死体探偵   作:チャーシューメン

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 ※置いてあるのは同じです。
 


ダムネイション ②

 

 新生ネオレアメタルディテクターから発せられる光点は移動を続けている。この信号の強さ、間違いない。捉えたのだ。先刻の火事も気になるが……。あちらはマミゾウ達に任せて、私はこの光点を追うべきだろう。奴らの活動を封じ、これ以上の悲劇を繰り返させない為に。

 里から逃走する途上、新生ネオレアメタルディテクターに新たな反応があった。この探知機は希少金属ヒヒイロカネに反応する。即ち、永遠亭から盗まれた宝剣を探知するための道具なのだ。里では空振りだったが、今度こそ間違いない。私は光点を追って疾走していた。

 空には暗雲渦巻き、しとしとと雨が降り出している。この分なら、火事のほうは問題なさそうだ。

 里から伸びる街道を突っ走り、妖怪の山へ続く道を横切り。道なき道を進み、遂には山中にまで到達した。信号は既に消滅していたが、僅かに残る移動の痕跡を追うには十分だ。部下達を放って、それこそ鼠一匹這い出る事の出来ない包囲網を敷いた。それを徐々に狭めながら山中を進む。

 私はかつて無い程の手応えを感じていた。それは、逃走者の痕跡に焦りの色が見え始めていたからだ。逃走者は私の追跡に気付いたのだろう、何度も後ろを振り返り、速度を上げていた。苛立ちを示すように、ぬかるみに残されたその足跡は段々と強くなっている。その焦りは、私が核心に近づいていることを示していた。小傘の仕込みロッドを握りしめ、追跡を続ける。

 やがて私は、ある洞窟の前に辿り着いた。内部を覗き込んでみるとかなり深いようで、ぽっかりと口を開けた真闇を前にして、妖怪の私でさえも背筋が少し震えた。

 追跡に気付いているのに、自ら拠点の位置を教える馬鹿はいない。十中八九、この先に罠があるのだろう。しかも洞窟に突入するには装備もまるで足りていない。

 しかし、行くしか無い。

 覚悟を決めて突入しようとした私は、はたと止まった。

 周囲を見回す。

 この森、この場所。どこかで見覚えがある。

「ナズーリン……」

 不意に響いた声に振り返ると、黒谷ヤマメが立っていた。私は少し驚いて、言葉に詰まってしまった。土砂崩れの対応にあたってくれているはずのヤマメがここにいる、その事実に驚いたのではない。驚いたのは、ヤマメの格好にだ。

 彼女はいわゆる完全装備をしていたのだ。普段のジャンパースカート姿から、分厚い麻の上着とズボンとを身に着けた作業着姿に変わっていた。そしてライト付きヘルメットを被り、太いロープを担いでいる。外の世界で見かける工事員みたいだ。

「何故こんな所に来たんだい」

 ヤマメは普段の人懐っこい笑顔ではなく、鋭く厳しい瞳をしている。この顔は見たことがある。彼女が仕事をする時の顔。

 そうして、私は思い至った。

 見覚えがあると思っていたら、ここはあの土蜘蛛にされた女が出現した坑道の近くなのだ。

「まさかヤマメ。あの坑道の横穴を掘ったのか」

 あの坑道の入り口は上白沢慧音が厳重に封印して、石碑を立てていた。いかなヤマメと言えど、あの封印を壊すことは難しいだろうし、封印を壊すことは人間への敵対と取られかねない。今のヤマメは八雲紫の召喚状によって地上での活動が許容されているだけに過ぎなのだ。ただでさえ忌み嫌われる地底妖怪、少しでも疑われてしまったら、即座に地底におい戻されてしまうだろう。

 私は彼女の軽率を責める意味も込めて、語気強く言った。

「君は一人でこの坑道の探索を続けていたのか」

 ヤマメはバツが悪そうに顔を背けている。後ろめたさは感じているらしい。

「危険な坑道の探索を止めていたのは君自身ではなかったのか」

「あんたには関係無いね。これは土蜘蛛の、私の問題さ」

「ヤマメ」

「……すまない、強く言い過ぎた。だけど私には私の意地があるんだ。この横穴については、見なかった事にしてほしい」

「いや。今はそんな事を言っていられる状況ではなくなってしまった」

 事態を説明すると、ヤマメは眉を潜めた。

「何だって? 奴らの手先が、この坑道の中に……」

「横穴を掘ったのは君か、ヤマメ。今更君を疑うわけではないが」

「こいつを掘ったのは私じゃない。横穴を掘る場所を探していた時、この穴を見つけたんだ」

「中の調査は」

「まさにこれからする所だったのさ」

 そのための完全装備か。

「ぐずぐずしている時間は無い。丁度良い機会だ。ナズーリン、このまま突入しよう」

「危険だ。罠が仕掛けてある可能性が高い」

「承知の上さ。あんたが行かなくても、私は行く」

 元より私は突入する覚悟を決めていたので、ヤマメを止める事は出来なかった。応援を待つ時間は無いが、ここで私達が死ねば元の木阿弥である。私は賢将を伝令に走らせた。

 しかし結果的に状況は好転したと言える。ヤマメは装備一式を整えてくれていたからだ。ランタンを片手に、私達は洞窟の中へ突入した。

「外は雨が降っている。雨の恐ろしさは前回経験済みだね。時間が勝負だ」

「分かっている」

 坑道内部は支保もない有様で、一度崩落のあった場所と考えると空恐ろしい。この横穴は盗掘の際に使われていなかったらしく、補強も手入れも一切何もされていない。水を排水する為の側溝すらなく、壁そのものから水が染み出して、ランタンの灯を反射しぬらぬらと光を放っていた。天然の洞窟そのままというわけである。

「どうやら本当に、ここが核心の入り口だったようだね」

 足元を見つめるヤマメ。

 洞窟内部には大量の足跡が付いていた。どれもこれも古いものではない。ここに人の出入りがあった事は明白だった。正面入り口が封印されたため、横穴を使って内部に入りこんでいたのか。この奥に、一体何があるというのか。

 その足跡の中に一つ、真新しいものがある。

 奴の足跡だ。永遠亭から兵器を強奪し、おそらく新たなテロを計画している者。

 果たして鬼が出るか、蛇が出るか。

 その足跡に誘導されるようにして、私達は奥へ奥へと進んだ。

「何故もっと早く知らせてくれなかった」

 洞窟の中を進みながら私が責めるように言うと、ヤマメはその瞳を鈍く光らせた。

「私は地獄の妖怪さ。私がやろうとしていることを知ったら、あんたはきっと止めるだろう」

 いつもは美しいヤマメの声が、今は哀しみの炎に焼かれている。

 もしやヤマメは、あの女を土蜘蛛にした人間を皆殺しにするつもりなのか。

「地獄には地獄の流儀がある。落とし前は必ず付ける」

「君が手を汚す必要はない。妖怪を作るなど、里の掟で禁止されている。自警団も動いているぞ」

「土蜘蛛の敵は、同じ土蜘蛛の私が取る。そうしなければならない。先に逝った同胞達の為に……」

「死んだ者達は、復讐など望まん。それはただの君の感傷に過ぎない。君だって、本当は分かっているんだろう」

 ごうごうと水の流れる音が木霊している。

 ヤマメは答えず、代わりにランタンを掲げた。

「分岐点だ」

 前回の突入で作成した地図を広げる。坑道の入り口と横穴の位置を鑑みると、どうやら本坑道の方に合流したようだ。

「……前回の突入時にも違和感は感じていた。いくら試掘抗と言っても、ここまで内部を複雑にする事は無い。ここには試掘抗とは別の目的を持った施設があった、そう考えるのが妥当だよ」

「妖怪を生み出すための施設か、それとも……」

 中央作業広場の方へ進む道は水が溢れ、水没し始めている。足跡は水の無いほうの道へ続いていた。

「坑道で問題になるのは一に換気、二に排水だ。雨が降っているにも関わらず、こっちの道は乾いている。何らかの排水設備が動いている可能性が高いね」

「しかし、表の山には風車の類は見られなかったぞ」

「人力か、それとも何か別の設備が動いているんだろう。例えば河童共の機械を使えば可能かもしれない。奴らの機械は水そのものが動力だからな」

 河童。

 

――あの土蜘蛛に力を与えたのは、私達さ。

 

 四万十の影が脳裏にちらつく。

 河童の一部が奴らに手を貸している可能性もあるのか。

 足跡を追って早足で歩いた。いくつか分岐はあったが、前回の落盤でそのほとんどが埋まっており、追跡すべき足跡を見失う事は無い。奇襲や罠を警戒し、私は瞳を開きながら歩いていた。いつでも魔法糸が出せるよう、ヤマメも常に力を練っているのが分かる。

 半刻程歩き、長時間に渡る力の連続行使で私もヤマメも脂汗をかき始めていた頃。

 呆気なく坑道は終わり、私達の前に一つの鉄扉が立ちはだかった。鉄扉は少しだけ隙間があり、そこから中の空気が漏れ出ている。澱んで昏い密室の臭いに混じって、私がいつも嗅ぎなれている臭いがしている……。

 ゆっくりと鉄扉を押し開けると、私達は一つの部屋に辿り着いた。

 部屋はかなりの広さがあり、鉄骨製の支保によって補強され、床にはリノリウムが敷かれている。天井には明かりの消えた電灯がぶらさがっており、明らかに外の世界の技術を使っていた。学校の教室のように机が整然と並べられ、前方にはホワイトボードまである。まるで司令室か何かのようだった。

 だが、この部屋を最も特徴づけているのは、そんなものではなかった。

「こ、これは……」

 ランタンの光で床を照らした時、流石のヤマメも絶句した。

 部屋の中には、多数の死体が転がっていたのだ。

 ざっと見たところ、二十はあった。臭いで予想出来ていたとはいえ、この量は想像を超えている。しかも死体は真新しかった。ついさっき殺されたようで、未だ血が流れ続けている死体もある。遺体は里に住む人間たちと変わらない格好をしており、恐らく里人に紛れ込んで扇動を行っていたのだろう。見る限りの遺体が、鋭い刃物による一撃で急所を貫かれて絶命していた。

「証拠隠滅をしたんだ。こいつらは、賢者達の手先だ!」

 私の追跡から逃れられないと悟って、口封じを図ったのか。

 部屋の隅には箱がうず高く積まれている。箱に示されたマークには「八意」の文字が見えた。永遠亭から盗まれた武器だ。武器を強奪したのはやはり賢者達だったのだ。だが、肝心の中身は既に失われていた。「死の自警団」達の手に渡った可能性がある。

 手近な机の上を漁ると、いくつもの書類が出てきた。霧の湖における離反者の包囲作戦、上白沢慧音の暗殺に自警団団長の暗殺。そして土砂崩れの計画……。ざっと目を通す限り、今まで発生した事件の詳細を記載した犯行計画書のようだ。

「ナズーリン。これは……」

 ホワイトボードにランタンの光を当てて、ヤマメが声を上げた。

 前面のホワイトボードには、大きく地図が貼ってあった。四隅を囲う大きな壁。一目で分かる、これは神霊廟の地図だ。その地図の南門辺りに、赤で大きく丸が描かれている。あの区域は、神霊廟の中でも木造建築の多い『最初の集落地』……。

 やはり奴らの狙いは神霊廟、しかも防火対策の行き届いていない南側か!

 

 からん

 

 夢幻のような戦慄、その後に響いた音は、私を一瞬で暗黒の現実へと引き戻した。

「なん……」

「伏せろ!」

 ヤマメの困惑よりも早く、私は鋭く叫んでいた。

 この聞き覚えのある音。

 そして永遠亭から盗まれた兵器。

 死臭に巻かれ鋭敏となった私の思考、生存本能が、点と点を一瞬で線に繋いだ。

「手榴弾だ!」

 ヤマメを血の海の中に引き倒すのと、炸裂した焼夷手榴弾が極炎の火柱を上げるのとは、ほとんど同時だった。

 吹き出した超高温の炎の輪が白く激しく明滅し、同時に爆風とスパークを周囲三百六十度全ての空間に惜しげもなくばら撒いている。あまりの熱に金属製の机が溶け、その上に放置されていた証拠書類達が一瞬で塵と消えていった。闇の世界は白く輝く灼熱の世界に変わる。瞳を刺す激光が、耳を裂く爆裂音が、熱と痛みと恐怖とで私達をねじ伏せようと襲いかかって来た。

「なんだあ! こりゃあ!」

「こんな狭い場所で!」

 咄嗟にペンデュラムガードを展開して防いだが、洞窟内では熱と光の逃げる場所が無い。展開した障壁内もみるみる温度が上がり、私達の肌を焼き始めた。

 脱出路を探して周囲を見回した時、

「あいつは!」

 部屋の奥に備えられた扉、その近くに人影が見えた。手榴弾を投げ込んだ後、発生した衝撃波で自分も動けなくなったらしい。慣れぬ兵器を無闇に使った末路か。

 吹き荒れる爆風の中、ヤマメが素早く魔法糸を飛ばして影を捕らえた。が、鋼鉄以上の強度を誇るはずのその魔法糸は、影が取り出した不可思議に輝く刃によってあっさり断ち切られてしまった。

 間違いない、あれは永遠亭の宝刀、ヒヒイロカネの剣だ。

「な、なんだ、あの剣は」

 剣の威力に驚愕するヤマメだったが、私は別のものに気をとられていた。

 ボロボロになった男の着物の袂から、ポロリと落ちて転がる丸い影。野球のボールくらいの大きさのそれは、見紛う事無きあの血塗られた陰陽玉。

 何故あれがここに。あれは四万十に奪われたはず。まさか、あの影は四万十? しかし背格好が似ても似つかぬ。疑念を抱きつつ影を睨んだその時。

 爆光の隙間に一瞬、影の主の顔が見え隠れした。

 あれは。

 あの男はまさか。

 土砂崩れを引き起こした、自警団を名乗るあの男!

 男はよろよろと蠢くと、私達から逃れるように後ずさりをした。そして、そのままもたれ掛かるようにして、扉を押した。

「待て、それは……!」

 影が扉を開け放った瞬間、突風が巻き起こった。部屋の中は紙束や木屑などの可燃物で溢れている。大量の酸素が部屋の中に供給された結果、放射熱に晒され高熱になっていたそれら室内の可燃物が一斉に発火し、部屋の中が火の海になった。フラッシュオーバー現象だ。瞬く間に延焼は広がり、証拠品の山が見る見る炎の壁に変貌して行く。熱で膨張した空気の塊が突き抜ける突風となって部屋の中を、坑道内を駆け巡った。

 影がよろけながら逃げて行く。私達はその背を追う事はおろか、炎に囲まれ、身を守る事すら危うい状況。血の焦げる臭い充満する、この白熱の密室の中。このままでは焼け死ぬか、良くて窒息死だ。

「どうする、ナズーリン!」

 ヤマメが叫ぶ。私は一瞬葛藤したが、四の五の言っている場合ではなかった。

「奥の手を使う!」

 私はナズーリンペンデュラム・エンシェントエディションを取り出すと、ありったけの術力を注ぎ込んだ。夢想封印を使うつもりだった。夢想封印の本当の力は、あの黄昏の世界、血塗られた異界を呼び覚ます力だ。上手くいけばこの炎の渦も異界の端の夢想に封印出来るかもしれない。問題は博麗の巫女ではない私にそれだけの出力が出せるかどうかだが……。

 一縷の望みをかけて、私はペンデュラムを握りしめた。

「う?」

 途端、世界がグニャりと歪んだ。

 赤光を発するペンデュラムに共鳴するようにして、地面から虹が染み出している。そしてペンデュラムから瀧の如く溢れ出した虹色の光が部屋を、焼夷手榴弾の爆光すら塗り潰した。

 やがて、重力が崩壊した。

 燃える机や椅子、私達の身体も含めて、あらゆるものが宙を舞った。

「こ、今度はなんだ!」

 虹光は下方に充満し、沈澱して質量を得たのか、床を貫き、滑らかな二次曲線を描いて、地中深くへと落ちて行く。事象の地平に飲み込まれるが如く。いや、この虹自体がブラックホールと化しているのか?

 私もヤマメも飛び交う灰も塵も炎や光でさえその虹の奔流に飲み込まれ、砕かれ、穿たれ、混ぜこぜにされ、一緒くたにされて、地球の底へと落ちて行った。

 

 

 雨が降ってきたというのに、傘の持ち合わせが無かった。ルナサは仕方無くヴァイオリンをケースに収め、広げたハンカチで庇を作った。なんて天気だろう、まったく。曇りのち快晴のち雨だなんて。

 さっきまで一緒だった輝夜はいつの間にか何処かへ消えてしまった。何なのだ、一体。自由奔放にも程がある。いきなり陰陽玉を握り潰したり(偽物だったが)、あの恐るべき西行寺幽々子に会いに行こうと言い出したり。振り回されるこっちの身にもなって欲しい。大体、あの光の蝶だって……。

 深呼吸して、ルナサは頭を振った。

 今日は色々な事がありすぎた。どうにも気が立っている。自分のこの愚痴っぽい性格が嫌いだった。放っておくと鬱々としてしまうから。こんな時にヴァイオリンが弾けないなんて、雨を恨んだ。

 気分を変えようと天を睨んでも、そこにはうねりを上げる黒い雲の波しか無い。今日は本当に嫌な天気だ。湿気のせいか、指先がざらつき、胸が騒めく。視線を地に落としても、ぬかるんだ砂利道が広がっているだけ。分かっている。心が震えている時は、何を見ても慰めになんてならない。こんな時にルナサを支えてくれるのは、いつだってヴァイオリンの音色だけだったのだから。

 濡れた大地に視線を遊ばせていたその時。ふと、街道の脇に黒いものが落ちているのを見つけた。

 近づいてみると、それは黒い布切れだった。炎で炙られたのか、あちこちがボロボロで所々変色して穴が空いていた。もっと近づいてみると、その布切れの隙間から黒っぽい枝のようなものがにゅっと突き出している事に気付いた。それが行き倒れた人間だと理解するのには、さらに数秒を要した。彼はぬかるんだ道端に突っ伏しており、半ば泥に呑まれていたからだ。

「だ、大丈夫ですか」

 慌てて駆け寄り、抱き起こす。取り出したハンカチを雨に濡らし、泥に塗れたその顔を拭ってやった。

 ひどく顔色が悪いが、息はある。大きな怪我もしていないようだ。しかし全身擦り傷と火傷だらけで、明らかに事件性を感じた。

「もし。一体何があったのですか」

 ルナサが語りかけると、男がうめき声を上げた。意識を取り戻したらしい。

 男はうわ言でぼそぼそと何かをつぶやいている。耳を近づけてみると、かろうじて単語だけ聞きとれた。

「博麗……」

 その男の声を聞くと、なぜだか胸が騒めいた。ときめきなんて生易しいものではない。不信、不安、恐怖、嫌悪、もどかしさといらだち、そしてある種の懐かしさ。胸の奥に刺さった棘を揺さぶられるような、この不快な感覚。ルナサも持つ、妖本来の暴力的な衝動が呼び覚まされ、腕が震える。覚えず、ルナサは冷や汗をかいていた。

 芽生えた黒い感情を押し留め、ルナサは再度語りかけた。

「妖怪に襲われたのですか?」

 男は頷きもせず、ぼんやりとした虚ろな瞳で空を見ている。そして、

「博麗の……様の元へ……」

 途切れ途切れの言葉でそうつぶやくと、男は再び気絶してしまった。

 博麗の巫女、霊夢に会いたいということだろうか。これほどの傷を負いながらもそう口にするということは、それだけ強大で危険な妖怪に襲われたのだろうか?

 話を聞くためにも、とにかく彼の治療をしなければ。男を背負って、ルナサは街道を下った。

 

 

 遠く。

 はるか遠く。

 何処かから子どもの泣き声が聞こえる。

 助けを求めるように、誰かに縋るように泣いている。

「霊夢……?」

 鳴き声に導かれるように、私は目を開いた。目を開いているはずなのに、眼前には闇の帳が広がっている。

 気が付くと私は、闇の中にいた。

 冷たく硬い石畳の上に、腹ばいになって私は倒れていた。身体が麻痺して動かない。

 呼吸を整え、聖に習った身体強化術を使いつつ全身に力を込める。最初に腕が、次に足が、そして頭が動いた。全身に擦り傷があり、ひどくけだるい感じがするが、どうやら私は、未だ五体満足でいられるらしい。

 あの坑道で、私は虹に飲まれ地底へと引き摺り込まれた。私とヤマメの身体は虹に穿たれ、砕かれ、ばらばらにされたはずだった。何かの力が私を守ったのか、それとも。

 五感を取り戻した私は、ようやく寒さを覚えた。何処からともなく冷気が噴出しているのか、凍てつく淀んだ空気が渦を巻いている。

「ヤマメは……」

 私は身体を起こし、周囲の気配を探った。微かな息遣いを感じる。近くに誰かが倒れているのだ。私はペンデュラムを取り出すと、残り少ない術力を送り込み、光を作った。

 弱々しい赤光に照らされたのは、石壁で囲まれた螺旋通路だった。道の先は深い闇が支配していて、おぼろげなこの赤光だけでは先をうかがい知ることは出来ない。

 光の届く範囲にヤマメのランタンが落ちていた。拾い上げてみると、まだ使えそうだ。火を入れて、息遣いを感じた方へ掲げてみる。

 光の先に、ヤマメが仰向けで倒れていた。

「なんてことだ……」

 ヤマメの身体のあちこちには、大きな穴が開いていた。被ったヘルメットは砕け、頭から血を流している。

 そして、右足と左手の先端が失われていた。

 慌てて駆け寄った。息遣いは聞こえるが、身体に開いた穴のあちこちから血が流れ出ており、彼女の周囲は血だまりになっていた。失われた左腕と右足からは、不思議と血が流れていなかったが。

 この出血量は危険だ。とにかく、止血しなければならない。

 ヤマメの装備を漁ったが、爆薬や工具ばかりで治療に使えそうなものは見当たらなかった。仕方なく私は、まとったボロ布を破いて包帯代わりにし、止血を行った。だが、腹部に開いた穴は止血出来ない。今の私に出来る事は術力を送り込んで彼女の自己修復力を刺激する程度しか無かった。それもたかが知れている。

「ナズーリン……」

 血を吐きながら、ヤマメが意識を取り戻した。途端、激しく咳き込む。彼女が身体を揺らす度、開いた傷口から血が溢れ出した。

「ヤマメ。気が付いたか」

 苦痛に呻くヤマメの声が耳を刺す。

 この状況では、意識を失っていたほうが幸せだったかもしれない。

「どうやら、生きてたみたいだね、私達」

 玉のような脂汗を浮かべながら、ヤマメは笑った。この闇の中、満身創痍のこの状態。そんな状況でも、苦痛をこらえ、気丈に振る舞う彼女は天道に違いない。

 彼女をこのまま死なすわけにはいかない。

 だが……。

「寒い……一体何処なんだい、ここは」

 私達は今、謎の螺旋通路に閉じ込められていた。あの坑道の中にあった部屋から、恐らくその真下へと落ちてきたと思われる。だが、上を見上げても石造りの天井があるばかりで、私達が落ちてきたはずの穴など見当たらない。虹の力で空間をこじ開けたのか。それとも、夢想の中に取り込まれてしまったのか。

 ここではヤマメを治療することなど出来ない。

 かといって、まずは脱出しなければ助けを呼ぶことも出来なかった。

 ヤマメは重傷で動かす事も危険な状態だったが……。この凍てつく闇の中、置き去りにすることも出来ない。

「すまん、ヤマメ……耐えられるか」

「大丈夫さ。地獄の妖怪を舐めるなよ、地上の軟弱な妖怪共より、百倍は頑丈なんだ」

 ヤマメは笑顔を見せるが、額には苦痛を示す汗が滲んでいる。私が迷っていても仕方がない。彼女を背負い、私は螺旋通路の先を行く決心をした。

 問題は前と後ろ、どちらに進むかだ。

 希望を持って前へと進みたい所だが、この身体を蝕む冷気は、前方に広がる闇からほとばしっているようにも感じる。何か、とても嫌な何かが、この先に待ち受けている。私の鼠としての本能がそう告げていた。だから私は踵を返し、後ろの道を進んだ。

「これは……」

 私の背の上で、ヤマメが呟いた。

 ぼんやりとした表情で、失くなった左腕の先を見つめている。そのなんとも言えない表情は、見たことがある。土砂崩れに巻き込まれて重傷を負い、毒を呷って自殺したあの青年の表情とよく似ていた。四肢の一部を失った事実を受け入れられないのだろう。

「ヤマメ……。気を強く持て」

 私は。

 慰めにもならない言葉を吐くしかない。

 いつだって、言葉は無力だ。

 だがヤマメは笑い声を上げた。それは乾いた、自嘲するような響きだった。

「気にするな、ナズーリン。これは私の……古傷、さ」

「古傷……?」

 ヤマメは冷たい吐息を吐き出してから、持ち前のその美しい声で、静かに話し始めた。

「昔。本当に遠い昔。私は人間だった。親も兄弟もいる、普通の娘だったのさ。近所の友達と一緒になって、いつも山で遊んでいた。山が好きだったから。だがある時、探検に入った坑道で、私達は落盤事故に巻き込まれた。友達は全員生き埋めになって死に、私は左腕と右足を岩に押しつぶされて片端者になった。当時の人間の暮らしってやつは、今ほど余裕が無くてね。私の家にも、片端者を生かしておくような余地は無かった。だから私は鉱山に売られ、そこで採掘に従事する奴隷、土蜘蛛として生きることになった。でも私は、私を売った親を恨んじゃいない。私はそうなって然るべき女だったから。坑道に探検しに行こう。あの日、そう言って無理やり友達を誘ったのは、他ならぬ私自身だった。人を殺した私は、妖怪にならなくちゃいけない。それが人として正しい道なんだ。妖怪土蜘蛛に成り下がる事で、私は正しい道を進みたかった。人間の私を、人間のまま死なせてやりたかったんだ」

「ヤマメ……」

「いつしか私は本物の妖怪となって、この傷を捨てた。黒い谷に住む名無しの山女だった私は、土蜘蛛の黒谷ヤマメに姿を変えて、山の恐怖となった。だが……道理で血が止まらんわけだ、この程度の傷で。私は今、人間に、あの頃に戻っているんだな……」

「ヤマメ。もう考えるな。傷に障る」

「気付いていないのか、ナズーリン。今のあんたにだって、耳と尻尾が無い」

 はっ、として頭に手をやる。外の世界にいる時のように、鼠耳は消え失せていた。尻尾もない。術力が残り少なくなっているのではなかった。私はヤマメと同じように人間化し、その力を弱めていたのだ。

「道が……」

 私が動揺していると、背のヤマメが声を上げた。

 前方の天井が崩れ、道が埋まっている。これでは通れそうも無い。崩れた天井の先を見上げても、一面黒い闇ばかりだ。

 しかし、この穴の先を行けば、外に出られるのかもしれない。私は飛翔術を使い、穴の先を目指した。

 ……はずだった。しかし飛翔術は発動せず、私はただ天井を見上げるばかりだった。

 そうか。

「ようやく分かった。ここの空気に、私達の術力を拡散させる力があるんだ。道理で術の効き目が弱いわけだ」

「だから……私もあんたも、人間に」

 苦痛の混じった声でヤマメがつぶやく。傷が開いたのか、背に生暖かい血を感じる。脱出を急がなければならない。歯噛みする、余計な時間を使って……この道を選んだのは失敗だった。

 踵を返したその時、ヤマメが再び声を上げた。

「ナズーリン。横穴がある」

 ヤマメの指差す方向を見ると、人が一人通れるくらいの穴が石壁に開いている。なんというか、ドリルで開けたかのような綺麗な穴だ。

 穴へ向かうべく瓦礫をまたいだその時。私の足が何かにぶつかり、少しよろけてしまった。追い詰められていらいらしていた私は、怒りを込めてそちらを睨んだ。すると、瓦礫の隙間に何かがあるのが見えた。

 屈んで取り出してみると、それは小さなポシェットだった。このデザイン、見たことがある気がする。魔法の森の入り口にある古道具屋で売っていたような。

「なんでこんなところに、こんなものが?」

 見知った物を見たおかげで、私は少しほっとしてしまった。よもや異界に飲み込まれたのではと思っていたからだ。ここも歴とした幻想郷の一部らしい。しかもこのポシェットがここにあるということは、誰かがここに来たことがあるということだ。脱出への希望の光が見えた気がする。

 さらに嬉しいことに、ポシェットの中には少量だが医薬品が入っていた。ポシェットの持ち主はなかなかに几帳面らしく、小瓶に分けられた医薬品はラベリングされて中身が何なのか一目で分かった。アルコールに痛み止め、抗生物質まである(なぜか猛毒のトリカブトもある)。しかもソーイングセットに小刀、包帯も入っていた。

「なんて幸運だ! ヤマメ、これなら君の手当ができるぞ」

 地獄に仏とはこのことだ。

 私はすぐさま彼女の手術の準備を行った。ボロ布を石畳の上に敷いて、その上にヤマメを横たえる。そして、彼女に痛み止めを与えた。

 術式のやり方は心得ている。医療術は外の世界でも学んだし、縫合技術は幻想郷でも青娥から学んでいた。彼女の技術はもっぱら死者の為にあるものだが、もちろん生者への応用も可能だ。まったく、マスター・にゃんにゃん様様である。

 火とアルコールを使って小刀と針、糸を消毒した。縫合糸が欲しいところだが、この状況ではそうも言っていられない。腹部に開いた穴はそのまま縫合し、内出血している部分は切り開いて、可能な限り内部の傷の縫合を行った。火傷にはポシェットの中にあったオリーブオイルを塗る。

 あらかたの処置を終え、傷口に包帯を巻き終わってから、ようやく私は一息吐いた。

「ヤマメ。痛みはないか」

「少し。だが、大分楽になった」

「痛み止めはまだある。少し経ったら、もう一度投与しよう」

 処置して分かったが、ヤマメの傷は外側からの衝撃で出来たものではなく、かといって内側から破裂が起こったわけでもなかった。傷というよりも、身体の一部が欠けたという表現が近い。あの虹が奪っていったのだろうか。それならば、私への影響が少なかった理由は、一体……。

 横になりながら、ヤマメは目を伏せて言った。

「すまんな。助かったよ、ナズーリン」

「礼なら、このポシェットの持ち主に言ってくれ」

 ポシェットの中にあった携帯食料をかじりながら、私は言った。ヤマメには同じく中にあった水筒に詰まっていた、ひどく甘い何かの汁を飲ませた。香りから察するに桃の汁のようだが、こんなところに放置されていたというのに傷んでいない。天界の桃でも使ってるのか?

 ポシェットの中には他にも小さな人形のパーツが入っている。一体このポシェットの持ち主は何をしていたのだろうか。どうやら持ち主は女性のようだが……。

 とにかく、このポシェットは使える。ヤマメの道具一式も含めて入るだけ突っ込み、小脇に抱えた。

「また、生き残っちまった」ヤマメが呟いた、血を失いすぎて弱気になったのか。「土に埋まって闇の中で死ぬのなら、本望だって思っていたはずなのに。それが土蜘蛛の定めだって」

「そんなことはなかろう」

 ランタンにオリーブオイルを継ぎ足しながら言った。

「人間だった頃の私を、人間のままにしておく為に。私は妖怪であり続けなければならないんだ」

「だから君は、あの土蜘蛛の敵討ちをしようとしているのか。だけど、君が本当に救いたいのは、人間だった頃の君自身なんじゃないのか」

 しばらく押し黙っていたヤマメは、やがてぽつりと言った。

「私は、自分の生き方を悔いてはいない。だからこそ、土蜘蛛の遺志は、同じ土蜘蛛の私が継いでやりたい。それが私なりの、同族への手向けなんだ」

 遺志を継ぐ……か。

 もしかしたらヤマメは、私の想像とは全く別の目的を持って動いていたのかもしれない。

「人間を、人間だった頃の自分を大切にしたい思いは分かる。だがな。今の君自身を大事に想う者もいるんだ。それだけは忘れないでくれ、ヤマメ」

「ナズーリン……」

 ヤマメは、唇を噛んだ。

 その時、何処かからか微かに、子どもの泣き声が聞こえた。

「ん?」

 顔を上げ、前方の闇を見やった私の耳に、再び同じ声が聞こえた。

 聞き間違いではない。

 何処かから子どもの泣き声が聞こえる。

 助けを求めるように、誰かに縋るように泣いている。

 そして、それは唐突に、まるで初めからそこに佇んでいたかのように現れた。

 長い黒髪をたなびかせた女の影。緑銀色に揺らめく剣を右手に携え、明確な敵意を持って私達を睨んでいる。

 そいつは紅白の衣を纏い、頭に大きな赤いリボンを付けていた。その衣装は見覚えがある。

「なんだ、お前は!」

「博麗の……巫女……?」

 その顔は、黒く塗り潰された落書きのようにぐじゃぐじゃと不自然に歪んで、認識することが出来ない。まるで脳の中を勝手に書き換えられているかのように。

 驚愕する私達を前に、黒い顔の巫女は手にしたその剣を大きく振りかぶった。私は反射的に小傘の十手を抜き放つと、振り下ろされた謎の巫女の剣を受け止めた。

 刃金と鋼がぶつかりあい、火花が飛び散る。

 閃光の狭間。巫女の胸元辺りに、大きな傷が見えた。まるで誰かに刀でえぐられたかのような。

「ナズーリン、足元だ!」

 ヤマメの言を受けて足元を見やると、先程の手術に使った小刀が転がっていた。それを蹴り飛ばし、黒塗りの巫女へ放つ。巫女はその小刀を左手で受け止めると、いかにも忌々しそうにそれを握りつぶした。

 その隙に私は、ランタンと負傷したヤマメを抱え、横穴に飛び込んでいた。

 

 

 あの無縁塚で手に入れた扇子。マミゾウは無意識に、それを手の中で弄んでいた。

 この扇子には只ならぬ力が込められている。恐らく八雲紫の持ち物だろう。簡易的にだが、これには隙間を操る力が宿っていた。少し妖力を込めれば、マミゾウでもすぐに隙間を作り出すことが出来る。上手く使えば、強力な武器にもなろう。

「大将。これからどうするんだい」

 燐がこちらを見ている。普段のにやけ面はどこへやら、まさに妖猫とでも表現すべき、背筋が凍る程の鋭い目をして。

 傘を叩く水音が大きくなっている。雨脚が強まって来たのだ。

 火事を解決したというのに、胸騒ぎが消えない。何かとても悪い事態が自分たちの預かり知らぬ所で動いている……そう感じる。

「ナズーリンを探すのかい。あいつが隠してるとかいう何かを問い詰めるために」

 無縁塚には何も無かった。この扇子以外。

 あったのは、罠だけだ。

 無縁塚という場所が八雲紫とナズーリンと西行寺幽々子、ひいては賢者達にとって重要な意味を持つ場所であるということは分かっている。

 そしてその意味の正体も。

 それは、博麗以外にはありえない。

 この幻想郷のすべては、その言葉を中心に回っているのだから。

「霊夢を捕まえるぞい」

 自警団の警戒態勢は未だ解除されてない。霊夢が火事の異変認定を取り消していないのだ。霊夢が一体何を考えているのか、問い質さなければならない。

 そして、博麗とは一体何なのかも。

 マミゾウ達は博麗霊夢を探して、里の中を歩き回った。途中で捕まえた青法被の話によると、霊夢は未だ里中で調査を続けているらしかった。各所の青法被達に話を聞きながら、彼女を追った。

 大路を行き、寺子屋の前を通り過ぎ、燃え落ちた星鼠亭の前を通り過ぎる。どうやら霊夢はナズーリンの足跡を追っているらしかった。

 好事家の屋敷の前で、霊夢を見つけた。

 博麗霊夢はこの雨の中、傘も差さずに飛び回っていた。

 屋敷の玄関先で、主人と短い会話をする。差し出された傘も受け取らず、彼女は駆け出していた。

 彼女の紅白の巫女服は、降りしきる雨と飛び跳ねた泥で見る影も無い程に汚れている。まるで巣から落ちて、泥の中でもがく雛鳥のように。

「霊夢……」

 その霊夢の姿を前に、マミゾウも燐も言葉を失くしてしまった。霊夢もマミゾウ達と同じだったからだ。何を信じるべきか、守るべきものは何なのか。必死になって探しているのだ。

 降りしきる雨の中。

 マミゾウ達は、泥まみれになって駆けずり回る霊夢の後ろ姿を、ただ見ていることしか出来なかった。

 

 

 横穴は少しの上り勾配を持って、果てしなく続いている。

 無貌の巫女の三度目の襲撃を辛くも撃退し、私は大きく肩で息をした。

 最初に現れた時もそうだが、襲撃の前兆が掴めないのが厄介この上無い。奴は唐突に現れ、そして唐突に消える。おまけにこちらの攻撃は全てすり抜けてしまうのだ。しかも空間転移も可能なのだろうか、ヤマメの持っていた爆薬を使って道を破壊し追って来られないようにしても、奴は変わらず攻撃してくる。

 このインチキ加減、博麗霊夢の夢想天生に似ている。あの技をもっと悪質にした感じだ。

 それにしても。

「一体、奴は何だ。何故追ってくる」

 それが全く分からないのだ。奴は警告や注意を一切せずに問答無用で襲いかかってくる。こちらが対話を呼びかけても応じる気配を一切見せない。この場所に踏み込んだ我々を排除するための意志無き自動装置なのか。それにしては、奴の動きは人間的すぎる。インチキ技によって防御する必要など無いはずなのに、私の反撃をいちいち防御する姿勢を見せるのだ。

 理由は分からないが、攻撃されるなら逃げるしかない。とにかくここから脱出すべく、ヤマメを負って歩いた。

 四度目、五度目の襲撃をやり過ごした後、流石の私も疲れ切ってしまって、道の上にへたりこんでしまった。

 ヤマメに再度痛み止めを投与し、水筒の残りを与える。私は常備しているゴールデンエメンタールチーズをかじった。とにかくカロリーが足りない。洞窟がいつまで続いているのか分からない状況だ。足が動かなくなった時、それは私達の最期を意味する。

「ナズーリン」

 ヤマメが腹を押さえて起き上がった。

「ヤマメ、無理をするな。傷口が開いたら元も子もない」

「気付いたんだ。奴は博麗の巫女なんだろう。なら……奴の目当てはこれじゃないのかい」

 そう言ってヤマメが取り出したものを見て、私は息を飲んだ。

 それはあの、血に飢えた陰陽玉だった。

「何故、君がこれを」

「掠め取ったのさ。ここに落とされる前、あの自爆野郎から」

 そうか。

 あの自警団を名乗る男は、この陰陽玉を落としていた。虹に飲まれる寸前、ヤマメが魔法糸を使って絡め取っていたのか。

「これを返してやれば、奴の攻撃も止まるかもしれない」

「試してみる価値はあるかもしれないな」

 ヤマメから陰陽玉を受け取り、私は頷いた。

 だが実は、どうにも気が進まなかった。奴の攻撃は何かを探しているというよりは、私達そのものを抹殺するための攻撃に思えてならなかったからだ。

 そこから、私はある考えを抱いた。術力を拡散して妖怪を弱体化させるこの螺旋通路と洞窟は、奴を封印するために作られたのではないかと。奴は憎悪の塊で、生きとし生けるもの全てに敵対することが目的なのではないかと。

 ……こんな夢想に囚われるんて、どうやら私も相当疲れているようだ。頭を振って、下らぬ夢想を振り切る。

 休憩を終え、再び立ち上がった私達は、この洞窟の先を目指した。ヤマメが自分で歩くと言って聞かなかったので、仕方なく彼女に杖代わりのロッドと肩を貸した。

 そして、その時は呆気なくやって来た。

 土壁をくりぬいたこのトンネルは強固な石壁をも貫通し、私達は石造りの部屋に辿り着いたのだった。

 そこは広い部屋で、様々な台座が整然と並んでいた。どうやら宝物庫のようだ。台座の上にあるべき宝石の類はあらかた奪われてしまっていたが。

 部屋の内部は石壁自体が微かに発行しているようで、灯りには困らなかった。

「こりゃすごいな」

「ああ。目が回りそうだ」

 室内に並べられた調度品の数々は、外界に持ち出せば一財産は築けるほどの価値があるだろう。美術的・歴史的な価値もまたしかりだ。私達は状況も忘れて、美術館めぐりをするような足取りで室内を回った。

 本来の入り口と思しき場所は、天井が崩れて行き来ができなくなっている。そのすぐ脇の壁にはべっとりと血糊が付着していた。そして周囲には、着物の切れ端が散乱している。戦闘か何かがあったらしい。私達と同じように、無貌の巫女に襲われたのだろうか。

 その時、ある閃きが私を襲った。それに促されるようにして、私は着物の切れ端を拾い上げた。

 この柄、この材質……どこかで見覚えがある。

 まさか。

 そうだ、散々調べたのだから間違いない。

 これは、あの陰陽玉を盗んで死んだ盗賊が着ていた着物と同じ柄、同じ材質だ。

 はっとして見渡すと、中央に一際豪著な台座があった。

 紫布が拡げられた台座の上には、ちょうど野球ボールがそのまま埋まりそうな程のくぼみが開いている。

「これは……」

 陰陽玉をはめ込んでみると、ピッタリと一致した。

 そうだったのか。あの盗賊がどこから陰陽玉を盗んだのか謎だったが、彼はここから陰陽玉を持ち出したのだ。この無貌の巫女の徘徊する、封印された迷宮から。

「ナズーリン!」

 ヤマメが鋭く叫んだ。

 眼前を睨むと、思ったとおり、奴が現れていた。

 無貌の巫女。こいつは……こいつこそが、博麗の力の源なのだ。賢者達はこいつから力の一端を奪い取ろうとして、この陰陽玉を求めていたに違いない。

「陰陽玉は返したぞ」

 私がそう言い放つと、奴はその黒塗りの顔をぐじゃぐじゃと歪めた。私には分かる。笑ったのだ。

 そうして奴は、私へ向かって剣を叩きつけてきた。

「やはりな!」

 私の直観は間違っていなかった。こいつは憎悪の塊だ。世界の滅びがこいつの存在目的なのだ。こいつは忌むべき神、祟り神、破壊神と言ってもいい。こいつを世に解き放ってはいけない、絶対に。

 胸にしまったペンデュラムが赤く脈動している。奴に反応しているのだ。夢想封印は博麗の巫女の十八番。奴に効くとは思えない。ならば、私自身の力で戦うしかない。

 私は小傘の十手で奴の横薙ぎを受け、左に逸らす。十手の鈎で剣を絡め取った私は、滑らせるようにして距離を詰めた。私の狙いが近接戦だと予想したのだろう、奴は腰を引き、一歩下がった。

 刀剣と十手ではどちらにリーチの分があるのかは明らかだ。この連戦で奴も嫌というほど分かっている。距離を取れば奴に分があり、距離を詰めれば私に分がある。奴は優位な距離を保とうとしたのだ。

 その思い込みが、私の付け入る隙になる。

 右手の剣は左に逸れ、そして奴は腰を引いて一歩下がった。

 つまり奴の胸元はがら空きになった形となる。

 私はその胸元、そこに残る大きな傷口目掛けて、退魔針を束にしてを放った。完全に不意を突いたのだろう、奴の胸元に、針達はするりと滑り込んだ。

 無貌の巫女は声にならない叫び声を上げ、膝を突いた。

 その隙に、私は台座上の陰陽玉を掴み、奴をすり抜け駆け抜けた。

「ナズーリン、こっちだ!」

 部屋の反対側で、ヤマメが手を振っている。見やると、その石壁にも穴が開いていた。

 その穴からは、小さな光が見える。

 あれは、外の光か。

 私とヤマメは迷わず穴に入り込んで、光の方へと進んだ。それまでとは打って変わって急勾配になった坂を、ヤマメを支えながら、体全体を使って登って行く。

 最後にそびえる土の壁をよじ登ると、新鮮な空気が私を包み込んだ。見上げた鼻面に、ぴちょんと雨が落ちる。

 そうして、私の元へ夕闇が舞い降りてきた。

 地上に出たのだ。

 ロープを使ってヤマメを引っ張り上げ、穴の中へありったけの爆薬を放り込んで封印を施す。地面に開いた穴からぼふんと土煙があがり、そこでようやく私達は息を吐いた。

「なんとか……なったのか?」

「おそらくな」

 疲労から、二人してへたりこんでしまう。ヤマメなどは両手を広げて、大の字に寝転んでしまった。

「まったく、今回は本当、疲れたよ」

「ヤマメ、その腕。それに足も」

 欠けていたヤマメの左手と右足はいつの間にか元に戻っていた。私の耳と尻尾も。あの洞窟を出たからだろう。

 ヤマメは自分の左手をしげしげと眺めていたが、

「よかった、よかった。また腕の無い生活に逆戻りは大変だからね」

 やがて声を上げて笑った。言葉とは裏腹に、少し寂しそうな笑みであった。

「それにしても、ここは一体何処なんだい」

「魔法の森だな」

 嫌な湿気と、魔法茸の胞子舞うこの独特の空気は間違えようがない。

 改めて辺りを見回すと、すぐ目の前に家が一軒建っていた。こんな近くにあったのに気付かないなんて、私達は相当余裕が無かったようだ。

 家のドアに備え付けられたベルを鳴らしても、誰も出てくる気配は無かった。どうやら家主は留守のようだ。ヤマメの体力が戻るまで、軒を貸してほしかったのだが。

「とにかく、君には治療が必要だ、ヤマメ。私が施したのはあくまで応急処置だからな。永遠亭で再手術を行わなければ」

 私がそう言ったまさにその時、新生ネオレアメタルディテクターがチープな電子音を発した。

 再び、レーダーがあの男を捉えたのだ。

「この方角は……博麗神社の方か」

「奴か。行こう、ナズーリン」

「しかし」

「私は大丈夫さ。それより、すぐに奴を追ったほうがいい。あの坑道の爆発で、奴もきっとダメージを受けているはずさ。今がチャンスなんだ」

 ロッドを杖代わりにしながら、ヤマメは先に歩いて行ってしまう。あれだけの血を失っていながらまだ追跡を続行しようとは。妖怪とは言え、なんて体力と執念なんだ。地獄の妖怪は伊達ではないらしい。

 しかし、ヤマメの言う通りだ。一刻も早く、あの男を捕縛せねばならない。私も彼女の背を追って駆け出した。

 

 

 雨は少しずつだが上がってきている。それに反比例するように、夕闇がものすごい勢いで迫って来ていた。

「本当に助かりました、薬師様」

 顔色の悪い男が頭を下げた。

「いえいえ、私は薬を処方しただけで」

 薬売りの格好をした鈴仙・優曇華院・イナバは顔を赤くして両手を振った。

 男を抱えて街道を下るルナサは、途中、博麗神社近くにある茶屋の軒先を借りて小休止していた。そこへ、彼女が偶然通りかかったことが幸運だった。

 彼女は種々の薬を携えるだけでなく、八意永琳仕込みの医療術も身に着けていた。半人前だと言い訳しつつも、実に的確な処置を施し、男はすっかり元気になったのだった。相変わらず、顔色は悪いが。

 この茶屋は祭りの時期以外は昼間しか営業しておらず、夕暮れ時の今はもう無人となっている。夜に博麗神社に行くような命知らずの人間などいないからだ。加えて、博麗神社付近のこの道は整備されておらず、しかも危険な妖怪が出没するという噂まである。

「貴女をここまで運んだのは、ルナサさんですよ」

「私も、当然の事をしたまでですから」

 本当に特に何もしていないので、ルナサは淡々と言った。

 相変わらず、胸のざわめきは収まらない。この男を前にしていると、訳もなく心がささくれ立つ。一体何なのだ、これは。困惑がルナサを襲い続けている。いっそこの男を今この場で殴り殺してしまえば楽になれるのかもしれない……そんな考えさえ脳裏を掠める。

「では言い直します。本当に助かりました、お二人共」

 ルナサの胸中を知ってか知らずか、男は脳天気に笑っている。

「ところで。この怪我、一体何があったんですか」

「いやお恥ずかしい。実は妖精達の弾幕ごっこを隠れてこっそり見ていたのですが、流れ弾に当たってしまいまして。いやあもう、死ぬかと思いましたよ」

 弾幕、か。

 なんとなく腑に落ちないような気もするが……。

 ルナサの疑念をかき消すように、男が大笑いした。

「しかし、やはり兎角同盟製薬のお薬は効き目抜群ですなぁ」

「そりゃ、お師匠様謹製ですから。でもそれも、正しく処方してこそですよ。火傷用の軟膏は一日二回、朝と夜に患部へ塗ってください。化膿止めの飲み薬は毎食後に服用すること。大丈夫だとは思いますが、もし万が一熱があがるようなら、すばやく永遠亭を訪ねてくださいね」

「はい、薬師様」

「では、私はこれで。早く帰らないとお師匠様に怒られちゃいますので」

 笠を被り、薬箱を背負って鈴仙が立ち上がったその時、

「やはりここにおったか」

 茶屋の前に二ッ岩マミゾウと火焔猫燐が現れた。あの無縁塚から続けて探索をしていたのだろうか。タフな狸と猫だ。

「あら? 貴女は里の婦女誘拐犯さん」

「なんじゃい兎、おヌシもおったのかい……って誤解されるような表現をするない」

「事実じゃないですか」

 マミゾウと鈴仙が笑っている。

 顔色の悪い男を指差して、マミゾウが言った。

「おヌシがこいつといるってことは、もう犯人が分かったんじゃな」

「犯人?」

「こいつじゃろ? 抗鬱薬をばらまいている顔色の悪い男っていうのは」

「えっ! 貴方が?」

 鈴仙が責めるような視線を向けると、顔色の悪い男は両手を振った。

「い、いえ。兎角同盟製薬様のありがたいお薬を、里の皆にも分けてあげようと思いまして」

「な、なんてことを!」

 怒髪天を突くと言うが、怒りで妖怪化したのか、鈴仙の兎耳が笠を突き破って角になった。

 慌てて、男も言い訳をする。

「いやいや、お代は頂いてませんので。全て私の自腹で」

「そんな事関係ありません! あのねえ、素人処方は危険なんですよ! 飲みすぎたら命に関わる薬だってあるんです!」

「それはもう、重々承知して……」

「もう没収! さっきの薬も全部没収します! お薬が欲しかったら、永遠亭で処方しますから!」

 顔色の悪い男から抗鬱薬その他を奪い取ると、鈴仙はぷんぷん怒りながら帰って行ってしまった。

 マミゾウは意地悪くにやけながら男をつついた。

「残念じゃったのう」

 だが、男は笑った。

「いやいや。薬はまだまだたくさんありますから」

「ああ……そうかい。ま、ほどほどにな」

 マミゾウは頭を抱えていた。

 何が面白くないのか、庇の外の燐は傘の下で難しい顔をしている。

「何かあったの?」

 ルナサは庇の下から燐の傘の下に移って聞いたみた。すると、燐は首を振った。

「いや……なんていうか、どうにも胸が騒めいてね。嫌な予感、って言ったらいいのかな。今日はずっと、それが消えなくてねぇ」

 この猫もか。

「それに霊夢の事を見ていたら、何が正しいのか分からなくなっちまった」

「霊夢?」

「ああ。あの呑気巫女も苦しんでいたんだ。何が正しいか分からなくて。だから、それを自分の力で見極めようとしていた。まったく、誰かを信じるっていうのは、存外、難しいもんなんだねぇ……。あたいはもっと、単純な方がいい。そんな難しい事考えず、その日その日を笑って馬鹿やって楽しく暮らせれば、世界はそれでいいじゃないか」

「……そうね」

 世界が皆この猫のようになれたら、争いなんてなくなるのかもしれない。

「あら」街道をこちらへ向かってくる人影を見つけて、ルナサは声を上げた。「あれは、ナズーリンだわ。それにヤマメさんも」

「おや。本当だ」

 ヤマメは怪我をしているのか、杖を突いて、ナズーリンに肩を貸してもらっている。

「何かあったのかしら。傘も差さずに」

 ルナサと燐が手を振ると、ナズーリンとヤマメは顔を見合わせていた。何かおかしいところがあったのだろうか?

「やあ。雨があがりましたねえ」

「そうじゃな」

 マミゾウと男も庇の下から出てきた。傘の外に手を出すと、彼等の言葉通り、雨はもう殆ど降り止んでいた。

 途端、ナズーリンとヤマメの動きがピタリと止まった。

 二人とも、驚愕に顔を歪めている。

「どうしたんじゃ? ナズーリン」

 マミゾウが訝し気な声色で聞いた。

 ナズーリンが叫んだ。

「マミゾウ! 離れろ! そいつが!」

 そいつが?

 疑問符のついたまま。ナズーリンの指先に導かれ、ルナサはマミゾウ達の方へ振り返った。

 その時目撃した光景を、ルナサは一生忘れることが出来ないだろう。

 血のように赤い夕陽差すこの逢魔が時に。

 後ろから短刀を左胸に突き立てられ、崩れ行くマミゾウと。

 鮮血のしたたる短刀を手に、無表情でこちらを見つめる、男の姿を。

 

 

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