緋弾のアリアドス 作:くものこ
「かはっ、ちくしょう!」
ボロボロになった六本の足で立ち上がる。小刻みに震えるその足を一歩、また一歩と進める。
「往生際が悪いなぁ、おい」
苛立ちを含んだ声でそう言い、俺の前に立ち塞がる毒々しい色合いのポケモン。助走をつけたそいつは俺めがけて転がってくる。
「がっ」
ペンドラー。メガムカデポケモン。タイプは虫・毒。俺と丸かぶりのタイプだ。タチの悪いことに、俺よりも攻撃力が高く、素早く、打たれ強い。何だそれ、俺の立場は?
「そうそう、アリアドスの家系もついに遺伝でメガホーンを使えるようになったんだっけ? ……ああ、お前は野良の家系だから無理だな」
「るせぇ。俺は決めたんだ、もう力押しはしねえ。トリッキーに生きる。策で敵を翻弄してみせる!」
俺は糸を吐き、ペンドラーの足に巻き付ける。これで敵の素早さは下がった。
「無駄無駄無駄ァ!」
が、奴は高速で暴れ回り、糸を無理やり引き千切る。そして、
「ハードローラーだっ!」
そのデカイ図体を用いて俺を押し潰しにかかる。
「ぐはっ⁉︎」
鈍足な俺はそれを躱すどころか、防御態勢に入るのもままならず、そのまま潰される。
そして怯んだ俺へ、ペンドラーは無慈悲にもハードローラーを何度も繰り出す。効果は今ひとつ。だからこそ何回も喰らう。鬱憤を晴らすように何度もペンドラーは技を繰り出す。
「俺はなぁ! むしゃくしゃ! してんだ! 蜂も! 甲虫も! クワガタも! みんなメガシンカしたのに! 俺は! できねぇ! メガムカデなのに! どういうことだよ! アリアドス!」
「知るかっ! 俺だってメガシンカしたかったさ!」
メガシンカ。最近、人間との絆がどうとかでポケモンが進化を超えた進化をするらしい。それがメガシンカ。もともと野良の俺やこいつには関係のない話だって?
違う。メガシンカできるということは、それだけ人間が興味を持つということ。すなわち、衣食住すらままならない野良生活から抜け出せるチャンスがあるということなのだ。
「ちくしょうちくしょうちくしょう! これでもくらえ!」
ペンドラーが角を大きく振りかぶる。こいつ、まさか!
「メガホーン!」
高速で振り下ろされる角。そいつは真っ先に俺へと向かい——
ジリリリリリリリリ!
「ったく、うるせえなぁ。どうせ眠れてなんかねえっつうの」
喧しい目覚まし時計の音に不満をもらしながら、身を起こそうとした、その時。
ドスッ
「ぐふっ⁉︎」
かなり重い何かが腹に落ちてきた。まるでメガホーンを食らったような感覚に、まさかペンドラーがここにいるのかと身構える。
が、それはありえない。
自らの腹をさするのは五本指の肌色の手。人間の手。なおかつ、俺の目に入るのは二本の足。
「俺、人間になったんだよなぁ」
身を起こし、落下してきた分厚い広辞苑という本を机の上に戻す。
俺は昔、アリアドスというポケモンだった。しかし、ある事件をきっかけに転生した。人間に。
しかもどうやら、この世界ではポケモンは架空の存在らしい。
ポケモンとは、この世界ではゲームやアニメと呼ばれる人間の娯楽の中だけの存在で、中には人間がポケモンになってしまったという趣旨の、俺の場合とは真逆のシチュのゲームまで存在していた。
それはさておき。ポケモンがいないこの世界は人が人同士で傷付け合うのが主流。犯罪を犯す人間も少なくない。
そこで誕生したのが武装探偵、通称武偵だ。
その名称の通り、武装を許可された探偵のことなのだが、実は俺も武偵のタマゴの一人。俺が現在生活しているここは東京武偵校の男子寮。
この部屋は四人部屋なのだが、俺が一人で使用している。なぜかは分からないが、上の人も一人で四人部屋使っているし、きっと部屋が余っているのだろう。武偵校の気前の良さに感謝。
その部屋をざっと見回す。
部屋の壁際を埋め尽くす複数の机。その上には賢き人間が作り出したコンピューターというすごい機械が何台も置かれている。その機械からオクタンの足のように伸びる無数のコードは部屋の壁のコンセントにささるテーブルタップへと繋がる。
コンピューターの側に置かれる数種類の別の機械。モニター、スピーカー、プリンター、etc。ほんと、人間って何でも作っちゃうな。
部屋の床には食品のゴミが乱雑。その食品名はカロリーメイト。ポロックを棒状にしたような感じのそれは、武偵校の同級生の知人に勧められた俺の主食。なんかポケモンだった頃を思い出せて良い。
そして並んだ机たちの間に挟まれた一台のベッド。その上で眠れないにも関わらず横になっていた俺。
特性。ポケモンだった頃、バトルに役立っていたそれは今でも効果を発揮している。
元アリアドスこと俺の特性は"ふみん"。不眠である。これは不眠症とは違う。眠れないのではなく、寝る必要がないのだ。それでも疲労は感じるので、休むことは必要だが。
ただ、俺は人間になって初めて、この特性の凄さを思い知った。
世の中の大抵の人間は最低でも6時間半、つまり1日のおよそ4分の1以上を睡眠時間に割かなければ、全力を発揮できないらしい。つまり、俺は他の人間よりその分だけ多くの時間を過ごしている理屈だ。
しかも。この世界に転生して、俺はもう一つの特性の方も身につけてしまったらしい。そのもう一方が"むしのしらせ"。
元いた世界では、ピンチに攻撃力が上がるというものだったのだが、この世界ではそれに加えて本来の意味の虫の知らせが起きるようになってしまった。嫌な予感が生じ、当たるのだ。
こんなふうに。
……ピン、ポーン……
慎ましい、チャイムの音。ドアを開けなくとも、誰が鳴らしたのかはわかる。
俺はリビングの中が見えないように廊下に設えたカーテンを閉めると、玄関のドアを開ける。
「……星伽さん」
「あ、芦長君。おはようございます」
ぺこりと黒髪ロングの頭を下げる武偵校の制服を着た女の子。相も変わらず、ご丁寧な挨拶である。
「何の用? キンジの家ならもう一つ上の階だろ?」
「は、はい。でも、どうして私がキンちゃんの部屋に行くって……も、もしかして私たちはそういう関係って見られてるってことなのかな? わ、私とキンちゃんが……」
何やら頬を赤く染め、ブツブツ呟き始めたこの人は
ぞっこん。彼女は、キンジにぞっこんなのだ。いや、もう病んでる。メロメロ状態。
キンジに女子が密着しているところを彼女が見つけた次の日、その子は学校を休む。このことは、もう俺の中で常識と成り果てている。
これが何を意味するのか。怖いのでこれ以上は考えないでおこう。
「で? 俺に何か用?」
キンジの部屋はもう一つ上の階。それなのに、この娘はなぜ俺の部屋に来たのか。あらかた予想はついているが、一応聞いておく。形式美というやつだ。
ほら、ポケモントレーナーがわざわざ自分が出すポケモンの名前を呼ぶのと同じ。俺たち野生ポケモンにとっては、あれのおかげで早めに逃げの判断ができるのだ。
「あ、あのね。私、変じゃないかな?」
「ああ、変じゃない変じゃない。キンジも惚れ直すよ、きっと。ほら、さっさと上に行け」
「ありがとう、芦長君」
ポッと頬をさらに赤らめた星伽さんはキンちゃんが、キンちゃんが、と何度も呟きながら出て行った。
ふう。まず一仕事終了。
毎朝毎朝俺の部屋に来て身だしなみのチェックを受けていく星伽さん。なんでも、俺は恋愛アドバイザーなのだとか。たしかに、他の人より人生一つ分長生きしている俺は恋愛経験豊富なのかもしれないが。
「さて、と」
俺はリビングに戻る。すると、
『……ピン、ポーン……』
再び、慎ましいチャイム。しかし、その音の発生源は俺の家のインターホンでも、玄関でもない。
俺はリビングにある大量の機械のうち、薄暗い部屋の中で光を放つ一台のモニターの前に座る。
その横に置かれたスピーカー。そこから流れてくる音声は。
『キンちゃんって呼ぶな』
『で、でもキンちゃんはキンちゃんだし……あ、また言っちゃった! ご、ごめんねキンちゃん。あっ』
朝からイチャイチャしている上の部屋の住人、遠山キンジ。そしてさっき会ったばかりの星伽さん。
俺の見つめるモニター。そこでは俺の寮部屋と同じ構造の玄関で、その二人がイチャイチャイチャイチャしている。
机の引き出しからレポート用紙を取り出すと、本や紙だらけの机に無理やりスペースを確保し、遠山キンジの観察記録を書く。
『朝7時半前 幼馴染といちゃラブ』
パキッ
あ、鉛筆が折れてしまったようだ。何故だか俺は力を加えすぎたらしいね。あははは。何でだろう?
「あー、ちくしょう。これ以上見てられっかよ」
俺はモニターのコードを引っこ抜く。ブチっという音とともにモニターは真っ暗に。それでもスピーカーからは二人のイチャつく音声が聞こえてくる。星伽さんがキンジに手作り重箱を用意してきたらしい。
「んあぁー!」
ザシュザシュッ!
ばちばち音を立てるスピーカー。それに突き刺さっている二本のナイフ。俺が刺した。ムシャクシャしてやった。反省も後悔もしている。
……はぁ。また修理に出さないとな。
東京武偵高校二年生。