緋弾のアリアドス 作:くものこ
倒れてしまった明日香を家に運び込み、彼女に与えた部屋のベッドの上に寝かす。その部屋に明日香の私物は何もなかった。備え付けのクローゼットの中も空っぽ。床には塵一つ落ちていない。昨日着ていた白黒のメイド服及びピンクの寝間着も見当たらない。
「すみません。迷惑をかけてしまいました」
「気にするな」
俺は彼女のように料理したりはできないので、とりあえずコンビニでカットフルーツを買ってきた。
彼女にカットフルーツを食べさせながら、俺は先程のことについて聞くことにした。
「急にどうしちゃったんだよ」
「私は……私は、攻撃できないんです」
「えっ?」
「サイコキネシス、りゅうのはどう、その他いろいろ。しかも技が使えないだけではなくて、この世界のありとあらゆる武器も使えないんです。さらに言えば、人を物理的に傷つけることが一切できません」
「ちょっと待て。ハンググライダーの方は武装が積まれていたぞ」
「だから言ったじゃないですか。厳密には私とあれは別個体なんです」
「そんな……。もしそれが本当なら、武偵なんてできないんじゃないか?」
「でも、救護科ならまだ何とか……」
カナさんはそれを見抜いたということなのか。あのわずかなやり取りで。そして、看護学校をオススメしたと。
「補助技なら使えるんです。リフレクターとか、光の壁とか、癒しの波動とか……」
「リフレクターに光の壁……もしかして、病室で俺のことを助けてくれたりしたのか?」
「はい。契約上、私はご——契約の相手を扶助することになっていますので」
「契約。またそれか。なあ、その契約書とか持ってないのか? 俺は内容が一切わからないんだが」
「契約書……それならたしか、秘密の庭にあったような気がします」
明日香は目を閉じる。すると、彼女の手に光が集まって——
「これですね。どうぞ、ご自由にご覧になってください」
一枚の紙になった。これが契約書?
「秘密の庭から取り出したんだよな? 明日香は大丈夫なのか? ほら、ハンググライダーとは同時に存在できないんだろ?」
「それはハンググライダーのデータ量が大きいからです。紙や服程度なら問題ありません」
ということは、明日香の部屋に何もないのはすべて秘密の庭という空間に収納しているからだったのか。
俺は紙を受け取ると、内容を確認する。
『Latias は芦長糸丸の所有物であり、此れの権利はすべて芦長糸丸本人に委譲されるものとする。
Latias はその所有者と同居し、助け、その人のために機能しなければならない』
「……むちゃくちゃだな」
人権無視もいいところだぜ。明日香にとってだけでなく、俺にとってもだけど。なぜこんな重要な契約が本人の耳に入る前に成立しているんだ。
「私はあなたのものです。どうしようと、あなたの勝手なのです」
「お前はそれでいいのか? 自由を奪われているんだぞ?」
「構いません。私は攻撃を行うことができません。自己防衛すらできません。私をハンググライダーとセットにした研究者は、いざという時は戦えるようになると言っていましたが、一向にそんなことはありませんでした」
明日香は俺が差し出した爪楊枝を受け取ると、それを振り上げ、俺の手の甲へと突き刺す——
「こんなふうに、私はできないんです。だから誰かの庇護が必要なんです」
ことはなく、彼女の腕は空中で静止していた。いや、小刻みに震えている。
意図的に止めていると考えられないこともない。けれど、俺にはそうは思えなかった。焦るような彼女の表情が、本気で刺そうとしているかのようで。
やがて、明日香は爪楊枝をカットフルーツに刺すと、今度はベッドの上に土下座をした。
「えっ、ちょっ、何で?」
「お願いします。私を追い出さないでください」
「お、追い出す?」
「私は一切の抵抗ができません。だから、強引に追い出そうとすればできるんです……。鬱陶しいんですよね。一緒にいるとうんざりするんですよね。でも、お願いです。ここにいさせてください……」
さっきの腕のように震えた声。今にも消えそうな声で話す彼女に、今度は俺が慌てる番。
「な、泣くなって! 別に追い出したりなんてしないよ!」
「本当ですか……?」
パッと顔を上げた明日香。潤ませた瞳で、下から俺を見つめてくる。いわゆる上目遣い。は、反則だろ、それは。
「ああ。契約したしな」
「ありがとうございます……!」
目に涙を浮かべながらも、嬉しそうに微笑む明日香。
人に対して抵抗することができない彼女は、どんな人生を送ってきたのだろうか。
『私、体質的に妊娠はしませんので』
ふと、昨日の彼女の言葉が脳裏をよぎった。あれはタマゴグループ的な理由かと思っていたが、まさか実際の——
いや、そもそもどうして攻撃ができないんだ。
「なあ、教えてくれないか? どうして攻撃ができないのか」
「——この世界に来た時のことって覚えてます?」
この世界に来た時のこと?
「まあ、それなりに。アルセウスとの会話ならだいたい覚えている」
「アルセウス? もしかして、アルセウスの力で転生したんですか?」
「ああ。明日香は?」
「私は——その時はラティオスと一緒だったんです」
その時は。彼女の言葉に、俺は言葉が出ない。
「"次元転移装置"って知ってますか?」
「……風の噂でなら、聞いたことはある。たしかホウエン地方の大企業が作ったんだっけ?」
「はい。デポンコーポレーションです。その装置、一度壊れたのですが後に何者かに盗まれたのです。そして、その人物は装置を修復、使用可能な状態にしたのです。
まもなくして、実験が始まりました。別次元の世界へとワープするをする、実験が。
でも、ワープには莫大なエネルギーが必要なんです。そこで目をつけたのが——」
「アルセウスのプレートか」
明日香が頷く。
「プレートを持たされた状態でポケモンは転送させられました。だいたいのポケモンは無理やり捕獲されたものたちです。だから、この世界にいるプレハブたちは心がすさんでいる、そういうポケモンが多いんです」
「明日香とラティオスも捕まったのか?」
再び明日香は頷くと、涙声で話を続ける。
「そして送られたのですが、ラティオスは——」
俺は彼女の口元に人差し指を当てた。
「言わなくていい。言わなくていいよ、明日香」
ラティオスは何らかの理由でうまく転送されなかったということか。そしてそのショックで、攻撃ができなくなった……?
「すみません」
「何を謝ってるんだよ」
「迷惑をかけてしまったから……もう、昼休みの時間が終わってますし……」
「え」
俺は携帯を取り出して時間を確認する。あちゃー。
しばらくして、泣き止んだ明日香は眠りについた。その寝顔を眺めながら、俺は考えを巡らしていた。授業? ずるけたよ。
重大な話を聞いてしまった。どうしてアルセウスのプレートがこの世界にあるのか。数多くのポケモンが所持しているのか。
しかし問題はその次元転移装置だ。もしそれが今だに稼働をしているのなら、これからもどんどんプレート持ちのポケモンが送られてくるわけだ。どうにかして対策を講じなければならない。しかも、その組織は準伝説であるラティ兄妹を捕獲するほどの組織だ。生半可な実力じゃ倒せないぞ。
というかそもそも、この世界にいる俺が向こうの世界にある装置をどうこうできるはずもなく。
もちろん、ラティオスの話も想像を絶するような重い話だった。要は彼女の兄なのだろう。兄と死に別れた下の子。ずっと寂しかったのだろうな……。
さらに、兵器にまでされて——
「辛かったんだろうな」
そっと彼女の頭を撫でる。その時——
バスンッ!
「なっ、銃声⁉︎」
俺は腰掛けていたベッドから跳ね起きる。上から聞こえた。いったい何が起きた?
明日香を確認する。彼女はまだスヤスヤと眠っていた。
さて、問題は上だ。思いつくのはカナさん。彼女はアリアを殺すと言っていた——!
「まさか!」
彼女は第2の可能性を確かめる、そのために武偵高に潜入した。今は時間的に放課後だ。もし可能性がないとカナさんが判断して、帰宅してきたアリアを殺そうとしたのなら。
「くそっ、アリアが!」
部屋を飛び出す。一人の武偵として、人が殺されるところを見殺しにするわけにはいかない。
俺は玄関を開けようとして——ピンポーン。
インターホンが鳴った。今、目の前に誰かいる。
俺はのぞき穴から外の様子を伺う。そこに立っていたのは——
玄関を開ける。何も言わずにその女子は俺の部屋に上がり込んできた。
「アリア」
「少し、いい?」
いつもは強気のアリアが、泣いていた。
「本当、今日はついてない」
「……そう」
「これで2人目だよ」
「……」
俺はダイニングテーブルに座ったアリアにミックスオレを差し出す。けれど、アリアはそれを飲もうとしない。
俺は彼女の向かいに座った。以前、カウンセリングは相手の話を聞くことだと何かの本で読んだ。だから、ここは向こうから話し出すのを待つとしよう。
しばらく沈黙が続く。時々、アリアが鼻をすする音がするだけ。俺は別のことが気になり始める。すなわち、明日香が起きてきたらどうしようということだ。アリアを見てどんな反応を示すのだろうか?
やがて、アリアはミックスオレを注いだコップを持つと、口を開いた
「キンジにカノジョがいたって知ってた?」
「えっ? お前じゃないの?」
ブッ!
アリアがミックスオレを吹いた。おいおい、リアル貴族様。そんなんでいいのかよ。
「ああああたしがキンジのカノジョ⁉︎ ないないないない! だって、カナが……」
「カナ? カナさんが上にいたのか?」
「ええ。いたわよ」
そうか、カナさんが。そしてどうやら、アリアはカナさんをキンジのカノジョと勘違いしているらしい。——なんか、アリアの機嫌が少し良くなったのは気のせいか?
「最近妙にあたしと一緒に行動したがるなぁって思ってはいたわ。けれど、まさか別のパートナーと組もうとしていたなんてね」
どうやらアリアの中ではカナさんはキンジのパートナーという認識らしい。さっきはカノジョだと言ってなかったか? いや、どちらも同じようなものか、アリアにとっては。どちらかといえば男女的な意味合いでパートナーと言っている気がする。気のせいだろうか?
「アリアのいうパートナーって、配偶者ってこと?」
「ち、違うわよ! あたしはただ武偵としてのパートナーってだけ!」
「そうなんだ」
違ったらしい。日本語って難しいのな。一つの言葉に複数の意味を持つからな。
「その返事、全然分かってないわね⁉︎ 風穴祭りに——」
祭りとアリアが言った瞬間、彼女の顔がボボボと赤くなる。そして、コイキングみたいに口をパクパクさせ始める。顔が赤いからますますコイキングに見える。
「どうした?」
「べ、別に! 誰もキンジに夏祭りに誘われたなんて言ってないじゃない!」
目をグルグル回し始めたアリアは、わかりやすく教えてくれた。キンジがアリアをデートに誘ったらしい。
「行けば?」
「だ、だってカナが!」
まったく、面倒な奴だ。カナさんはキンジの親戚なのだから、あいつがとんでもない思考をしない限り2人が付き合っているということはないはず。それくらい見てわからなかったのか?
「いいか、アリア。落ち着いて思い出してみろ。カナさんはキンジの恋人のように見えたか? どちらかというと、家族のように見えなかったか?」
「はぁ? 糸丸、わけのわからないことを言うんじゃないわよ!」
「いいから」
「仕方ないわね。——そう言われてみれば、たしかに。何か、恋人よりももっと強い絆みたいなのがある気がするわ」
すごいな、アリアの直感力は。そういうことにすぐ気付けるのだから。俺の虫の知らせなんて所詮、危機に対することにしか反応しないのに。
「……ありがとう。おかげで少し冷静になれたわ。あたし、祭りに行こうと思う」
「それはよかったな」
「うん。あたし、もっとちゃんと見てみるべきだったのよ。先月紅鳴館に潜入する日にね、理子がカナの顔をして現れたの。その時のキンジの動揺っぷりがもうすごくて……。しかも今日、そのカナが強襲科にやって来たのよ? あたし、模擬戦をしたんだけど敵の弾すら見えなかったわ」
「俺もだ。昨日、病院に仕掛けてきたんだよ、あの人」
「へえ、あんたもやったの。どうだった?」
「死ぬところだった」
「やっぱりね。あたしも模擬戦じゃなかったら死ぬとこだったわ。キンジが止めに入ってくれたんだけど意味をなさなかったし……あっ! どうしてキンジはあたしにカナのことを説明してくれなかったのよ! バカキンジ!」
大声で怒鳴るアリア。これ、上の階のキンジに聞こえていないだろうか?
「まあとにかく。デート、楽しめよ」
「で、で、デート⁉︎ ち、違う! これは警備よ警備! カジノ警備の練習の一環なのよ!」
「あっ、そうだ。そのカジノ警備なんだけど、俺の戦妹も連れて行ってくれないか? 強襲科なんだけど、単位が足りていないんだよ」
「莉央って子よね? いいわよ。最低4人は必要らしいし。あんたもやる? それで4人になるし」
「じゃあそうしようかな。単位は足りてるけど、参加するよ」
ふっふっふ。これでカジノに入る正当な理由ができた。俺には秘技があるのだ。稼がせてもらおう。