緋弾のアリアドス 作:くものこ
ヘラヘラ笑う青年の背後でエレベーターのドアが閉まる。同時に、エレベーターは下へと動き始めた。
「さあ、初めての苦しみを味わえ!」
青年はダウンジャケットのポケットからスプレー缶を取り出すと、エレベーター内に撒き始める。気体自体が悍ましい紫色で、ヤバい感じがする。毒ガスだな。
「バカか? 俺は毒タイプだ!」
拳銃の持っていない手で青年に殴りかかる。
青年はスプレー缶を投げ捨てると、俺のパンチを受け止める。
「へへっ、物理受けは得意なんだよ」
毒タイプで物理受けが得意、つまり防御が高い。そして、ダウンジャケットの髑髏。体の真ん中に髑髏マークとか、あいつしか思い出さない。
「ドガースか」
「あたりー」
ニヤッと笑ったドガースは、体当たりをかましてきた。
再び壁に激突する。そこへ、ドガースの右ストレートが飛んでくる。
体を横にずらして躱す。ワルサーをドガースの右肩に向けて発砲する。
当たり前のように避けたドガースが再び右ストレートを放つ。
その瞬間、奇異なことが起きた。
俺の方へと迫り来るドガースの右拳。それが
戸惑い、判断の遅れた俺は、顔面を殴られる。
「効いてきたな?」
狭いエレベーター内。次々と迫り来るドガースのパンチ、蹴りが俺に襲い掛かる。
そのどれもが、ぶれて見える。影分身でもしたかのように、どれが本物の腕や足なのかがわからない。
頭、胸、肩、腹、太腿、脛。全身の至る所にドガースの攻撃が当たる。
このままではまずい。
「くっ!」
腰のワイヤーを天井に撃ち込んで一度上に移動、すぐに飛び降りてドガースの脳天めがけて蹴りを入れる。
「うが⁉︎」
見事ヒットし、ドガースは後ろに倒れこむ。
「はぁ、はぁ、はぁ……。ドガース、投降、しろ」
俺は自分で自分の出した声に驚く。
なぜだ。この程度の戦闘で息が切れている? まだキャモメとの戦闘の方が激しかったはずなのに。
「バーカ!」
起き上がったドガースが、ダウンジャケットの内側から何かを取り出し、投げつけてきた。液体の入った瓶だ。
俺はしゃがんでそれを避ける。
——パリン!
壁に当たってガラスの瓶は割れた。中に入っていた黄緑色の液体が飛び散る。
「まだまだあるぜ!」
両手一杯の瓶を取り出したドガース。それをすべて投げつけてくる。
そのうちの数個が俺に直撃し、中の液体が俺にかかって——ドクン。
体が震えた。体の内側を何か熱いものが駆け巡り、全身が痛み始める。
「ッ! な、なんだよ?」
俺はその場に膝をついた。足に力が入らない。手にも力が入らなくなり、ガシャン、とワルサーを落としてしまう。
眩暈もしてきた。エレベーターの床が歪んで見える。その歪んだ足場に立つドガースの足が二重、いや三重に見える。
「ケホッケホッ」
俺が咳をすると、口から血が出てきた。全身が痺れてくる。これは、一体……?
「お前は俺とキャモメの罠にかかったんだよ。
ドガースが俺の頭を蹴り飛ばす。全身に力が入らなくて抵抗できない俺は、そのまま壁に激突してズルズルとその場に崩れ落ちる。
「ベノム、トラップだと?」
おかしい。ドガースはその技を使えないはずだ。それを使えるポケモンは数少ない。——俺は使えるけれど。
「おうよ。たしかに俺はベノムトラップは使えない。——けどな。
「ぼ、ボスってのは……」
「教えるわけないだろ。教えたら最後、俺の首が飛んじまう」
ゔぇ、と舌を出して自分の首をちょん切るジェスチャーをするドガース。イラついたが、俺は体を動かせない。
まあいい。ベノムトラップの件はそういうことにしておこう。それでもまだ疑問点は残っている。
「俺は、毒だ。毒に、ならない……!」
「そうだな。毒タイプのままだったらな」
ドガースは足元の水たまりを指差す。俺がキャモメに水をかけられて、それでずぶ濡れになった状態でこのエレベーターに乗ったからできた水たまり。
——そういうことか。
俺は唇を噛み締める。キャモメは最初から俺を殺すつもりなんてなかったんだ。あいつはただ、俺に水をぶっかければ良かったわけだ。
「気付いたみたいだな。そう、水浸しだ。お前はキャモメによって水浸しの状態にされたんだよ——つまり、今のお前は水タイプ。毒タイプじゃない」
水浸し。この技を受けたポケモンは今までのタイプをすべてなくし、水タイプとなる。だから俺は毒タイプを失い、毒状態に対する耐性がなくなったのだ。
「でももう遅い。アリアドス、お前はベノムトラップを大量にくらって戦闘能力が著しく低下している。お前に勝ち目はない」
ベノムトラップ。この技は毒状態の相手の戦闘能力を低下させる技。それを何発分も食らった俺は、こんな状態なわけだ。
「でだ。命が惜しかったらプレートを渡しな」
「もうどく、か?」
「もう一つもだ。二つ持ってるんだろ、もうどくとたまむし」
バレてる。俺が2種類のプレートを持っていることが。
「俺がたまむしプレートを持っていても意味がないとか思ってるか? 残念。プレートはボスに献上することになってんだ」
ボス。またか。こいつらの言うボスって誰なんだ? ベノムトラップが使えるポケモンで、もうどくプレートとたまむしプレートを欲しがるポケモン。
——いや、まさか。
「お前らの、ボスは……」
「いいからさっさと渡せ!」
「ぐっ!」
ドガースが俺の上に跨り、何度も殴りつけてくる。
「早く出せ! じゃねえとボスに叱られんだ!」
「だ……が……」
ポーンと音が鳴り、エレベーターか開いた。電子表示が、ここが一階についたことを示している。
「こんのぉ!」
腕を大きく振り上げたドガース。虫の知らせが走る。まずい。そろそろHPが尽きる。そうすれば瀕死状態になる——!
シュルルル——パシッ!
その時、閉まりかけていたエレベーターのドアの隙間から緑色の鞭が伸びてきて、ドガースの腕に巻きついた。
ガガンッ!
物を挟んだエレベーターのドアが、また開く。そのドアの向こう側、他に誰もいない一階フロアに立っていたのは——
「糸丸君、随分派手にやられたじゃないか」
鮮やかな緑色の髪。黄色いフレームの眼鏡の奥には、少しつり目気味の赤い眼。
「ジャロ!」
「ジャローダか!」
「そこまでだよ、ドガース君」
ジャロが鞭を引っ張り、ドガースをエレベーターから引き摺り出す。
「糸丸君、これを!」
ジャロが投げた粉末状の何かが、俺の血だらけの口の中に入った。——うっ、苦い。
でも、おかげで体のしびれや怠さはなくなった。漢方薬の一つ、ばんのうごなだな。とても苦いんだが、すべての状態異常を回復してくれる。
さらに、ジャロはエレベーターの溝に白い植物を挿し込む。その香りを嗅いでいると、心が落ち着いてくる。
白いハーブ。うん、やっぱり心地いいな。脱法ハーブなんかよりずっといいと思う。
俺は起き上がる。いつまでもジャロに戦わせるわけにはいかない。彼は草タイプ。毒タイプのドガースとは相性が悪いはず。
白いハーブのおかげで体の調子も戻ってきた。さらには瀕死直前のHPということもあり、むしのしらせによって力が湧いてくる。
「ジャロ、あとは任せろ!」
エレベーター内に落ちていたワルサーを拾い上げると、俺はエレベーターから飛び出す。そしてすぐさま、鞭で動きのとれないドガースの肩を狙い撃つ。
「うっ!」
掠めた銃弾の痛みに顔をしかめるドガース。やはり遠距離攻撃には弱いな。だからこそ、キャモメに俺の拳銃を機能不全にさせたんだろうが。
なんとか鞭の束縛から抜けたドガース。俺はナイフを左手に握って突っ込む。
「う、動くな!」
苦し紛れに叫んだドガースは、ダウンジャケットを全開にしてその内側を見せつけた。
「爆弾⁉︎」
ジャケットの裏やドガースの体に巻き付けられているのは大量の爆弾だった。おっ、おい。この建物が吹っ飛ぶぞ!
「近付くなよ? 近付いたら自爆する。みんなまとめて吹っ飛ぶからな?」
ちっ、なんてやつ。これでは足も糸も出ない。ジャロが逃がしてくれたのか一般人は全く見当たらないが、でもこの建物の屋上ではキンジたちがいるのだ。自爆でもされてみろ。彼らだって死んでしまう。
一歩ずつ出口の方へと下がるドガース。このままみすみす見逃すのか? 逃すのか?
ダメだ。そうはさせない。あいつは絶対に捕獲して、ボスについて吐かせてやる。俺の予想が正しければ、ボスは——
「糸丸君」
ジャロが小声で話しかけてきた。
「随分派手にやられたようだね。ずぶ濡れじゃないか。服から水が滴っているよ」
「何が言いたいんだ?」
「
「ジャロ、この服はポケモンじゃない——けど、それしかなさそうだな」
俺は目を閉じて意識を集中させる。あいつが自爆する前に作業を完了させないといけない。そのためには、サイコキネシスの精度を高めなければ。
「行くぞ?」
「ファイトだよ、糸丸君」
俺はサイコキネシスを自分にかける。そして——全力で建物の外に出ようとしていたドガースへと走り出した!
「ドガースッ!」
「来るな! 自爆するぞ!」
ドガースの目が驚きに染まっている。そりゃ、爆弾を身に付けた人間に自分から向かう人なんてそうそういないだろうからな。
そして、その一瞬の驚きが致命的だ。
サイコキネシスを自分にかけた状態の俺は、走ると同時に自らをドガースの元へと超能力によって動かす。二つの力が合わさり、俺は高速で床を駆け抜ける。そう、これが——
「こうそくいどう!」
一瞬でドガースとの間を詰めた俺は、ずぶ濡れの防弾制服の上着をドガースに被せる。
ピシャッ、と音を立てて水滴が飛び散る。
「ぬ、濡れた! これじゃ自爆できねえ!」
「ドガース、お前を捕獲する!」
勢い余って外へと飛び出した俺らはお互いを掴み合い、地面を転がりながらどちらがマウントポジションを取るかを競い合う。
と、転がりながらドガースは指の爪を地面へと立てた。
キイイイイイイッ!
「うっ⁉︎」
耳を劈くような嫌な音。俺がひるんだ隙にドガースはマウントポジションを取り、拳を振り上げる。俺はあと一発でももらえば瀕死——気絶してしまうだろう。そうなったら、あとはなされるがまま。それだけは避けなければ!
「死ね!」
「死んでたまるか!」
俺は足を思いっきり振り、爪先でドガースの背中を蹴りつける。
ブスッと何かがドガースの背中に刺さる。
「ああっ⁉︎」
呻いたドガースの顔面を殴り飛ばし、俺は跳ね起きる。
俺の靴に最近、新たに増設された兵器。爪先から伸びる針。エムからもらった毒針だ。
俺はワルサーを構えてドガースの踝を狙う。動けなくすれば、捕獲は容易になる。
——キィィィィン!
その時、俺の耳が聞き覚えのある機械の駆動音を捉えた。反射的に俺はバックステップをする。
ズバシャッ!
直後、眼前に着弾した水鉄砲。空を見上げれば——やっぱり。
あの宙に浮くサーフボードに乗ったキャモメがいた。いつの間に着替えたのか、ウエットスーツを着ている。
「何ヘマしてんだ、ドガース!」
「悪い、キャモメ」
「ちっ、援軍か」
俺はワルサーをキャモメの方へと向ける。キャモメはサーフボードの下面を俺の方に向けて、弾が自分に当たらないように守る体制に入った。
「ドガース、一旦引くぞ」
「ああ」
ドガースは爆弾を取り付けていたダウンジャケットを脱ぎ捨てる。その下に着ていたのは、紫色の毒々しい色合いのウエットスーツ。
「浮遊する!」
ドガースが宣言したかと思うと、そのウエットスーツは内側から膨らみ始め、宙に浮かび上がった。
「なっ⁉︎ お前も飛ぶのかよ!」
「ああ。逃げるが勝ち。じゃあな」
キャモメ共々空高く浮上していくドガース。くそっ、拳銃の射程外に入りやがった!
「糸丸君!」
そこへ、ランドマークタワーの方からジャロが駆けてきた。なぜか顔には笑顔を浮かべている。なんだよ、俺が敵に逃げられたのが嬉しいのかよ?
「どうして僕がここにいたのか、気にならなかったのかい?」