのよ?話したくないことや話せないこともあるだろうし。――でも、やっぱり頼ってほしかったわ……」
レリィの表情は、悲しそうな、寂しそうなもの。
ユウキはそんな彼女を見て、少しだけ目を伏せ、もう一度レリィの瞳を見る。
「――頼り方がわからなかったんです」
「え……?」
レリィは困惑、といったような声を上げた。……その中には驚きも混ざっていたようだが。
「女王の息子……それも1人息子。そんな立場だった俺は、ひたすらに努力しました。女王である母親に恥じないようにって。……最初は勉強を教えてくれる先生や機竜の訓練をしてくれた人に、わからないところとか聞いてたんですよ?」
ユウキはやはり自嘲気味に笑う。……自分を責めるように、そして諦めたように。
「でも……そんな時は決まって、視線を感じたんです。『こんなこともわからないのか』と、まるで『期待外れ』とでも言うような視線を」
それはもう嫌になりましたよ、と。
「だから、たまに抜け出してはあの場所に行ってました。あの場所が……あの場所だけが、俺の居場所のような感じがして……」
あっ、もちろんお母様のことは大好きでしたよ?と付け足すユウキを見るレリィの目には――涙が浮かんでいた。
「それに、やっぱり女王って大変なんですよ。……お父様は俺が産まれてすぐに亡くなっていたらしいので、その大変さはかなりのものだったと思います。それでも、時間があれば抱きしめてくれましたし……本当にたまにでしたけど、子守唄を歌って寝かしつけてくれることもありました」
それでも、
「やっぱり寂しかったんでしょうね……当時の俺は。それを紛らわす時もあの場所に行ってて……そんな生活をしているうちに、人に頼ることを怖がるようになっていたのかもしれません。――また、あんな目をされるんじゃないかと思って」
「それからでした。――俺が人に頼らなくなったのは。ただ、できないことはできるようになるまで、努力しましたし。……この5年間も無駄じゃなかったと、そう思っています」
ユウキはレリィを見て、少しだけ申し訳なさそうに顔を伏せた。
「……辛かったのね……苦しかったのね……。もっと早く見つけて、この学園に入れてあげればよかった……」
「いえ、レリィさんには感謝してますよ。この学園に入れてくれて……昨日はパーティまでしてもらって、ルクスやアイリ、フィルフィ、それに――レリィさんとも再会できましたしね」
今度は嬉しそうに笑うユウキ。レリィはそんな彼を見て、感じて、嬉しそうに笑った。
――1つだけ、お願い……いや頼ってもいいですか?
突然発されたその言葉は、未だ目に涙を浮かべるレリィを驚かせるには十分で。しかしそれでも、彼女はすぐに微笑んで――首を縦に降った。
それにユウキは少しだけ目を潤ませると、笑顔で……それでいて拒絶されないようにゆっくりと――そして最後にレリィの瞳を見て、彼女を抱きしめた。
「ありがとうございます。……少しだけ……少しだけでいいですから――このままで」
「……ええ……!」
お願いしてくれた
頼ってくれた
そして――抱きしめてくれた
それでもやっぱり自分の本当の想いは伝えられなかったわ……。
この後ユウキは見事に遅刻し、何故かルクスとフィルフィも遅刻して、3人一緒にライグリィ教官に怒られてしまうのだが、それは完全な余談である。
第五話でした。どうだったでしょうか?
今回はユウキの過去とレリィの話でした。……やはり全然話が進まないのが、少し申し訳ないですが。
あとユウキとノクトのルクス弄りも話の形式上、出せませんでした。まあそれは次、くらいに。w
ユウキの過去には、もう少しあります。
あとアストレア王国もこれから少しずつ話に絡んできますので、お楽しみに!
読んでいただきありがとうございました!
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それでは、また次回。