死体探偵   作:チャーシューメン

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 また嫌な話です。
 そそわはこちら→http://coolier.dip.jp/sosowa/ssw_l/229/1588688627
 ※置いてあるのは同じです。


ダムネイション ④

 

 蝋燭のゆらめきが濡れた彼女の横顔を照らしている。月も無い夜。冷たく透き通る風が、体から熱を奪ってゆく。精も根も尽き果てた私達には、それに抗う術は無かった。

 怒号が轟々と唸っている。耳を塞ぎたい衝動を堪え、私達はその音にじっと聞き入っていた。それが私の、私達の為した業に対する報いであり、罰であったから。

 聖白蓮を追い立てる山狩りは、未だ続いていた。だが、それも直に終わるだろう。聖には逃げる意志も抵抗する意志も無いのだから。彼女を慕う幾人かの僧が強引に彼女を連れ出し逃亡しているが、この凄まじい、まさに狂騒と言う他無い程の包囲網の前では、それも無駄な抵抗に過ぎなかった。

 寅丸星は、いつまで経っても感情の制御に拙い。畳の上に静かに正座する彼女は、涙で目を赤く晴らし、拳を握り締め、そして小刻みに震えていた。私は凍てついた心でそれを見つめていた。己の魂の冷え切りように、多少驚きながら。予感があったのか。それとも、遂に私も悟りとやらを得るに至ったのか……尤も。これがもし本当に悟りで得られる境地だというのなら、すべての仏教徒は直ちに滅されるべきだ。

 虚しさに狩られて見上げた夜空には、私が追い求めた光の欠片も無かった。知らぬ間にこの指の谷間から零れ落ちてしまったのか。或いはそんなもの、最初から無かったのだろうか。

 最早、分からぬ。

 私には、何も分からぬ。

 星は白く濁った息を吐き、そして震える声で言った。

「ナズーリン。もう一度。もう一度、書状を。書状を読み上げて下さい」

 もう三度目になる。

 だが私は、黙って彼女の言葉に従い、書状を広げた。

「――書状曰く。聖白蓮の後任には、寅丸星を充てる。倭国での布教活動に励むように。以上だ」

 白い和紙に漢語の墨字でそれだけ書かれている。大仰な書状に残った広大な空白が滑稽だった。

 星は同じ質問を繰り返した。

「毘沙門天様の印は」

「もちろん捺印されている。偽印ではないことも確認した。私と君とで」

「封は」

「されていた。この私が切った、君の目の前で。送付経路も公式なものだ。改竄される可能性は無い」

「何らかの暗号が隠されている可能性は」

「暗号の入り込む余地は無いだろう、この文の短さでは。炙り出しも無い、それは君が確認したな。そもそも、この書状は公式なものだ。暗号など使わん。使う必要がない」

 星は、小刻みに震えている。

 毘沙門天へ幾度となく出した救援要請の、その回答がこれであった。

「――そんなことありません。きっとどこかにあるはずです」私から書状をひったくると、星は目を皿にして探した。「毘沙門天様が、こんなことをするはず……」

 齧りつくように、縋り付くように。

 彼女のそんな様子を、私はもう見ていられなかった。

「星。もう、やめろ」

「嫌です、きっとどこかに……」

「現実を見ろ。聖は。いや、私達は切り捨てられたんだ。毘沙門天に」

 私がそう言うと、星は体を大きく震わせ、ついに感情を爆発させた。

「これが……これが仏道に在る者のすることですか! 戦の神の名を持つ毘沙門天のすることなのですか! 布教に尽力した者を、人を喰む妖すらをも改心させ悟りへと導く大僧侶を、己の都合で見捨てるなどと!」

 毘沙門天の使者を名乗る者として、星の指摘は耳が痛い。私とて忸怩たる思いだ。あの人の、毘沙門天の変心には。

 思えば、寅丸星を人間の僧として扱うよう命令があった時から違和感を感じていた。毘沙門天は聖が迫害されることを予見していたのだろう。星は毘沙門天の代理だったのではない。最初から、聖の代替だったのだ。

 聖白蓮は下人などの隷属階級はおろか、妖怪にすら仏道を広めようとしていた。そしてそれが人々の反発を招くことは、私にも分かっていた。数多の人々にとって妖怪が脅威でしかないこの世の中で、彼女のやり方は理想的で急進的すぎた。聖自身が妖魔の類とされ糾弾されることは時間の問題だったのかもしれない。

 この命蓮寺は毘沙門天を本尊として戴く仏寺。その住職が、人々から悪魔と呼ばれ処刑されようとしている……これは毘沙門天にとって大きな醜聞となる。神仏習合が進み、多くの土着神が仏道に帰依し人々から護法神として信仰対象となりはじめた今この時。ようやく根付いてきた毘沙門天信仰に対し、かような悪評がはびこっては多大な悪影響を及ぼすこと明白。あの人にとってはどうしても避けなければならない事態に違いない。

 全ての業を聖一人に背負わせ、彼女を生贄として差し出し、そして自らの代理たる寅丸星が妖怪であることは隠したまま命蓮寺を存続させる……それが毘沙門天への痛手が最も少ない方法であること。この倭国で毘沙門天が信仰を拡大するためにはやむを得ないこと。そしてそれこそが命蓮寺に住む数多の僧の命を救う唯一の方法であること。

 それは、私にも分かる。

 だがそれは、果たして仏道に在るものがするべき事なのか。

「己を信ずる者一人救えず、何が戦の神か、何が毘沙門天か! あまつさえ部下を切り捨て保身に走るなど、恥すら知らぬ畜生以下の外道の行いではないか! ううう……!」

 血涙を流す星が、私の思いの全てを代弁してくれている。

 一切衆生は悟りを得うる。その教えに従い、平安の世を跳梁跋扈する妖怪達すらをも受け入れ仏の教えを授ける。聖白蓮のやったことは決して間違いではない。いやそれこそが、シッダールタの語った真理と言ってもよいのではないかと私は思う。毘沙門天、あの人もかつてやっていた事……それなのに。

 聖白蓮の放つ光に対して、我が主の為す業のなんと矮小なことか。己が利に走るとは、毘沙門天、仏道の風上にも置けぬ……。

「この害を取り除く軍勢が欲しいわけじゃなかった。切り捨てられても構わなかった。例え我ら全てが命を失うこととなっても、ただ一言、命じて欲しかった。為すべきを為せと……それが仏の教えだと」

 魂が、冷えてゆく。

 瞼の裏に映る、私を闇から引き上げてくれたあの人の姿に、もはや光背は見えぬ。清らかな涙を流す友の姿の前に、主の姿が霞んでゆく。

「私が毘沙門天なら、こんな命令は絶対にしない。私が毘沙門天なら、例え何を失おうと、在るべき道の為に戦う。私が毘沙門天になれば……!」

 そう叫ぶ友の瞳の奥に宿る炎。危ういがしかし清らかなその光が、未だ私に「毘沙門天の使者」を名乗らせ続けている。

 だが、星。

 君はもう、その光を捨ててしまったと言うのか?

 眼下に広がる光景を城壁の上から見やって、私は独り言ちた。月も無い夜。揺らめく篝火に照らされた神霊廟の大路に、袈裟姿の者達がひしめいている。その先頭にいるのは、寅丸星。我が主、我が友だった。

『――里に炎を放つ大罪を犯した妖、死体探偵を即刻駆逐せねば、人間の里にさらなる被害を招くに違いありません――』

 私の名を声高に喚き散らし、そしてその接頭に放火魔を付け足し、しきりに身柄の引き渡しを訴えている。日中に発生した放火殺人事件を伝え聞いたのだろう。あの現場では私も目撃されてしまっている。

『――知らぬのか、里の火付けを行ったのは、死体探偵ではない。自らの阿呆さ加減を吹聴して回るとは、まったく仏教徒とは物好きなものよ――』

 大路の相対で一人それを迎え立つ布都は群衆を物ともせずに言い返しているが、多勢に無勢。そして袈裟姿の連中の中には、怒号混じりに光る刃を掲げた者もいる……我らが命蓮寺は僧兵など使わぬ、あれは確実に「死の自警団」の連中だ。星の傍らに立つ一輪も、困惑して身を捩っている。

 あんな連中を引き連れてくるとは、星、君は死体探偵の糾弾にかこつけて、商売敵である神霊廟を攻撃しようとしているのか?

 それはかつて、君が否定した者達と同じ所業だと、君は気づいているのか?

 己の利のみを求める者に、毘沙門天を名乗る資格は無い。

 

 りぃん

 

 星。

「――私は、毘沙門天の使者だ」

 どうあっても、それは変わらない。決して。

 君が何を考えているのかは分からん。だがもし君が誤ったのなら、私は君の千年の友として、君を正そう。その為にも今は、この眼前の危機に立ち向かう。私は、毘沙門天の使者なのだから……。

 怒号飛び交うこの喧騒の中にあろうが、響いたあの音色を聞き逃すほど私の耳はなまっちゃいない。それは奴も千刻承知のはず。つまり、これは誘いだ。

 魔鈴の導きに従って目を走らせれば、そこは南の集落地、木造建築が密集する地帯。その一角に奴の姿がはっきりと見えた。マミゾウを刺し殺した、あの顔色の悪い男の姿が。

『――これ以上、あの妖鼠を野放しにしていては――』

『――無実の者を焼くのが、貴様らの教義なのか――』

 ここで奴を逃せば、あの土砂崩れの悲劇が繰り返される。私は飛翔術を使って城壁から飛び降りると、奴の居た方角へ向かって一直線に走った。

 その私の前に立ちはだかる影が、一つ。

 

 りぃん

  りぃん

 

 輪唱する魔鈴の音色とともに、青いレインコートの妖、四万十が私の眼前に躍り出た。不敵な笑みを浮かべながら。

「やはり来たか、四万十」

「小鼠。あいも変わらずかちゃましいな」

「だが今は、貴様に構っている暇は無い」

 私は素早く退魔針を放った。奴が躱した所を一直線に駆け抜けるつもりだった。だが四万十は腕の前に水流の円盤を作ると、それで退魔針を弾いてしまった。

 出鼻を挫かれた私は足を止めざるを得ず、さらにそこを狙って四万十は水爆弾を放って来た。だが、それは悪手だ。対処法の割れた攻撃など、自らの首を締めるだけ。私は小傘の仕込みロッドを振り上げ、水爆弾を四万十へと跳ね返した。

 

 りぃん

  りぃん

 

 四万十の腕の前の水円盤が激しく回転する。そのうねりは反射された水爆弾を取り込むと、回転を加えて再度跳ね返して来た。さらに、その回転は薄い虹色を帯びている。

 そうか。あの水流は、夢想封印を使った水の盾なのだ。

 私は瞬間的に瞳を開くと、地に体を投げ出した。夢想封印をまとった螺旋水弾は、私の頭上を掠めると、背後の家屋を貫き消えた。

「良く反応した。目の良さだけは褒めてやろう」

 四万十のその言葉とともに、遠くで巨大な破壊音が響いた。目をやった後方、巨大で頑丈な神霊廟の城壁に大きなひびが入ったことは、遠目にも分かった。

 血の気が引く。あの威力、本家の夢想封印にも劣らぬ破壊力だ。まともに喰らえば骨も残らぬ……。

「まったく、素晴らしいなあ、博麗の巫女の力は。あの八雲紫や天魔が躍起になるわけだ」ペンデュラムを掲げて、四万十は恍惚の表情を浮かべる。「小鼠。お前もそう思うだろう? だからお前も、博麗の力を追っている」

『――今の破壊音。とうとう正体を見せたか、偽善を語る破壊者らめが――』

『――邪推にも程がありましょう。破壊はそちらの抱える妖鼠の本分――』

「そうら、ご主人様も言っているぞ。仏道などと取り繕ったところで、所詮貴様も妖怪だ。我らと何も変わりはしない」

「黙れ」

 その間にも、四万十の水爆弾の連射は続いた。夢想封印を防ぐには夢想封印しかないが、連戦に次ぐ連戦で消耗した今の私には、慣れぬ博麗の力を使うことは不可能。とにかく足と手を動かし、ロッドで水爆弾の軌道を逸らしつつその猛攻を避け続けた。地面はえぐれ、もうもうと土煙が立ち込める。その隙を狙って弾幕を放つ。

 が、隙を狙っていたのは奴も同じだった。死角から忍び寄った水鞭が私の右腕を強く打ち、私は小傘のロッドを取り落した。しかも私の弾幕は、全てあの水盾に弾き返されてしまった。

「頼みの綱も無くなったようだな。もう諦めろ」

 しびれる右腕に強化法術をかけ、応急処置を施す。

「哀れだな、小鼠。もはや何をしたところで無駄な足掻きだ。どうせ今日が貴様の命日になる。今ここで私に殺されるのが、最も楽な道だぞ」

「黙れと言ったぞ、四万十」

「愚かしいな」

 私は真正面から突撃をかけた。四万十は小さく溜息を吐くと、水爆弾を水円盤に貫通させ、再び螺旋水弾を放った。

 高速回転するその軌跡、瞳を開いた私になら、見切れる。

 私は螺旋水弾に向かって左腕を叩きつけた。

「むっ!」

 左腕の「新生ネオレアメタルディテクター」が輝くと、水弾表面の虹色の光の膜は立ち所に消え失せ、水煙になって掻き消えた。「新生ネオレアメタルディテクター」の探知に続くもう一つの機能、夢想封印熱変換装置を使ったのだ。

 私もにとりも、敵が博麗の力を使ってくることは予想していた。対策を打つのは当然と言うものだ。あの顔色の悪い男との戦いでは、熱に変えることでかえって衝撃波を産んでしまい完全に防御出来なかった。しかし水弾に夢想封印を乗せた四万十の攻撃ならば、その水弾自体が帰化することで熱を逃してくれる。

 私に接近された四万十は、水盾を掲げて一歩下がった。

 確かにその盾は厄介だ。

 だが。

「くっ……そ、その刀は……」

 水盾を切り裂き、四万十の腕を抉った輝きはヒヒイロカネ、輝夜の宝剣。

 抜身の白刃にこびりついた河童の血を払って、私は四万十の反撃に備えた。

 だが、四万十は簡単に引き下がった。私から距離を取ると、家屋の屋根の上に逃れた。

「ふん。意外だよ、仏教徒の貴様が、刃を使うとはな」

 ……その通りだ。

 あっさりとこれを抜いてしまった事実に、私自身、心がざわめいている。

「遂に仏道を捨てたか、小鼠」

「もう一度言う。黙れ」

「それでこそ悪逆非道の妖鼠、それでこそ大量虐殺者、死体探偵だな」

『――さあ、死体探偵に今すぐ公正な裁きを――』

「黙れと言っている!」

 煩い。何もかも。

「これでお前が地獄に落ちる準備は整った。ならば私は、高みの見物をさせてもらうとしよう」

 高笑いとともに、四万十は夜空の闇に消えていった。私はその背を見やって、地団駄を踏んだ。

 心が昂ぶっている。この昂りは、一体何だ。

 友への怒りか。

 敵への焦りか。

 それとも、力を振るう事への喜びなのか。

 最早、分からぬ。

 私には、何も分からぬ。

 だが今は、答えの出ぬままでも。私は奴を、あの男を止めなければならない。

 白刃を携えたまま、あの男の現れた方角へ向けて走った。

 

 

 目を開けると、白くてふさふさした毛のついた何かが揺れていた。思わず手を伸ばしてルナサがそれを掴むと、「ぬおっ!」という小さな叫び声が響いた。慌てて手を離すと、眉を釣り上げた鈴仙・優曇華院・イナバの顔が覗いた。ルナサが掴んだのは、彼女の耳だったらしい。

 鈴仙はえへんと咳払いしてから、指を立てて怒った。

「もうっ、いきなり何するんですか」

「ご、ごめんなさい。つい、触り心地良さそうだったから……」

「まったく。危うく手元が狂う所でしたよ」

 左腕に微かな違和感を感じて見やると、点滴の針が刺さっていた。そう言えば、体に力が入らない。なんだか頭もぼうっとしている。

「随分怖い目にあったようですね。大分消耗していましたよ」

 その言葉で、ルナサは思い出す。あの赤い世界の事を。無意識に体が震えた。恐怖に駆られて手指を見やる。あの黒い靄はもう見えなかった。

「貴女が助けてくれたのね。ありがとう」

「お礼なら私ではなく、姫に言ってあげて下さいな」

 鈴仙はにっこりと笑った。

 あのわがまま姫が人助けするなど、にわかには信じがたい。しかし、そういえば助けてもらうのは二度目であった。

「あの姫、本当に強いのね。敵の結界を簡単にこじ開けてしまうなんて。無縁塚で蝶に囲まれた時には、まだ信じられなかったけれど」

「なんでもその時ルナサさんは、姫に連れ回されたとかで。災難でしたね」

「ええ。いきなり白玉楼にまで案内させられて……」

「白玉楼? なんでまたそんな所に」

「さあ。結局、星さんが居るのを見たらすぐ帰っちゃったし、一体何がしたかったのやら」

「星さん……あの命蓮寺のですか。へえ……珍しいですね、何故そんな所に」

「さあ。聞く前に私も離れてしまったし。あの時は直前に殺されそうになっていたから……」

 ……死。

 ルナサの胸がドクンと脈打った。刺されたマミゾウの姿が、あの時の怒りと悲しみが、再びルナサの胸を穿った。

「……マミゾウさんは?」

 恐る恐るルナサがそう問いかけると、鈴仙は少し目を逸らし、言った。

「今、八意様が診ていますが……」

 その仕草で、ルナサは悟った。あの時、マミゾウは胸を刺されていた。八意永琳がどんな名医であろうと、あれでは……。

 鈴仙からマミゾウの病室を聞き出し、もつれる足を必死に動かして、ルナサはマミゾウの病室へ向かった。

 病室からは、今まさに八意永琳が出てきたところだった。

 その影の差す表情に、ルナサの背筋が凍る。最悪の想像をしながら、恐る恐るルナサは訪ねた。

「先生。マミゾウさんの容態は……?」

 永琳はその銀髪をかきあげて、無気力に言った。その仕草、ルナサには嘆いているようにも見えた。

「彼女は命蓮寺の所属だそうね。今。ご家族を呼びに行かせています」

 その意味するところは、つまり。

「マミゾウさんには……」

「面会は出来ません。残念だけれど」

「でも……」

「申し訳ないけれど、失礼するわ。私はこれから、黒谷ヤマメさんの手術をしなければならない」

 そう言うと、永琳は扉に固く封をしてから、廊下の向こうにある部屋の中へ消えて行った。入れ替わりに、部屋前の手術中ランプが点灯する。

 ルナサは拳を握りしめたまま、壁になった扉の前に立ち尽くしていた。

 マミゾウの死は、ルナサの責任だ。ナズーリンの追跡で傷を負ったあの男を介抱したのは、他ならぬルナサなのだから。ルナサだけがあの男の正体に気づけたはずだった。ずっと違和感を感じていたのに……。

 そうだ。あの男だ。

 ルナサの胸の内に黒い炎が灯った、渦巻く哀しみを吹き飛ばして。

 あいつを必ず、殺さなければならない。絶対に生かしておく訳にはいかない。土砂崩れを引き起こし、マミゾウを殺したあの男を……。

 ルナサはふっと息を吐いた。

 こうしていても仕方が無い、そう考えたルナサは、手近の兎看護士から聞き出して、燐の病室へ向かった。

 病室には、また鈴仙が居た。

「あら、ルナサさん。もう良いんですか」

「ええ……」

 ベッドの上を見やる。燐は既に目覚め、身を起こしていた。

「燐。体のほうは」

「……あたいだって地獄の妖怪の端くれ、やわじゃないさ」

 仏頂面で言う。

 ルナサは頭を下げた。

「ごめんなさい。あんな恐ろしい事に巻き込んでしまって」

「別に巻き込んだのはあんたじゃないだろ」

「でも」

「もういいんだ、やめとくれ」

 燐はルナサの方を見ずに言った。ルナサは違和を感じて、話題を変えようと鈴仙のほうを見やった。

「鈴仙さん。ナズーリンがどこに向かったか、分かりますか」

 鈴仙は静かに頷くと、天狗の新聞を取り出した。

「姫様とお話した後、ナズーリンさんは神霊廟に向かうと言っていました。おそらく、これを止めに行ったのかと」

 新聞の見出しには、命蓮寺の寅丸星が神霊廟へ抗議に向かったとある。命蓮寺と神霊廟が衝突するこの隙を突いて、あの男が攻撃を仕掛けようとしているのか。

「燐。私達も行きましょう。あの男を止めなければ」

 ルナサはそう言って燐の手を取ったが、燐は顔を背けた。

「……あたいは行かない」

 燐の手が石のように感じられて、ルナサは思わず手を離した。

「な、何故? あの男を野放しにしては、さらに被害が……」

「でも……。あんな風になっちまったのは、そう育てられたからじゃないか」

 あの男が岩戸の中の子供達の一人だったこと。燐はルナサ以上に衝撃を受けていた。その衝撃は、彼女から牙を削いでしまっていたのだ。

「そうかもしれないけれど……」

「あいつを倒したって、何も変わらない」

「またあの土砂崩れが起きるかもしれないのよ。とにかく今は」

「……もう何を憎んだらいいのか分からない。あたいはもう、分からないよ。今はただ、さとり様に会いたい……」

 そうつぶやいて、燐は置物の猫のように押し黙ってしまった。その両拳が、その両頬が震えている。それは、あの岩戸の前で見た、献花する彼女の横顔に似ていた。ルナサは目を閉じた。

 鈴仙に燐を頼むと、ルナサは永遠亭を後にした。

「殺すのか。あいつもあんたの兄弟なのに」

 その燐の最後の問いかけは、ルナサの胸の炎にくべられ、その火を一層烈しくした。三姉妹の内でルナサは破壊を司る。思えば、ルナサの胸の内にはずっとこの炎が灯っていた。レイラが死んだ、あの日から。この炎が、ルナサを突き動かしている。

 神霊廟へ向かうルナサの速度に、竹林が震えていた。

 

 

 影を追って走る。抜身の白刃を握りしめて。魔鈴の音の響く先に、奴がいる。土砂崩れを引き起こした、あの顔色の悪い男が。

 揺れる篝火の灯りに照らされて、私の影も揺れる。私の心も。跳ねる心臓が、渦巻く怒号が、吹きすさぶ風が。私の心を、その在り方を揺さぶり続けている。

 敵を虐殺する覚悟があるのか。

 言葉が頭の中を駆け巡っていた。その言葉は、かつて私自身が発したものだ。

 破戒しているとはいえ、私は仏道の途上にある者だ。殺生は、したくない。出来ない。

 だが、敵は待ってはくれない。掲げた白刃をためらいもなく我々へと振り下ろす。その刃の下に首を晒すことが、果たして正しい道なのか? 座して死を待つ事もまた、仏道ではないはずだ。

 だが。

 しかし。

 葛藤が私の足を早める。

 私の迷いが、はたてを傷つけ、マミゾウを殺した。また同じ過ちを繰り返す訳にはいかない。

 迷いを断て、ナズーリンよ。

 今、奴を止められるのは私だけだ。私が奴を止めなければならない。例え、奴の命を奪ってでも。そうしなければ、また人が死ぬ。それだけは、なんとしてでも止めなければならないはずだ。私は正義の味方……そう、毘沙門天の使者なのだから。

 神霊廟南側の『最初の集落地』は、しんと静まりかえっていた。外では死の自警団が詰めかけている。住民達は怯え、家の中に隠れているのだろう。

 ここには木造建築が密集している。あの顔色の悪い男が、永遠亭の武器庫から持ち出した兵器で火攻を行うのなら、まさに最適な場所だ。しかもそれだけではない。並び立つ家屋の影には、藁山や油の入った一斗缶が置かれている。既に準備は整い尽くしているのだ。火が放たれれば瞬く間に延焼を起こし、多数の死者が出るだろう。私一人では、もはや住民を避難させる猶予もない。私に出来るのは、奴が火を放つその瞬間を阻止することだけだった。

 

 りぃん

 

 一際大きく鳴った魔鈴の音の先。

 闇に包まれた袋小路に、奴の後ろ姿が見えた。その右手には松明の炎が揺れる。そしてその足元には、ぬらりと黒光りする油が広がっていた。石油か。あれに火が点けば、一巻の終わりだった。

 奴が右手を上げた。燃え盛る松明を油面に放り込み、火を放つつもりか。

 もはや時間は無い。

 息が止まる。鼓動が止まる。時間が止まる。世界が、静寂に包まれる。

 私は、瞳を開いた。

 射程内ぎりぎりだ。奴を止めるには今しかない。情けを掛ける余裕など無い。その心臓を後ろから一突きにし、その炎を奪い取る……今なら出来る。私ならやれる。私にしか出来ない。

 握り締めた白刃が、振動する。

 迷いを断て、ナズーリンよ。為すべきを為せ。

 遠い昔に投げ捨てた、あの黒い感覚……私が人を喰む妖怪鼠だった頃に渦巻いていた、やり場の無い怒りが、憎しみが、殺意が、胸の中に蘇る。それでも構わない。私は毘沙門天の使者。正義の味方だ。人々の命を救う為になら。

 例え……我が手を血に染めようとも!

 脳裏に閃く光を振り払い、私は明確な殺意を持って、奴の背に……その心臓に、白刃を繰り出した。

 

 りぃん……

 

 永遠とも思える一瞬を超えても、手応えは訪れなかった。

 私の刃は、男の背を大きく外れていた。

「……つくづく思い通りにならない小鼠だなぁ」

 あの男が声を上げた。呆れと苛立ちを隠そうともしない声だった。

「最初にお会いしたあの時。支離滅裂の依頼をする私を、貴女が怪しんで殺していれば」

 私は手首を返し、手にした刀を跳ね上げ、目の前の男が持つ松明を打ち上げた。宙を舞う炎の軌跡に結界術を放ち、封印する。

「そして今、火を放とうとする私を、貴女が一思いに殺していれば」

 その時、奴の袂から、ことりと何かが落ちた。

 円筒状のそれはころころと転がり、油の海をかき分け、闇の向こう側へと吸い込まれていった。

 その円筒状の物体には、見覚えがあった。奴を追って入った坑道の中で見た、永遠亭から盗まれた兵器……焼夷手榴弾だった。

「貴女が仏教徒などではなく、見境なく人を殺すただの人喰い妖怪であったとしたら。あるいは。もしかしたら。こんなに人は死なずに済んだかもしれないんですがねぇ……」

 視界が白く歪む。

 爆裂する獄炎が周囲の油面に引火し、一気に開放された熱量が急激な空気の膨張を生む。発生した衝撃波に、私は為す術なく吹き飛ばされた。

 炎の波は竜巻のようにうねり、瞬く間に周囲の家屋を飲み込んでゆく。霞む視界の端でそれを見やり、そして私は、自分が失敗したことを悟った。

「貴女の迷いが、また人を殺しましたね」

 私を地獄へと突き落とすように、あの男の言葉が虚空に満ちた。

 殺せなかった。

 為すべきであったのに。覚悟を決めたはずなのに。それが正義であったはずなのに。

 この炎は、私が焚べたも同然だ。

 私は。

 私は一体、何なのだ……。

 

 

 南側集落の一角から、火柱が上がった。それは端から見ても巨大で、破滅的な音を伴い、尋常な事態ではないことが直ぐに察せられた。

 命蓮寺勢と神霊廟の衝突を鎮圧すべく、ヴァイオリンを取り出しかけていたルナサは、響く火炎旋風の轟音に気圧され、うろたえた。すぐに手近な家屋の屋根に跳び登り、その上から辺りを見渡す。火柱を中心にして、火炎の津波が見る間に家屋を飲み込んでいく。

「なんてこと……」

 こんな火勢は見たことがない。妖怪であるルナサですらも身の危険を感じるほどの炎渦。これは明らかに放火だった。ナズーリンもルナサも、間に合わなかったのだ。

 集落のあちこちから大きな悲鳴が上がった。人々が家屋から飛び出して、ぶつかり、押し合い、怒声を発しながら、我先にと城郭の外目指して走ってゆく。だが、必死の人々を嘲笑うかのように、炎は滑り、彼らを囲い込んでいった。灼熱の檻の中へと。

 煙に巻かれ力尽きる少女。

 炎に抱かれ悶え苦しむ男。

 崩落する家屋に飲み込まれる老人。

 ルナサの眼前で、次々に人が死んでいった。それでも、ルナサには為す術が無かった。火炎の前に音は無力だった。ルナサはただ、眼前に現出した地獄に圧倒される他なかった。

 だが、いつの間にか集まってきた神霊廟の道士達は徒党を組み、延焼を防ぐべく消化活動を始めた。あちこちに設置された井戸から水を汲み、仙術を使って水を撒く。その動きは組織的で、実に見事に統率されていた。

 一方、詰めかけていた命蓮寺の僧侶達は大きく動揺していた。炎を前にうろたえ逃げ出す者、腰を抜かして座り込む者が多数だった。中には道士達の消化活動を手伝おうとする者もいたが、組織的に動く道士達に比べて、邪魔にしかなっていないようにも見えた。

 命蓮寺の僧侶、雲居一輪は、巨大な入道を使役して火災現場に踏み込み、いち早く避難誘導にあたっていた。今は彼女を手伝うべきだろう、そう判断したルナサは一輪の下へ向かうと、彼女の誘導に従い、逃げ遅れた人々を運んで飛んだ。

 その時、この必死の喧騒とは別種の狂騒をルナサの耳は感じ取った。悪寒がして、その狂騒の真中へ駆けつけると、

「な、ナズーリン!」

 小道の端。炎に焼かれ、灰を被ったナズーリンが、虚ろな目で立ち尽くしている。その回りを囲む命蓮寺の僧侶達……いや、死の自警団達は、彼女に罵声を浴びせ、石を投げつけていた。彼女こそがこの炎禍の原因だという夢想に、彼らは囚われているらしい。

 怒りに駆られたルナサが光の刃で奴らを薙ぎ払おうとした時、ナズーリンの前に進み出る影があった。

「ナズーリン……」

 炎を受けて、寅丸星の鋼のような横顔が朱く煌めいた。

 星は石を投げる袈裟姿の者達を手で制すと、唇を歪めて言った。

「貴女が、火を放ったのですか」

 その言葉に、ナズーリンは顔を左手で覆った。彼女の様子がおかしい。ナズーリンの心はここではない彼方へ飛ばされてしまっているかのようだ。気づけば、彼女の右手には白刃が握られている。彼女が刃を使うなんて、何があったのか。彼女はなんらかの理由で正気を欠き、まともな受け答えが出来る状態ではないことが明白だった。

 だが、寅丸星はその沈黙を肯定と受け取ったらしい。

「一度ならず、二度までも……」

 閉じた瞼をしばし震わせると、刮目した。そこには、迷いなき瞳が炎よりも深い色を放っていた。

「皆は早くこの神霊廟から離れなさい。この悪鼠には、今、この場で。私が天誅を下しましょう」

 そうして、手にした鉾を両手で構えた。

「やめなさい、寅丸星! 今はそんなことしている場合ではないわ!」

 ルナサは叫んだ。火柱は勢いを弱めるどころか、時間を増すごとに大きくなっている。

 だが星はルナサの言葉に聞く耳を持たなかった。相対したナズーリンに対して、冷たく言い放つ。

「貴女も武人の端くれでしょう。武器を構えなさい。無抵抗の者を打ち倒すのは、武名が廃ります」

 それでも反応を示さないナズーリンに向かって、星は責めるように言った。

「貴女は……毘沙門天の使者ではなかったのですか」

 彼女がそう問うと、ナズーリンは、その瞳を震わせて寅丸星を見つめた。

 そして、右手の白刃をわずかに構えた。

「その意気や、良し」

 寅丸星は瞳を閉じると、静かに息を吐いた。

「待っ……!」

 体を投げ出して止めようとしたルナサの反応がまるで間に合わないほどの神速の打ち下ろしが、ナズーリンの左肩にぶち当たり、彼女の体を大地に伏せ埋めた。受けた白刃が砕け散り、きらきらと光の欠片が宙を舞う。

「……ナズーリン」

 かつての従者を足下に置いた寅丸星は、目を細めてそうつぶやくと、再び鉾を振り上げた。

 その鉾に拳がぶつかり、星は吹き飛ばされた。舞い降りた雲居一輪がナズーリンと星の間に割って入り、法輪を構えた。その隙に、ルナサはナズーリンの下へ駆け寄った。意識を失っているが、息はあった。

「星……! 姐さんの言い付けだからって、もう黙っていられないわ! 今のあんたは間違ってる! 仲間を殺そうとするなんて!」

 一輪は激高して体を震わせると、その両目からとめどなく涙を流した。

 寅丸星は砕けた鉾を捨てると、静かに一輪を見やった。

「一輪……命令です。そこを退きなさい」

「聞くか、そんな命令! 仲間を切り捨て保身に走るなんて、そんなの仏教徒のやることじゃないわ! 今のあんたは、毘沙門天様の代理なんかじゃない!」

 一輪の批判を真正面から受けて、それでもなお寅丸星は言った。

「そうです。今の私は、毘沙門天の代理などではない。毘沙門天そのものなのです」

 その分際を超えた異様な言を、それを顔色一つ変えずに言い放つ様を、光背を迸らせるその静かで厳かですらある佇まいを。目撃したルナサと一輪は圧倒され、息を飲み、一歩下がった。まるで本物の神か何かを前にしたような畏れが、ルナサの心の中に湧き上がった。きっと一輪も同じだったろう。

 それでも一輪は、ナズーリンの前から退かなかった。

 寅丸星はそれを見やると、信徒達を引き連れ、何も言わず踵を返した。

「星! 星! どうしちゃったのよ、星ーっ!」

 一輪の絶叫が、火炎の渦に飲まれ、夜空に舞い上がった。飛び散った火の粉がギラギラと輝き、この城郭都市・神霊廟を炎の色に染めている。

 走らせた視線の先、神霊廟の城壁の上に、ルナサは見た。

 炎光を浴びながら、不敵な笑みを浮かべて街を見下ろす、物部布都の姿を。

 

 

 

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