緋弾のアリアドス 作:くものこ
救護科の保健室の周りに植えられた茂み——たしか覗き見防止が目的だったはず——の中にで、俺はバイクを発見した。
BMW・K1200Rと車体に書かれていたそれは、大型のエンジンが4つも付いている。なんかすごそうだ。
これ、バイクの知識のない俺が触っていい代物なのだろうか。
でも乗るしかない。あの狼を野放しにしておくわけにはいかないのだ。放置しておけば武偵島で働く一般人に被害が出てしまう。何としても捕まえる——最悪、殺す必要がある。
バイクにまたがって借りたキーを挿す。電源を入れた、その時。
ひらり、と誰かが俺の後ろに飛び乗った。
振り向くと、ドラグノフ狙撃銃を背負った下着姿のままのレキ。
「お、おい! レキ、戻れ! 防弾制服を着ろ!」
「あなたではあの狼を探せない」
うっ。それはそうだ。俺はミズゴロウではないのだから、遠く離れたものを察知するような高性能レーダーなんて搭載していない。
すでに狼を見失ってから数十秒。今の俺には狼がどこにいるのかは分からない。
「……じゃあせめてこれを着てくれ」
俺は自分の着ていた制服の上着をレキに手渡す。
「なぜですか」
「なぜって……いいからとにかく着てくれ!」
この娘には羞恥心がないのか。ないか。あったら男をそう易々と自宅に招き入れたりしないだろう。鍵をあげたりしないだろう。アドシアード前のように。
レキが上着を羽織ったことを確認すると、俺はハンドルを握る。初めてのバイク運転。俺はジャロがジャロバイを運転する様子をイメージする。
「しっかり掴まってろ!」
ドルルルル……!
唸りを上げるエンジン。車体が軽く振動する。
よし、発進だ——ガタン!
「痛っ!」
「……」
さっそく転倒した。
人工浮島の南端、無人の工事現場。視力6.0のレキがその工事現場の中に狼の足跡を見たらしい。
やっとのことでフラつきながらも操縦できるようになった俺は、バイクごと工事現場内に侵入する。
確かに、土嚢が幾つか食い破られ、散らばった砂に足跡がついている。
レキが狙撃銃を背中から胸の前に持ち直した。
「麻酔弾でも持っているのか?」
「いいえ」
「……そうか」
ということは、俺らはあの狼を殺すしかないのか。
この人数では捕獲など至難の技だろう。とすれば、被害が出る前に猛獣は殺さなければならない。
唇を噛み締める。俺だって元ポケモン、もともと獣だったのだ。胸が痛む。せめて俺が草笛でも吹ければ。
「通常弾で仕留めます。追ってください」
レキ。相変わらず、無感情なんだな。バックミラーに映った彼女の顔は、何の哀しみも憐れみま映し出していない。
そして彼女の狙撃は100パーセントの精密さを誇る。狙われたが最後、狼は——
「——⁉︎」
そのバックミラーに狼が映っていた。レキに狙われているのではなく、こっちを狙っている!
罠か!
一度わざと足跡をつけてその跡を丁寧にたどって後退、そして俺らの背後をとったわけか!
賢い。誰かによって訓練をされているようだ。まるでトレーナーのポケモンのような強さ。一筋縄ではいかなさそうだぞ。
こっちへと突進してくる狼。
どうする? 強襲科や車輌科の生徒ならオートバイを使った戦闘方法を習っている。けれど俺は諜報科。自由履修もしてなければ、そんなアクションはできない。
「レキ、掴まれ!」
俺はレキを抱き寄せるとワイヤーを近くの足場に引っ掛けてバイクの上から離脱。バイクは狼の突進を食らってがしゃん、と吹っ飛ぶ。
悪い、武藤。弁償はしないけど謝る。
俺はホルスターから拳銃を抜くと狼の足を狙って——ババッ!
しかし、狼は大きく跳躍すると人工浮島にできた海まで落ちるクレバスを飛び越える。距離的には10メートルくらいか。
なるほど。俺らが飛び越えられないと踏んだようだ。
俺は足場に抱いていたレキを下ろす。
「レキ、ここから狙い撃てるか?」
「距離的には問題ありませんが……」
レキは狼が逃げ込んだ建設途中の新棟を見る。うーん、ここからだと角度的に難しいか。足場に下から当たってしまいそうだ。跳弾狙撃をすれば、レキなら何とかしそうなものだが。
「じゃあ俺が背負って飛ぶよ」
「はい」
少しの躊躇もなく、俺の背中にのるレキ。上着と下着だけのレキの柔肌が——主に太腿が、俺の背中に触れる。
や、柔らかい。
「では、飛んでください」
「あ、ああ」
俺は腰のワイヤーの射出角度を手動で調整する。これだけ長距離のワイヤー使用、しかも二人を運ぶのだ。慎重にやらないと。
理想状態において最も飛ぶ角度、45度から少し角度を下げる。調節完了したワイヤーを射出し、亀裂の向こう側の新棟へと飛ぶ。
さっき抱いた時も思ったんだが、レキって軽いのな。普段カロリーメイトばかり食べているからだろうか。
今度、何か食べさせてあげようかな。……お金ないけど。
ワイヤーで上昇中、レキが俺の肩に狙撃銃をおいた。
「的に死角に入られたら面倒です。ここから撃ちます」
「えっ? この状況で?」
俺らは現在宙吊り状態。二人分の人を支えているからか、ワイヤーの巻きは普段より遅く、ゆっくりと上昇している。しかもゆらゆらと揺れるのだ。
と、レキが急に足で俺を締め付けてきた。いや、待て! 理由は分からなくもない。狙撃銃を両手で持つからだろ⁉︎ でも、それだと下着だけのお前の股が……!
「れ、レキ! 落ち着け!」
「あなたが落ち着いてください」
「分かった、落ち着く! だからせめて足に力を入れるな! 俺が支えてやるから——」
「——私は一発の銃弾——」
……始まっちまった。
これ以上の抵抗は狙撃の邪魔になると判断した俺は大人しく黙り込む。でも、そのせいか背中にレキの足の柔らかさがより強く感じられて——
こ、ここはアレだ! "ポケモン言えるかな"だ!
ピカチュウ、カイリュー、ヤドラン、秘sy……。
あああああっ! 俺は何を考えているんだ! 煩悩退散! 悪霊を払え、清めのお札ァ!
——タンッ——
銃弾が放たれた。衝動が俺の肩からジーン、と伝わってくる。
銃弾は新棟を囲む工事用の足場を上へ上へとジャンプしていた狼へと向かい——
背中を掠めただけで、命中しなかった。
狼はもうひとっとびして、新棟の屋上へ上がってしまった。
「レキ?」
そんなまさか。あのレキが、外すなんて。アドシアード前に教えてもらったが、こいつの
やはり環境が悪すぎたのか? もしかして、俺の邪念のせいですかね?
それとも、狼が可哀想になったとか。うん、これがありえそうだ。レキにも感情はあったということだ。
「レキ、お前もやっぱり人の子なんだな」
俺の肩においていた狙撃銃を背中にかけ直したレキが、首を傾げる。
「私はもとから人の子ですが」
「でも、外したじゃんか。狼が可哀想になったんじゃないのか?」
俺らは新棟の足場に降り立つ。おんぶしていたレキを下ろすと、彼女はやはり感情のこもっていない目で俺を見据えた。
「外していませんよ」
レキと一緒に俺らは屋上へ。いきなり飛びかかってくる事態を想定して、拳銃を抜いていた俺の心配は、杞憂に終わった。
屋上の一番奥に立っていた狼。俺たちが上ってきた時は颯爽と立っていたが、すぐに倒れてしまった。
「……? どういうことだ?」
レキは狼の首の付け根辺りを指差した。そこに目をやると——小さな擦り傷があった。
「脊椎と胸椎の中間、その上部を銃弾で掠めて瞬間的に圧迫しました」
「……ん? ごめん、日本語でしゃべってくれないか?」
ジッと俺を見るレキ。その目には感情が何もこもっていない……ハズなのだが、なぜか『バカじゃないの』と言っているように感じる。
すみません、俺が悪うございました。
レキは俺から狼の方へと向き直ると、狼へと語りかける。
「今、あなたは脊髄神経が麻痺し、首から下が動かない。ですが、5分ほどすればまた動けるようになるでしょう。元のように」
麻痺、させたのか? 電気技を使わず、ジャロのようにへびにらみすることもなく。
天才だ、こいつは。狙撃の天才。言っちゃ悪いが奥田の狙撃なんか、ましてやそれを真似た莉央の狙撃なんか、目じゃない。
首から上だけは動く狼が、レキと俺を睨みつける。強かな奴だ。ここまで追い詰められてもまだ、俺らと戦おうとしている。莉央みたいだ。あいつもどんな強敵にも果敢に挑んでいく、不屈の心を持っている。
精神力に不屈の心。ルカリオみたいなやつだな、この狼。正義の心も持たせれば完璧じゃないか。
「逃げたければ逃げなさい。ただし次は——2キロ四方どこへ逃げても、私の
矢? 銃弾ではなく?
レキの祖先って、矢を使う民族だったのだろうか。
狼に対し、論理的に話すレキ。要は、死にたくなければこちら側につけ、ということだろう。
そして、その話の内容が分かるかのように、狼はレキをジッと見る。
1分。2分。もうそろそろ麻痺が解ける頃合いだ。
「主を変えなさい。今から、私に」
静かにレキが言った。そしてそれに応えるように、狼がゆっくりと起き上がる。
少しずつこちらへと歩いてくる狼。俺は万一のために拳銃を向ける——が、その銃口をレキが手で下げる。
「糸丸さん、大丈夫です」
そう言うと、レキは恥ずかしがる素振りも見せずに俺が貸した上着をめくる。
「あっ、おい! バカ! 何して……」
覗いた下着の下からチラッと見えたもの。銀色に光る刃。銃剣だ。
「自分の身くらい、自分で守れます」
「……あ、ああ」
その上着をめくる姿をずっとされていても困るので、俺はとりあえず銃を下ろす。レキも上着から手を離す。
レキの足元まで狼はやってきた。そして——
レキのふくらはぎ、その柔肌に、すり。
頰ずりをした。まるで犬のように。どこぞの電気鼠のようにほっぺすりすりしている。
「レキ、身体が痺れたりしてないか?」
「……? なぜですか?」
「いや、何でもない」
……すごいな、レキは。さっきまであれだけ敵意をむき出しにしていた猛獣をこうも簡単に手懐けるとは。ポケモンマスターも夢じゃないかもしれない。いや、この世界じゃ夢のまた夢だけど。ポケモンマスターなんて現実の話じゃないし。
「それでどうするんだ、その狼」
「手当てします。服従していますから」
「そのあとのことだ。保健所にでも預けるか?」
なんなら俺の家の
「飼います」
「か、飼う?」
「はい。もともとそのつもりで追いかけましたから」
そ、そうだったのか。俺はもう殺すしかないと思ってたのだが。
人間、やってなければ分からないということか。強いねんりきコドラをも倒すってやつか。
「でも、女子寮はペット禁止だぞ? どうするんだ?」
「では、武偵犬ということにします」
武偵犬ってアレだろ。警察犬や軍用犬の武偵版で、鑑識科や探偵科のが犯人追跡に使うヤツ。狙撃科の生徒が使うなんて聞いたことないぞ。
「てか、そもそもそいつは狼だ。犬じゃない」
「似たようなものです。お手」
ワン、と狼がお手をする。……もう、いいや。頭が痛くなってきた。帰ったら秘伝の薬でも飲もうかな。
「名前はどうしましょうか。糸丸さん、何かいい案はありますか?」
なぜ俺に振るし。
「えっと、そうだな……」
俺は狼を見る。綺麗な毛並みだ。悪タイプのあのポケモンを思い出した。
「グラエナなんてどう?」
「では、ハイマキにしましょう」
……ねえ、どうして俺に聞いたわけ?