緋弾のアリアドス 作:くものこ
切里玲と虻初ルルの襲撃から数日が経った。その後は特に目立った襲撃もなく、俺の生活は再び平穏を取り戻している。
ただ、前と変わった点が幾つかあるのだ。
まず一つ目。
今、ベランダで鼻歌を歌いながら洗濯物を干している、男物のジャージの上にフリル付きの赤いエプロンをつけた
酔ったかのような赤い顔。友情の証とかなんとか言って最近染めたらしい赤い髪。
赤尽くしのこいつは奥田哲。元オクタンの17歳、人間。
こいつは俺が先日捕獲したのだが、改心したらしいので武装とプレートを取り上げたうえで、俺の寮部屋で軟禁している。彼に頼まれて友達にもなった。
すると、こいつはよく分からない理論を展開してきたのだ。N曰く友達とは家族のようなものだから、俺——芦長糸丸の家族としてこれからは暮らすとかなんとか。たぶん解釈を間違えてると思う。
N。ポケモンの世界ではちょっとした有名人なのだが、彼はポケモンの言葉が分かる不思議な青年だ。
風の噂で聞いたことがある。そのNという青年は、すべてのポケモンを人間から解放しようとしていたらしい。だから、ポケモンはトモダチなんだと。
俺はせっせと働く奥田を眺めながら、彼が用意した朝食を食べる。あいつは料理ができるらしい。趣味が釣りで、自分で釣った魚を調理し始めたところ、料理にハマったらしい。
料理ができるなんて貴重な人材である。俺の部屋に出入りする者はみんな料理ができない人ばかりだったからな。
他にも水タイプだからか洗濯も好きらしいし、部屋の掃除も細かくやってくれる。なんか万能家事ロボットをもらったような気分。本当に家事ならなんでもしてくれる。
そして、変わった点はもう一つ。
俺はリビングに置かれた俺のベッドの隣——に敷かれた寝袋を見る。青い寝袋。もちろん俺のものではない。奥田のものでもない。奥田には部屋を一室用意してある。
では、誰のか。
「みゃああ!」
洗面所から妙な叫び声が聞こえてきた。俺は溜息を一つ吐くと、食べかけの食パンを皿に置いて洗面所へと向かった。
まったく、朝からこいつは。
「おい、どうした」
洗面所のドアを開ける。その瞬間、俺は口をあんぐりと開けて固まってしまった。
部屋中に飛び散った歯磨き粉。床に散らばる歯ブラシやタオルたち。出しっ放しの蛇口の付近は水浸し。
その悲惨な部屋の中央には、寝癖がついたままの黒髪ツインテール——莉央が、歯磨き粉のチューブを持ってへたり込んでいた。
頭が痛くなってきた。俺は震える声で彼女の名前を出す。
「……莉央」
「ご、ごめんなさい! 今すぐ拭きます!」
チューブをその場に置くと、莉央は雑巾を棚から取り出して、出しっ放しにしていた水で濡らす。そして壁に飛び散った歯磨き粉を拭き取ろうと、壁に向かって走った瞬間——
「ふぎゃっ⁉︎」
さっき自分が放置したチューブを踏んづけて転倒。チューブから噴射された歯磨き粉が床を汚す。そして——
ペチャッ!
俺の顔に、雑巾が飛んできた。
カチン。
俺はゆっくりと顔に張りついた雑巾を取る。もう堪忍袋の緒が切れたぞ。
「莉央……分かってるよな?」
「せ、先輩怖いです……」
当たり前だろ? だってこわいかおしているんだもんな。
もう一人、俺の部屋に住み始めた人物。それは波堂莉央、俺の戦妹だ。
莉央は元々、奥田が住む前までは俺の部屋の掃除を担当していた、というか勝手にやっていた。
ところがある日、彼女が家に来たら家がピカピカでどこも汚れていなかったらしい。奥田が掃除したから。その時、かなりショックを受けたんだと。
ショック状態になった莉央はわけのわからんことをブツブツ言い始めたのだ。
『せ、先輩がソッチの道に走っていってる……! タコに食われちゃいますぅ!』
何を言っているんだか。俺はその時、ベッドに腰掛けていたのに。どの道を俺が走っているんだよ。
とにかく、そこで彼女は思いついたらしい。
『私もここで生活します!』
「馬鹿か、お前」
「ひ、ひどいです!」
どういう思考をすれば、そんな結論を出せるのか。俺には到底思いつきそうにない。
「第一、掃除しなくて良くなったのにどうしてわざわざ俺の家に来るんだよ」
「だって、先輩の家に行きたいじゃないですか。楽しいですもん」
どんな理由だ。こっちはお前がいるだけで色々と面倒なことが起きて困っているのに。
例えば。こいつはここに居座り始めた次の日、タコ足配線になっていたテレビのコードを切断した。おかげで現在テレビは見れない。
昨日はモーモーミルクを台所にぶちまけた。おかげさまで家中がミルタンクの牧場の匂いに包まれた。
とりあえず、始末をしなくては。
俺はベランダにいる奥田に呼びかける。
「奥田ー! 悪いけど、後で洗面所を掃除しておいてくれ!」
「任せとけ!」
声が返ってくる。本当、頼りになるやつだぜ。昨日莉央がぶちまけたモーモーミルクもあいつが後始末したからな。というか、莉央のやらかしたことの後始末は全部奥田がやっている気がする。
奥田のやつ、過労死したりしないよな?
教室に入ってきたなぜかランドセルを背負っている女子。彼女は教卓の上に立つと、クラスメイトたちの注目を集める。
「みんなー! りこりんが帰ってきたよー!」
「理子だー!」
「おかえり!」
「たっだいまー!」
……解せぬ。
午前中の一般科目の授業が終わった後のことだ。峰・理子・リュパン4世。先月のハイジャックを起こした武偵殺しが、のこのこと登校してきた。
武偵少年法。犯罪を犯した未成年の武偵の情報の公開を禁止するその法律によって、事件に関する情報を知ることができるのは被害者と限られた司法関係者のみ。
だからクラスメイトは誰も知らないのだ。理子が武偵殺しだということを。
ヒラヒラでフリフリな改造制服を着た理子にクラス中が沸き立つ。たしかに理子は美少女だ。盛り上がるのもわからなくはない。
(けどなぁ……)
事件の真相を知っている者からすると、複雑である。だって犯罪者が普通に生活しているんだぜ? 仲良くしろっていう方が無理だろ。そりゃ司法取引で罪が有耶無耶になったんだろうけどさ。
キンジとアリア。あいつらはそれでいいのか?
俺は二人の様子を盗み見る。キンジは呆れた様子でクラスメイトを見ている。……たしかにあれは少し引くな。腕を振りながら「りこりん! りこりん!」なんて叫んでいる。バカなやつらだ。
アリア。彼女は机に突っ伏して、右手に持っている鉛筆をへし折っていた。やっぱり我慢ならないようだ。いや、アリアにしては耐えている方かもしれない。拳銃を出していないところを見るに。
「ちょっといいか、糸丸」
「キンジ?」
後ろからキンジに声をかけられた。アドシアード以来、俺に声をかけていなかったのに。
彼は俺の耳元に口を寄せると、小声で話す。
「少し話があるんだ。屋上に行かないか?」
屋上。心地よい風が吹く中、購買で買った菓子パンを齧りながら俺はキンジの話を聞く。
「理子のことなんだが……」
まあそうだよな。予想はついていた。アドシアード以来、若干俺から距離を置いていたキンジから話してきたということは、それなりに重要な話ということだ。
このタイミングにおける重要な話といったら、理子のこと以外に思いつかない。
周囲に誰もいないことを確認したキンジが続きを話す。
「実は昨日、俺とアリアは理子に会ったんだ」
「それで?」
「そこで俺らは理子に『助けてほしい』と言われたんだ。糸丸だったらどうする?」
なんだ、その質問は。助けてほしい、って、その内容を教えてもらわないと何とも言えないだろうに。
ただ、キンジはじっと動かずに待っている。何かを答えてあげないとダメそうだな。まあこれを機に仲直りできれば幸いだけど。
「あまり気は進まないけど、受けるんじゃないか? 理子は司法取引を済ませているんだろ?」
「そうか! 受けてくれるんだな!」
「あ、ああ」
なぜかものすごい喜んでいるキンジ。俺は若干引く。ネクラとか昼行灯とかいうあだ名をつけられているキンジがこんなにハイテンションとか。道に落ちていた小さいきのこでも食べたのか?
「絶対だな?」
「あ、ああ」
「本当に協力してくれるんだな?」
「ああ。するって」
何度も確認をしてくるキンジに俺は適当に返事をしておく。
……ん? 協力?
「じゃあ詳細は後日連絡する。一緒に頑張ろうな、
「はい⁉︎ ちょっ、ちょっと待てキンジ! これは仮定の話じゃなかったか⁉︎」
しかもドロボウだと? できるけど。いや、やらないけど!
「バカか、キンジ⁉︎」
いや聞くまでもなかった。こいつの今の状態はアリア曰くバカキンジモード。
「まあよく落ち着いて聞け。理子が大事なものを奪われたらしいんだ。それを一緒に取り返そうっていう話。ただそれだけ」
「別に俺を誘わなくても良くないか?」
「相手が相手なんだよ。"無限罪のブラド"」
「無限罪のブラド? 誰だそいつ」
「俺も詳しくは知らないが、イ・ウーのナンバー2らしい」
……なんだって?
俺は自分の耳を疑う。ナンバー2? それってイ・ウーの中で二番目に強いということだよな?
いきなりすぎる。まだ二人としか戦ってないじゃんか。気分的にはジムリーダー二人倒したところでいきなり四天王と戦うようなものだぞ。
「で、アリアと話し合って糸丸も誘おうということになったんだ」
「こんな話に『お前も一緒にカラオケ行こうぜ』的なノリで誘うな」
どうやら相当ヤバい領域に足を突っ込みかけているっぽいな。例えるなら初心者トレーナーがチャンピオンロードに入ろうとしているようなもんだ。トキワの西の方に行ったりとか、ハクダンの東の方に行ったりとか。
普通は止めに入る人物がいるものだが、ここは人の世界、ましてや武偵校。まともな人格者は少ないと俺は経験上知っている。このキンジも相当に毒されているようだ。
俺は毒タイプだから毒されることはない。というわけで、まともな思考を持つ者として目を覚ましてやろう。
「考え直せ、キンジ! 理子に何をどう吹き込まれたのか知らんが、騙されてるぞ! 絶対だ!」
「それはアリアに言ってくれ! あいつはやる気だぞ。理子はかなえさんの裁判で証言をすると言っている。だから引き受けるんだ」
「証言っていったって、そもそも冤罪を着せた張本人だろ? 信頼なんてできるか!」
俺は立ち上がると、屋上の出入り口の方へと向かう。
「じゃあ俺は諜報科の授業に行く。言っておくが、俺は泥棒なんてやるつもりはないからな?」
「頼むよ。あとでメール送るから」
なおも懲りずに頭をさげるキンジを残して、俺は屋上を後にした。